峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

くるみさんの中学卒業

2008年03月18日 | 家族
きょう、くるみさんが中学を卒業した。
朝、女房どのと共に家を出たが、女房どのは保護者席へ向かい、私は来賓の控え室となっている図書室へ向かった。

図書室に入り、みなさん方と挨拶を交わし、お茶をいただきながら周りの方々と世間話をしているうちに我が家の子供たちのことを聞かれた。
「一番下の子がようやく中学卒業です。清々【せいせい】します」とわざと大きめの声で言い、口を手で覆【おお】う仕草をしたら周りの方に受けた。だが、決して冗談ではなく清々している。

間もなく、卒業式が始まり式次第が進むにつれ卒業生のすすり泣く声が大きくなっていった。
ちょうど、くるみさんの横顔が見えるところに私の席があった。彼女はこみ上げてくるものを必死でこらえているように見えた。

体育館での式が済み、生徒も保護者も教室に移動した。教室に戻った子供たちはしばらく、級友との別れを惜しむように抱き合ったり、書き物を交換したりしていた。
やがて、親に向かって感謝の言葉を述べるようにとの担任の指示があり、生徒たちは一人ひとりそれに従ったた。
くるみさんはどんなことを言うだろうか。きっと照れて「ありがとうございました」の一言くらいだろうな等と思っていたが全く違った。

「高校生になったら寮生活を始めるけれど…」と言い出したとたん、後は涙、涙だった。
式の途中からこみ上げてくるものを必死で抑えていたのだろう。それが堰【せき】を切ってあふれ出してきたのだ。

体育館から教室へ移動する際、女房どのが肩を叩く。振り返ると同級生の女の子が2人立っていた。くるみの送別会を計画しているんだってと女房どの。
彼女たちの話によると、くるみさんに内緒で計画を立てているのだが、その送別会をするのを了承してほしいということと、内緒にしていてほしいという2点の申し出だった。

くるみさんの中学校生活は、たくさんの友人と楽しく過ごした仕合せな3年間だった。
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誰のための社会保険事業か

2008年03月17日 | 民生児童委員
約束していた午前9時に町内会のお1人暮らしのあるご高齢者のお宅を訪ねた。
年金の問題で社会保険事務所まで付き添ってほしいと先週末に要請を受けていた。詳しいことは書けないが、余分に支払っていた加給年金100万円を返却するよう社会保険庁から言われているというのだ。ご本人の話を聞く限り、とても納得のいくものではなかった。
配偶者を亡くし、子供もいず、近くに親戚もいない。その上、普通に歩くのが難しくなっておられる。私のようなものにでも頼らざるを得ないのだ。

佐世保市にある社会保険事務所まで車で30分、午前9時半に着いたときには狭い駐車場はすでに満車だった。
善良な庶民が懸命に納めてきた尊いお金を社会保険庁の長官から窓口の職員までがデタラメに扱ってきた。彼らにとって年金を納める者の気持ちなど知ったことではなかった。彼らは自分たちの私腹を肥やすか、給与と賞与と退職金を手にすることしか関心はなかったのだ。それが、来訪者のための駐車場の狭さによく表れている。

高齢の相談者と共に入った窓口、隣との仕切り版に張り紙があり、そこにはこう書かれてあった。
「社会保険庁は変わります」
・窓口接遇マナー3箇条
1、明るい挨拶でお迎えします。
2、お客様の気持ちに立って対応します。
3、積極的に一声かけさせていただきます。
・電話接遇マナー3箇条
1、呼び出し音が鳴ったら、すぐに電話に出ます。
(以下省略)
「変わります」とあるからには、こうでなかったということだ。
相談者は、かつてここを訪れたとき、窓口の職員の横柄【おうへい】な態度になぜか卑屈になっている自分がたまらなくいやだったと吐き捨てるように語った。
果たして社会保険庁は変わったのか。私たちに応接した40代と思える女性職員は1時間ほどの間、1度たりとも笑顔を見せることはなかった。それどころか終始無愛想だった。

