峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

自立するために

2008年02月05日 | 私塾
帰郷している健太くんが勤務の終えた治彦くん、愛ちゃんと共に夕方6時ころ顔を見せてくれた。治彦くん、愛ちゃんは佐々に住んでいるから時々顔を合わせるのだが健太くんとは久しぶりだ。現在、茨城に住んでいるという。
玄関から教室に向かう廊下を歩きながら3人とも「うわ~、この臭いだっ。全然変わっとらんね」などと懐かしがっている。彼らは26歳になるというから10年ぶりの来訪となる。その間、健太くんは1度来訪してくれていたが、彼のことはずっと気になっていた。

健太くんは中学入学と同時に私のもとへ通ってくるようになった。やるべきことをきちんとやれるしっかりした子供で、学業の方も入学時から緩やかな右肩上がりを示し、3年生になるころには学年200人くらいいる中で5番前後の立派な成績を収めるようになっていた。3年生になるころ1度、その気になればトップをねらえるがどうだと水を向けたことがあった。しかし彼は、今の学習のペースがいいとその話に乗ってこなかった。ただ、彼のお母さんは、常にもっと上を目指すよう求めた。私にもそう指導して欲しいと訴えられた。

やがて、彼は高専に進学した。彼らしい選択だと思った。コンピュータゲームが好きだった彼は将来、プログラマーになりたいと言っていた。
ところが高専卒業後、彼は就職しなかった。高専卒業後、1・2年して訪ねてきてくれた彼は、やりたいことがあるんだと自分で描きためているデザイン集を見せてくれた。
私は、何となく彼の気持ちが分かったような気がした。

あれから3・4年経っただろうか。健太くんに今何をしているのと尋ねると「アルバイトですね。やりたいことが1つあるので、親にもう少し待ってくれと言っています」と答えてくれた。
さらに、やりたいことって何だよと聞くと、彼は笑いながらウ~ンと返事をためらった。私は、そうか、今は胸に秘めておきたいということだなとそれ以上尋ねるのを止めた。

今も、彼はあのころの夢を追いかけているのだろうか。それとも、何か新しい夢でもできたのだろうか。彼のとても明るい笑顔に、存分にたくましく生きている様子がうかがい知れた。
彼は親元を離れ、自らを育て直しているのだろう。

彼らの帰りしな、中1の男の子とそのお母さんが入塾の挨拶に来られたのと玄関で鉢合わせになった。
君たちも10年前はこんな感じだったんだよと言うと、みなは「可愛かね!」と口をそろえた。さらに健太くんが「今じゃ、いいおっさんですよ」と自嘲気味【じちょうぎみ】に笑いを誘った。そして、少年に頑張れよと声をかけてくれた。
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