夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには独りぼっちの『おひとりさま』の私、台所で皿洗いをする時は、歌を唄いながら・・。

2016-04-15 18:50:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜は深夜2時近くまで、映画の『ダイハード』を鑑賞していたので、今朝は寝坊して7時半に起床した。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
ときおり家内は家内の母宅に、宿泊しながら介護で行っているので、
我が家は私が独りぼっちの『おひとりさま』となっている。

そして朝食はいつもように前菜として、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

やがて冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べたりした・・。

この後は、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
本日はコブの佃煮、福神漬け、カブの醤油漬け、焼きノリ、そしてサバ缶のミソ煮であった。

やがて休むと台所が汚くなるので、人生は気合だ、と自身を叱咤激励した・・。
            

そして家内から借りた可愛らしいエプロンを着て、台所で皿洗いを始めた。
食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、それぞれの茶碗、皿などに丁重に擦(こすっ)たりした後、
盛大に水道水で洗い清めたりした・・。

こうした時、どうした心情が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、かぼそい声で唄っていた。

そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し  君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。

この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼せぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。

そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。
            

こうした独りぼっちの『おひとりさま』の私が、台所で皿洗いをする時は、
何故かしら歌を唄う時が多いである・・。

しかながら、こうした時に恥ずかしい思いを私は秘めたりしている。

確か7年前の4月下旬に於いて、やはり家内が留守なので、昼食後のひととき、 私は台所に立った。

台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、皿洗いなどをした・・。
こうした中、CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。

少し山積みとなった皿、丼ぶり、小鉢などを水を盛大に出しながら、
スポンジでこすり洗ったりしながら、心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境であった。

私がセットしたCDは、ハードロック・グループの『X JAPAN』のひとつのアルバムであった。
過ぎし1997年(平成9年)の頃に、当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
遅ればせながら『X JAPAN』に夢中になり、帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

こうした体験を秘め、平熱になった定年後の年金生活でも、ときおり余韻のように聴いたりしている。
そして私が唄ったのは、高校野球の応援歌で、演奏されたりしている『紅』であった・・。
            

♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この後、台所専用の洗剤で皿などをこすった後は、水洗いを盛大にしたのであるが、

♪もう二度と届かないこの思い
 閉ざされた愛に向かい
 叫びつづける
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この歌に準拠して、ボーカルのTOSHIに負けじと私なりに唄い続けた・・。

私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、唄い続けたのであるが、
不思議ながら合致するのである。

もとより余りバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが心身の波長に合うと、小綺麗になった台所で、独り微苦笑したりした・・。
            

この後、台所の戸を更に大きく開け、煙草を喫いはじめていたら、
玄関のチャイムが、コッキラ・・コ~ン!・・、と鳴り出した・・。

私は玄関が見える窓から、そぉ~と見たら、
30歳前後の麗(うるわ)しいご婦人が幼児の女の子を伴い、立っていた。

私は自治会の役員の御方が、共同募金の収集でお見えになったのだ、と解かったが、
前掛けと腕まくりの60代の小父さんとしては、少しあわてたりした。

そして、私は『はぁ~い』と大声で言いながら、前掛けを取り、応対したりした・・。

もしも私は15分ほど早かったら、『X JAPAN』と共に、大声で唄っていたので、
もとより見せられる格好でなく、今であってよかったよ、と呟(つぶや)いたした苦い体験があったりした。

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「疲れ」解消の豆知識を学び、老ボーイの私は、微笑みながら同意を深めて・・・。

2016-04-14 14:46:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
今朝、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に2泊3日で行く日であったので、
私は、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して起きだしたのは、午前4時過ぎであった。

そして私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて家内は、我が家の近くにある路線バスの始発に乗車する為に、
小雨降る中、我が家を出たのは6時少し前であった。

私は門扉の近い道路に降り立って、家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるので、
私は独りぼっちの『おひとりさま』になってしまった、と微苦笑したりした。
            

先程、ぼんやりとネットでニュースを見ている中、
【 「疲れ」の豆知識 熱い風呂で倍増、鶏肉に回復効果 】と見出しを見て、
どうしてなのょ、と私は戸惑いながら、記事を精読してしまった。

この記事は【NEWS ポストセブン 】に於いて4月13日に配信され、
原文は、『女性セブン』2016年4月21日号に掲載された記事のひとつであるが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・誰もが感じる「疲労」だが、そのまま蓄積すると不眠や慢性疲労に陥り、生活習慣病の要因にもなる。
            

大阪市立大学大学院・医学研究科疲労医学講座特任教授で、
東京疲労・睡眠クリニック院長として“疲労”を専門に診察、研究を行う梶本修身さんは、
「体で最も疲れているのは、脳にある“自律神経中枢”」だと言う。

「自律神経は体の司令塔。呼吸や消化吸収、血液循環などの機能をすべてコントロールしているため、24時間休む暇がありません。
私たちが運動をした後も、仕事で頭を使った後も、同様に“疲れた”と感じるのは、
体を休ませるための脳の防御反応なのです」(梶本さん)

また、女性は更年期を迎えると自律神経の機能が低下するので、昔に比べて特に疲れやすくなるとも。

では、疲労回復の秘策は?
「日中は疲れたらストレッチで血流をアップさせ、体内の老廃物を流すと効果的。
ですが、いちばんの回復法は、何といっても質の良い睡眠です。
むやみに眠る量を増やすよりも、ぐっすり深く眠ることが大切です」(梶本さん)

ちなみに疲労回復に効果大なのが鶏肉だという。
「アミノ酸の結合体“イミダペプチド”は、鶏の胸肉に多く含まれる成分です。
約2週間、毎日200mg以上摂ると自律神経の乱れを改善し、運動後の疲労回復が早いと実証されています」(梶本さん)
            

さらに、サングラスをかけることで全身の疲れを軽減できる。
「目から紫外線が入ると、角膜で活性酸素が発生して炎症が起きます。
また、大敵の紫外線に対抗すべく自律神経の働きが高まるので、サングラスで紫外線を防げば、疲れを軽減できますよ」(梶本さん)

また、お風呂に入って疲れを取るという人もいるかもしれないが、実は逆効果だという。
「熱い湯に入ると、汗が出て体温調節するため、自律神経が活発になり余計に疲れてしまいます。
38~40度のぬるめの湯に浸かれば血流がよくなり、自律神経も休まるので、疲労回復に効果的です」(梶本さん)

そして、就寝中のいびきや寝息は、体に対する大きな負担となっている。
「女性は更年期を迎えると喉の筋肉の制御が乱れ、いびきや寝息が大きくなる人も。

空気を肺に送るのは、通常でも大変な作業。
気道が狭くなるとさらに負荷がかかり、就寝中も充分休めません。
自分のいびきで起きてしまう日が続いた場合は医師に相談を」・・》
            

私は平素は午後11時頃に布団にもぐり、朝の6時半頃に目覚めることが多いので、
7時間ぐらいは熟睡していている。

この間、たとえ震度3ぐらいの地震で、我が家は揺れても目覚めることなく熟睡を継続しているので、
隣に寝ていた家内から、翌朝に地震で私は目覚めてしまった、と教えられたりしてきた。

