先程、ときおり愛読している文藝春秋が運営している公式サイトのひとつ【文春オンライン】を見ている中で、
『橋田壽賀子と安楽死#2「子どもがいないから可哀そう」と言った友人の可哀そうな最後』と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
このような状況であり、「子どもがいないから可哀そう」と言葉に誘発されて、
記事を精読してしまった。
この記事は、橋田壽賀子さんが『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を上梓され、
インタビューに於いて、この動機、思いなどを発露された記事であり、
『橋田壽賀子と安楽死#1「そろそろ、おさらばさせて下さい」という権利があってもいい 』に続いて、
今回の記事が、【文春オンライン】に8月27日に配信されていた。
もとより橋田壽賀子さんは、「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」はじめ名作ドラマを生み出した92歳にならえた脚本家であり、
過ぎし2016年12月号『文藝春秋』に掲載された『私は安楽死で逝きたい』の記事を、
私も読み、動顛しながらも多々教示を受けたひとりである。
今回の記事に於いて、『子供は親に頼るな、親は子供に期待するな』がテーマで、
これに纏(まつ)わることを発露されて、改めて私は多々教示されたりした。
私は文藝春秋が発刊されている単行本、新書本、文庫本、月刊総合雑誌など、
長年に於いて購読しているよしみに甘えて、無断であるが転載させて頂く。
《・・「若いときから死に方について考えることは、生き方を見つめ直すことになるし、
人生を豊かにしてくれるはずです」。
安楽死で死にたいという92歳の橋田壽賀子さんは、若い世代に向けてこんな提案をしている。
少子化と超高齢化が加速度的に進む社会で、死をまっすぐ見つめることで見えてくるものとは何か。
橋田さんの具体的な提案をさらに伺う。
私は家族がいなかったから、ホームドラマがたくさん書けたと思っています。
かりに息子などいて「お母さんは、こんなこと考えてたのか」なんて思われたら、
好きなように書けないじゃありませんか。
手加減したりカッコつけたドラマが、面白いはずありません。
親も夫も子供もいないから、誰にも遠慮せず、本音が書けるのです。
かりに親が健在だったら、私はこう言います。
「老後の世話をするのは嫌だから、自分のお金でちゃんと自分の始末をしてほしい。
その代わり、遺産は一銭も要らないわ」
冷たいですか?
でも、もしも子どもがいたならば、
「自分の最期は自分で準備するから、あなたに面倒を見てもらうつもりはない。
自分で稼いだお金は、全部使って死ぬから、遺すつもりもない」
と告げたでしょう。
世の中の親は、我が子のために節約を重ね、少しでも財産を遺そうとします。
しかし私は反対です。
私の知人の女性は、旦那さんを亡くしたあと、
お姑さんの面倒を見ながら、息子と娘を育てました。
息子のお嫁さんも娘も働いていたので、幼い孫たちをよく預かっていました。
そうやって家族の世話をすることが、彼女の生き甲斐でした。
いつも私に、
「壽賀子さんは、可哀そうだ。子どもがいないから」
と言いました。
子どもがいなくてよかったと思っている私には、
彼女こそ、こき使われて可哀そうに見えたのですが、何も言わずにいました。
やがて彼女は、長男一家と一緒に暮らすつもりで、3階建ての二世帯住宅を建てました。
ところがそのあとになって、お嫁さんが「一緒に住むのは、嫌だ」と言い出したのです。

☆広い二世帯住宅で迎えた結末とは…
「息子も娘も会いに、来てくれない。
孫だって、あんなに面倒見てやったのに、ちっとも寄り付かない」
とこぼすようになった彼女を、
「子どもや孫が可愛くてやってあげたんだから、いいじゃない。
あとの人生は、自分の好きなことをしなさいよ」
と慰めたものです。
しかし家族に尽くすだけの人生を送ってきた彼女には、別の生き甲斐が見つかりませんでした。
そのうち、
「壽賀子さんは、独りを覚悟しているからいいね」
と言うようになり、八十歳をすぎたばかりなのに、広い二世帯住宅で孤独死しました。
成人した我が子は、新しい家族と新しい生活を築くのが、当たり前です。
彼女は、期待をかけすぎてしまったのでしょう。
口では「子どもの世話になんか、なりたくないですよ」と言う人が多いですが、
みなさん心の中では、期待しているんじゃないですか。
けれども、裏切られた期待は、恨みに変わることがあります。
期待さえしなければ、思いがけず感謝が生まれる場合もあるのです。
「お金を遺してあげるから、老後は面倒見てね」と見返りを求めるくらいなら、
最初からそのお金で、介護の人を雇うべきです。
子供もまた、親に頼らず、親のお金を当てにしないこと。
最近の男はマザコンが多いくせに、親の老後の面倒を見ようとしません。
「お金は遺して欲しいけど、世話はしたくない」なんて、もってのほかです。
