新型インフルエンザワクチンの一般接種が
始まったそうですね。
以前にも書きましたけど(自分でできる予防策)
外から戻ったら、手洗い、うがい、できれば洗顔も。
この3ステップを励行するだけでも
随分と違ってくるそうです。
そこで今回はお医者さんが指導した
「正しい手洗いとうがいのしかた」を紹介します。
(動画の提供元はおなじみの『ほぼ日刊イトイ新聞』です)
『お医者さんから教わった正しい手洗いとうがいのしかた』
http://www.youtube.com/watch?v=N_kY0r--O-k
やってみれば即実感。
ほんとにスッキリと洗い上がります。気持ちいい。
うがいをするときは、なるべく首の力を抜いて
後頭部が自らの重さで自然に落ちてくようなイメージに。
すると顔側が鼻から自然に上を向いていくような…
そして両肩を落とすようにできると
さらによいかもしれませんね。
というのも、背骨を後方に反らせるようにして
上を向いてしまうと喉が詰まって苦しくなりますし、
うがいもうまくできなくなってしまうような
気がするんですよね。
それと……これって個人的見解なんですが、
予防と養生って、ちょっと観点が違うようなんですね。
予防とは「あらかじめ(予)め防ぐ」という意味で
たとえば病気やケガなどのように
何か特定の対抗すべき対象が想定されているような印象。
で、対する養生はといえば
そういうことではないような気がするんですね。
長生きする、年齢なりの瑞々しさを保ち活き活きと過ごすとか、
そのようにありたいとするのが養生なのかなって。
つまり予防は、より具体的な対象に絞った対処法で
その意味では養生の一部ともいえるのかもしれませんが、
だからといって養生=予防としてとらえること
つまり予防さえしていれば養生なんだと考えるのは
どうなのかなと。
養生はもっと根源的なところから
行うもののように思うんです。
だから仮に養生的予防策を考えるとすれば
手洗い、うがい、洗顔にとどまらず
たとえば人の集まる所にはなるべく行かない
心身を疲労させない、疲労を残さないとか、
あえて自らリスクに近寄らない
(リスクから遠ざかる)といった
積極的な回避行為も含まれると思います。
と同時に常日頃から十分な栄養と休養を重んじて
心身の内側から保護し英気を養うように
心がけることのような気がします。
そうした恒常的なはたらきかけが
養生なのではないのかなと。
ちなみに人が適正範囲内と感じている
ほとんどのケースが養生的視点からみれば
“やり過ぎ”の状態となるらしく…
うむむ~ やっぱり意識変革かなぁ
始まったそうですね。
以前にも書きましたけど(自分でできる予防策)
外から戻ったら、手洗い、うがい、できれば洗顔も。
この3ステップを励行するだけでも
随分と違ってくるそうです。
そこで今回はお医者さんが指導した
「正しい手洗いとうがいのしかた」を紹介します。
(動画の提供元はおなじみの『ほぼ日刊イトイ新聞』です)
『お医者さんから教わった正しい手洗いとうがいのしかた』
http://www.youtube.com/watch?v=N_kY0r--O-k
やってみれば即実感。
ほんとにスッキリと洗い上がります。気持ちいい。
うがいをするときは、なるべく首の力を抜いて
後頭部が自らの重さで自然に落ちてくようなイメージに。
すると顔側が鼻から自然に上を向いていくような…
そして両肩を落とすようにできると
さらによいかもしれませんね。
というのも、背骨を後方に反らせるようにして
上を向いてしまうと喉が詰まって苦しくなりますし、
うがいもうまくできなくなってしまうような
気がするんですよね。
それと……これって個人的見解なんですが、
予防と養生って、ちょっと観点が違うようなんですね。
予防とは「あらかじめ(予)め防ぐ」という意味で
たとえば病気やケガなどのように
何か特定の対抗すべき対象が想定されているような印象。
で、対する養生はといえば
そういうことではないような気がするんですね。
長生きする、年齢なりの瑞々しさを保ち活き活きと過ごすとか、
そのようにありたいとするのが養生なのかなって。
つまり予防は、より具体的な対象に絞った対処法で
その意味では養生の一部ともいえるのかもしれませんが、
だからといって養生=予防としてとらえること
つまり予防さえしていれば養生なんだと考えるのは
どうなのかなと。
養生はもっと根源的なところから
行うもののように思うんです。
だから仮に養生的予防策を考えるとすれば
手洗い、うがい、洗顔にとどまらず
たとえば人の集まる所にはなるべく行かない
心身を疲労させない、疲労を残さないとか、
あえて自らリスクに近寄らない
(リスクから遠ざかる)といった
積極的な回避行為も含まれると思います。
と同時に常日頃から十分な栄養と休養を重んじて
心身の内側から保護し英気を養うように
心がけることのような気がします。
そうした恒常的なはたらきかけが
養生なのではないのかなと。
ちなみに人が適正範囲内と感じている
ほとんどのケースが養生的視点からみれば
“やり過ぎ”の状態となるらしく…
うむむ~ やっぱり意識変革かなぁ
養生の基本なんでしょうね。
自然のままにあることが大切…
むやみに対抗するのも逃げるのも
どちらにも“怖い”と思う気持ちがひそんでいます。
情緒が揺れていては
平常心ではいられないですね。
どうすれば気持ちをフラットにしていられるのだろうか…
そんなことを考えています。