結局、問題について詳しく話を聞いてみると相談者の方に落ち度があったようで納得された。

その後、遺族年金の説明があった。ところが相談者は受け取りを放棄する旨、職員に告げた。それを聞いた職員は、あっさりそうですかと言って、その書類を引っ込めようとする。
職員の様子から、それを受け取れば相談者本人の年金額が減るのだろうと思ったが、念のため、それを受け取ることで相談者にどんなメリット・デメリットがあるのか尋ねた。すると職員は「何もないですよ」とあっけらかんとしている。
相談者も先の加給年金のことがあり、遺族年金を受け取ることでかえって不利益が生じると思っていた。

受給する側にとってメリットのある話をなぜあっさり引き下げたのか尋ねると、いらないって言われたものをお勧めする必要はないと思ったと言う。この不親切さはいったいどこからくるのだろう。

苦い思いをかみしめながら表に出ると、社会保険事務所を取り囲むように駐車場が空くのを待つ車の列が長く伸びていた。
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棋士・森下卓

2008年03月16日 | 将棋
金曜日、順位戦B級1組の最終戦が行われた。
我らが深浦康市王位は畠山七段に敗れ9勝3敗となったものの、すでに来期A級への昇級を決めている。来期は3度目の正直、名人挑戦にからむ活躍が期待される。

同じB級1組に森下卓九段がいる。
数年前、北九州ハイビジョン将棋フェスティバルに家族4人で参加した折、宿泊したリーガロイヤルホテルで森下さんとたまたま朝食をご一緒する機会があり、教育談義で盛り上がった。

その日、将棋フェスティバルを満喫した私たちはフェスティバル終了後、森下さんと挨拶を交わし、タクシーに乗り込んだ。その際、いつしか降り出した小雨の中、森下さんは傘もささず深々とお辞儀をして私たちを見送ってくださった。
私と女房どのは森下さんのその姿に感銘を受け、すっかり魅了された。

ほんの偶然から得たご縁がもとで、私たちは翌年から有紀さんとくるみさんがまだ小学生だった頃の2年間、森下九段の故郷の北九州市で毎年行われている森下九段の「1日将棋教室」に参加し、食事を共にさせていただくなど親しく接していただいた。

ご縁というのは本当に不思議なものだが、森下さんは深浦さんの兄弟子にあたる。

今期順位戦、森下さんは3連敗という最悪のスタートだった。順位も下位だし、早々に降級の心配もしたが、その後よく巻き返し残留を決めた。

その森下九段からいただいた今年の年賀状に「やっぱり棋士には盤上が一番ありがたいです」と森下さんの実直な人柄をうかがわせる文字が変わらず並んでいた。

昨年度、将棋連盟は名人戦主催問題で揺れた。そのとき森下九段は理事職にあった。おそらく、押し寄せる問題の対応に追われ、将棋に没頭できなかったのだろう。今期、理事職を離れ、好きな将棋に集中できる喜びがその言葉によく表れている。

今期、順位戦では今一つ揮わなかった森下九段だが、日本シリーズでは木村八段、渡辺竜王、佐藤二冠、森内名人を連破し、久しぶりに棋戦優勝を飾った。来期のいっそうの活躍を願っている。
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人間は すごい

2008年03月14日 | 夫婦
この時期、なんでも花粉が大量に飛んでいるらしい。
私は花粉症歴4、5年になるだろうか。特に就寝時の鼻詰まりに悩まされてきた。これまで対症療法で点鼻薬にだけ頼ってきたが、過日、やはりひどい花粉症で悩んでおられた方から皮膚科で出してもらっている飲み薬がいいということを聞いた。
耳鼻科にいけばいいんだろうが、町内に耳鼻科はない。わざわざ町外の病院まで出かけ、さらに長い時間待たされることを思うと、これまでどうにも気が進まなかった。

先日、家族で母のところを訪ねた帰り道、女房どのにこの話をしているところで、ちょうど、その皮膚科の前にさしかかった。女房どのの決断はいつだって速い。今、寄ったらいいと言う。その日は土曜日で、しかも正午前、開いてないだろうと言う私に、最近の病院は土曜日でもやっているところがある。昼休みでも午後の予約ができるかもしれないとたたみかけてくる。
結局、女房どのの言葉に背中を押されるように車を止め、病院の玄関前に立つ。