大切なのは、親が元気なうちに、よく相談をして、
老後や最期の迎え方についてどう考え、葬式や墓をどうしたいと思っているのか、知っておくことです。
よく話し合っておかないと、お互いに誤解が生まれ、それが恨み節へと変わるのです。
「文春オンライン」編集部・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は1944年(昭和19年)の秋に、 私が今住んでいる近くに生家もあり、
農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。
やがて小学2年に父が病死、まもなく小学3年に祖父も亡くなった。
どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった・・。
こうした中、難題の相続が行われ、周囲の農家の暗黙のルールとして、殆どを長兄が相続した、
と後年に、私は母から教えられた。
やがて私が結婚して少し遠い処で賃貸マンションで2年が過ぎ、
今住んでいる所に一軒家を建てた時、この周辺の本家と分家の風習に基づき、
長兄より多額な援助を受けて、私は分家となったりした。
やがて私の母は、婦人系の癌で1998(平成10)年1月中旬に亡くなり、私は53歳の時であった。
母は自助努力で幾ばくか財産を残され、相続人の私たち兄妹で話し合ったが、少し長引いたりした。
こうした相続に関しては、母が亡くなる前に、親戚の誰それの家は相続で裁判になった、
と相続の難題を教えられてきた。
家内の母は、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
私が2004年(平成16年)の秋に定年後する直前に、
家内の父が病死され、家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。
ここ数年は家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活が加速されて、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦してきたことも事実となっている。
確か10年前の頃だったと私は記憶しているが、
家内の母は年金として月平均14万円前後で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
とこのような意味合いの言葉を、長女の私の家内に言った。
そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べたりした。
『リバースモーゲージ』は、老後資金がどうしても不足してしまう場合には、自宅不動産を活用し、
自宅を担保にお金を借りて、慣れた自宅を手放さず、死亡後に担保を売却して元本を返済する方法である。
まもなく家内は関係先に孤軍奮戦した結果、家内の母の住む市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。
家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。
私は家内に結婚してまもない時に、
お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても、僕は関係ないょ・・と私は家内に言ってきた。
こうした私の根底には、私が結婚する時、私の母から、
貴方はお嫁さんを貰う立場だから、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だからねぇ、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。
やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。
過ぎし2004年〈平成16年〉の秋、私は民間会社のサラリーマンの定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。
こうした中で、相続に関して前記にある秘めたる思いもあり、
私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、残された家内が生活に困苦しないように、
私たち夫婦は公正証書の遺言書を作成できる処に出向いたのは、年金生活を始めて、まもない時であった。
私は相続に関して、亡くなった後に、
家内、私の兄妹の間で、もめることなく的確にしたい為にした行動である。
今回の私は、橋田壽賀子さんの『子供は親に頼るな、親は子供に期待するな』明言、
改めて私は学び、これまで私のつたない人生航路を思い馳せながら、微苦笑を重ねたりした。
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