22日の日曜日、家内達はホテルの館内でゆっくりしたいと言うので、
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。
日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。
旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。
85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。
『ご健在・・何よりですよ・・』と私は言いながら、別れた。
ボッケ付近に日当たりの良い処に、ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。
軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人、娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、自由に生きたいので、独り住まいをしている。
好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。
私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。
私は62歳の身であるが、常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。
街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。
一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。
『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。
この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。
日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。
旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。
85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。
『ご健在・・何よりですよ・・』と私は言いながら、別れた。
ボッケ付近に日当たりの良い処に、ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。
軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人、娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、自由に生きたいので、独り住まいをしている。
好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。
私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。
私は62歳の身であるが、常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。
街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。
一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。
『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。
この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。