私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
結婚前後の5年を除き、66年近くこの地に住んでいる。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私は71歳、家内は66歳となり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
昼食後、私は門扉の近くにある郵便受入箱をのぞいたら、
月二回に発刊されている市報『ちょうふ』の平成28(2016)年4月20日が、入っていた・・。
私は一面を見たら、【調布市 防災教育の日】と大きな字で表示されて、
副題として、【~首都直下地震の日、あなたは何ができますか~】と明記されていた。
そして私はボケてはいけないと、と真摯に読んだりした・・。
《・・首都直下地震は30年以内に7割の確率で発生すると予想されています。
教育委員会では、東日本大震災を教訓に、毎年4月の第4土曜日を調布市防災教育の日とし、
児童・生徒だけでなく、保護者や地域の皆さんも参加できる防災公開講座や避難所開設・運営訓練などを実施しています。
市立小・中学校は災害時に避難所となりますので、日頃の防災意識や備えの大切さを再確認する機会として、
ぜひ気軽に参加してください。・・》
この下段には『取り組みのポイント』が掲載されていた。
●「命」の授業
東日本大震災の被災地から講師を招くなど、防災に関する理解を深め、命の尊さ・大切さを学ぶことで、
災害時に必要な判断力や基本的な行動様式を身に付けます。
●防災用ヘルメットを活用した訓練
一昨年、市立全中学校に導入した防災用ヘルメットを当日の訓練で活用し、
自助・共助意識を高めるとともに、将来の地域防災の担い手としての意識の向上を図ります。
●学校安全・安心メールの活用
災害時に児童・生徒の安否確認や保護者への引き渡しを円滑に行うことができるよう、訓練で活用する予定です。
そして来たる4月23日(土曜日)に於いて、市立小・中学校全校一斉に実施する、と私は学んだりした。
私は防災については、やはり避難訓練は私も小学校、中学校に通っていた時代に、幾たびか実施されてきた。
そして今後、万一『首都直下地震』が不意に襲来した時、
数多くの市民が災害から免れる確率が高く、もとより大切な命が救われる確率が高く、
私は防災訓練は大いに賛意している。
私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由より年金生活してきたが、現役時代の緊張感を失くし、
やがて高齢者になった65歳頃からは体力の衰えを実感して、何かと気弱になっている。
こうした中で何よりも怖いのは、自身が認知症になることであるが、
対策のひとつとして、殆ど毎日ひたすら歩いて、何とか遭遇せずに晩年を過ごしたいと念願している。
そして次に恐れているのは、首都直下地震である。
過ぎし2013年(平成25年)12月20日の少し前に、
《 首都直下地震 「死者2万3000人」最悪想定 経済被害は約95兆円 》
と中央防災会議より公表されたりした。
このように首都直下地震が発生した場合、首都圏の甚大な大災害を読み、
東京の調布市に住み私は、どうしたらよいのか、無力の私は動揺したりした。
そして購読している読売新聞の記事の中に於いて、
《 生き延びる備え 家庭備蓄 一週間分 一人分 21食と水21リットル 》
と見出しされ、私は驚きながら、記事を精読してしまった・・。
この記事の詳細に於いて、《・・「最低でも3日分、可能な限り1週間分」の備蓄を求めている。
飲料水は1人1日あたり3リットル必要で、1週間分は21リットルになる。
家族全員の備蓄となると、飲料水だけでかなりの量となる・・》と学んだりした。
そして私は1週間分の水21リットルだと、2リットルのペットボトルで10本強で、
我が家は二人なので、少なくとも21本になるのか、と驚きながら戸惑ったりした。
我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていたお住まいになっている住民の方たちの周辺へに一時避難、
その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより、心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
大きく揺れ、このようなことはこの世にあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTT中央研修センタがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりしてきたが、今回は一週間分の水と食べ物が必要、と知り戸惑ったのであった。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が25年前に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話もなく(後年、昨年の春に家内専用の携帯電話を買い求めた)、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を購入した程度が、我が家のこの当時の現状であった。
このように過ごしてきた間に、2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が、今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたその内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生した場合は、生きる意志の強い人は救助される確率は高い、と名言があるので、
私たち夫婦は動揺しながらも、市の職員の防災メンバー、警察、消防、やがて自衛隊の指示を守り、
私たちなりに懸命に努力はするが、その時は状況に応じて行動すればよい、と思ったりしている。
今回の【調布市 防災教育の日】に関する記事を読み終わった後、
漠然としながらも、このようなことを思い馳せたり思い馳せたりした。
余談であるが、私たち夫婦はここ一年、避難バックを夫婦別々にしている。
何かと混乱する中、避難する時、お互いにはぐれても安全策としている。
ここ三か月前は、防寒できる簡易なテントなどを含めて、私たち夫婦は検討しているのが、
実態となっている。
