夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高額療養費の改正に伴い、年金生活の私は朗報かしら、と微苦笑を重ねて・・。

2015-01-19 18:34:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。

そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
       

過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。

現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から自動的に毎月差し引かれていたので、高いとも低いとも感じていなかった。

やがて私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。

このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。

やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。

もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。


この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとしたりした。
                 

やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。

その後、2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と家内の妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。

この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。

この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。

そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視(み)たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
       
         
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。  

こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。

『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。

そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあれば、
万一、大病やケガで多額の医療費が要した時は、「高額療養費制度」を活用させて頂く、と思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
          

「高額療養費制度」は、何かしら手術や治療で、
月に100万円かかることになったとしても「高額療養費制度」を活用すれば、
実際の負担額は月9万円を超えることはない、と学んだりした。

たとえば100万円の医療費のうち、70歳未満なら、
まず3割が自己負担なので、窓口で支払うのは30万円。

さらに「高額療養費制度」を利用すると、1か月の医療費が約9万円を超えた分については、
加入する健康保険に申請すると、払い戻してもらえ、約21万円が後から戻ってくる、と知ったりした。
                    
このように「高額療養費制度」を学び、何よりも私のような高齢者に頼りになる制度、
と私は信愛を深めたりしてきた・・。
       

昨年の晩秋の頃から、健康保険の高額療養費が本年の一月より改正されます、
と私は新聞の記事を読んだりしてきた。

先ほど、ビジネス情報誌として名高い『週刊ダイヤモンド』のネットの『ダイヤモンド・オンライン』があるが、
無料で会員なれる公式サイトで、私は経済、社会など多々教示されているが、
この中のひとつの記事の『高額療養費改正で負担が減る人、増える人 ・・』を読んだりした。


この公式サイトの『ライフ・健康』系で『知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴 』の連載記事で、
この『高額療養費改正で負担が減る人、増える人 ・・』は、2015年1月15日 に配信され、
フリーライターの早川幸子が綴られた記事である。

無断ながらこの記事を要約させて頂く。

《・・ 高額療養費は、患者が1ヵ月に支払う自己負担分に上限を設けることで、
医療費が家計の重圧にならないように配慮した制度だ。
この制度があるおかげで、日本で暮らす私たちは病気やケガをしたときの負担を低く抑えることができている。

現在、医療機関の窓口では年齢や収入に応じて、かかった医療費の一部を自己負担する。
たとえば70歳未満なら、会社員も自営業も3割となっている。
こうした中、100万円医療費がかかったら、30万円を自己負担するのかというと、そのような心配はない。

窓口での負担が一定額を超えると高額療養費が適用されるので、3割負担し続けるということはない。

昨年までのルールで見ると、70歳未満で一般的な収入の人なら、
1ヵ月の医療費が100万円かかっても自己負担するのは約9万円。
300万円でも11万円程度となっている。
医療費の負担を抑えられるありがたい制度と言えるだろう。

このように高額療養費は、万一の医療費を低く抑えられる優れた制度ではあるが、
苦しい健保財政のなかで、自己負担限度額が年々引き上げられてきたのも事実である。
       

2000年以降、自己負担限度額は収入に応じて
「低所得者」「一般所得者」「上位所得者」の3区分に分類されるようになり、
2006~2014年までは、一般所得者では年収が210万円~770万円と500万円以上の幅があるが、
医療費は同じだけ負担する。

上位所得者も、年収770万円を超えると、その後は1000万円でも、1億円でも負担は同じである。


しかしながら、健康保険が応能負担の上に成り立っていることを考えると、
高額療養費の限度額に差がないのは不公平だという見方もある。
       

2012年11月~2013年8月に行われた社会保障制度改革国民会議でも、
持続可能な社会保障制度を作るため、「低所得者に配慮し、負担能力に応じて応分の負担を求める」
ことの必要性が繰り返し提言されていた。

