たまたま先程、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】を見ている中で、
『 定年後の「帰宅恐怖症」、図書館がその手のおっさんだらけに 』と題した見出しを見てしまった。
私は齢ばかり重ねた年金生活の72歳の身であるが、
愛(いと)しき妻と長年に於いて、寝食を共にされた結婚生活の中、やがて定年後の男性が、
我が家に「帰宅恐怖症」になるなんて・・どのようなことなのょ・・と思いながら精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年8月11日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に8月4日に配信され、 無断ながら転載させて頂く。
《・・定年後の「帰宅恐怖症」、図書館がその手のおっさんだらけに
「職場」という居場所がなくなる定年後の人生では、「家庭」の占めるウエイトが一気に増す。
ところが、その我が家へ帰ることに、二の足を踏む男性が増えている──その「病」の正体とは。
〈午前中になるべく予定を入れて、“妻が起きる前に出かけよう”と考えている〉、
〈妻から“もうすぐ帰る”という連絡があると、ついため息が出る〉──
そんな人は、すでに「帰宅恐怖症」かもしれない。
そう警鐘を鳴らすのは6月に出版された話題書『帰宅恐怖症』(文春新書)の著者で、
夫婦問題カウンセラーの小林美智子氏だ。
「妻に何度も怒られるけど、その原因が分からないという男性の相談が増えています。
彼らは少しずつ妻と話さなくなり、“妻が怖い”と思うようになる。
そして、なるべく家にいないで済む、方法を考え始める。
それが『帰宅恐怖症』です」
夫婦問題カウンセラーの小林美智子氏の著書では、現役世代の事例が数多く取り上げられるが、
同氏は年齢を重ねたほうが、“病”は深刻になると指摘する。
「夫が帰宅恐怖症であることに、女性はほとんど気付かない。
むしろ、夫が何も言い返さないと、言動を年々エスカレートさせる。
男性の恐怖心は、長い年月の間に少しずつ蓄積され、家に帰りたくない気持ちは強くなります。
そうなると夫婦関係の改善が、さらに困難になってしまうのです」
その病が“発症”するきっかけの一つが「定年」だ。
☆逃げ場は「図書館」
家族問題評論家の宮本まき子氏はこういう。
「定年後に帰宅恐怖症になりやすいのが、それまで家庭を、妻に任せていたタイプです。
家で妻と過ごす時間が長くなり、自分の思っていた家庭や妻のイメージと現実の違いに気付く。
そのショックで、家の居心地が悪くなるのです」
都内在住の60代男性Aさんは、その典型例だ。
定年退職したAさんに対し、良妻賢母タイプの専業主婦だった妻が突然、
「これからは自立してもらいます」と言い出した。
上司のような態度で家事指導を始め、
「公民館の『男の料理教室』に行きなさい」としつこく迫る。
トイレが汚れていれば、掃除を命じられ、風呂に毛が一本でも落ちていようものなら、罵倒される。
「最近は空き家になった実家の点検という口実で、
郷里に戻っては、長期滞在を繰り返しています」(Aさん)
お茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二氏(72歳)も、帰宅恐怖症の“経験者”だ。
「大学で教鞭を執っていた頃、妻の責めるような視線が気になって、
仕事後に安い喫茶店で、1杯のコーヒーで夜遅くまで粘り、本を読んでから帰っていました」
土屋賢二氏は2010年にお茶の水女子大を定年退職。
「それでも、働いているうちは、まだいい。
残業したり寄り道したりと家に帰らない口実は、簡単に作れます。
定年後は、お金もないから図書館くらいしか行く場所がない。
公園で子供たちの姿を眺めていたりすると、不審者扱いされますからね(苦笑)。
いまや図書館は、そういうおっさんばかりです」
夫婦問題カウンセラーの小林美智子氏は
「妻を怖がる男性の場合、家計を妻に握られていることが多い。
暇つぶしのパチンコにも、行けません」と語る。
☆もう一度働こう
土屋賢二氏がいうように、定年後の帰宅恐怖症に職場という“避難先”はない。
「友人宅に遊びに行く予定をなんとか詰め込もうと、あちこちに連絡を取り続けています」
と話すのは元会社員の60代男性。
「退職して知ったが、妻が昼に酒を飲み荒れている。
独立した子供は、“仕事ばかりだった父さんの責任”といって、助けてくれない」
定年によって、それまで気づかなかった家庭内の問題に直面した事例だ。
元会社役員の70代男性Cさんは、同い年の妻が軽度の認知症とわかり、家に帰る気持ちを失った。
「親族から“伴侶なら一生面倒をみるべき”といわれたが、
どんどん自分の知っている妻では、なくなっていく。
ヘルパーさんに任せられるレベルだから、昼から外をブラブラしています」
病の克服は容易ではないが、家族問題評論家の宮本まき子氏は、こうアドバイスする。
「帰宅が怖くなるのは、“定年後は家にいるべき”という固定観念も一因。
アルバイトを始めるなど、社会と接点を持って居場所を探すと、
夫婦関係も改善することが多い。
実は夫が家にいることが、妻のストレスである側面もあるのです」
妻と会う時間を削るために、仕事を探す──
寂しい対症療法に思えるが、土屋賢二氏も同意する。
「定年後の夫婦円満の秘訣は、なるべく接触しないこと。
私は家でテレビを見る時も、ヘッドホンをつけて、妻の邪魔にならないようにしています。
尊敬できる相手でも、ずっと一緒にいると、粗が目に付いてくるものです」
その諦念が一番の特効薬か。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
そして年金生活は現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、
つたないサラリーマン航路を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、
早や12年半が過ぎている。
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職し、年金生活を始め、
私は自主的に、平素の我が家の買物の専任者になるょ、と家内に宣言した。
こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物専任者として、
家内から依頼された品を独りで、スーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
こうした中、我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みにあるが、
私の生家も近くにあり、私自身としては結婚前後5年を除き、この地域に住んで、
早や67年が過ぎているので、原住民かしら、と年ごとに変わりゆく情景に愛惜を重ねる時もある。
そして私は独りで歩いて、7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
過ぎし私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、
家内の母は独り住まいとなったりした。
この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。
ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。
いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となるが、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。
こうした中、私は恥ずかしながら食事、洗濯、掃除などを若葉マークと称される初心者で、
手抜きをしながら過ごしているが、こうした家事は何かと大変だよなぁ・・と改めて感じ深めたりしてきた。
このような体験も加わり、何かと家内に労(いた)わりを増して、
ありがとう・・、と感謝の言葉をさりげなく言っているのが多くなっている。
今回、定年後の「帰宅恐怖症」の男性の心情を読み、妻が軽度の認知症の御方以外は、
定年後の男性ご自身が、自助努力で解決できるよなぁ・・と私は微苦笑を重ねたりしている。
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