私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、最後の5年半はリストラ烈風となる中、
出向となったりした。
こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をすれば、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。
そして定年退職後は年金生活を始めて、丸11年が過ぎ、早や12年となっている。
世の中は少子高齢化の時代となり、社会保障費の年金、医療、介護などが膨張のする中、
私たち夫婦が頂いている厚生年金も年々削減されてきた・・。
我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
もとより年金は削減されてきたので、貯金は減ることがあっても、増えることがない実態となっている。
こうした中で、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりする時もある。
こうした中で、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。
そして私は小心者の為か、株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクは、
金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、悪化しマイナスになった場合は、
残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。
こうした根底には、残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思い、
貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
我が家は国債を二千万円足らずを購入していたが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。
しかしながら、確か年金生活を始めた翌年の2005年(平成17年)頃に、
外資のシティバンクが新聞に《・・金融資産1億円の方に・・》と掲載していた。
私はこっそりと読んだりしたが、金融資産と住宅の敷地の固定資産評価額を加算したら1億円は超えるが、
とても金融資産1億円は・・と項垂(うなだ)れたりした。
私は家内の指示により、年に数回ぐらい家内と共に、デパートで私の衣服を買い求めたりしている。
そして程ほどの衣服を購入して、最初は旅行、都心で懇親会など外出として、
やがて平素の買物、散策で愛用し、最後には庭の手入れの時に着ているが、
大半は10幾年長らく愛用しているのが実態となっている。
こうした中で、我が家は乗用車、スマホも所有できず、家内だけが遅ればせながら携帯電話を1年前に覚え、
時代遅れの国民となっている。
まして海外旅行は、英語を思いだすように単語を並べる程度しか言えない私は、遠い異国の世界である。
更に世界の有数なクルーズ航路、別荘、ヨットなどは、遥かに遠い彼方のことであり、
せめてと思いながら国内旅行をして、各地の四季折々の旅路を幾たびか遊学している。
平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
帰宅後も、再び独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。
こうしたことは年金生活が丸11年過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。
こうした根底のひとつには、認知症だけは勘弁してょ、と念願して歩いたりしている。
そして私は70代の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら日々散策している。
昨今、中高年の現役サラリーマン向けの雑誌などで、退職後の不安な要素として、
三つの不安として、お金・健康・孤独、と警句されている・・。
もとより『お金』は有るに越したことはないけれど、不幸にして『健康』から遠ざかり、
大病に遭遇して、やがて逝去された友人、同世代の知人を、
私は50代の後半から幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
或いは『孤独』は、私は独り楽しむ読書、映画、音楽、或いは散策をし、
亡き母から遺伝で、男の癖におしゃべりで、家内はもとより、ご近所の奥様、ご主人と談笑したり、
見知らぬ方でも積極的に談笑してきたので、孤独の不安は私に取っては死語かしら、と微苦笑している。
このような私は、セカンドライフと称せられる老後の生活は、
何よりも『生きがい』が最優先で、次に『健康』、そして程ほど『お金』と、
何かとプラス思考の私は、思い深めている・・。
しかしながら、この世は予期せぬ出来事がある。
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。
そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。
そして昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているが、現状となっている。
こうした関係で、我が家は私が『おひとりさま』の生活が多くなり、
万一、家内に先だたれて私は独りぼっちの『おひとりさま』になったことを想定して、
特別演習だ、と思いながら過ごしている。
そして私たち共通趣味の国内旅行も激少して戸惑い、
人生長がらえば色々なことがあるよなぁ・・と私は微苦笑したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、最後の5年半はリストラ烈風となる中、
出向となったりした。
こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をすれば、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。
そして定年退職後は年金生活を始めて、丸11年が過ぎ、早や12年となっている。
世の中は少子高齢化の時代となり、社会保障費の年金、医療、介護などが膨張のする中、
私たち夫婦が頂いている厚生年金も年々削減されてきた・・。
我が家の年金生活の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
もとより年金は削減されてきたので、貯金は減ることがあっても、増えることがない実態となっている。
こうした中で、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりする時もある。
こうした中で、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。
そして私は小心者の為か、株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクは、
金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、悪化しマイナスになった場合は、
残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。
こうした根底には、残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思い、
貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
我が家は国債を二千万円足らずを購入していたが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。
しかしながら、確か年金生活を始めた翌年の2005年(平成17年)頃に、
外資のシティバンクが新聞に《・・金融資産1億円の方に・・》と掲載していた。
私はこっそりと読んだりしたが、金融資産と住宅の敷地の固定資産評価額を加算したら1億円は超えるが、
とても金融資産1億円は・・と項垂(うなだ)れたりした。
私は家内の指示により、年に数回ぐらい家内と共に、デパートで私の衣服を買い求めたりしている。
そして程ほどの衣服を購入して、最初は旅行、都心で懇親会など外出として、
やがて平素の買物、散策で愛用し、最後には庭の手入れの時に着ているが、
大半は10幾年長らく愛用しているのが実態となっている。
こうした中で、我が家は乗用車、スマホも所有できず、家内だけが遅ればせながら携帯電話を1年前に覚え、
時代遅れの国民となっている。
まして海外旅行は、英語を思いだすように単語を並べる程度しか言えない私は、遠い異国の世界である。
更に世界の有数なクルーズ航路、別荘、ヨットなどは、遥かに遠い彼方のことであり、
せめてと思いながら国内旅行をして、各地の四季折々の旅路を幾たびか遊学している。
平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
帰宅後も、再び独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。
こうしたことは年金生活が丸11年過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。
こうした根底のひとつには、認知症だけは勘弁してょ、と念願して歩いたりしている。
そして私は70代の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら日々散策している。
昨今、中高年の現役サラリーマン向けの雑誌などで、退職後の不安な要素として、
三つの不安として、お金・健康・孤独、と警句されている・・。
もとより『お金』は有るに越したことはないけれど、不幸にして『健康』から遠ざかり、
大病に遭遇して、やがて逝去された友人、同世代の知人を、
私は50代の後半から幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
或いは『孤独』は、私は独り楽しむ読書、映画、音楽、或いは散策をし、
亡き母から遺伝で、男の癖におしゃべりで、家内はもとより、ご近所の奥様、ご主人と談笑したり、
見知らぬ方でも積極的に談笑してきたので、孤独の不安は私に取っては死語かしら、と微苦笑している。
このような私は、セカンドライフと称せられる老後の生活は、
何よりも『生きがい』が最優先で、次に『健康』、そして程ほど『お金』と、
何かとプラス思考の私は、思い深めている・・。
しかしながら、この世は予期せぬ出来事がある。
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。
そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。
そして昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているが、現状となっている。
こうした関係で、我が家は私が『おひとりさま』の生活が多くなり、
万一、家内に先だたれて私は独りぼっちの『おひとりさま』になったことを想定して、
特別演習だ、と思いながら過ごしている。
そして私たち共通趣味の国内旅行も激少して戸惑い、
人生長がらえば色々なことがあるよなぁ・・と私は微苦笑したりしている。
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