女房どのの言うとおりだった。いったん帰宅し昼食をとった後、皮膚科を訪れた。
幸い、患者が少なく、すぐ医者に名前を呼ばれた。診療室に入るとすぐにここに来るまでの経緯を話し、その薬を出してほしいと切り出すと、医者はその知人の姓名を尋ねた。もちろん姓は言えるのだが、名が出てこない。医者はパソコンの画面の患者のリストの中からその同姓の下の名前を次々に読み上げていく。「いや、違います」4,5人ほどいったところで知人の名前が出てきた。
「それです。ひとみさんです」。医者は処方箋【しょほうせん】を見「ああ、これは効くもんね」と言い「ただ、眠くなることがあるから、車の運転には気をつけてくださいね」と添えながら、どのくらい出しときましょうと尋ねる。この方も決断が速い。どのくらいって言われても、そんなことこちらで決めたことなんてないしなどと躊躇【ちゅうちょ】する間もなく「とりあえず、2週間出しときましょうね」との言葉に「あっ、有難うございます」とだけ言って診療室を後にした。
こういうの「あり」なんだ?

2・3日前、夜中に鼻詰まりがひどく何度か目が覚めた。数日前、テレビで花粉症対策としてマスクに代わり鼻の穴に装着する商品が開発されたことを紹介していたのを思い出し、その日の夕方、帰宅した女房どのに話しをすると、買って来ようかという。仕事から帰ってきたばかりで、これから食事を作り、入浴し、さらに持ち帰った仕事をしなければならないのにだ。女房どのは常に決断が速い。ついでのときでいいからと言ったにもかかわらず、女房どのは一仕事した後、薬局へと車を走らせた。

間もなくして帰って来た女房どの、薬局を2・3軒訪ねたが、そのような物はまだ店頭には置かれていなかったと言う。その代わりにすすめられたといって購入してきていたのが鼻に塗る薬だった。
その夜、試したのは言うまでもないが、これが実によく効く。

このブログを記す前にも塗ったのだが、その際、人間のすごさを実感したことがこの文章を書くもとになった。

薬を綿棒に付け、それを鼻の穴の中にまんべんなく塗るのだが、鏡を見ずにその動作を行っているのに気付いた。それなのに綿棒の先は正確に鼻の中に収められていくのだ。
ためしに目をつぶってやってみた。同じだ。ついでに目をつぶったまま目や耳、手足の指先など体のあちらこちらを目標にして指で触ってみたが、ぴたりと正確にそれをとらえることができた。

このところ「爆笑問題」の「ニッポンの教養」というテレビ番組をよく見る。毎回、さまざまなな分野から世界の最先端を行く研究者を迎える。多彩な顔ぶれだ。彼らの話を聞き(時には太田さんの話をゲストが聞く)、その成果の一端が紹介される。その際、往々にして彼らが口にする言葉がある。「人間って、すごいですね」という言葉だ。きっと、人間は私たちの想像をはるかに超えてすごいのだろう。

今日の社会のおいて、誰をも何をも信じられないというところからくるどす黒い不安感が、時に私たちを絶望の淵に沈ませようとするが、私は人間の可能性を信じている。
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試練

2008年03月13日 | 父親と子
昨日、有紀さんは福岡教育大学の後期日程入試に臨んだ。
有紀さんが受験したのは心理教育支援コースで後期2次試験には小論文が課された。ただ、その小論文が今年度から新たに課されるようになったということでその対策には苦慮したようだ。

入試では命の大切さについて授業計画を立て、子供たちにそれをどう伝えるかという問題と、ある心理学の実験が示され、その実験の目的をどう考えるか、またそこから読み取れるものを述べるというような問題だったそうだ。
有紀さんいわく「見たことない問題やったけんびっくりした」そうだが、何とか対応できたようだ。

これで、1月のセンター試験から始まった有紀さんの一連の大学受験に終止符が打たれた。
厳しい寒さの中でのこの2ヶ月間、あれこれ初めて経験することも多く、さぞかし緊張の連続だっただろう。今しばらくはゆっくりと心も体も休めたらいい。
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15の春

2008年03月12日 | 私塾
月曜日、高2の拓海くんから「今日来ていいですか?」とのメールがあった。
彼が来訪するのは、いつも定期テストのときだ。だが、学年末テストがついこの前行われ、修学旅行のお土産を持って来訪してくればかりだった。今日は何だったのかと聞くと、高校入試を控え学校は立ち入り禁止になっているのだとか。高校生にも入試の影響は及ぶのだ。

