夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

伴侶失うつらさ 同士と癒やす動き、広がる時代の到来、ときおり『おひとりさま』になる私は、多々教示されて・・。

2017-08-02 15:39:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 伴侶失うつらさ 同士と癒やす動き、広がる 』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし年、私が現役のサラリーマンの50代の時に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったりした。

やがて私は定年後、年金生活をしている62歳の時、
現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

             

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

こうした中で、ここ数年、我が家は、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。

こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。

こうした心情を秘めている私は、今回の『伴侶失うつらさ 同士と癒やす動き、広がる』記事を
精読してしまった。

この記事の原文は日本経済新聞の藤井将太、加藤彰介・両記者が記載され、
日本経済新聞・夕刊の2017年7月27日に掲載され、
関連の基幹サイト【NIKKEI STYLE】の2017年8月2日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

            

《・・配偶者を亡くした人が悲しみを癒やす「グリーフケア(悲嘆ケア)」の一環として、
自助グループを結成する動きが広がっている。

65歳以上で配偶者と死別した人は、25年間で約5割増加。
核家族が増え地域のつながりが薄れる中、同じ境遇の人と集うことで悲嘆からの回復につなげる。

「成長を実感できる日が、必ず訪れます。一緒に前に進みましょう」。
3年前に単身赴任中の夫を突然亡くした兵庫県宝塚市の藤脇美和子さん(53歳)は今月中旬、
大阪市内で配偶者の葬儀を終えたばかりの12人を前に、自身の心境の変化や思いを語った。

葬儀大手の公益社が設立した遺族支援組織「ひだまりの会」の会合だ。

食事も口にできず、救急搬送されることもあったという藤脇さん。
「いつか天国で再会する夫に、いろんな報告ができるよう、今を精いっぱい生きる」
と笑顔で話す姿に、参加者は涙をぬぐったり、メモを取ったりしながら聞き入っていた。

同社は2003年、悲嘆ケアが専門の大学教授らと共同で同会を設立。
有識者の講演会や体験談の語り合いの場を毎月提供する。

立ち上げから関わるスタッフの泉原久美さん(56歳)は
「地域のつながりが薄れ、核家族化が進む中で、遺族を支える人は減っている」と指摘する。
総会員数は900人を超え、8割が伴侶を失った人という。

2015年の国勢調査によると、65歳以上で配偶者と死別した人は約864万人で、
1990年の約1.5倍に増加。
団塊の世代が70代を迎えることから、今後も増え続けるとみられる。

           

大切な家族を亡くす経験は、誰にとってもつらいもの。

だが配偶者の場合、高齢なら「大往生で良かった」と言われるなど周囲が深刻に捉えないケースもある。

配偶者を亡くした人に、特化した支援を行うのは、「ほほえみネットワーク」(東京)だ。
話し合いの会を毎月開催するほか、伴侶の死後間もない人が、同じ境遇のメンバーと集い、
つらい胸中を吐露する集中プログラムも設けている。

自身も12年前に夫を亡くした竹林治生理事(71歳)は
「子供を亡くした悲しみを乗り越えようとしている夫婦の話を見聞きするだけで
『自分にはもう伴侶がいない』とつらさが増すこともある」と話す。

2014年に設立された「die-a-log LABO(ダイアログラボ)」(東京)は、
30~40代の比較的若い世代が中心。

夫の死後、高齢者中心の自助団体に参加したこともあるという朱亀佳那子代表(48歳)は
「悲しみは共有できるが、世代で課題は違う。
『まだ若いからやり直しがきく』と言われることが、つらかった」と振り返る。

会合には医療関係者らも参加し、現役世代が直面する仕事や子育ての問題も話題に上る。

一方、「お一人様」向けのサービスが思わぬ支えの場になるケースもある。
旅行大手のクラブツーリズム(東京)が2015年、
ツアー旅行に1人で参加する人向けに集合場所を下見するバスツアーを企画したところ、
配偶者を亡くした女性らが多数参加。

3年前に夫と死別した60代の女性は
「ずっと夫に任せきりだった。1人では集合場所まで行くのも不安」と話したという。

ツアーを企画し、添乗員も務める河内良太さん(24歳)は
「同じ境遇の人と出会える場にもなっている。
つらい思いをした人たちが、一歩前に踏み出す後押しになれば」と話す。

                       

☆配偶者亡くした人へは・・・元気づけず 寄り添う

埼玉医科大国際医療センター(埼玉県日高市)で「遺族外来」を行う精神腫瘍科の大西秀樹教授に
配偶者を失った人と接する際の対応について聞いた。

――周囲が気を付ける点は。
伴侶との死別は、人生最大級の危機。
大切な人を失ったことで、落ち込んだ状態にあるのか、うつ状態なのか区別することが重要だ。
悲しみやつらさは正常な反応だが、体がだるい、食欲の異常などの症状が出ている場合は、早めに医療機関への受診を勧める。

――回復の過程は。
遺族は悲嘆を経て、新しい世界へ再適応していく。
周囲の援助や故人との親密度で経過は大きく変わる。
伴侶を亡くした場合は、相談相手を失うという問題点がある。

――どう見守ればよいか。
遺族は周囲の一言で、大きく傷つくこともあり、注意が必要。
「がんばってね」、「あなたがしっかりしないと」などは、追い詰めるため、言ってはいけない。

心情は十人十色で、元気づけようと声を掛けるのが良いとは限らない。
相手の話に耳を傾け、そばに寄り添い、時には抱きしめてあげることで癒やされる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

           

私は読み終わった後、目頭が熱くなったりした。

昨今、まもなく2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、
やがて2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来ると学んだりしてきた。

こうした中で、今回の記事のような伴侶失うつらさ 同士と癒やす動き、広がる時代の到来、
私は感じ深めたりした。

 

私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが亡くなり、遺(の)された方が、
『おひとりさま』になることは、漠然としながら私たちは話し合うこともある。

こうしたことは私は幾たびか投稿文に記載してきたので、簡略した形式で記載する。


          

 私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。

 そして私は、いつの日にか私は、家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身であり、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしてきている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。

その後、四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された家内は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。

こうした中で、家内には自宅を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしてきた。
                  

しかしながら、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうこともある。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

                   
                                                             


こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

                 

或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
           
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
                   

私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスをとり、何とか生活ができる、と思ったりしている。

                               

しかしながら、実際に家内に先き立たれてしまった時、
私は悲嘆と失墜感の中、どような言葉、しぐさ、心情になるかは、
中も理想と現実が違うように、こればかりはその時になってだょなぁ、と思い深めたりしている。

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