私は民間会社に35年近く奮闘し、何とか2004年(平成16年)秋に定年退職をできた身であり、
現役サラリーマン時代は、多くの男性諸氏と同様に、何かと睡眠を削り奮戦し、
そして平日は睡眠不足であり、休日に昼寝で補(おぎな)ったりしていた。

やがて定年後は多々の理由で、年金生活を始めて以来、拘束から解放されて、7時間は安楽に熟睡をしてきた。

家内はここ一年近く家内の母の介護で、家内の妹と交互で、
独り住まい家内の母宅に宿泊することが多くなっている。

こうした中、我が家で家内が休息で昼寝をしている時、
たまたま私が近くにいた時、寝息をしたり、ときには軽いいびきが聞こえりする時がある。

やがて家内が目覚めた時、何よりも健康の源(みなもと)は睡眠だから、睡眠時間を削るのはよくないょ・・、
と私は幾たびも言ったりしている。
            

私は熱い湯は苦手で、少しぬるめの湯に5分ぐらい浸かるが好きで、
毎夕6時過ぎに入浴している。
そして旅行に行けば、館内の殆ど温泉の湯に朝夕は、少なくとも入浴している。

何よりも入浴は、心身ともにリラックスでき、安楽なひとときが過ごせる。


平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                                
帰宅後も、再び独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

こうしたことは年金生活が丸11年過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。

こうした根底のひとつには、認知症だけは勘弁してょ、と念願して歩いたりしている。
            

そして深夜まで読書に夢中になったりした時は、昼寝をしたりして、
年金生活の何より特権だねぇ、と微笑んだりしている。

私は年金生活を丸11年が過ぎ、12年生となっているが、
セカンドライフを健康で過ごすのは、適度の睡眠、運動、食事が肝要と思っている。
  
このように過ごしてきた私は、今回の記事を読み終わった後、
老ボーイの私は、微笑みながら同意を深めたりした・・・。

しかしひとつだけ差異があり、陽射しの中、買物、散策する時、
サングラスで紫外線を防止する為に、サングラスを掛けるか、少しためらったりしている。

余談であるが、女性が心身はつらつと顔立ちが美しくなる根源は、
どのような高価な化粧品よりも、熟睡が大切ですょ、
と私は若き日に映画青年の真似事をしていた時、撮影所である高名な女優さんから教えられたことがあった。

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恥ずかしながら血液B型の私は、幾たびか熱中すれば、周囲が見えなくなるタイプであり・・。

2016-04-13 15:16:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
昨日の夕方に雑誌を整理していたら、栞(しおり)が挿(はさ)んだページがあり、
見たら血液型B型について、掲載されていたで、改めて読んだりしてしまった・・。

●B型は力を身につけて、人生を楽しく生きる
●不調、逆境の時こそ、自分が主演と信じる

と記載されて、この下段には『B型思考の基本素養 』が明記されていた。

①マイルールを大事にする。
②自分なりの工夫で、努力を楽しむ。
③弱点をさらけだす。
④他人の評価より、自分の満足。
⑤小さなことでも、真剣勝負する。
⑥ひとつのことに、ハマってみる。
⑦ハマった自分を堂々と宣言する。
⑧悩みぬいて飽きる。
⑨部下や上司には、積極的に声をかける。
⑩頼みの綱は、自分自身。

このような記事を読みながら、私は幾たびか微苦笑をしてしまった・・。
                   

そして私は、恥ずかしながら血液型はB型で、記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。

確かに私は何かと単細胞で、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの人生を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。

年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
              
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
                              
                     
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
            

やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は音楽業界のあるレコード会社の情報畑で奮闘していた時代であった。

この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。


そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
                                       

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本忍(はしもと・しのぶ)さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーン、そしてセルジオ・レオーネの両氏に夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
                      

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
       
       
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
                   
                                         
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、あるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読したりしている。
                
私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれて時もあった。
            
         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
                   

余談であるが、家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生する。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている時もある。

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老ボーイの私、駅前に買物に、恒例ように家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして・・。

2016-04-12 15:48:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

昨夜、夕食を頂いた後、いつものように茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの前の椅子に座っている家内の片隅に置いた。

『明日、駅前で色々と買いたい物がありますから、よいかしら・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『了解しました・・行きましょう・・』
と私は若き自衛官に負けないように明るく大きな声で応(おう)じたりした。

我が家は平素の日々の買物は、私が定年後に年金生活を始めて以来、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店などには3週間に一度ぐらい、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急などのデパートに買物、
そして人影も少ない遊歩道を歩いた先で歯科医院で治療を受けたりする時は、
老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、早や11年半が過ぎている。
            

今朝、朝食後、家内は食器洗いなどをしていたが、早朝から洗濯、掃除などをしていたので、
少し疲れた表情し、少し休んでから出かけょう、と私は提案した。

結果として私たち夫婦は、我が家を出たのは、午前10時過ぎであった・・。

『行きは歩いて・・帰りはバスに乗り、帰りましょう・・』
と家内は私に言ったりした。

たまたま今回は、我が家の最寄駅のひとつである京王線の『仙川』駅の周辺で買物に行くが、
昨年の5月上旬までは、散策代わりに利便性の良い路線バスを利用しないので、
片道20分ばかりを歩いて往還してきた。

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

そして昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているが、現状となっている。
            
こうした関係で、我が家は私が『おひとりさま』の生活が多くなり、
万一、家内に先だたれて私は独りぼっちの『おひとりさま』になったことを想定して、
特別演習だ、と思いながら過ごしている。
            

私たち夫婦は、『仙川』駅の商店街に着いた後、ドラッグ・ストアー、スーパー、ホームセンターなどで買物し、
この間、家内は『百円ショップ』に行き、私は本屋に寄ったりした。

私は年金生活を始めた頃は、『百円ショップ』は無知であったが、
やがて文房具用品の書類入れのカラー別ケース、カラーホルダーは価格も廉(やす)い上、
程ほどの質感もあり愛用しているが、家内は以前より小物の工夫された品を幾たびも買い求めたりしている。

今回も家内は『百円ショップ』に寄ると、何かと魅せられる品を探し求める時間が長いので、
私は家内のボディガードを放棄して、同じフロアーにある本屋に寄って、
読んでみたかった『中央公論』(5月号)を買い求めたりした。

やがて私は家内と合流した後、家内のお気に入りのパン専門店『ANDERSEN(アンデルセン)』に寄り、
フランスパンを2本、そして家内のケーキのような菓子パンを3つばかり、私たちは買い求めたりした。

そしてお互いに両手に買物品を提げて、路線バスに乗車して、やがて12時過ぎに帰宅した。
            

まもなく私はコーヒーを淹れて、私たちは昼食代わりに、
私はフランスパンに少しマーガリンを付け、家内はケーキのような菓子パンを2つ頂いたりした。

『XXちゃんさぁ・・今日の買物・・たった2時間足らずで・・最短記録だったねぇ・・』
と私は家内に微笑みながら言ったりした。

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定年後の年金生活11年を過ごしてきた中、失ったこと、或いは得たことに思い馳せ、やがて微笑んで・・。

2016-04-11 15:33:12 | ささやかな古稀からの思い
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
東京の調布市の片隅みで、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で幸いにも、私たち夫婦は大病に遭遇せず、今日に至っている。
          