明日から公立高校入試が始まるというその夜、受験生も、すでに推薦で合格している者も、私立の合格者も、そして高校生もみな淡々と学習を進めた。

日曜日の雨の後、朝夕の冷え込みがずいぶんと和らいできている。
昨日から始まった公立高校入試、昨日は国語・英語・理科の3教科の試験が行われた。夜、やって来た受験生たちに出来を尋ねると異口同音に難しかったと言う。
大丈夫、あなたが難しいと感じたのならば、みんなも難しかったと思っている等となぐさめ、励ます。

やがて午後10時、学習を済ませ、いつものように「有難うございました」と互いに挨拶を交わし、教室を出て行く受験生たち1人ひとりに「頑張れよ!」と声をかけ見送った。

くるみさんの話によると、不登校だった子供たちも、みな受験したという。それぞれの子供たちがさまざまな思いを心に抱き今、試験問題に向かい合っている。
幸いにも昨日・今日と穏やかないい日和だ。それが嬉しい。
有紀さんも、小論文に取り組んでいる頃だろう。

さぁ、私は確定申告の書類の仕上げに取り掛かかなければならない。午後からは民生児童委員協議会の定例会も控えている。
裏庭からウグイスの鳴き声が聞こえる。
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俳優・上野山功一

2008年03月11日 | 家族
楽しみにしていた上野山さんのDVDが届いた。
だれもが知っている『キーハンター』『ザ・ガードマン』『太陽にほえろ』『必殺シリーズ』それに『仮面ライダー』『イナズマンF』から最近作Vシネマの『修羅のみち11』『修羅のみち12(完結編)』等々、それにお便りが添えられてあった。

夕方、女房どのとくるみさんが帰宅するのを待ち構え、ほらほらほらと送っていただいたDVDの束を見せると2人とも興味津々、どれから見る?と問いかけると、「ザ・ガードマン!」とすぐさま女房どのの声が上がった。
映像が流れ始めると、すぐに上野山さんの登場だ。懐かしい。はつらつとしたアクションを繰り広げる若き俳優の姿がそこにあった。

とりあえず上野山さんの登場シーンだけを早送りしながら見た後、次に05年の東映作品『修羅のみち11』を見ることにした。やはり、すぐに上野山さんは画面に現れた。そこには老練な俳優の姿があった。
ここでも主要な役回りを演じておられる上野山さんを見て「お父さん,すごい人と知り合いとね~」とくるみさんが感嘆の声を上げた。

その強烈な存在感、俳優・上野山功一は、まぎれも無く類【たぐい】まれな役者であることを今さらのように思う。

くるみさん、お父さんはすごい人と知り合いなんだよ。

添えられたお手紙に、いつの日か再開を期する旨記してあった。
いつの日か,きっと。
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勝つもよし 負けるもよし

2008年03月10日 | 父親と子
対九大戦,チーム有紀は敗れた。
一昨日正午過ぎ,九大のHPでそれを知った。直後,有紀さんに心境を尋ねると浪人を考えてみようかなと言う。それは,私にとって意外な言葉だった。なぜなら,この大学でなければならないというようなこだわりなど有紀さんにはないと思っていたからだ。後期の出願は九大ではなかった。もちろん,前期で通るつもりだったということもあるが,何が何でも九大ということではなかったからだ。

卒業式の日にいただいた有紀さんの通知表の評定の合計は4,9,地理B以外はすべて5という素晴らしい成績だった。
「3年間,学習に対し,とても真摯に取り組んだと思います。そしてその結果が3年生の学年成績でトップになったのだと思います。高校を卒業し,4月からはいよいよ新生活が始まります。新しい環境においても高校のときと同様に誠実さを忘れずに物事に対し,一生懸命に取り組んでほしいと思います」との担任の言葉があった。

有紀さんの言葉を借りれば,これでいいのかなという程度の頑張りだったかもしれない。しかし,どんなに小さな学校でも一番になるというのは大変なことだ。それなりの努力を重ねてきたはずに違いない。また,学校の代表選手としてのプライドもあっただろう。何より,彼女は幼い頃からこれまで大きくつまずいたことがなかった。それらがない交ぜとなって「浪人」という思いが湧いてきたのだ。
浪人の問題を含め家族でいろいろと話し合った。そしてとりあえずは後期受験に臨むということで有紀さんの気持ちは固まった。

