夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『 認知症に負けないために 知っておきたい、予防と治療法 』、76歳の私は学び、今後の晩秋期の教科書に・・。

2020-10-18 15:01:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 幻冬舎ゴールドオンライン 】を見たりしていた。

こうした中で、『 昔は「タブーな存在」だった・・・「認知症の理解」が進んだ背景  』
と見出しを見たりした。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もある・・。

たとえば5歳年下の家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは、鮮やかに重ねることができても、 肝心の地域名が言葉に出来ないことが、
もどかしさを感じることがある。

          

かしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、小学校に入学する前年の1950年(昭和25年)の夏、
『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、今でも心の片隅に残っている・・。
            
          

ここ数年、無念ながら物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、 収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。

しかしながら時折、家内より『今からボケたら、困るわょ・・』、
と私は叱咤激励をされる時もある。




こうした思いもあるが、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、

ときおり願いながら散策したりしている。




こうした深情を秘めている私は、
今回の《・・昔は「タブーな存在」だった・・・「認知症の理解」が進んだ背景・・》を読み、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。


この記事は、『認知症に負けないために 知っておきたい、予防と治療法』の連載記事で、

今回、【第1回】『昔は「タブーな存在」だった・・・「認知症の理解」が進んだ背景』が、
2020年10月16日で配信され、無断であるが転載させて頂く。



《・・65歳以上の4人に1人が認知症になる時代、
「寝たきり」や「認知機能低下」を防ぎ、自立して健やかな老後を送ることができるよう、
認知症について正しく知識を身に付けることが重要です。

本連載は、医療法人翠清会・翠清会梶川病院、介護老人保健施設、地域包括支援センター会長の梶川博氏、
医学博士である森惟明氏の共書『改訂版 認知症に負けないために知っておきたい、予防と治療法』
(幻冬舎MC)より一部を抜粋し、認知症の原因や症状、治療法などを解説します。
       


★「認知症」は、病名ではなく、症状を指す

脳には、「記憶」というとても大事な働きがあります。
認知症は、いろいろなことを「記憶する(覚える)」
あるいは「記憶していることを引き出す(思い出す)」ことが難しくなる病気です。

認知症は病気なのですが、病名というよりも症状(症候群)で、
いろいろな病気が原因となって認知症になります。
 
詳しくいいますと、認知症とは、慢性あるいは進行性の脳疾患によって記憶、
思考(理解、判断)、見当識、計算、学習、言語、感情(喜び、楽しみ)など
多様な高次脳機能の障害を呈する症候群です。
 
それによって、複数の認知障害が現れ、
健常者を基準とする社会生活に支障を来すようになった状態をいいます。

 


 
複数の認知障害とは、もの忘れ、行動異常(暴力、徘徊、無為など)、
異常な心理状態(幻覚、妄想)、抑うつ(アパシー、無気力、感情鈍麻)などですが、
原因脳疾患、障害部位や進行速度もその人ごとに異なり、
認知障害の症状の現れ方も同じではありません。
 
認知症の分類や、認知症を来す疾患で、
最も多いのは脳細胞がゆっくりと死んでいく変性疾患であるアルツハイマー型認知症、
次いで多いのが脳血管障害(脳梗塞、脳出血、脳動脈硬化症)の後遺症や合併症として起こってくる血管性認知症、
3番目に多いのが変性疾患のレビー小体型認知症です。
 
その他、これらの混合型や変性疾患の前頭側頭型認知症があります。

なお、脳血管障害による認知症は、
当初の脳血管性認知症から血管性認知症に変更されました(脳卒中治療ガイドライン)。



★「痴呆症」から「認知症」に名称変更、背景には・・・。

認知症は、以前、「ぼけ」、「老人ボケ」、
「痴呆」、「痴呆症」などといわれておりましたが、
平成16年、『痴呆症』から『認知症』へと用語が変更されました。

これは、表記の単なる変更ではなく、
この病気の捉え方に対する変化が背景にあるものです。

 

先例として、今から46年前に書かれた、
有吉佐和子氏の小説「恍惚の人」(昭和47年)があります。

日本社会における高齢者の介護問題を世間に知らしめた作品ですが、
 「恍惚の人」はすなわち「ボケ老人」を意味した言葉として、
  ちょっとした流行語となり、この作品は映画化(昭和48年)もされました。

この小説は、今日の問題を見抜いた高齢者の「ぼけ」を、
先立って正面から取り上げたといっていいでしょう。

「ボケ老人」の問題は、当時の社会では、家族の恥とされ、世間から隔離され、
そのことを話題にするのは、タブーとされていました。

その当時の日本の平均寿命は男性が69歳、女性が74歳で、
今後予想される高齢化社会をわずかに意識するようになったばかりでした。

65歳以上の高齢者は、現在は人口の26.7%(平成27年9月)ですが、
当時は7%に過ぎなかったのです。
 
もともと、痴呆の「痴」という字は、ヤマイダレに知ると書きます。
 すなわち、「知ること」が病気になって、
ボー(呆)とする状態になることを言い表しています。
 
痴呆症すなわち認知症(以下、認知症に統一します)は、
心筋梗塞や肺炎などと同じように、病気であり、多くの原因があります。
この病気に罹患した人は、人生の新しい段階に入ることになり、
健康な人と比べれば、生活する上での機能が低下したと見なされます。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



記事を読み終わった後、
多々教示されたりした。

現代でも、到来する2025年になれば、私たち世代はもとより、団塊世代の人々も、後期高齢者となり、
この中には数多くの御方も介護となる中、一部の御方には、やむなく息子か娘にすがる在宅介護の生活が予測される・・。

そして長きに介護生活になれば、今まで過ごしてきた健康な時の日常から予測できなかった、
まさかの出来事が介護する御方、介護される御方も展開され、たとえ親子でも愛憎が増ていく日常・・。

こうした現象を予言した方は、作家・有吉佐和子さんの『恍惚の人』であり、
1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、
この当時に私は読み、動顛させられた作品である。


本作品は認知症などで、高齢者介護に奮闘する家族の日常が的確に表現され、
介護医療の困難を提示した作品でもある。

そして在宅介護が家族でままならなくなった時は、やむなく介護施設にあずける・・。

こうした中で、たとえば認知症患者の当人が介護施設から抜け出して、徘徊する中、
関係者より発見されたり、或いは行方不明となる。

介護施設としては、認知症患者の当人が介護施設から抜け出して、徘徊することを防止する為に、
施設内で認知症患者に対して、人として尊厳を尊重しながらも、拘束する状態度合が問われる命題である・・。

このような私は悲惨なことを数年前から思案してきたりしてきた・・。


今回、梶川 博、森 惟明のお二人の『改訂版 認知症に負けないために知っておきたい、予防と治療法』(幻冬舎MC)より
一部を抜粋した記事を読み、
私は今後の人生の必読書だ、と思い重ねたりした。

そして私は購読して、今後の晩秋期の教科書だ、と思い深めたりしている。
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