日頃の私は、午前中に平素の買物専任者として、家内から依頼された品を求めて、独りで最寄りのスーパー、
或いは駅前まで利便性ある路線バスも乗車せず、片道20分前後の歩道を歩き、
スーパー、パン屋とかドラッグストアーなど専門店で買い求めたり、ときには本屋に寄ったりしている。

その後は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない、と確信を深めて、
独りで自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          
午後より夜の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中で、ときには小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか遊学してきた。
          

このように年金生活を過ごしてきたが、午前中のひととき、いつもように散策し、小公園に芽吹きが終わり、
新緑をぼんやりと眺めていた時、定年後の年金生活の中、失ったこと、或いは得たことに思い馳せたりしてしまった・・。


失ったことは、年金生活を始めた60歳の当初より、恥ずかしながら体力の衰えを実感させられたりしている。

或いは親戚の叔父さん4人、叔母さん2人に死去されたり、
私の大切な4人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、やがて逝去されたり、
幾たびか冥福をしたりしてきた・・。

そして齢を重ねると、出逢うことより別れることが多い、と古人から伝えに実感させられながらも、
愛惜を深めたりしてきた・・。

或いは貯金は減り続け、年金は実質的に目減りしてきたので、苦笑したりしてきた。
          

やがて得たことは、余りにも多く、私は独りで微笑んだりした・・。

私は亡き母の遺伝を受けたらしく、男の癖におしゃべりとなっている。
朝食とか夕食の時には、それぞれ家内と一時間ぐらいは談笑したりしている。

そして家内は従来通り料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめてと私は思いながら 家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている中で、お待たせ致しました、と言いながら家内に話しかけたりしている。

こうした中で、私は家内と共に月に3回ぐらいは外出している。
駅前に行き、スーパー、ホームセンター、ドラックストアーに、ときには都心に買物に行ったりしているが、
こうした時の私は積極果敢に、家内のボディガード兼お供となり、荷物持ちの重責を果たしながら、
歩いている中で、語り合ったりしている。

そしてときには、国内旅行の旅先で遊学しながら、語り合い、のちの思いを重ねたりしてきた。
          

私はデジカメを定年退職の記念品として買い求めて、今や3台目と買い改めてきたが、
この間に、私が散策したり、家内と国内旅行をしている旅先でも、
一期一会だと思いながら、記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしてきたが、
昨今、9000枚近くになっているので、少し多いかしら、と微笑んだりしている。

そして小庭には、つたない半生を歩んできた私は、
せめてと思いながら、定年後に幼い樹を植えて、今や大きく成長してきたので、
ときおり微笑ながら眺めたりしている。

或いは私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知り、丸11年が過ぎて、早や12年生に進級する中、
パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
          
      
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時までのつたない人生航路、
そして年金生活の安楽な日々が多い心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
       
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                                                                   
こうした中で、セカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませて頂き、
このように日常はお過ごしされている、このような思いを秘めている・・
多々教示させられ、ときには私が励まされるようなこともあったりしている。
          
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、心の財産となっている。
          

このように私は幸運にも、ささやかに家内と年金生活を過ごす中、
数多く思いが増え、齢を重ねることも良きことだねぇ、と微笑んだりしている。

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ネットの書き込みは、自宅玄関に貼れる内容が限界と学び、ブログ12年生の私は微苦笑して・・。

2016-04-10 13:02:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、インターネットに関して、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋に迎る前の夏に、
遅ればせながら我が家にインターネット回線を導入した。

これ以来、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
据え置き型のパソコン、予備機としてノートパソコンを設置して、今日に至っている。

ここ11年、据え置き型のパソコンに関しては、故障とか新製品に戸惑いながら、
やむなく3回ばかり新機種を買い改めたりしてきた。
                                       

こうした中で私は、ガラケーと称される携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
6年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には携帯電話が必要と思ったりした。

過ぎし昨年の3月中旬、家内用に携帯電話の入門者に最適と思われる『らくらくホン』コースを一台ばかり買い求めたが、
メールとか写真などを利用できず、単なる移動できる電話機として使用している。
そして私は相変わらず、『ひかり電話』を使用している。
         
このような状況であり、ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えないのである。
そしてスマホは、ここ7年急速に普及して、2012年(平成24年)には世帯保有状況が40%となり、
最近は60%になった、と私は学んだりしてきた。

そして私は、フェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用し、ブログを日々投稿している。

このように私は、無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
            

私は年金生活を始め、まもなくブログの世界を知り、丸11年が過ぎて、早や12年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                                   
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。   
            

昨夕のひととき、愛読している『東洋経済オンライン』を読んでいたら、
【 その書き込み、玄関に貼っても大丈夫ですか 】と見出しを見て、
ネットに関しての書き込みに関して内容と思い、具体的にどのようなことですか、とクリックして精読してしまった・・。

やがてこの記事を寄稿された御方は、小木曽健(おぎそ・けん)氏であり、
グリー株式会社で政策企画室・安心安全チームマネジャーされる中、インターネット啓発に関する全国での講演し、
講演を基に作成した無料教材「事例に学ぶ情報モラル」を普及されている方と知ったりした。

こうした御方であって、私は多々学びながら、微苦笑を重ねたりした・・。
無断ながら主要な部分を転載させて頂く。

《・・投稿をするとき、その文章を実際に自宅玄関へ貼り出している状態を想像してみませんか
            

■ネットで絶対に失敗しない方法

そもそもネットの中にいる人って、どんな人達でしょう? 

答えは簡単、私たちです。
現実世界で暮らしている普通の私たち、これがネットの中にいる人達です。

ではネットの中での人間の感情、面白いと思う気持ちや怒る理由、ルール、マナー、文化はどうでしょう? 
これだって現実世界と同じですよ。すべて一緒です。

ネットの中でも罪を犯せば、現実の牢屋に放り込まれます。

つまり、日常とネットは同じもの、日常はネット、ネットは日常。
わざわざ『日常』と『ネット』を分けて考えるから、ややこしくなるのです。

日常とネットを同じものだと考えた瞬間、こう言えませんか? 

日常でやっていいことは、ネットでもOK。

日常でやらないことは、ネットでもやらない。
            

■家の外側で、身元が確実にバレる場所

”インターネットというものは、実はすべて玄関の外側なのです。
パソコンもスマホもLINEもメールも、ネットにつながっているモノは、すべて家の外側です。

しかも、その『外側』には特徴があります。
アホなことをやらかせば、確実に炎上し身元がバレる、ネットはそんな場所です。

家の外側で、身元が確実にバレる場所ってどこですか? 自宅玄関ですよ。
これがネットの正体なのです”

ネットにモノを書くということは、自宅玄関にベタベタものを貼っていくのと同じ作業なのです。
だから玄関ドアに貼れるものは、ネットに貼っても全く問題なし。

そしてドアに貼れないものは、ネットに書かない方が良い、のではなく・・書けないのです。

● 暴言を投稿し続けた会社員。個人特定され降格・懲戒
● 車内で他人を撮影、誹謗中傷した学生。個人特定され停学
● タレント来店を投稿。個人特定され会社HPで謝罪文

どれも決して玄関に貼らないものでしょう。
これまでに起きた数多くのネットの事件、トラブル投稿で、「自宅玄関に貼れたであろうモノ」は、ほぼありません。

逆に「玄関に貼れるモノ」なのに、それが原因でトラブルになったケースも見つけられませんでした。

自宅玄関に貼れるものがネットの限界。
だから、自宅ドアを基準に判断すればOK。
これがネットで絶対に失敗しない方法です。
            

■賛否両論も、年齢層でくっきりと

皆さんの反応は、反対・賛成に大きく分かれます。

反対意見(主に若年層)
 ・玄関に貼れないものを載せるからネットは、面白いんだよ
 ・現実では言えないこと、だからネットに書くのです
 ・「おはよー!」だって玄関に貼ったら変じゃない? 

