峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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胎動

2009年08月26日 | 暮らし
近年、日本の子供たちの学力低下が喧伝【けんでん】される中、文科省は一昨年から、実に43年ぶりに全国学力テストを復活させた。
復活したということは、かつては全国的な学力テストが行われていたということだ。しかし、それは学校や地域間の競争が過熱したことにより間もなく中止された。
今回もその愚を繰り返しつつある。

総選挙を前に、民主党は政権を獲得した場合、全国一斉方式で毎年実施されている学力テストを大幅に縮小する方向で見直す方針を固めたと報道にあった。
驚くことに、これにより、学力テストに関する文科省の2009年度事業費49億円のうち40億円が削減できるという。

学校・地域間の競争が過熱することでそのあおりを食うのは他でもない子供たちだ。ますます勉強嫌いの子供たちが増えるのは火を見るより明らかだった。

全国一斉の学力テストを行う意義として、児童・生徒の学力の状況が客観的に把握できる。児童・生徒の学力と学習・生活環境の関連が分析できる。 成績が上位の自治体・学校の教育方法を他の自治体・学校が参考にしやすくなる。 児童・生徒にとっても学習内容の振り返りができる。 学校評価の判断基準のひとつになる。 学校選択制が広まっており、保護者・児童が学校を選択する判断基準のひとつになる。 子どもたちに教える学習内容の傾向が把握できる。などがあげられているが、他に、いくらでもやり方はある。40億円もの税金を投入しなければならない必然はどこにもない。

このこと一つとっても、文科省が子供のために存在しているのではないことがよく分かる。文科省は、文科省のために存在しているに過ぎないのだ。
既得権益に群がる官僚と政治家、彼らにとってのみ都合のいいシステムを保持するための官僚統治と中央集権の古い枠組みを突き崩すことでしか、この閉塞感を晴らすことはできない。

若者と、無党派層と呼ばれる人たちと、既得権を有しない人たちの多数が投票行動に出ることから穏やかな革命の序章となる。
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