今朝7時過ぎ、ぼんやりと玄関の軒下に降り立つと、
曇り空を眺めたりした・・。
こうした中、門扉の前の道路で、40代風の男性が夏のスーツをきっちりと着て、
ビジネスバックを提げて通り過ぎて行った・・。
この後、ワイシャツ姿の男性2名が足早に通り過ぎて、
ぼんやりと私は眺めたりした・・。
まもなく私は、もうあのような時代には戻れない・・、
と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微苦笑したりした・・。
過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、明日が見えないような生活をしたが、
やがて4年が過ぎる頃に、はかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフト科に、
1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、上司より叱咤激励されながら、
商品、情報、経理、営業に配属され、何かと悪戦苦闘が多い中、奮戦して、
やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職した身である。
この間、中小業の多いレコード会社であったので、
幾たびリストラを何とか障害レースを乗り越えたが、
最後の5年はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりした。
出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。
こうした中で、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされ、
私は何とか出向先で定年退職を迎えることができたので、
敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、
一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などで、38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、
私は遥かに遠い存在である。
この間、家内は長年に於いて専業主婦として、私を支えてくれたが、
こうした状況の中で、私は働くことを断念して、年金生活を始めたりした・・。
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
第二の人生は、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、
私の人生の中で何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。
こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
利便性のよい路線バスに乗るのことなく、殆ど歩いて往還してきた。
その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
この間、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきたりした。
そして糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
ひたすら歩くことが多くなっている。
この後の日中の大半は、居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
新聞は『読売新聞』を長らく購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、
聴いたりしている。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねきた・・。
現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。
こうした中で私たちは観光ホテルなどに滞在して、
周辺の山里、遊歩道、街並みの中を歩きながら
その地の情景を観ながら風土、文化を教示されて、遊学したりしてきた。
年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
このように私は安楽な年金生活を過ごしてきたが、もとより年金が基盤となっている。
日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。
そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が過ぎし65歳を過ぎてから、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
そして周知の通り、失われた20年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ20年近く、たえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、安住できない時代となってきた・・。
こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、
このように熾烈な状況の中で奮戦している。
そして過酷な現実として、年金、医療、介護などで、少なくとも毎年一兆円が増加している。
こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。
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私たちも子供がいない60代なので、その暮らしぶりがとても参考になります。
主人はまだ細々と働いてくれてますが、近い将来年金生活になるので、先様のように毎日を充実して過ごしてくれたらと願っています。これからも参考にさせていただきます。
中島みゆきや高橋真梨子を連想しました。
初めまして・・。
先程、貴女様よりのコメントに気付きまして、
大変失礼を致しました。
>いつも楽しく拝見させていただいてます。
>私たちも子供がいない60代なので、その暮らしぶりがとても参考になります。
>主人はまだ細々と働いてくれてますが、近い将来年金生活になるので、
>先様のように毎日を充実して過ごしてくれたらと願っています。
>これからも参考にさせていただきます。
私は確か数年前に、貴女様のブログを拝見して、
ご主人様が台湾に単身赴任されていると読ませて頂き、
これ以来、愛読者のひとりとなってきました・・。
何かと現役サラリーマンの御方は、私たちが奮戦してきた時代以上に、
大変な時代を過ごされていると思ったりしています。
たまたま私たち夫婦と子供がいない背景は同じでので、
何かと親近感がありますので、
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
コメントありがとうございました。
先程、貴兄よりのコメントに気付き、
大変失礼を致しました。
>いつもわかりやすく読みやすく、ありがとうございます。
>ところどころに面白さを交えて感心しております。
ブログの投稿文は、多くの御方に読んで下さることを願いながら、
出来る限り簡潔に、その時の心情も表現するようにしていますが、
あふれる思いで綴っていますので、駄文が多いよなぁ・・、
と反省ばかりしています。
>中島みゆきや高橋真梨子を連想しました。
たまたま私は、このお二人の歌い手のファンですので、
嬉しい限りです・・(笑)
遅ればせながら1989年(昭和64年)に、
シンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いたりしました。
『エレーン』の歌であり、この当時の私はあるレコード会社の情報畑で、
奮闘していた時代でした。
こうした中、消費税実施が4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇が御逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定も重なり、
苦闘していた時で、心身ボロボロのような時に聴いたりした・・。。
その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたりした次第です。
この後、リストラ烈風の中、あえなく出向した中、『ヘッドライト・テールライト』が
心の支えとなってきました。
この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、
今でも中島みゆきさんは、私の秘かな女神となっています。
コメントありがとうございました。