夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

思わず、学童に微苦笑させられ・・♪

2008-12-03 16:15:30 | 時事【社会】
東京郊外の調布市は、11月のような晩秋の暖かさに恵まれて、
私は陽射しの中、買物に行った。

家を出かける時、
『学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を護(まも)りましょう・・』
とわが街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されていた。

私は買物の帰宅で、スーパーの買物袋を両手に提げて、
歩道を歩いていた・・。
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。

私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、
私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。


過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。

30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。

私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。


私は年金生活の5年生で、64歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである。

私の小学三年生になると、父は亡くなった後、まもなく祖父も亡くなり、
農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。
可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。

そして心の中で、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、

♪私は街の子、田舎の子・・

と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。


このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは少なくとも50年以上歳月が過ぎて、社会は大きく変貌し、
私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしている。



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『R60世代』と命名されても、私自身は戸惑い・・♪

2008-12-03 09:26:06 | 時事【社会】
先ほど、日本経済新聞社に寄る【NIKKEI NET】ネットを検索していたら、
何気なしに【Waga Maga(ワガマガ)】を開いた。

『アタマとカラダを刺激する大人のためのコミュニティ』と称されたサイトであるが、
この中のひとつに『暮らし』というコーナーがあり、
「ライフスタイル」という特集記事があり、読み終わって私は、少しため息をした後、
微苦笑させられたのである・・。


ジャーナリスト、共用品推進機構機関誌「インクル」編集長の高嶋健夫氏が、
『団塊の世代』を中核とした50代半ばから60代後半のシニア層を【R60世代】と名付け、
この世代の実像に迫った『R60マーケティング』(共著、日本経済新聞出版社刊)の発刊に伴い、
インタビュー記事であった。

http://waga.nikkei.co.jp/comfort/life.aspx?i=MMWAg3000027112008&page=1


記事の前提として、著者の1人であるジャーナリストの高嶋健夫さんは
「若々しいR60の真の姿が見えてきた」と語る。
ライフスタイルや消費志向など、この世代ならではの特性を、
高嶋さんに語ってもらった、明示している。

12月2日に配信さた記事であり、無断であるが、記事を転載させて頂く。

【・・
60歳になった自分と、60歳だったころの父親を比べて、
自分の方がずっと若い気がする。
そう思う人は少なくないと思います。

多くの人が感じるように、今の時代の60歳前後は、
客観的に見ても、気持ちも見た目も若々しいと思います。
ところが、20~30代の人は、そうした実態を知らないまま
「60歳と言えばお年寄り」
といった固定観念で決め付ける傾向にあります。

世間の固定観念を打破し、シニア層の真の姿を広く伝えたいと考えた私たちは、
インタビュー取材と大規模な消費者調査(「アサツーディ・ケイ(ADK)生活者総合調査 
2007年5月調査」)を活用し、
「R60世代(50代半ばから60代後半のシニア層)」の生活実態を多方面から解き明かそうとしました。

その結果、R60世代全体に共通している傾向がいくつか明らかになりました。
その1つが、「これからの人生をどう生きるべきか」を
しっかり考えている前向きな姿勢です。
在職中であるかどうかや、ライフスタイルの違いなどにかかわらず、
多くのR60世代に共通して見られる姿勢でした。


R60世代が育った高度経済成長の時代は、
物質的にどんどん豊かになっていった時代でした。
頑張れば報われるという現実を、分かりやすい形で経験してきた世代だったわけです。
前向きな姿勢の根底にはそうした実体験があるのかもしれません。

良質かどうかを見極める目を持っている世代である点も、
調査結果によって裏付けられました。
例えば、シニア男性に「定年後に挑戦してみたいあこがれの趣味」を聞くと、
必ず上位に「そば打ち」が挙がるところにも、
本物感を大事にする傾向が表れています。
・・・
「自分で作る感動」を、いかに提供できるかどうかが、
シニアマーケットでは重要な要素であるということでした。
・・】

注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


著作者のひとりの高嶋健夫氏は、1956年生まれと略歴に明記されているが、
マーケッテングの分野だけでも、
『団塊の世代』を中核とした50代半ばから60代後半のシニア層を【R60世代】と設定されるのは、
少し無理があると感じたのである。

