私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位 》
と題された見出し記事に、私は思わずクイックした。
ALBA.Netより配信された記事であり、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・
タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位はキープ
<WGC-ブリヂストン招待 最終日>◇7日◇ファイアストーン・カントリークラブ(7,400ヤード・パー70)
オハイオ州にあるファイアストーン・カントリークラブを舞台に開催された、
「WGC-ブリヂストン招待」の最終日。
好相性の大会で完全復活どころか絶不調が続くタイガー・ウッズ(米国)は、
最終日も77と大荒れ。
72ホール競技としては自己ワーストのトータル18オーバーで4日間を終えた。
蓄えたひげが悲しく映る。
うつろな目でインタビューに答えるウッズは
「18オーバーは面白くない。残念ながら我慢強さが十分ではなかった」と搾り出した。
ウッズは2番パー5バーディで幸先の良いスタートを切ったのも束の間、
3番、4番と連続ボギー、さらに7番、8番でも連続ボギーを叩き前半だけで3つスコアを落としてしまう。
こうなると今のウッズに流れを引き寄せる力はない。
10番ボギーの後2つのバーディを奪ったものの、
14番ダブルボギー、15番ボギー、16番でもダブルボギーと立て続けにスコアを落とし、
トータル18オーバーでフィニッシュ。
順位は78位タイで4日間を終えた。
それでも、今大会4位以内に入れば世界ランキング1位の座に着くことが出来たフィル・ミケルソン(米国)が、
この日だけで8オーバーと大乱調でスコアを落としたため、
世界ランキング1位の座は何とかキープ。
下から2番目のブービー賞ながら世界1位の座には首の皮一枚でつながった。
しかしこのまま低調な成績が続けば、陥落は時間の問題。
最強王者が窮地に立たされている。
8月9日11時27分配信 ゴルフ情報ALBA.Net
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/tiger_woods/
☆ ALBA.Net タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位はキープ ☆
私は現役のサラリーマン時代、ゴルフに関しては、
ほんのわずかしか、練習所に上司に連れたれて、練習した程度で、
コースにも出たことのない男である。
従って、現代もゴルスに興味はなく、低山のハイキングの方が遥かな楽しい。
こうしたゴルフ無知な私でも、ゴルフ界の最強の人のタイガー・ウッズぐらいは、
スポーツ・ニュースなどで、抜群の実績は読んだりし、
昨今は不倫騒動をテレビのニュースで偶然に視聴したり、
その後は試合を一時自粛し、最近は復帰戦に望まれている、
この程度は私は知っている。
そして今回の試合で、最強の王者として君臨された方でも、
惨澹たる成績に終ったことを知り、やはりシビアでメンタルなゴルフは、
正常心で望めなかった、と私は感じたりしている。
私がタイガー・ウッズに関心があるのは、
桁外れの実績を残している本人を育てた父親に興味がそそがれる・・。
私は以前2006年5月5日に於いて、
【 ベトナム戦争、そしてタイガー・ウッズ・・。】
と題して、投稿したことがある。
【・・
(略)
私はゴルフをしない人であるが、
タイガー・ウッズの名前は聞いたことがある。
今朝の読売新聞で、タイガー・ウッズの父が死去されたことを報じていた。
この父がベトナム戦争の時、アメリカ軍として従軍され、
戦場に隣接した国の女性と結婚され、
2人の間に生まれたのがタイガー・ウッズであることを知らなかった。
私は高校3年前後から、ベトナム戦争の状況については、
テレビのニュース、時事雑誌、新聞等のマスコミを通じて、見守っていた。
アメリカ軍の介入、大量兵器の投下等の圧倒的な軍事力により、
ベトナムの抵抗勢力のベトコン、北ベトナムの正規軍は、
可哀想であるが、敗北は時間の問題だろう、と思っていた。
その後、北ベトナムの首脳部に寄る国際世論の操作には、言葉を失ったりした。
ベトナム戦争後、ベトナムを統一した旧・北ベトナム首脳部に寄る隣国の侵入には、
20代の私は国際政治、国益を根本に考え直させられた。
このような思いがあったので、今朝の新聞のこの記事に関しては、精読した。
今朝の読売新聞に寄る記事を無断であるが、転記をさせて頂く。
《・・
ゴルフの世界ランク1位ので、
メジャー大会10勝を誇るタイガー・ウッズ(30歳)の父、アールさんが3日、
前立腺ガンの為、アメリカ・カリフォルニア州内の自宅で死去した。
74歳だった。