賛成意見(主に成人層)
 ・わかりやすい良い例え
 ・子供に情報リテラシーを教える時に使える
 ・これに否定している人たち、いつかネットで失敗しそう

「そのツイート玄関に貼れますか?」とネットで検索すると、今でも当時の議論がたくさん見つかります。
そして面白かったのが、皆さんの賛否が、見事に「年齢層」で分かれたという点です。

若年層であれば、炎上しない程度の「アホな投稿だな」「書かなければいいのに」は許されます。
でも大人はそうはいきません。
社会的な評価・信用に直結し、失われたモノは取り返せないのです。
            

「玄関に貼れないから面白いんだ」とか「現実では言えないからネットに書くんだ」と言えるのは、
実は人生のシガラミ、抱えているモノがまだ少ない、身軽だという証でもあるのです(ちょっと羨ましい)。

ちなみに私がネットに書かないモノ(=玄関に貼らないモノ)は、

政治の話
外交問題
宗教の話(一般論は書きます)
下ネタ(程度による)

だいたいこのあたりです。
あくまで私の基準であって、社会的な立場や職業、主義によっても変わってくるでしょう。
人それぞれですね。
            

■自宅玄関に貼れるものがネットの限界

でも皆さんだって、初対面の方々と会話する立食パーティーでは、こういう話題を無意識のうちに避けているハズです。
ネット=現実だと考えれば、これくらいの感覚が丁度いいのかもしれません。

とにかく、自宅玄関に貼れるものがネットの限界です。
これがネットで絶対に失敗しない方法!・・》
注)記事を抜粋し、主要な部分をあえて改行を多くした。
            

今回の記事を読みながら、私は微苦笑を重ねて、確かにそうですよねぇ、と思い重ねたりした・・。

私の投稿文は、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを綴ってきたので、
幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情、ときには社会問題も綴ったりしてきた。

或いは政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。

国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権下で鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。

或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、
私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。

しかしながら、うすぎたない文章は私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
            

こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。
この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
          
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界である。
            

人誰しも、この人生航路を歩み中で、光と影を有しているが、
つたない私でも光と影があり、特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
          
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることであり、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下には限りなく敬愛を深めているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻の言動に、ときおり憂(うれ)いを感じたりしている。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は数多くあるが、
守秘義務もないが、退職後の丸11年を過ぎた今でも、心の礼節として綴れない。

やはり社会人として、遅ればせながら25歳で中途入社できた時から、
何かと上司、先輩、同僚、後輩、知人のたゆまぬ激励と支援の中で、定年退職時まで、
奮闘できたことであり、今でも感謝している。

このような思いで、もとより社員と経営者、株主の結晶である会社にも感謝しているので、
秘めたる悪しきことは、心の礼節としてできない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。

或いは社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、もとより非国民の言動あり、
たとえ日本は法治国家であっても、性善説を捨てて性悪説の基で、
法務大臣の特例で、絞首刑が妥当と思っている。
          
このようなことを思いを秘めているが、こうしたことを綿密に投稿文で綴れば、
もとより私の人格さえも問題視されることであり、小心者の私は書けないでいる。
            

こうして私はブログを殆ど毎日投稿してきたが、3年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
                    
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多く、苦笑している。
 
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ときには小庭の手入れ、私たち夫婦は4時間ばかり奮戦する中、体力の衰えた私は・・。

2016-04-09 15:02:27 | ささやかな古稀からの思い
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。

こうした中、雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

過ぎし3月26日に私は今年初めての草むしりをしたが、この後も雑草は元気よく繁ったり、
落葉樹は芽吹きが終わり、幼い葉をたわわなに新緑の状景となり、
常緑樹も古き葉の一部は落葉し、新芽が伸びて、新旧交代ですょ、と状態となっているで、剪定もしない、
と私は思い立ったりした。

『そうよねぇ・・早めに手入れをしないと・・樹も伸び放題に成りますからねぇ・・私も手伝うから・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。
            

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ12年目の実態となっている。
                
                
私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、枝葉の処分料が多かった為か50万円前後を要してきたが、
この間は私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。

そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。

こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
                                                      

今朝、私は昨夜は深夜まで8日当日発売された『文藝春秋』(5月号)読んだりしていた為か、
起床したのは6時過ぎで、居間に行くと、
すでに家内は庭の手入れ用のトレーナー姿にエプロンした容姿だったので、
『遅れをとった・・早く食べて庭に出るからねぇ』
と私は家内に言い訳をしたりした。

そして私は朝食を頂きながら、地元の天気情報を視聴したりした。

朝の6時は11度、昼下がりは21度前後、夕方の6時は18度前後、
快晴の日を迎え、5月中旬のような陽気になります、と報じられていた。

やがて私たち夫婦は6時半過ぎに、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスリーシズン用のスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

そして私は買い求めた切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。

私は71歳で家内は66歳の高齢者夫婦に該当するが、それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。
                   

私は何にかと暑さに苦手であるが、心地よい陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、そよかぜよりも薫風と感じながら、奮闘したしたりした・・。

やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるサカキ、モミジなどを剪定したりした。
              

私は若き40代の頃は、数多いの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。

しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は苦笑したりした。

やがて我が家の樹木を半分ぐらい剪定を終えた後、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、家内は枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。

この間の私は草むしりに専念していたが、やはり樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。

しかしながら真夏の熱い時節は、汗はしたたり落ちながら、草むしり、樹木の剪定をするよりは、
遥かに楽で、微苦笑をしたりした。

この後、『XXちゃんさぁ・・やめない?・・ほぼ予定どうり出来たから・・』
と私の方から家内に提案したりした。
            

そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は主庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、モミジの木陰に身を寄せて、
煎茶を飲んだりした。

私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。

まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ』と私に言ったりした。

『了解致しました』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。

私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と答えるのはボケてきたと思われるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。

やがて私はお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが6袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。

そして私は家内の奮闘に鼓舞されて動き回ったなぁ、
と思いながらお風呂場に向かったのは、昼の12時過ぎであった。

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桜花に別れを告げて、やがて『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同』と思いを重ねて・・。

2016-04-08 16:00:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、66年この地に住んでいる。

私の住む地域は、3月21日にに染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、これから八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、
今年に限り、私は早咲きの河津桜などを3月初旬から、幾たびも鑑賞してきた・・。
            

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桃色(ももづき)』、『桜月(さくらづき)』、『桜見月(さくらみづき)』と称せられてきた。

寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、暖かな春の訪(おとず)れに、
数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。

たまたま私は三月は早咲きの河津桜などから、染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)まで、
桜花を中核に鑑賞してきたので、『桜見月』だった、と思いを深めたりしてきた。
            