この提言を受け、今回の制度改革では、高額療養費の所得区分も保険料と同様に
負担能力に応じて細分化することになった。

紆余曲折あったが、最終的には、これまで収入に応じて3段階だった1ヵ月の自己負担限度額を
5段階に細分化することに決定された。

2015年1月から、年収370万円以下の人はこれまでよりも限度額が引き下げられる一方、
年収770万円以上の高所得層の限度額は引き上げることになった。

具体的な改正内容は、下図の通りとなった。

たとえば医療費が高額になったときの負担は、どうのように変わるのか。
1ヵ月の医療費が100万円だった場合で比較すると下記のようになる。

(1)住民税非課税世帯⇒これまでと負担は変わらない

(2)年収約370万円以下⇒限度額が5万7600円になり、これまでより2万9830円負担が軽くなる

(3)年収約370万~約770万円⇒これまでと負担は変わらない

(4)年収約770万~約1160万円⇒限度額が17万1820円になり、1万6820円の負担増

(5)年収1160万円以上⇒限度額が25万4180円になり、9万9180円の負担増

しかし、長期療養中の高所得層の人のなかには、
「限度額までは届かないので高額療養費は適用されないけれど、
毎月15万~20万円を超える医療費がずっとかかり続ける」
といったケースも出てきそうだ。

応能負担の観点では、これまで高所得層が優遇されてきたと見ることもできるが、
健康なときに毎月収める保険料とは異なり、
病気やケガをしたときの医療費の自己負担が増えるのは不安なものとなる。・・》
       

このような高額療養費の改正の記事を読み終わった後、
我が家の年収は、上記の(3)に該当し、
《 年収約370万~約770万円⇒これまでと負担は変わらない 》
と学んだりした。

昨今、年金は減少する中、健康保険、介護保険は増えてきたので、やはり高額療養費の負担も多くなるかしら、
と思ったりしてきたので、安堵しながら微笑んだりしてしまった。

しかしながら我が家の年収は、恥ずかしながら約400万円であり、
上記の(3)に属しても、この中の最低だよなぁ、つたない我が家の年収に苦笑したりした。

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《昨年の一月の旅路》 函館の冬は風花慕情《2014.1.13.~1.17》 第4回

2015-01-19 14:36:26 | 旅のあれこれ

      第4章 温泉のある観光ホテルに滞在する時、ある日には・・。

私たち夫婦は国内旅行が共通趣味のひとつであり、
子供に恵まれなかった為か、新婚時代の時から幾たびも旅を重ねてきた。

私が多忙なサラリーマンの生活の中で、代休などを取得して大半は2泊3日が多い旅路をしてきたが、
40歳を過ぎた頃から、特に雪の舞い降る地域の旅先を選定したりしてきた。

そして定年退職後の年金生活になると、旅行日程の拘束から解放されて、
家内も温泉のある観光ホテルか旅館でゆっくりと過ごしたいわ、
と要望もあり、5泊6日前後の旅が多くなっている。

こうした旅路で冬の時節は、滞在先の私の行程はある程度サイクルが出来、
ときおり私は独りで微苦笑する時もある。

今回の函館市の郊外にある湯の川温泉に4泊5日で滞在した。
          

私が起床するのは朝の4時半過ぎが多く、家内は温泉大好きのタイプであり、大浴場か露天風呂に向い、
私は布団の中か窓辺の近い椅子に座りながら、持参してきた本を読みだす・・。

たまたま今回は松田美智子・著作の『サムライ ~評伝 三船敏郎~』(文藝春秋・単行本)、
櫻井よしこ・著作の『迷(まよ)わない。』(文春新書)、
そして月刊総合雑誌の『文藝春秋』(二月特大号)の3冊であった。
やがて旅の最終日には、本屋に寄り、
手嶋龍一、佐藤 優・共著作の『知の武装 ~救国のインテリジェンス~』(文春新書)を買い求めて、
帰路の機内で読んだりした。

朝の読書を中断して、大浴場に向かい入浴するのは、殆ど6時過ぎてあり、
そして私たち夫婦が朝食を頂ける処に、朝の7時過ぎ向い、
たまたま今回はバイキング形式で、そしてコーヒーを飲み終わって一時間ぐらいで朝食を終わり、
私だけが館内のロビーで新聞を30分ぐらいで読み終わる。

私は旅先の時は地方紙を読む習性ががあり、今回は『北海道新聞』であった。
          
そして私は部屋に戻り、外出の支度をして、
私たち夫婦は9時過ぎに、行って観たい所に出かけて、遊学するが、
殆ど冬の時は暗くなる前の4時頃に帰館する。

こうした滞在旅行の中で、どこにも出かけない完全休養日を私たち夫婦は設定している。
旅の最終日の前日がおおく、今回の場合は16日の金曜日であった・・。

この日に限り、午前中は風も伴う小雪が舞い降ったりした。
          
そして私たち夫婦は、窓辺の近い椅子に座りながら、
過ぎ去る年の旅先のごぼれ話しを談笑したりすることが多い。

こうした中で、私は買い求めた地酒を取りだして、
平素の日中には許されない『お酒タイム』としたりした・・。
          
私は北海道の旅路は、ピールならば『サッポロ クラシック』を愛飲し、
日本酒に関しては、平素の私は純米酒の辛口を吞んで、30数年過ぎているので、
道内の旅先は、『男山 特別純米』、『千歳鶴』などの純米酒の辛口を吞んできたが、
ここ5年前の頃から、超辛口と称されている『熊ころり』を呑んだりしている。