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多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
結婚前後の5年を除き、66年近くこの地に住んでいる。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私は71歳、家内は66歳となり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
昼食後、私は門扉の近くにある郵便受入箱をのぞいたら、
月二回に発刊されている市報『ちょうふ』の平成28(2016)年4月20日が、入っていた・・。
私は一面を見たら、【調布市 防災教育の日】と大きな字で表示されて、
副題として、【~首都直下地震の日、あなたは何ができますか~】と明記されていた。
そして私はボケてはいけないと、と真摯に読んだりした・・。
《・・首都直下地震は30年以内に7割の確率で発生すると予想されています。
教育委員会では、東日本大震災を教訓に、毎年4月の第4土曜日を調布市防災教育の日とし、
児童・生徒だけでなく、保護者や地域の皆さんも参加できる防災公開講座や避難所開設・運営訓練などを実施しています。
市立小・中学校は災害時に避難所となりますので、日頃の防災意識や備えの大切さを再確認する機会として、
ぜひ気軽に参加してください。・・》
この下段には『取り組みのポイント』が掲載されていた。
●「命」の授業
東日本大震災の被災地から講師を招くなど、防災に関する理解を深め、命の尊さ・大切さを学ぶことで、
災害時に必要な判断力や基本的な行動様式を身に付けます。
●防災用ヘルメットを活用した訓練
一昨年、市立全中学校に導入した防災用ヘルメットを当日の訓練で活用し、
自助・共助意識を高めるとともに、将来の地域防災の担い手としての意識の向上を図ります。
●学校安全・安心メールの活用
災害時に児童・生徒の安否確認や保護者への引き渡しを円滑に行うことができるよう、訓練で活用する予定です。
そして来たる4月23日(土曜日)に於いて、市立小・中学校全校一斉に実施する、と私は学んだりした。
私は防災については、やはり避難訓練は私も小学校、中学校に通っていた時代に、幾たびか実施されてきた。
そして今後、万一『首都直下地震』が不意に襲来した時、
数多くの市民が災害から免れる確率が高く、もとより大切な命が救われる確率が高く、
私は防災訓練は大いに賛意している。
私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由より年金生活してきたが、現役時代の緊張感を失くし、
やがて高齢者になった65歳頃からは体力の衰えを実感して、何かと気弱になっている。
こうした中で何よりも怖いのは、自身が認知症になることであるが、
対策のひとつとして、殆ど毎日ひたすら歩いて、何とか遭遇せずに晩年を過ごしたいと念願している。
そして次に恐れているのは、首都直下地震である。
過ぎし2013年(平成25年)12月20日の少し前に、
《 首都直下地震 「死者2万3000人」最悪想定 経済被害は約95兆円 》
と中央防災会議より公表されたりした。
このように首都直下地震が発生した場合、首都圏の甚大な大災害を読み、
東京の調布市に住み私は、どうしたらよいのか、無力の私は動揺したりした。
そして購読している読売新聞の記事の中に於いて、
《 生き延びる備え 家庭備蓄 一週間分 一人分 21食と水21リットル 》
と見出しされ、私は驚きながら、記事を精読してしまった・・。
この記事の詳細に於いて、《・・「最低でも3日分、可能な限り1週間分」の備蓄を求めている。
飲料水は1人1日あたり3リットル必要で、1週間分は21リットルになる。
家族全員の備蓄となると、飲料水だけでかなりの量となる・・》と学んだりした。
そして私は1週間分の水21リットルだと、2リットルのペットボトルで10本強で、
我が家は二人なので、少なくとも21本になるのか、と驚きながら戸惑ったりした。
我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていたお住まいになっている住民の方たちの周辺へに一時避難、
その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより、心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
大きく揺れ、このようなことはこの世にあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTT中央研修センタがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりしてきたが、今回は一週間分の水と食べ物が必要、と知り戸惑ったのであった。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が25年前に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話もなく(後年、昨年の春に家内専用の携帯電話を買い求めた)、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を購入した程度が、我が家のこの当時の現状であった。
このように過ごしてきた間に、2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が、今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたその内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生した場合は、生きる意志の強い人は救助される確率は高い、と名言があるので、
私たち夫婦は動揺しながらも、市の職員の防災メンバー、警察、消防、やがて自衛隊の指示を守り、
私たちなりに懸命に努力はするが、その時は状況に応じて行動すればよい、と思ったりしている。
今回の【調布市 防災教育の日】に関する記事を読み終わった後、
漠然としながらも、このようなことを思い馳せたり思い馳せたりした。
余談であるが、私たち夫婦はここ一年、避難バックを夫婦別々にしている。
何かと混乱する中、避難する時、お互いにはぐれても安全策としている。
ここ三か月前は、防寒できる簡易なテントなどを含めて、私たち夫婦は検討しているのが、
実態となっている。
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