私は桜花(さくらばな)に関しては、ここ10数年は三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
          
4月を迎えると自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
満開の情景から、やがて花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。

こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下する。

古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。

私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に、確かな美を感じてきた。

このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。
       

そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。

或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。

そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。

このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
          

こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。

そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、突然に自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、37年過ぎている。
          


こうした桜花に思いを秘めている私は、一昨日に自宅の付近に流れている野川の遊歩道を散策した・・。

やがて桜並木の下を歩いたが、ときおり風もなく、花びらが舞い降りたりし、
路の片隅には吹き寄せのように桜花が散乱していた。
       

そして早くも川面を眺めると、数多く花びらが流れていて、古人より花筏(はないかだ)と称してきた情景に、
過ぎし日に愛惜を重ねながら、眺めたりした。

やがて再び歩きだして、ときおり見上げると、残り花に見惚れたりした。

そしてボンヤリと歩きながら、不意に『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつをが脳裏に占めた。
            

もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。

私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、桜花が巡って、さりげなく咲いているが、
この桜花を観賞できる人は変っている・・。

もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも50数年の歳月が流れてしまった。

私は古稀と称せられる70歳を卒業して、早や71歳となり、
私は50代の後半から、私の大切な5人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。

こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。

たまたま今回、残り花の桜花を眺めたりすると、このような思いになってしまったりした。
            

やがて痛切感を振り払うように、プラス思考に転じて、
角川春樹さんの書誌より学んだ《・・切実に豊かな人生を楽しむことが大事・・》と銘言を思い馳せて、
惰性に過ごすことなく、残こされた人生の日々を大切に過ごそう、と足早に自宅に向い歩き出した。


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セカンドライフ、お金・健康・孤独の不安、年金生活12年生の老ボーイの私は、微苦笑して・・。

2016-04-07 14:09:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、最後の5年半はリストラ烈風となる中、
出向となったりした。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をすれば、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。

そして定年退職後は年金生活を始めて、丸11年が過ぎ、早や12年となっている。
            

世の中は少子高齢化の時代となり、社会保障費の年金、医療、介護などが膨張のする中、
私たち夫婦が頂いている厚生年金も年々削減されてきた・・。

我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

もとより年金は削減されてきたので、貯金は減ることがあっても、増えることがない実態となっている。

こうした中で、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりする時もある。
                                    

こうした中で、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。
そして私は小心者の為か、株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクは、
金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、悪化しマイナスになった場合は、
残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。

こうした根底には、残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思い、
貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
                                              
我が家は国債を二千万円足らずを購入していたが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。

しかしながら、確か年金生活を始めた翌年の2005年(平成17年)頃に、
外資のシティバンクが新聞に《・・金融資産1億円の方に・・》と掲載していた。

私はこっそりと読んだりしたが、金融資産と住宅の敷地の固定資産評価額を加算したら1億円は超えるが、
とても金融資産1億円は・・と項垂(うなだ)れたりした。
                        

私は家内の指示により、年に数回ぐらい家内と共に、デパートで私の衣服を買い求めたりしている。
そして程ほどの衣服を購入して、最初は旅行、都心で懇親会など外出として、
やがて平素の買物、散策で愛用し、最後には庭の手入れの時に着ているが、
大半は10幾年長らく愛用しているのが実態となっている。

こうした中で、我が家は乗用車、スマホも所有できず、家内だけが遅ればせながら携帯電話を1年前に覚え、
時代遅れの国民となっている。
まして海外旅行は、英語を思いだすように単語を並べる程度しか言えない私は、遠い異国の世界である。

更に世界の有数なクルーズ航路、別荘、ヨットなどは、遥かに遠い彼方のことであり、
せめてと思いながら国内旅行をして、各地の四季折々の旅路を幾たびか遊学している。
                                            

平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                                
帰宅後も、再び独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

こうしたことは年金生活が丸11年過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。

こうした根底のひとつには、認知症だけは勘弁してょ、と念願して歩いたりしている。             

そして私は70代の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら日々散策している。
            

昨今、中高年の現役サラリーマン向けの雑誌などで、退職後の不安な要素として、
三つの不安として、お金・健康・孤独、と警句されている・・。

もとより『お金』は有るに越したことはないけれど、不幸にして『健康』から遠ざかり、
大病に遭遇して、やがて逝去された友人、同世代の知人を、
私は50代の後半から幾たびか冥福をしたりしてきた・・。

或いは『孤独』は、私は独り楽しむ読書、映画、音楽、或いは散策をし、
亡き母から遺伝で、男の癖におしゃべりで、家内はもとより、ご近所の奥様、ご主人と談笑したり、
見知らぬ方でも積極的に談笑してきたので、孤独の不安は私に取っては死語かしら、と微苦笑している。

このような私は、セカンドライフと称せられる老後の生活は、
何よりも『生きがい』が最優先で、次に『健康』、そして程ほど『お金』と、
何かとプラス思考の私は、思い深めている・・。
            

しかしながら、この世は予期せぬ出来事がある。

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

そして昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているが、現状となっている。
            

こうした関係で、我が家は私が『おひとりさま』の生活が多くなり、
万一、家内に先だたれて私は独りぼっちの『おひとりさま』になったことを想定して、
特別演習だ、と思いながら過ごしている。

そして私たち共通趣味の国内旅行も激少して戸惑い、
人生長がらえば色々なことがあるよなぁ・・と私は微苦笑したりしている。

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「1日1万歩」は逆効果? 健康に良い歩き方を学び、私は戸惑いながら、やがて微笑んで・・。

2016-04-06 16:00:33 | ささやかな古稀からの思い
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常の午前中は、定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、やはり独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

午後の大半は、随筆、小説、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした日常は、小庭の手入れをしたり、家内と駅前とか都心に買物、家内との共通趣味の国内旅行、
或いは冠婚葬祭以外は、殆ど変らず年金生活を早や12年生となっている。

本日も平素の買物を終えた後、独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策したりした・・。
            
            ☆掲載した写真は、昨日の午前中、絹糸のように降る菜種梅雨がやんだ直後の情景、
            そして本日、快晴の中、散策した時の情景である☆

昼下がり、ネットでニュースを彷徨(さまよ)っている中、
【 「1日1万歩」は逆効果? 健康に良い歩き方を紹介 】と見出しを見て、
どうしてなのょ、と私は戸惑いながら、記事を精読した。

この記事は【NEWS ポストセブン 】に於いて4月6日に配信され、
原文は、『女性セブン』2016年4月14日号に掲載された記事のひとつであるが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・健康意識の高い人ほど、「毎日1万歩、歩けば健康になる」「歩けば歩くほど健康になる」などと考え、
家事や散歩などを通して積極的に歩こうと励んでいることだろう。
確かに、健康目標として「1日1万歩」は一般的に広まっている。

しかし、そんな世間の“常識”に「NO」を突きつけるのは、
東京都健康長寿医療センター研究所 医学博士で、『やってはいけないウォーキング』(SB新書)の著書がある青幸利さんだ。

