峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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学校はどこへ

2008年02月15日 | 学校教育
水曜日に行われた佐々町の学校関係者と民生委員・児童委員との懇談会、先ず冒頭に各学校長からそれぞれの学校の最近の様子が述べられた。
中学校の教頭の話では、現在、佐々中学校には相当数の不登校の生徒がいるという。教頭は、その原因を「半分が怠学【たいがく】」つまり、なまけている子供たちで「半分は義務教育違反」つまり、親が学校に行かせないのだと、不登校の生徒についての中学校の認識を明示された。教育委員会の次長も同席されていたが、それについて異論をはさまれることもなかったから同様の認識なのだろう。

一方、きょうの地元紙の「うず潮」という欄に佐世保市青少年教育センター相談員で学校心理士の齊藤征志さんという方が「不登校児童生徒への理解」という文章を寄せておられる。
齊籐さんによると、全国で12万人を超える不登校児童生徒の中で中学生がその8割を占めるという。その要因はさまざまだが、中学校での授業形態や対人関係などに起因するものが大きいそうだ。
不登校になったきっかけについての文部科学省の調査では、小学校は分離不安(親から離れる不安)や緊張、無気力など「本人の問題に起因」することが最も多いのに対し、中学校では「学校生活に起因」することが最も多く、次に「本人の問題」「家庭生活」の順だという。
学校生活に起因するものの中には、いじめなどの友人関係をめぐる問題や教師との関係、学業不振、部活動や入学・転学の不適応などがあるとしている。

齊籐さんは不登校状態が続いた場合には、次のような考えを持ち、状況に適した対応を心がけてほしいと訴えている。
1, 単に学校に登校するという結果のみではなく、将来の社会的自立に向けた支援の視点を持つ。
2, 本人の自立する力を信じて待つだけでなく、学校や家庭・地域においても自立しやすい環境づくりに取り組む。
3, 不登校は決して「心の問題」ではなく「心と教育の問題」である場合が多いといわれている。教職員は本人のみならず、保護者の心情も受容しながら、組織体としての支援活動を行う。
4, 学校復帰を果たす最善のカウンセラーは保護者と教職員でもある。他の児童生徒の温かい関わりと合わせた支援が必要だ。
そして最後に、人はだれでも「承認欲求」「所属欲求」「安心欲求」等を持っています。不登校児童生徒の損なわれた感情や欲求を癒【いや】すことから始めましょうと結んでいる。

先にあげた佐々中学校の不登校児に対する認識は、文科省の調査や齊籐さんの認識、思いとはずいぶん異なる。
ただ、中学校や教育委員会の認識が世間の認識からずれているのかというとそうではない。ほとんどの民生委員・児童委員までもが学校側と同じなのだ。それが、しんどい。

佐々町民生委員・児童委員協議会では昨年から、町内の小中学校にお願いして、授業参観の日に授業を見学させていただき、その後、学校長との情報交換会のようなものを行っている。その席では不登校の生徒の話が中心だが、常に「親が、悪い・どうしようもない・困ったもんだ」に終始する。これを突き崩すのが容易でないことを、これまで嫌というほど思い知らされてきた。

東京世田谷の和田中学校で、なんと学習塾の授業が始まったという。校長が保護者らと結託し、学習塾にお願いした。私立に負けないためにと校長は熱く語っていた。
彼は民間の会社の出身だ。普通の校長が保身を考えるのとは逆に、自身のキャリアアップを考えるのは当然だろう。ひたすら企業論理の運営に走り、それを保護者も支援する。

学校が本来の機能を果たせずにいる中、学校が学習塾に乗っ取られる時代が始まっている。
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