大学時代に野球選手だったアールさんは、
アメリカ陸軍特殊部隊、グリーンベレーに入隊、ベトナム戦争などに従軍した。
その間にタイ女性と結婚。
2人の間に生まれたタイガーのニックネームは、
アールさんの戦友のあだ名にちなんでいる。
帰国後、自宅車庫を改造して練習場を作り、幼少時代からタイガーにゴルフを教えた。
タイガーは自身のホームページに、
『父は一番の友人であり、人生の偉大な手本だった。
父がいなければ、今の私はなかった』
とコメントを発表。
・・(略)
・・》
以上、新聞記事より引用した。
私はアメリカ市民がベトナム戦線に従軍したのを、
時事雑誌でその当時読んでいた。
従軍したアメリカの若者の心境を思いめぐらしていた。
その後、映画で克明に提示された。
マイケル・チミノ監督による『ディアー・ハンター』(1979年)で、
アメリカ映画作品が初めて正面から、ベトナムの戦場を表現した。
ベトナム戦争の敗北後のアメリカは、
この映画が上映されるまで、私の拙(つたな)い鑑賞暦からして、
具体的なベトナム戦争の戦場としての映画は、避けられていた、と思っている。
この以前には、周縁的な世界で取り上げた『タクシー・ドライバー』、『帰郷』があったが、
私は『ディア・ハンター』を観た時は、初めてアメリカの若者の心境を理解した。
その後は、オリバー・ストーン監督が『プラトーン』(1987年)に於いて、
より鮮明にベトナム戦場をひとりの若者を通して、リアルに提示した。
この2作品を観れば、いかにアメリカの市民が、
いかに傷つき、癒すのに時間を要したか、私は理解できたのである。
このような思いを重ねて、タイガー・ウッズの父親が、
過酷なベトナム戦場の後、帰国したあとタイガー・ウッズをゴルフ練習に導いたこととなり、
ゴルフに興味のない私さえ、ときおりタイガー・ウッズを注視するようになった。
・・】
このような心情の私であるが、
タイガー・ウッズは人生のなかば、ゴルフ選手としてはピークは年齢による体力の低下、
昨今の不倫騒動後の心身の不安定もさることながら、
難局を乗り越えて、もう一度、大きな大会で優勝の栄誉の後、引退されれば、
タイガー・ウッズの人として軌跡のドラマに私は感動する。
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先程、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位 》
と題された見出し記事に、私は思わずクイックした。
ALBA.Netより配信された記事であり、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・
タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位はキープ
<WGC-ブリヂストン招待 最終日>◇7日◇ファイアストーン・カントリークラブ(7,400ヤード・パー70)
オハイオ州にあるファイアストーン・カントリークラブを舞台に開催された、
「WGC-ブリヂストン招待」の最終日。
好相性の大会で完全復活どころか絶不調が続くタイガー・ウッズ(米国)は、
最終日も77と大荒れ。
72ホール競技としては自己ワーストのトータル18オーバーで4日間を終えた。
蓄えたひげが悲しく映る。
うつろな目でインタビューに答えるウッズは
「18オーバーは面白くない。残念ながら我慢強さが十分ではなかった」と搾り出した。
ウッズは2番パー5バーディで幸先の良いスタートを切ったのも束の間、
3番、4番と連続ボギー、さらに7番、8番でも連続ボギーを叩き前半だけで3つスコアを落としてしまう。
こうなると今のウッズに流れを引き寄せる力はない。
10番ボギーの後2つのバーディを奪ったものの、
14番ダブルボギー、15番ボギー、16番でもダブルボギーと立て続けにスコアを落とし、
トータル18オーバーでフィニッシュ。
順位は78位タイで4日間を終えた。
それでも、今大会4位以内に入れば世界ランキング1位の座に着くことが出来たフィル・ミケルソン(米国)が、
この日だけで8オーバーと大乱調でスコアを落としたため、
世界ランキング1位の座は何とかキープ。
下から2番目のブービー賞ながら世界1位の座には首の皮一枚でつながった。
しかしこのまま低調な成績が続けば、陥落は時間の問題。
最強王者が窮地に立たされている。
8月9日11時27分配信 ゴルフ情報ALBA.Net
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/tiger_woods/
☆ ALBA.Net タイガー、ブービー賞でも世界ランク1位はキープ ☆
私は現役のサラリーマン時代、ゴルフに関しては、
ほんのわずかしか、練習所に上司に連れたれて、練習した程度で、