「実は、1日1万歩以上歩いていても、健康を害してしまうことがあるんです。
            

たとえば、ある旅館の、77歳になる女将さんは、
毎日1万歩以上歩いていたにもかかわらず、骨粗しょう症になってしまいました。

というのも、女将さんが歩いていたのは館内だけ。
着物を着ているため小股で歩いており、歩数は多かったのですが、歩き方の“強さ”が足りなかったんです。

充分な強さのない静的な動きの場合、疲労しやすくなりますし、骨や筋肉に刺激が少ないので、
骨粗しょう症や要介護になるリスクの高いロコモティブシンドローム(運動器症候群)になる危険性があります」
            

さらに、70歳のある男性は、毎日愛犬の散歩をしていたにもかかわらず、うつ病を患ってしまったという。
その男性は犬の散歩で疲れてしまい、それ以外の時間は、ソファで横になって過ごしていた。

「自分は毎日散歩している」という思い込みで安心してしまい、
実際には日々の運動量は、不充分で不調をきたしてしまったのだ。

すなわち、「1万歩歩いているから」「毎日歩いているから」という自己判断はアテにならないのである。
            

青さんは、自身の故郷・群馬県中之条町の住民5000人に協力してもらい、
身体活動計を装着して15年間、24時間365日、行動を調査した。
その結果、健康寿命がグンと延びる究極のウオーキング法が見つかったという。

「正しいウオーキング法は、『歩数』と『運動強度』という2つの観点から考えなければなりません。
今まで歩数を気にしていたかたは多かったのですが、ほとんどの人は、強度を考えていませんでした。

強度とは、重力に逆らって上下運動する際に起こる刺激のこと。
これが、骨密度や筋肉量の維持に、大きな影響を与えます。

中之条町の住民の膨大なデータを分析したところ、
理想的なウオーキングは、ずばり1日の総歩数8000歩、
そのうち20分間は、中強度の歩行をすることだとわかりました」(青さん)

「中強度の歩行」とは聞き慣れないが、どれくらいの強さなのだろうか。
            

「“なんとか会話ができる程度の速歩き”のことです。
鼻歌が歌えるくらいの状態だと、遅すぎますし、
競歩などのように、会話ができないほどの歩き方だと速すぎます」(青さん)

正しいウオーキングを行えば、要介護生活、うつ病、認知症、脳卒中、心筋梗塞などの
心疾患などの万病の予防が期待できるという。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或いはビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
         
この当時の私は、朝食は白米のご飯を腹いっぱい食べながら、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬けなど、
そして魚を煮たり焼いたりする代わりに、せめてと思いながらシャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
日々貫徹のように食べたりしていた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合ったりしていた。

そして夕食は牛肉、豚肉、ラム肉、鶏肉などをそれぞれの日に於いて、たらふく食べたりしてきた。
                                             
        
やがて2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断されたり、
その後の2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、
私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを頂いたりした。

そして医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

       
そして朝食前、夕食前に大きな皿にキャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを大皿で食べたりしている。
こうした結果、朝食のご飯は半分ぐらいとなり、夕食の食べる肉も減少した。

これ以来、キャベツは愛食となっているが、寒さを感じる時節は、電子レンジで少し温めて、
ミッカンぽん酢か、ときにはもずく三杯酢をかけて盛大に頂いている。

しかしながらキャベツは、もとより農作物であり、天候の不順で不作の時はスーパーなどの店頭にない時は、
サニーレタス、或いはタマネギを代用している。

タマネギの場合は、スライスし、ワカメであえて、ミッカンぽん酢をかけて、盛大な前菜としている。
                       

そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としたり、
或いはフランスパンを4分一ぐらい食べたりした。

その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していた。
            

この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていた。
          
この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
                                         
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。
            

この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
          
やむえなく糖分の多い日本酒とお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととした。

そして糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。

ここ数年は、お世話になっている最寄の内科専門医院に4週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
            

そして私は世の中に数多くの健康食品よりも、キャベツ、タマネギ、ブロッコリーをこよなく愛食して、
早や5年生となっている。
                    
私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
そして私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
            
私は何かとスポーツが苦手で、特にこれといったこともせず、
散策する程度で、ときおり早足のウォーキングの真似事をする程度となっている。

こうした時の私の容姿は、上半身はスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。
そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら余りにも早足で歩くと、周囲の情景が視えなくなるので、時速4キロぐらいが多くなっている。
            

こうした中で、私は歩きながら、うつろう情景に心を寄せ、瞬時に魅了された情景にめぐり逢うと、
一期一会ですよねぇ・・と感じて、デジカメで記憶のかたみ、として撮ったりしている。

或いは過ぎ去った日々に愛惜を深めたり、本日もこうした風景にめぐり逢えたことに感謝をしたり、
これからの未知の明日から日々に期待を膨らませて、楽観プラス思考となっている。

このように過ごしてきた私は、今回の記事を読み、殆ど毎日一時間半ぐらい歩き廻っている私は、
ときおり足早に歩けば、これまで通り歩けば、認知症になる確率は少ないよなぁ・・、
と微笑んだりした。

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視力悪いと認知症になる?“眼”との正しい付き合い方を学び、私は微苦笑させられて・・。

2016-04-05 15:32:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、歯の治療を受ける為に駅前まで歩いて往還した後、
いつもように買物メール老ボーイの私は、家内から依頼された品を求めて、スーパーに行き、
やがて帰宅した。

昼食後、私が愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 視力悪いと認知症になる?“眼”との正しい付き合い方 】
と題された見出しを見たりした。

私は昨年の晩秋に白内障の手術を受けたが、何よりも認知症が怖くて自宅周辺3キロ範囲を散策しているので、
どのようなことなの、思いながら記事を精読した。

この記事の原文は、『週刊朝日』2016年4月8日号に掲載された記事のひとつであるが、
無断ながら転載させて頂く。
            

《・・「年だから見えなくても仕方ない」「眼を手術するのは怖い」など、白内障手術に踏み切るのはハードルが高い。
しかし、手術後の成績はよく、QOL(生活の質)とともに認知機能が改善されるのではと、研究が進んでいる。
現在発売中の週刊朝日MOOK「眼のいい病院」から高齢者に多い眼の病気の正しい治療法を解説する。

高齢者の視力低下は、学習や理解、記憶といった認知機能に影響を及ぼすことが、臨床研究によって明らかになってきた。
奈良県立医科大学の眼科学教室が12年から県内の高齢者約3千人を対象におこなっている大規模疫学調査「藤原京アイスタディ」もその一つだ。

この調査の目的は、自分で歩くことができる65歳以上の男女に健康診断を実施し、
さまざまな項目の検査結果から「元気な高齢者の秘訣」を探ること。

視力などの眼科健診と、「MMSE」という認知機能検査の結果を解析し、関連を調べた。
MMSEは、数値が小さくなるほど認知機能が低いと判定される。眼

科学教室教授の緒方奈保子医師はこう話す。
「視力のいい人のほうが、明らかに認知機能は高く保たれていました。
また検査を受けた人の中には、MMSEが認知症レベルまで下がっている人も約6%含まれていて、
視力の悪い人はいい人の約2倍、認知症の発症リスクが高いこともわかりました」
            

なぜ視力が悪くなると、認知機能も低下してしまうのだろうか。

緒方医師は言う。
「眼は重要な感覚器で、脳に送られる情報の80%以上は眼を通して入ってくるといわれています。
視力が低下して眼からの情報が減れば、脳に送られる情報も減少する。
見えにくい状態をそのままにしておけば、脳の働きはおのずと低下してしまいます」