私は昭和19年(1944年)に生を受けた身であるが、
少し後輩世代としては、『団塊の世代』がいる。
『団塊の世代』のひとつをとっても、就職時が中卒、高卒の大多数の方たちの時代であり、
この当時は大学の進学率も10%前後といわれている。
同じ世代でも、このように社会人になった時期も差異があったのである。

私は大学を中退し、アルバイト、契約社員などをしながら、
映画・文学青年の真似事をした時期の後、
ある企業に中途入社できたのは25歳だった。
たまたま部署で机を並べたのは、大学を新卒した『団塊の世代』が多かったのである。
同じ新卒の方たちでも、学生運動に関係した人も少なく、
或いはビートルズ世代と称される人も多くなかったのである。

あえて総体的な発言をすれば、
年功序列型の中で、業務を通じて先輩と上司などに、叱咤・激励を受けながら、
必要な知識や技術、そして社会人の常識を修得したのである。

そして、40代の頃は、多くの方が責任者となり奮闘し、やがてバブル経済にとなった。
冷戦が終ると、グローバリ化が日本の企業に押し寄せ、バブル崩壊後した後は、、
日本経済の足かせになってきた企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題に対し、
経営改革が大幅に行なわれてきた。

そして民間企業の各社は、血のにじむようなリストラとして、
事業の再編成、人員の削減、銀行の不良債権処理が
過酷な程に行なわれ、自助努力の名の基で達成したのである。

この間は、年功序列型は崩壊し、多くの『団塊の世代』はリストラ旋風に遭遇し、
翻弄され、一部の方たちは無念ながら退社させられした。、
そして、雇用の過剰となったので、若き人が入社できる人は狭められ、
就職氷河期となり社会問題の痕跡を残したのである。

このように『団塊の世代』の人々も、50代を迎えるまでは、
年功序列型で会社は成長し、自身の人生設計は順調であったが、
50代の初め頃からは、企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題で、
翻弄されて、中小業をはじめとし大企業さえも、何とか定年退職が出来たのは
半数前後、と感じている。

しかし、総花的には、頑張れば報われた幸福な世代だった、
というのが、昨今の諸情勢を見つめると、確信を深めたりしているのである。

以上が民間会社に勤めた『団塊の世代』の多くの方たちの軌跡、
と深く感じているのである。



私達より先代の世代、昭和15年(1940年)以前に生まれた世代は、
社会情勢の局面が高度成長と余韻を背景とした現役時代であったので、
物質的な向上が毎年実感でき、マイホーム取得時なども良き時代であったし、
バブルが崩壊し、「雇用・設備・債務」の三大過剰問題の中、
無事に定年退職を迎えられ、直(ただ)ちに60歳より年金満額が支給された人たちであった。

私達の後輩の『団塊の世代』の後半組は、
就職時からは確かに物質は恵まれていたが、50代の少し前頃から、
年功序列が崩壊し、リストラで隣人の友が離れ、そして自身は定年退職も明解でなくなったのである。
その上、65歳より年金満額が支給される間は、
やむえず就職口を探したりする人が多い実態なのである。

こうしたさまざまな余りにも社会環境、情勢が違うので、
50代半ばから60代後半のシニア層を【R60世代】と名付けられるのは、
私としては素直に理解できないのである。

確かに高嶋健夫氏は、良質かどうかを見極める目を持っている世代である、
と明晰されるが、心の希望だけは同じような思えるが、
実質としては、昭和15年以前の人たちと『団塊の世代』の後半組は余りにも違うので、
ひとつの世代と命名するには過酷である。

そして『団塊の世代』の後半組の視点からすれば、
齢上の方たちは余りにも優遇されていた時代の人だった、と秘かな感じている、
と私には思えているのである・・。

私は民間の中小業に中途入会社でき、35年ばかり勤めていたので、
昭和15年以前の人たちと『団塊の世代』の後半組の人たちを
たまたま共にできた身であったので、両世代の心情は理解しているひとりである。



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