コースにも出たことのない男である。
従って、現代もゴルスに興味はなく、低山のハイキングの方が遥かな楽しい。
こうしたゴルフ無知な私でも、ゴルフ界の最強の人のタイガー・ウッズぐらいは、
スポーツ・ニュースなどで、抜群の実績は読んだりし、
昨今は不倫騒動をテレビのニュースで偶然に視聴したり、
その後は試合を一時自粛し、最近は復帰戦に望まれている、
この程度は私は知っている。
そして今回の試合で、最強の王者として君臨された方でも、
惨澹たる成績に終ったことを知り、やはりシビアでメンタルなゴルフは、
正常心で望めなかった、と私は感じたりしている。
私がタイガー・ウッズに関心があるのは、
桁外れの実績を残している本人を育てた父親に興味がそそがれる・・。
私は以前2006年5月5日に於いて、
【 ベトナム戦争、そしてタイガー・ウッズ・・。】
と題して、投稿したことがある。
【・・
(略)
私はゴルフをしない人であるが、
タイガー・ウッズの名前は聞いたことがある。
今朝の読売新聞で、タイガー・ウッズの父が死去されたことを報じていた。
この父がベトナム戦争の時、アメリカ軍として従軍され、
戦場に隣接した国の女性と結婚され、
2人の間に生まれたのがタイガー・ウッズであることを知らなかった。
私は高校3年前後から、ベトナム戦争の状況については、
テレビのニュース、時事雑誌、新聞等のマスコミを通じて、見守っていた。
アメリカ軍の介入、大量兵器の投下等の圧倒的な軍事力により、
ベトナムの抵抗勢力のベトコン、北ベトナムの正規軍は、
可哀想であるが、敗北は時間の問題だろう、と思っていた。
その後、北ベトナムの首脳部に寄る国際世論の操作には、言葉を失ったりした。
ベトナム戦争後、ベトナムを統一した旧・北ベトナム首脳部に寄る隣国の侵入には、
20代の私は国際政治、国益を根本に考え直させられた。
このような思いがあったので、今朝の新聞のこの記事に関しては、精読した。
今朝の読売新聞に寄る記事を無断であるが、転記をさせて頂く。
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ゴルフの世界ランク1位ので、
メジャー大会10勝を誇るタイガー・ウッズ(30歳)の父、アールさんが3日、
前立腺ガンの為、アメリカ・カリフォルニア州内の自宅で死去した。
74歳だった。
大学時代に野球選手だったアールさんは、
アメリカ陸軍特殊部隊、グリーンベレーに入隊、ベトナム戦争などに従軍した。
その間にタイ女性と結婚。
2人の間に生まれたタイガーのニックネームは、
アールさんの戦友のあだ名にちなんでいる。
帰国後、自宅車庫を改造して練習場を作り、幼少時代からタイガーにゴルフを教えた。
タイガーは自身のホームページに、
『父は一番の友人であり、人生の偉大な手本だった。
父がいなければ、今の私はなかった』
とコメントを発表。
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以上、新聞記事より引用した。
私はアメリカ市民がベトナム戦線に従軍したのを、
時事雑誌でその当時読んでいた。
従軍したアメリカの若者の心境を思いめぐらしていた。
その後、映画で克明に提示された。
マイケル・チミノ監督による『ディアー・ハンター』(1979年)で、
アメリカ映画作品が初めて正面から、ベトナムの戦場を表現した。
ベトナム戦争の敗北後のアメリカは、
この映画が上映されるまで、私の拙(つたな)い鑑賞暦からして、
具体的なベトナム戦争の戦場としての映画は、避けられていた、と思っている。
この以前には、周縁的な世界で取り上げた『タクシー・ドライバー』、『帰郷』があったが、
私は『ディア・ハンター』を観た時は、初めてアメリカの若者の心境を理解した。
その後は、オリバー・ストーン監督が『プラトーン』(1987年)に於いて、
より鮮明にベトナム戦場をひとりの若者を通して、リアルに提示した。
この2作品を観れば、いかにアメリカの市民が、
いかに傷つき、癒すのに時間を要したか、私は理解できたのである。
このような思いを重ねて、タイガー・ウッズの父親が、
過酷なベトナム戦場の後、帰国したあとタイガー・ウッズをゴルフ練習に導いたこととなり、
ゴルフに興味のない私さえ、ときおりタイガー・ウッズを注視するようになった。
・・】
このような心情の私であるが、
タイガー・ウッズは人生のなかば、ゴルフ選手としてはピークは年齢による体力の低下、
昨今の不倫騒動後の心身の不安定もさることながら、
難局を乗り越えて、もう一度、大きな大会で優勝の栄誉の後、引退されれば、
タイガー・ウッズの人として軌跡のドラマに私は感動する。
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