長崎新聞社の中高校生のための「ジュニア歌壇」は、第2週と4週の月曜日が掲載日です。
27日、第4週の月曜日に掲載された有紀さんの一首です。
夜になり輝く月のとなりには六万年に一度の光
佳作四席に入り、「峰野作品、火星の接近を素直に描いた。」と、初めて選者の評をいただきました。
しかし有紀さんは、佳作に入ったことや選者の評に全く関心を示しません。
有紀さんが中学生になるのを待ち望み(私がですが)「ジュニア歌壇」への投稿が始まりました。以来、月2回の投稿を重ねています。
他の塾生同様、月2回の塾での提出の締切日を案内します。具体的には、提出日を明記して貼り出しています。さらに3日前から締め切りの日まで「短歌の締め切りは~日です」と声をかけています。
塾生の提出率は概して芳(かんば)しくありませんが、無理強いしても逆効果を招くだけだと考えていますのでそこまでです。
昨夜、佐世保商高に通う萌香さんが短歌を提出しに寄ってくれました。たったこのことのために夜遅く、隣町からやって来ます。
では、そうまでして短歌を提出する萌香さんや有紀さんらの思いはどこにあるのでしょう。
現時点で、短歌を詠むことの楽しみ・喜びを彼女らが十分に感じているのかといえば、そうでもないように思われます。
もちろん国語力を伸ばすため、或いは試験対策にということでもありません。
ただ、短歌を詠むという創作行為を意識できていることは間違いなく、私からの働き掛けがあるとはいえ、それが続いているということは、そうさせるだけの何らかのポジティブな気持ちの動きが彼女らの中にあるのでしょう。それは、それだけで今の彼女らにとって十分意義のあることだと考えています。
もしかすると、私の想像をはるかに超えたところで、彼女らの豊かな感性が刺激を受けているのかもしれません。
しかし、それはそれ、教育とは子供そのものが目的であり、子供が何かに向かう時には、そのことそのものが目的でなければならないと考えます。
2003年10月31日(金)記
______________________
テストのために、或いは「いい学校」に入るために「勉強」するのではなく、「勉強」そのものを目的にすることができれば、「勉強」は、もっと楽しいものになるに違いない。