王位戦第4局の前夜祭が佐世保市の「万松楼」で昨夜夕方6時から行われ、私も出席した。
佐世保市で当時の羽生竜王に阿部八段が挑戦した竜王戦、当時の深浦朝日オープン戦主権者に羽生さんが挑戦した朝日オープン選手権の前夜祭にも出席したが、いずれも「万松楼」だった。
実は、女房どのと私が結婚式・披露宴を行ったのが「万松楼」、やはりご縁を思う。
将棋ファンならば、深浦王位が佐世保出身であるのはご存知だろう。しかし、羽生名人も佐世保に縁【ゆかり】があるのをご存知の方は少ないだろう。羽生さんのお父様が小学1,2年生の頃まで佐世保で過ごされたそうだ。3度の前夜祭、お偉い方の挨拶には決まってこのくだりが出てきた。
肝心のお2人のご挨拶だが、前回の朝日オープンの時と同様にユーモアを交え飄々【ひょうひょう】とした語り口の羽生さんに対し、朝日オープンの時は気合に満ち満ちた様子だった深浦さんが今回は余裕を感じるほどの語り口であり、表情だった。そこに私は、深浦さんの心技体の充実ぶりを感じる。
子供たちからご高齢者まで多くのファンが集まり、お2人を挟んでの記念撮影がひっきりなしだったが、頃合を見て深浦さんに絵理子さん・研二くんの結婚式・披露宴への祝電をいただいたお礼を申し上げた。「ブログ、見てますよ」いつものように言っていただいた。
ネットでのお付き合いが、もう丸々5年にもなる千間丸さんが熱心な羽生さんのファンでいらっしゃるが、先日の羽生さんの名人就位式に出席された折、私との関係から深浦さんに言葉をかけられたというお話をうかがったことから、逆に私も羽生さんにお声をかけてみたくなった。
「先日の名人就位式に…」とまで言ったところで「あ、あぁ~」と相好【そうごう】を崩され、親しみのある表情で応対いただいた。千間丸さんのお名前を挙げると「茶々丸さんとご一緒のようでした」とのこと、きょうその茶々丸さんをネットで調べてみると、やはり羽生名人の応援ページの管理人さんだということが分かった。
他のファンが写真を撮るため並んでいたので名人とはわずかな時間しかお話できなかったが、瞬時にその人柄に魅了された。
久しぶりにいろんな方とお会いすることができた。敬君のお父さんである増本さん、観戦記を書かれ、プロ棋士との交流も多い有田の椋露地さん、女流アマ名人・笠井友貴さんのご両親、アマ高段者の鷹取さん、平戸で子供たちに将棋の指導をしている中村さん、今は島原に住んでおられるという大町さん親子、将棋連盟佐世保支部を支える浅井さんと松本さん、そしてその佐世保支部長であり、我が家の有紀さん・くるみさんに将棋の手ほどきをしていただいた「秀楽」の松山先生、そして、深浦さんの少年時代の師匠・川原さんとも本当に久しぶりで言葉を交わすことができた。
食べる暇を惜しみ、みなさんとの話を楽しんだ。
あっという間に愉快な時は流れ、やがてお開きに。
両対局者が引き上げた後、舞台上では中原十六世名人と大盤解説者の佐藤秀司七段、それに記録係の田島尉三段が交じり第4局の展望が語られていたが、その司会を行っていた女流アマ名人の友貴さんもご両親の許へとやってきた。テレビに出ていることできれいになったと最後まで残っていた鷹取さんと私で盛んに持ち上げたが、友貴さんは本当に生き生きと輝いていた。
田島尉奨励会三段のことを触れておこう。彼も長崎県出身で佐世保のみなさんとはご縁がある。もう一息でプロ棋士というところまできている。私は初対面だったがブログを見てくださいと言葉をかけると「見たことあります」と応えてくれた。これでご縁ができた。彼のことも応援していこう。
最後の最後、松山さんに、どこか飲みに行きましょうと誘われ2人で万松楼を後にした。国道まで降り、適当なところはないかと思案する間もなく、道路向かい側の、おでん屋「たけ」の暖簾【のれん】の文字が目に飛び込んできた。
国道を渡り、暖簾をくぐり店内に入ると客はいない。松山さんが焼酎を頼んだので私も合わせた。カウンターしかない小さな店で、おでんを口に運びながら久しぶりにいろんな話をした。
帰りは、いつものように女房どのに迎えに来てもらった。松山さんを送り、くるみさんの待つ、愛しい佐々の我が家へと向かった。
写真は、笑顔いっぱいの笠井友貴さんです。
佐世保市で当時の羽生竜王に阿部八段が挑戦した竜王戦、当時の深浦朝日オープン戦主権者に羽生さんが挑戦した朝日オープン選手権の前夜祭にも出席したが、いずれも「万松楼」だった。
実は、女房どのと私が結婚式・披露宴を行ったのが「万松楼」、やはりご縁を思う。
将棋ファンならば、深浦王位が佐世保出身であるのはご存知だろう。しかし、羽生名人も佐世保に縁【ゆかり】があるのをご存知の方は少ないだろう。羽生さんのお父様が小学1,2年生の頃まで佐世保で過ごされたそうだ。3度の前夜祭、お偉い方の挨拶には決まってこのくだりが出てきた。