加齢とともに老眼や眼の病気で、視力は低下していくが、白内障は「手術」で回復が期待できる。

筑波大学では、白内障手術を受けた55~93歳の88人(認知症ではない人)を対象に、
術前と手術2カ月後で「本人が感じる見えやすさ(アンケート方式)」や「認知機能(MMSE)」がどう変化したかを調べている。

その結果、術後はものが見えやすくなってQOL(生活の質)が向上しただけでなく、認知機能も明らかに改善した。
ただし、調査対象者には「すでに認知症を発症している人」は含まれていない。

前出の緒方医師はこう話す。
「われわれの調査でも、認知症の発症後に白内障手術をしても、認知機能は改善しないことがわかっています。
認知症は進行性の病気なので、なってしまえば認知機能を元に戻すことは期待できません。
発症前に手術し、視力の改善を図ることが大事です」
            

白内障による視力低下で生活に不便を感じていても、手術まで時間がかかったり、手術しないままだったりする人は、少なくない。

神奈川県在住の小澤和弘さん(65歳)は、見えづらいために、外出先で転ぶのを恐れて引きこもりがちになり、口数も減った。
「認知症ではないか」と心配した家族に連れられ、病院のもの忘れ外来へ。
検査をしたところ認知症ではなかったが、担当医があまり見えていないことに気づき、院内の眼科へ紹介してくれた。

「年なので見えにくいのは、仕方がないと考えていた。
自分から眼科を受診しようとは、思いませんでした」
と、小澤さんは話す。

白内障の手術を受けてよく見えるようになると、以前より活動的になり、ハイキングや登山にも出かけるようになった。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は昨年の6月の頃、数か月前の頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。

或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。

こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。

私は6年前に総合病院で健康診断を受診した後、
白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。

翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。

その上、私は酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、メガネを掛けて0.7の視力となっているが、
何かしら齢を重ねるたびに、視力の低下しているように感じてきた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であり、
何かとふたりで一人前の年金生活となっている。
            

家内は駅前にある眼科医院で治療を受けたが、一年前であり、
医師の言動に好感していたことを私は思い浮かべて、
近くにこの眼科医院で、私は視力の低下、白内障の疑いで、受診しょうと決意をしてきた。

しかしながら家内は、ここ2か月は飛び石のように、家内の母宅に泊まりがけで介護に行ったりしていた。
家内の母は、少し遠方の大学病院をふたつを掛けもちで、入院したり、通院したりしてきたので、
家内はおぼつかない家内の母に、付き添いながら過ごすことが多くなっていた時であった。

こうした時は、我が家は、私が『おひとりさま』となってきたが、
何かと慌ただしく、のんびりと眼科医院に行き、受診する心情にはなれなく過ごしてきた。

やがて8月下旬、私は眼科医院に行き、家内は私の身を案じて、家内がアドバイサーのように私に付いてきた。
眼科医院で私は受付で初診者アンケートに記した後、
まもなく私は視力検査に関して、あらゆる面から眼科検査機具を受診し、
やがて副医院長から、問診、検査、瞳孔検査をして頂いたりした。

そして検査後、ディスプレイに写った映像を見せながら、
解説して下さった後、白内障です、と明言された。

私はやはり白内障かと解り、白内障の手術について、質問したりした。

この後、家内の母の予定も配慮して、私は11月には白内障の手術を受けよう、
と私たち夫婦は話し合ったりした。
            

やがて11月17日に左眼の手術を受けて、そして24日は右眼の手術を受けたりして、
広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂ただいた・・。

この間、手術して下さる医院長から、点眼薬、洗面などの注意事項を私は忠実に行った結果、
左眼、右眼も1・0と診断された・・。

私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであった。
そして近眼のメガネが不要となり、たとえ多焦点眼内レンズの効力であっても、
これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりしている。

そして高校生以来からメガネを頼ってきた私は、55年ぶりに解放され、
情景が鮮明に視(み)え、戸惑いながら散策したり、買物に行ったりしている。

今回の記事を読み終わった後、視力が良ければ認知症になる確率は少なくなる、
と何かとプラス思考の私は解釈して微笑んだりしているが、果たして・・と微苦笑したりしている。

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絹糸のように降る菜種梅雨に、都心の郊外に住む老ボーイの私は、戸惑いながら微苦笑して・・。

2016-04-04 13:36:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
今朝、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行く日であったので、4時半過ぎに起床した。

やがて玄関の軒下に降り立つと、小雨が降っていた・・。

そして居間に戻ると、
『XXちゃんさぁ・・天気情報が予告したように、小雨が昼下がりまで降り続けるょ・・
雨の中、お義母(かあ)さんの処に行くのは、大変だねぇ・・』
と私は家内を慰めるように言ったりした。

この後、6時少し前、私は小雨降る中を門扉の近い道路に降り立って、家内を見送くったりした・・。
            

私の住む地域は、4月1日の金曜日を迎えると桜花は満開となり、曇り時々晴れ間となり、夜半に小雨が降ったりした。

そして2日の土曜日は、どんよりとして曇り空で、花曇りとなったが、夜半に小雨が降り出して、
昨日の3日の日曜日の午前中まで降ったりした後、花曇りとなったりした。

確かに春の暖かな陽気となってきたが、天上の気候の神々のきまぐれな采配に、
私は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしてきた・・。

何かしら気象の解説されている方から、
この時節は、陽射しが増す中、低気圧と移動性高気圧がたえず通過するので、
天気は変りやすく、晴れと花曇り日が交代したり、花曇りの後は細かく滴るような小雨が降ります、
と学んだりしてきた。
            

このように降る小雨は、菜の花が咲く昨今に応じて菜種梅雨と称してきたことは、
私は知っているけれど、桜花が咲く中は勘弁してほしい、と苦笑したりした。

しかしながら落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジなど雑木は、芽吹き、やがて幼い葉に成長したり、
草花も咲き、肝要な農作物も発育されるので、この時節は、小雨が必要だよねぇ、と苦笑したりした。

この後、私はぼんやりと、どうした心境か、
快晴が3日続いた後、曇り日、そして小雨の日、このように天気5日間サイクルであったら、
私としては理想だけどねぇ、と微笑んだりした。
            

最初の発案は、快晴が5日続いた後、曇り日、そして本降りの雨の日、このように天気週間サイクルを思い立ったが、
これだと働いて下さる諸兄諸姉の数多く人が、土、日曜日の休日には、お天気が悪過ぎて、
余りにも不公平だ、と思ったりした。

このようなせんなきことを私は思い馳せ、小庭に絹糸のように降る小雨を朝9時過ぎに眺めたりした。

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日本は多死社会となる中で、QODも肝要と学び、71歳の私は戸惑いながら、やがて微苦笑して・・。

2016-04-03 11:51:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、起床すると小雨が降り、働いて下さる諸兄諸姉の数多く人は、休日を迎えていると思われるが、
日本各地で、ご家族で安楽に桜花を鑑賞できれば・・と念願したりした。

やがて配達された読売新聞を読んだりしている中、14ページの【安心の設計】を読んだりしていた。
こうした中で、【 日本「多死社会」へ 】と見出しされて記事を読んだりした。

