夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

切実に豊かな人生を楽しむことが大事、と角川春樹さんより教示され、私は瞬時に魅了を深めて・・。

2016-04-02 17:27:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午後のひととき、机の引き出しを整理していたら、新聞の小さな切り抜きが出てきて、
やがて読んだりした。

私が手にした小さな切り抜きは、過ぎし2012年4月7日の読売新聞の夕刊の記事であり、
『ウイークエンド 文化』で、確か月に2回ほど連載されている【魂の一行詩】であった。

この定期記事は、俳句を詠まれ、投句された方たちの選定、講評を俳人でもある角川春樹(かどかわ・はるき)氏が担当され、
私は無念ながら俳句、短歌を詠む素養はないが、ときより読むのが好きなひとりでもある。

そして何より魅了されてきたのは、角川春樹さんの序文である。
            

今回の記事は、二句詠まれた後、いつものように格調高い文章を綴られている。
私は精読した後、しばらく溜息を重ねたりした。

今回に二句詠まれたのは、映画監督の森田芳さん、歌い手のホイットニー・ヒューストンさんに対し、
氏の哀悼を詠(うた)った作品、と氏は明記している。

この後の綴られた文に、私は溜息を重ねたのである。

無断ながら転記させて頂く。

《・・俳句は、上手(うま)いに越したことはないが、上手いだけの句など、なにほどでもない。
技術に限界はあるが、生き方に限界はない。

究極のとろこ、人間は人生の途上で死を迎える。
俳句も、人格も、生き方も完結がない。
完結がないならば、より一層、切実に豊かな人生を楽しむことが大事である。
西行も芭蕉も、詩人である前に、人生の達人であった。・・》
注)原文より、あえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある独りで遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋などで逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、小説、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            

私は定年後に年金生活をしたのは、
それまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしたのである。

もとより多くの人は、食事をしたり、寝て安らぎを得たり、性愛をしたりしているが、
こればかりだと動物と一向に変わらないのである。

そして人は誰しも知識欲があり、これを失くしたら、この人生は終わりだ、と私は確信したりしている。

或いは好奇心を失くしたら、この人生は単なる生き長がられているだけで、
もとより生の充実感がない、と思ったりしている。

このような齢ばかり重ねても可愛げのない私は、角川春樹さんより、
《・・切実に豊かな人生を楽しむことが大事・・》と銘言を学び、
つたない私は考えめぐらして、早や4年が過ぎ、微苦笑したりしている。

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富裕層に無縁な私が、あふれた思いでブログに少し綴り、やがて無知だったことに赤面をして・・。

2016-04-02 09:02:44 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、まもなくブログの世界を知った。
                 
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                                   

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。   
            

昨日、私は『 年金生活の無力な私、総中流社会の復興を夢想して、やがて乾坤一擲の策を思案して・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/c838b67481e3478c5f112df642009944
と題して、投稿文を送信した・・。

この中で、富裕層に無縁な私は、富裕層のことをあふれた思いで少し綴ったりした・・。


やがて深夜、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見たりしていると、
【 日本の「富裕層」選定基準は何か 】と見出しされた記事を、
無縁な私はこっそりと読んだりしてしまった・・。

《・・最近、マスコミなどで「富裕層」という言葉がよく使われるが、
はたして、どのくらいの資産を持つ人が「富裕層」に当たるのだろうか。

野村総合研究所は2014年11月、純金融資産保有額を基に保有世帯数の推計調査を実施した際、
純金融資産保有額が1億円以上5億円未満を「富裕層」、同5億円以上を「超富裕層」として、
これらを合わせた2013年時点の世帯数は100万7000世帯と発表した(野村総合研究所のリリース)・・》
          

或いは、《・・「国税庁による大口資産家の10の選定基準」として、
1. 有価証券の年間配当4000万円以上
2. 所有株式800万株(口)以上
3. 貸金の貸付元本1億円以上
4. 貸家などの不動産所得1億円以上
5. 所得合計額が1億円以上
6. 譲渡所得及び山林所得の収入金額10億円以上
7. 取得資産4億円以上
8. 相続などの取得財産5億円以上
9. 非上場株式の譲渡収入10億円以上、または上場株式の譲渡取得1億円以上かつ45歳以上の者
10.継続的または大口の海外取引がある者、または1~9の該当者で海外取引がある者

日本経済新聞 2015年9月3日付『真相深層』―国税照準「富裕層2万人」―より

以上からすると、国税庁は「大口資産家(=富裕層)」の基準をかなり細かく設定している・・》
            

このようなことを初めて学び、余りにも富裕層ことを無知だったことを知り、赤面してしまった。

ネットの世界は、一度発信したら、たとえ後にキャンセルしても、
この間は銀河の果てまで彷徨(さまよ)い続け残留するので、
たとえ無知だった昨日の投稿文に関しても、覆水盆に返らず、だよなぁ・・と私は項垂(うなだ)れたりしている。

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