このお酒にめぐり逢えたのは、私たち夫婦は、過ぎ去り年2012年1月下旬に、
札幌の郊外にあるリゾートホテルのひとつの『シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ ホテル&スパリゾート』に6連泊した。
そして周辺の観光地を周遊したが、ある日の夕食の時、
滞在している館内の和食処で初めてめぐり逢えた・・。

和食処『大善』で夕食を頂く時に、単品料理をアラカルト(選定)をしょうとメニューを見ていた時、
日本酒の中で、『熊ころり』という銘柄を見たりした・・。

『各地方には・・鬼殺し・・の銘柄はあるけれど・・〈熊ころり〉なんで・・初めてだょ・・』
と私は微笑みながら家内に言った。

『珍しい銘柄名ね・・頂いたら・・』
と家内は笑いながら私に言った。

『北海道に相応しく・・熊かょ・・かなり辛口だけれど・・』
と私は言いながら、仲居さんに注文したひとつとなった。

蔵元は小樽市にある『山二(ゆまに)わたなべ』で、正式な銘柄名は『熊古露里』と明記されていたので、
風流を秘めた方が命名されたと確信を深めたりした。
超辛口で吞みやすく、たまたま私はホッケの焼いたのを食べながら頂いたので、心身の波長にあった。

もとより地酒は、文体と同様に独創性がなければ甚(はなは)だ魅力が薄れるので、
私はその地を思い重ねて頂き、風味、香りを楽しんでいるにすぎないのである。


そして私は呑みながら、ときおり煎茶を飲んだりしたが、少し酔い感じたので、
やがて布団の中で本を読んでいるうちに寝てしまったのである。

家内は大浴場か露天風呂に入浴したり、明日の帰宅に備え、衣服の整理などをしていたらしい・・。

私は12時近く目覚めたが、やがて小雪が止み、窓辺から青空が観えたりした。

やがて私は何かと時間を過ごした処を記念写真を撮ったりした。
          

          
そして部屋に戻ると、再び本を開いたりした。

今回も滞在している毎日、夕暮れ時になると、私は大浴場、そしてか露天風呂に入浴したりした。
私は温泉のある観光ホテル、旅館に滞在する時も朝と夕暮れ時に2回入浴すれば、満足するタイプである。

そして夕食の時は、私はビールか日本酒を呑み、家内はビールを呑みながら、
一時間ぐらいで、談笑しながら食事を頂いたりしている。

やがて夜9時過ぎには、布団の中にもぐり寝てしまうことが多い。
そして良い児は早寝、早起き元気な児・・実践している旅路が多いのである。
                              《つづく》

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《昨年の一月の旅路》 函館の冬は風花慕情《2014.1.13.~1.17》 第3回 

2015-01-19 11:43:35 | 旅のあれこれ
      第3章 遥か彼方に立待岬を観て・・。

今回、函館市の郊外にある湯の川温泉に宿泊した観光ホテルは『啄木亭』であり、
          
市電の路面電車の『湯の川温泉』駅の近くにあり、10分ばかり南下すれば海辺となり、
こうした滞在中のある日、海辺の情景を観たく、私たち夫婦は散策した・・。

やがて松倉川が海にそそぐ河口の周辺を歩くと、
          
遥かな彼方に函館山が見え、その先端の断崖上にあるのが、立待岬(たちまちみさき)と思え、
念願してきた岬を初めてお逢いできた・・。

そして海辺に近づくと、右側に市街が見えたりした。
           

その後、私たちは海辺の砂浜に下り立つと、海辺の観光ホテルも見え、
函館山、そして先端のひとつの立待岬は、遥か彼方であったが、明確に観えたりした。
          

そして護岸工事もされていない海辺の砂浜を私たちは歩き、
幾数千年・・寄せては返す波・・良き光景だねぇ、
と私は家内に言ったりした。
          

          
そして10分ばかり更に進んだ処で、閉鎖の公示があり、
やむなく引き返した。
          

やがて別れを告げる前に、お別れの挨拶の記念写真を撮ったりた。
          
                              《つづく》
★コメントに関しては、16日より22日まで閉鎖させて頂きます。

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