夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

北見市の郊外にある温根湯温泉に、明日より初めて訪れることとなり・・。

2015-01-16 15:04:26 | 旅のあれこれ
私は東京郊外に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代の頃から国内の旅を重ねてきた。

そして冬の時節は、何かと北の地方で雪舞い降る山里を歩いたり、街並みを歩き、
その地の風土、文化を多々学んだりしてきた。

たまたま昨年の1月下旬には、北海道の函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに4泊5日で滞在して、
函館市内とか湯の川温泉の周辺をひたすら歩き廻り、遊学したりした。

2月初めになると、札幌市の郊外にある奥地の定山渓温泉の観光ホテルに13泊14日で滞在して、
札幌市内、郊外、そして定山渓の周囲を歩き廻り、遊学したりした。

こうした心情を秘めてきた私たち夫婦は、昨年の晩秋の時、
オホーツク海に面した流氷の到来する2月に、紋別、サロマ湖、網走を6泊7日で、
訪づれよう、と私の住む最寄駅の近くにある旅行代理店に予約したりした。

そして12月になると、新年の一月に雪のある温泉地に行っみたいねぇ、
とお互いに話し合ったりしてきた。

このような時、ある通販の旅行会社の月刊誌が郵送され、
この中のひとつに、北見市の郊外に温根湯温泉のある観光ホテルに4泊5日滞在し、
破格に廉(やす)い旅費のフリープランが掲載されていた・・。
       

そして私たち夫婦は何かと北海道の旅は、心身波長が合い、幾たびか訪れているが、
北見市、温根湯温泉に関しては、未知の世界であった・・。

こうした中で北見市に関しては、観光周遊の通過点のように、
私たちは通りすぎてきたのが実態であった。

たとえば過ぎし2006年(平成年)10月中旬に於いて、私より14歳上の家内の母が、
家内にこの年の8月頃に『元気なうちに・・一度は北海道に行ってみたいわ・・』と言ったりしてきたので、
私たち3人で7泊8日の旅路をした。

私は自動車の運転免許証は判断力が衰えてきましたので、更新を断念したので、
もとよりレンタカーの利用は論外であった。

そして晩秋の北海道で程々ゆったり観光するには、と家内と色々と話し合った結果、
北海道を周遊するには、効率と快適さ、そして程々の価格を配慮した。

この当時は日本航空、全日空の航空会社の旅行専門会社が、
各地のホテルとホテルの間を定期的に周遊観光バスを走らせていた。

私たち夫婦は、1980年(昭和55年)の夏に道南周遊に利用し、
その後、秋の沖縄本島と諸島、やがて真冬の北海道に周遊した成功体験があり、
この時の家内の母との三人の旅路は、日本航空の旅行専門会社『JAL STAGE(ジャル・ステージ)』を
利用した。
       

この当時は6泊7日以内の旅行会社の規約があり、別途シティホテルを加え、
高齢者の家内の母が、ゆっくりと周遊できるコースとして、

①羽田空港から旭川空港に着いて、旭川のシティホテルに宿泊。

②動物好きな家内たちは、旭山動物園で日中過ごして、私は層雲峡に直行して、周辺を散策。
 その後、層雲峡の観光ホテルで合流する。

③層雲峡よりJALライナーのバスで知床半島の宇土(ウトロ)に行き、観光ホテルに宿泊。
 この間、指定された観光地に寄りながら走破する。

④ウトロに連泊。周辺を散策。

⑤ウトロよりJALライナーのバスで阿寒湖に移動する。
 知床観光船に乗ったりした後、知床峠を越えて、ラウスから摩周湖に寄ったりする。
 阿寒湖の湖畔の観光ホテルに宿泊。

⑥阿寒湖に連泊。周辺を散策。

⑦阿寒湖に三連泊。周辺を散策。

⑧阿寒湖からJALライナーのバスで釧路空港に移動。
 この間、釧路湿原を2時間前後で散策。

釧路空港から羽田空港に着陸し、その後、軽食をして、家内の母と別れ、帰宅。

こうした旅行日程で、幸いに朱紅色、黄色に染められる錦繍の時期が、平年より遅れ、
錦繍の情景を見ることができたりした。

この旅路の中、快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
石北峠に向かう道は、私は魅せられてきた景観のひとつのエゾマツ、トドマツ、
そしてダケカンバの多い樹林の中、左側の道路沿いに数多くのせせらぎがあったりした。

こうした中、ときたま鹿を見かける時もあり、
『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とユーモアにあふれたバスガイドさんが言ったりしていたが、
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけたりした。

北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思い深めたりした。

こうした時、休憩の時に、
広大な畑の中、タマネギ、ジャガイモなどの収穫を終えた中、
畑の片隅に鉄条の網状の高さ180センチ、縦横90センチぐらいの大きなカゴ(?)、
幾10も並び、圧倒されながら魅了された情景が、今でも心の片隅に残っている。

或いは北見市の郊外は、ハッカの生産地として世界にも名高い名産地であったが、
コストの廉(やす)い輸入品に押されて、衰退してしまった、と私は学んだりしてきた。
       

この北見市には、JRの鉄道で通り過ぎたこともある。
確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした時であった。

この時は網走の郊外の能取岬の近くの観光ホテルに2泊した中、
知床半島の付け根の宇登呂(ウトロ)の近くで、厳粛な流氷の状景に感銘させられたした。

やがて『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして小樽でシティホテルで宿泊した後、札幌に移動した後、シティホテルにチェックイン後に、
『さっぽろ雪まつり』の開催前日の状景を鑑賞したりした。

この旅路の中、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に向かう途中、
『網走』駅より始発して石北本線を列車が走り、確か初めての停車駅が『北見』駅であった。
私はその後の『旭川』駅までの情景に魅せられてきたひとりで注視したりしていたので、
『北見』駅の周囲の情景は、今や忘却の彼方で、記憶がないのが実情である。
       

このような砂粒のような北見の地域の思いだけあり、
今回は北見市の郊外にある温根湯温泉に、ある観光ホテルに明日より4泊5日で滞在して、
初めて訪れる・・。

果たして東京の田舎者の私が、どのように遊学するか、未だに定まらない。

こうした根底には、2月にオホーツク海に面した紋別、サロマ湖、網走を6泊7日で訪れるので、
今回は旅は、家内は何かと年末年始の疲れを感じたりしているので、
館内の温泉につかって、ゆっくりとしたいわ、と言ったりしている。

私は2月の旅路の厳冬の予行練習と思いながら、周辺を少しばかり歩くだけの軟弱な旅かしら、
と思ったりしている。

しかしながら旅は、テレビで放映している旅番組、ネットに掲載されている旅情報などは、
参照する程度で、自身がその地で実感し、それぞれが思い深めて、やがてのちの想いになることが、
何よりの旅の底知れぬ魅力だ、と長年思案してきた私は、微苦笑したりしている。

尚、旅行の17日から21日まで、投稿文に関して、
私は《昨年の1月の旅》として題して、昨年のほぼ同時期の旅路を6話ばかり写真を含めて再編集をしますので、
この間、予約セットし公開しますので、お読み頂き、ご笑話を願えれば幸いであります。

そしてコメントに関しては、本日より22日まで閉鎖させて頂きます。

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