肝心のお2人のご挨拶だが、前回の朝日オープンの時と同様にユーモアを交え飄々【ひょうひょう】とした語り口の羽生さんに対し、朝日オープンの時は気合に満ち満ちた様子だった深浦さんが今回は余裕を感じるほどの語り口であり、表情だった。そこに私は、深浦さんの心技体の充実ぶりを感じる。
子供たちからご高齢者まで多くのファンが集まり、お2人を挟んでの記念撮影がひっきりなしだったが、頃合を見て深浦さんに絵理子さん・研二くんの結婚式・披露宴への祝電をいただいたお礼を申し上げた。「ブログ、見てますよ」いつものように言っていただいた。
ネットでのお付き合いが、もう丸々5年にもなる千間丸さんが熱心な羽生さんのファンでいらっしゃるが、先日の羽生さんの名人就位式に出席された折、私との関係から深浦さんに言葉をかけられたというお話をうかがったことから、逆に私も羽生さんにお声をかけてみたくなった。
「先日の名人就位式に…」とまで言ったところで「あ、あぁ~」と相好【そうごう】を崩され、親しみのある表情で応対いただいた。千間丸さんのお名前を挙げると「茶々丸さんとご一緒のようでした」とのこと、きょうその茶々丸さんをネットで調べてみると、やはり羽生名人の応援ページの管理人さんだということが分かった。
他のファンが写真を撮るため並んでいたので名人とはわずかな時間しかお話できなかったが、瞬時にその人柄に魅了された。
久しぶりにいろんな方とお会いすることができた。敬君のお父さんである増本さん、観戦記を書かれ、プロ棋士との交流も多い有田の椋露地さん、女流アマ名人・笠井友貴さんのご両親、アマ高段者の鷹取さん、平戸で子供たちに将棋の指導をしている中村さん、今は島原に住んでおられるという大町さん親子、将棋連盟佐世保支部を支える浅井さんと松本さん、そしてその佐世保支部長であり、我が家の有紀さん・くるみさんに将棋の手ほどきをしていただいた「秀楽」の松山先生、そして、深浦さんの少年時代の師匠・川原さんとも本当に久しぶりで言葉を交わすことができた。
食べる暇を惜しみ、みなさんとの話を楽しんだ。
あっという間に愉快な時は流れ、やがてお開きに。
両対局者が引き上げた後、舞台上では中原十六世名人と大盤解説者の佐藤秀司七段、それに記録係の田島尉三段が交じり第4局の展望が語られていたが、その司会を行っていた女流アマ名人の友貴さんもご両親の許へとやってきた。テレビに出ていることできれいになったと最後まで残っていた鷹取さんと私で盛んに持ち上げたが、友貴さんは本当に生き生きと輝いていた。
田島尉奨励会三段のことを触れておこう。彼も長崎県出身で佐世保のみなさんとはご縁がある。もう一息でプロ棋士というところまできている。私は初対面だったがブログを見てくださいと言葉をかけると「見たことあります」と応えてくれた。これでご縁ができた。彼のことも応援していこう。
最後の最後、松山さんに、どこか飲みに行きましょうと誘われ2人で万松楼を後にした。国道まで降り、適当なところはないかと思案する間もなく、道路向かい側の、おでん屋「たけ」の暖簾【のれん】の文字が目に飛び込んできた。
国道を渡り、暖簾をくぐり店内に入ると客はいない。松山さんが焼酎を頼んだので私も合わせた。カウンターしかない小さな店で、おでんを口に運びながら久しぶりにいろんな話をした。
帰りは、いつものように女房どのに迎えに来てもらった。松山さんを送り、くるみさんの待つ、愛しい佐々の我が家へと向かった。
写真は、笑顔いっぱいの笠井友貴さんです。
峰野さんは将棋を指されないのに、前夜祭に出られてよくこれだけ多くの方とお話されたものだと感心しました。将棋は面白いですが、将棋のとりもつ人間模様もまた面白いものですね。
有紀さんとくるみさんという2人のお子さんを佐世保の秀楽先生の将棋教室に通わせた親心がこんなところで見事に生きていますね。
笠井さんといえば、いま将棋番組で毎週拝見していますが、聞き手というよりキャスターに近いパーソナリティーをおもちだと感心して視聴しています。このたび峰野さんに写真をOKされたとは、やはり笠井さんは器が大きいですね。数年前のちょうご今ごろ、笠井さんが高校将棋大会で優勝されたとき、そのお祝いに峰野宅で芙蓉の花をネット上で捧げた思い出があります。いま「写真のある掲示板」で、その芙蓉の花をアップしていますので、ご覧になってください。確か笠井さんから綺麗な花ですねといわれたことを覚えています。
娘たちと将棋に感謝しています。
友貴さんは、これから益々活躍の場が広がっていくことでしょう。楽しみですね。