峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

心の思うがままに

2011年04月05日 | 父親と子

先月の21日、A大学の後期入試の合格発表があり、くるみさんは理学部生命化学科に合格した。
彼女が願書を提出した後も、後期の受験先を知らなかったのだが、2,3日前、なぜA大学だったのかと尋ねたところ、「理学部」で「生命化学科」のあるところで「A判定」で「個別試験のないところ」という条件にかなうのが同大学だったということだった。

前期、くるみさんが受験したB大学医学科の昨年度の合格者に占める既卒者の割合は8割を超えている。そんなことから、来年再チャレンジするのではとみる向きもあったようだし今もあるが、くるみさんに医学科進学への執着は見られない。
同じように大学に対するこだわりもまったく感じられない。たまたま担任のパソコンの画面に「A大学理学部生命化学科」の文字を見つけたことから同大学への進学が決まった。

長女・次女同様、くるみさんとも特に高校生の頃からいろいろなことを話し合ってきた。進路に関しては、いつもその時々で心の思うままに進んだらいいと言ってきた。
人は同時に2つの道は歩めない。岐路に立てば、右か左かいずれかの道を選ばねばならない。先のことは誰も分からない。ならば、その時その時の心の思うがままに進んだらいい。そう言ってきた。

くるみさんは高校入学当初、薬学か理学における研究者の道を考えていた。しかし、周囲の進めもあり、人と係わりあうほうが自分に向いているのではと思うに至り臨床家、中でも地域医療に携わる道を目指した。彼女が高校3年生になってから、寮の彼女の部屋を訪ねたことがあったが、部屋の壁には「医者になる」と大きく書かれた書が貼ってあった。

それほどの思いでくるみさんは、おおよそこの2年間を過ごしてきた。だから、まったく臨床家に対するこだわりが消えたというわけではないだろう。しかし、「今」の彼女の心は研究者への道を選んだ。
その道を進む途中でもし、彼女の目の前に岐路が現れ、その時、臨床家への思いが膨らめば、そこからその道を歩めばいい。今は、そう話している。くるみさんも、もし、進路変更することがあるとすれば、それはどうしても医者になりたいという思いを抑えきれなくなったときだろうと話している。

前期の発表が済んだ後も、くるみさんの様子にほとんど変化はなかった。「お姉ちゃん(くるみさんと有紀さんは、長女の絵理子さんをこう呼ぶ。ちなみに次女の有紀さんをくるみさんは有紀姉ちゃんと呼ぶ)」一家の所へ泊まりに行ったり、中学生時代の友だちと遊んだり、高校時代の友だちに会うために大村まで出かけたりしていた。また、後期はセンター試験の得点だけで合否が決まるので受験勉強をする必要はなかったが、それとは異なる英語・化学・生物・数学等の勉強も続けていた。

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