東京郊外の調布市は、11月のような晩秋の暖かさに恵まれて、
私は陽射しの中、買物に行った。
家を出かける時、
『学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を護(まも)りましょう・・』
とわが街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されていた。
私は買物の帰宅で、スーパーの買物袋を両手に提げて、
歩道を歩いていた・・。
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。
私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、
私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。
過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。
30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。
私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。
私は年金生活の5年生で、64歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである。
私の小学三年生になると、父は亡くなった後、まもなく祖父も亡くなり、
農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。
可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。
そして心の中で、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十 】
私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは少なくとも50年以上歳月が過ぎて、社会は大きく変貌し、
私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしている。
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私は陽射しの中、買物に行った。
家を出かける時、
『学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を護(まも)りましょう・・』
とわが街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されていた。
私は買物の帰宅で、スーパーの買物袋を両手に提げて、
歩道を歩いていた・・。
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。
私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、
私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。
過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。
30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。
私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。
私は年金生活の5年生で、64歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである。
私の小学三年生になると、父は亡くなった後、まもなく祖父も亡くなり、
農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。
可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。
そして心の中で、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十 】
私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは少なくとも50年以上歳月が過ぎて、社会は大きく変貌し、
私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしている。
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