本田麻由美・記者が綴られた記事であり、無断ながら転記させて頂く。

《・・今後、日本は多死社会となる。
年間死者数は2015年に130万人を超え、39年に167万人でピークに。

これは、現在の福岡市や神戸市の人口(ともに約154万人)に匹敵する規模だ。
医療の進歩などで平均寿命が延び、20年後には人口の5人に1人が75歳以上になる中、
高齢の死者数が急増するのは必然だ。
            

「そうした時代に重要なのが、より良い逝き方を考えるQODという視点だ」と、
袖井孝子・お茶の水女子大名誉教授は言う。

1980年代から欧米で使われ始め、21世紀に入り研究が盛んに。
望んだ「死に場所」や治療法が得られ、苦痛が少なく、人生のふり返りや遺言・墓などの準備をし、
家族との時間があることが、QODを高めると指摘される。

医療チームとのコミュニケーションが十分あることが、家族の満足度にもつながるという。

だが、内閣府が12年に55歳以上に行った調査では、
「自宅で最期を迎えたい」と回答した人が54・6%だったのに対し、実際は8割近くが医療機関で死亡している。

国は今後、急増する死者数を病院で受け入れきれないこともあり、
在宅看取りを進めるが、高齢期の住まいや在宅医療、介護などの体制整備は手探りだ。

多死時代に向け、社会全体でQODを高める対応が求められる。・・》
            

この後、私は『QOD』の解説を読んだりした。

《・・QOD= Quality of Deathの略で、直訳は「死の質」。
生活や人生の質(QOL)を高めようと最期まで、より良く生きることを支えることが、死の質も高めるとの考え方。
欧米では、一時点の死(Death)ではなく、死にゆく過程や死後の遺族ケアも含む「Dying」を使うことも多い・・》

私は何かと横文字が苦手であったが、クオリティー・オブ・デスの時代の到来か・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。
            

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
          
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、漠然としながらも思案する時もある。
          
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。

或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。

痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
                         

このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。

過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったりしたのである。
                                 

或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。
            
          
こうした心情を重ねてきた私は、数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でもそう簡単なことではありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、やがて微苦笑したりした。
            

このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした「ピンピンコロリ」と突然にこの世とお別れになるか、
或いは入院もわずかで死去したい、と念願しているが、どのようになるか、今の所は漠然としている。 

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切実に豊かな人生を楽しむことが大事、と角川春樹さんより教示され、私は瞬時に魅了を深めて・・。

2016-04-02 17:27:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午後のひととき、机の引き出しを整理していたら、新聞の小さな切り抜きが出てきて、
やがて読んだりした。

私が手にした小さな切り抜きは、過ぎし2012年4月7日の読売新聞の夕刊の記事であり、
『ウイークエンド 文化』で、確か月に2回ほど連載されている【魂の一行詩】であった。

この定期記事は、俳句を詠まれ、投句された方たちの選定、講評を俳人でもある角川春樹(かどかわ・はるき)氏が担当され、
私は無念ながら俳句、短歌を詠む素養はないが、ときより読むのが好きなひとりでもある。

そして何より魅了されてきたのは、角川春樹さんの序文である。
            

今回の記事は、二句詠まれた後、いつものように格調高い文章を綴られている。
私は精読した後、しばらく溜息を重ねたりした。

今回に二句詠まれたのは、映画監督の森田芳さん、歌い手のホイットニー・ヒューストンさんに対し、
氏の哀悼を詠(うた)った作品、と氏は明記している。

この後の綴られた文に、私は溜息を重ねたのである。

無断ながら転記させて頂く。

《・・俳句は、上手(うま)いに越したことはないが、上手いだけの句など、なにほどでもない。
技術に限界はあるが、生き方に限界はない。

究極のとろこ、人間は人生の途上で死を迎える。
俳句も、人格も、生き方も完結がない。
完結がないならば、より一層、切実に豊かな人生を楽しむことが大事である。
西行も芭蕉も、詩人である前に、人生の達人であった。・・》
注)原文より、あえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある独りで遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋などで逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、小説、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            

私は定年後に年金生活をしたのは、
それまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしたのである。

もとより多くの人は、食事をしたり、寝て安らぎを得たり、性愛をしたりしているが、
こればかりだと動物と一向に変わらないのである。

そして人は誰しも知識欲があり、これを失くしたら、この人生は終わりだ、と私は確信したりしている。

或いは好奇心を失くしたら、この人生は単なる生き長がられているだけで、
もとより生の充実感がない、と思ったりしている。

このような齢ばかり重ねても可愛げのない私は、角川春樹さんより、
《・・切実に豊かな人生を楽しむことが大事・・》と銘言を学び、
つたない私は考えめぐらして、早や4年が過ぎ、微苦笑したりしている。

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富裕層に無縁な私が、あふれた思いでブログに少し綴り、やがて無知だったことに赤面をして・・。

2016-04-02 09:02:44 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、まもなくブログの世界を知った。
                 
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                                   

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。   
            

昨日、私は『 年金生活の無力な私、総中流社会の復興を夢想して、やがて乾坤一擲の策を思案して・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/c838b67481e3478c5f112df642009944
と題して、投稿文を送信した・・。

この中で、富裕層に無縁な私は、富裕層のことをあふれた思いで少し綴ったりした・・。


やがて深夜、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見たりしていると、
【 日本の「富裕層」選定基準は何か 】と見出しされた記事を、
無縁な私はこっそりと読んだりしてしまった・・。

《・・最近、マスコミなどで「富裕層」という言葉がよく使われるが、
はたして、どのくらいの資産を持つ人が「富裕層」に当たるのだろうか。

野村総合研究所は2014年11月、純金融資産保有額を基に保有世帯数の推計調査を実施した際、
純金融資産保有額が1億円以上5億円未満を「富裕層」、同5億円以上を「超富裕層」として、
これらを合わせた2013年時点の世帯数は100万7000世帯と発表した(野村総合研究所のリリース)・・》
          

或いは、《・・「国税庁による大口資産家の10の選定基準」として、
1. 有価証券の年間配当4000万円以上
2. 所有株式800万株(口)以上
3. 貸金の貸付元本1億円以上
4. 貸家などの不動産所得1億円以上
5. 所得合計額が1億円以上
6. 譲渡所得及び山林所得の収入金額10億円以上
7. 取得資産4億円以上
8. 相続などの取得財産5億円以上
9. 非上場株式の譲渡収入10億円以上、または上場株式の譲渡取得1億円以上かつ45歳以上の者
10.継続的または大口の海外取引がある者、または1~9の該当者で海外取引がある者

日本経済新聞 2015年9月3日付『真相深層』―国税照準「富裕層2万人」―より

以上からすると、国税庁は「大口資産家(=富裕層)」の基準をかなり細かく設定している・・》
            

このようなことを初めて学び、余りにも富裕層ことを無知だったことを知り、赤面してしまった。

ネットの世界は、一度発信したら、たとえ後にキャンセルしても、
この間は銀河の果てまで彷徨(さまよ)い続け残留するので、
たとえ無知だった昨日の投稿文に関しても、覆水盆に返らず、だよなぁ・・と私は項垂(うなだ)れたりしている。

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