夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときに、その方の人生に思いを馳せれば、思わず涙ぐみ・・。

2008-12-06 16:33:18 | 時事【社会】
私は年金生活の五年生の64歳の身であるが、
昨夜、ネットでニュースを見ていたら、
【YOMIURI ONLINE】に於いて、
 
『 弘前大事件で冤罪の那須 隆さん、今年1月に死去』

と題された記事を読み、驚いたのである・・。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

【12月5日14時48分配信 読売新聞

青森県弘前市で1949年に起きた弘前大教授夫人殺害事件の犯人とされ、
真犯人が現れて再審無罪となるまで
冤罪(えんざい)に苦しんだ那須隆さんが今年1月24日、
青森県内の病院で死亡していたことが分かった。84歳だった。

那須さんは1949年8月、弘前大医学部教授の妻が自宅で殺害された事件で、
約2週間後に警察に逮捕された。
一貫して犯行を否認したが、1953年に最高裁で懲役15年の刑が確定し、
服役した。

事件から20年以上たった1971年、
知人が真犯人として名乗り出たことから再審を請求。
いったんは棄却されたが、異議申し立てが認められ、
1977年に仙台高裁で無罪が確定した。


以上が、記事の全文である。

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は恥ずかしながら、この事件も、まきこまれた冤罪(えんざい)に関しても、
無知であった。

この後、読売新聞の夕刊が配達された後、
詳細を知りたくて、この事件に関する新聞記事を読んだのである。


【・・
那須さんの知人によると、
那須さんは晩年、冤罪事件で苦しんだ過去を語ることなく、
公民館の読書愛好会に入り、読書にふける日々を送っていたという。

1993年2月、妻の京さんが67歳で他界した後、
支援者の援助を受け、弘前市内で一人暮らしをしていたが、
1998年10月に腸炎を患い、同市内の病院に入院。

同年末に退院してからは、青森県つがる市の義弟方に身を寄せていた。
妹によると、
「自分は静かに逝く。
死んだ後もそっとしておいてほしい」と話し、
最期は、親類にみとられて静かに息を引き取ったという。

・・】

以上、読売新聞の記事を無断であるが、引用させて頂いた。

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私はこのお方が、20代なかばで、警察に逮捕され、
一貫して犯行を否認し続けたが、1953年に最高裁までの道のりを
周辺からの容疑の疑惑の視線にさらされ、
そして最高裁の裁定は『懲役15年』の刑が確定し、
服役された30、40代はどのような思いで刑務所で服役されていたのだろう・・。

少なくとも警察はもとより検事、裁定された判事の方も、
何故、自分の証言が信用してくれないのか、
さいなまれた期間であったであろう・・。

私はこのような思いを馳せると、思わず涙がこぼれたのである。

この後、事件から20年以上たった1971年、
知人が真犯人として名乗り出た直後の
このお方の心情はどのように思われたのだろうか。

そして再審を請求し、1977年に仙台高裁で無罪が確定するまでの期間も
長い道のりの期間であっただろう。

結果として、このお方の半生は、余りにも冷酷な冤罪で、
人生を台無しにされた、痛切な期間であった。


わずかに救いがあったとするならば、
記事の最終部分において、

【・・
那須さんは、源平の合戦で平家の扇を打ち抜いた那須与一の直系の子孫。
先祖伝来の書画など約700点を、
与一の生誕の地とされる栃木県太田原市に寄託したのがきっかけで、
同市に2007年10月、「那須与一伝承館」が完成。
那須さんは、初代名誉館長を委嘱された。

同館の阿部能久・学芸員らによると、
那須さんは、オープン前に展示品を見て回り、
「待ちわびていました」と興奮した様子で話し、
開館の記念式典では、
「(家宝を)後世に残すことが出来た」
と喜んでいたという。
・・


以上、読売新聞の記事を無断であるが、引用させて頂いた。

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私はこの事件にまきこまれ冤罪で、人生を台無しにされた方を遅ればせながら知り、
私は齢ばかり重ね、世の中の大半は解かったような気持ちでいたことに、
恥ずかしくなり、涙の後は独り赤面したのである。



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東京の郊外は、冬晴れの日を迎え・・♪

2008-12-06 08:48:55 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、初冬のような寒さあるが、
穏(おだ)やかな朝の陽射しの朝を迎えている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは5度、日中も12度前後の陽気に恵まれ、
夜の6時は6度前後が予測され、
平年並みの寒さとなります。

明日は朝の6時過ぎは-1度、日中も9度前後の冬晴れとなり、
夜の6時は5度前後が予測されます。
真冬のような寒さとなりますので、
防寒対策をして、風邪などに注意しましょう・・。

私はこのように聴こえたのである。


この1週間は、11月のような陽気に恵まれ、
昨日の午後になると、風が強く吹いた後、雨が6時過ぎまで降ったが、
暖かな1日であった。

私の住む地域は、
それぞれの落葉樹はわずかに朱紅色、紅色、黄色に色合いを残しているが、
モミジは真紅、朱紅色となり、公孫樹(イチョウ)は黄色に染めたのが、
今が一番綺麗な時なの、と言いたげに美麗な情景となっている。
そして、落葉した朱紅色、紅色、黄色の葉は、
樹木の周辺や、路上の片隅に吹き寄せのように彩(いろど)っている。

このような錦繍の終わりの時節の中、
私は日中のひととき買物、散策で心を寄せながら歩いている。


昨夜のニュースに於いて、
日本海の沿岸に於いては早くも雪と報じていたり、
このサイトで綴られた雪の便りを拝読したりすると、
突然の寒波の襲来に、どうしてなの、と私は戸惑ったりしていた。

そして、旅先で訪れた各地の情景を思い重ね、視聴したり、
拝読したりしていた・・。

私は年金生活の無力な64歳の身であるので、
せめて天上の気候の神々に、
どうか日本の各地は平年並みのお天気にお願いします、
と祈願したりしたのである。


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