その後,有紀さんはいつものように読書にふけっていたが,夕方からは中学時代の友人が車で迎えに来,同窓会に出かけ,そのまま中学時代からの親友宅にお世話になったようだった。
私の方も、土曜日曜は私立や推薦で合格が決まっている以外の高校受験生が朝から弁当持参で来ていたり、その合間を縫って町内会の19年度の会計監査を受けたりと相変わらずばたばたしていた。

翌朝,有紀さんは福岡に帰るという友人の車で研二くん・絵理子さんのところへ向けて発った。
チーム有紀の今期,最終戦は12日,対福岡教育大学戦である。
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上野山功一とブラックジャック

2008年03月06日 | 家族
先週末、夜にふと上野山功一さんのことが想い出された。
ネットで検索すると、今もなおお元気でご活躍なさっておられるのが分かりうれしかった。早速メールを差し上げると、折返しお返事をいただけた。

上野山さんは日芸の大先輩で、主に60年代から80年代にかけ映画にテレビにと大活躍されたた名俳優である。私が在学していたころ、上野山さんが『上野山功一とブラックジャック』というグループを結成されることがあり、私もそのメンバーの1人として参加させていただくご縁を得た。
グループのメンバーは上野山さんを中心に先輩の石松さんと親友の増田くん、それに私の4人で、主に東京都内・近県や大阪などの大きなクラブやキャバレーに出演していた。ショーは1晩2ステージ、1部が任侠物の寸劇で2部が歌謡ショーという構成だった。

あのころのクラブやキャバレーには専属のバンドがいた。どのバンドも初見が利いた。リハーサル、譜面を渡し、コーダからコーダの進み方やテンポ等をざっと打ち合わせるだけでバンマスの指揮の下、一発で音がそろうのをいつも感心して見ていた。
ただし、本番で曲のテンポがでたらめに遅く、上野山さんがテンポを上げるよう必死に手で合図を送らなければならないようなバンドも希【まれ】にはあった。また、それでうまく調整できるバンドもあれば、最後まで立て直せないバンドもあった。バンドの演奏の上手下手はバンドマンよりもバンマス次第、ひるがえって会社の在り方、地域社会の在り方、国家の在り方、すべてはリーダー次第なのだ。

楽屋でドーランを塗り、真っ白なタキシードに身を包み、白のエナメル靴を履く。さぁ、出番だ。おもむろにステージに上がると、そこへ目もくらむようなスポットライトが当たり、観客の声援を受ける。あの何とも言えない恍惚感【こうこつかん】は今でも鮮明に覚えている。

この頃、上野山さんは石松さんを売り出すのに力を注いでおられた。石松さんをメーンボーカルにレコーディングしたA面『バカは死ななきゃなおらない』とB面『夜の北新地』を懐かしく思い出す。
石松さんは、かつて一世を風靡【ふうび】した浪曲家・広沢虎造のご子息で、虎造の十八番『清水次郎長伝』中の『森の石松』からとったのが『バカはしななきゃなおらない』だ。
これを記しながら、なんとなく『上野山功一とブラックジャック』を検索すると、思いがけずそのレコードが引っかかってきた(ビートルズのボックスセット物に「1」の番号がふってあるが、それを番号順にたどっていき「8」の懐メロ・流行歌&洋楽ロック・ポップス盤が大量に入荷しましたのコーナーの下半分の右斜めになっているジャケットをたどり、山内賢&和泉雅子、坂本スミ子の隣のジャケット)。何十年ぶりだろう。久しぶりに見るレコードジャケットにあまりにも幼なかった頃の私の姿があった(ジャケットの一番左)。
夕方、帰ってきた女房どのとくるみさんにそれを見せた。大受けしたのは言うまでもない。

あれから久しく時が流れた。増田くんとは今でもつきあいがある。しかし、ある時、彼から石松さんが事故で亡くなったらしいと聞いた。上野山さんの話も出たが、東京にはいらっしゃらないようだと聞いていた。ブラウン管でお姿を見かけする機会も少なくなり、どうお過ごしか気になるときもあった。
今回、上野山さんにいただいたメールには、最近作・旧作のDVDを送るとあった。また、芝居その他のチラシ等できたら送るともあった。今月で75歳になられるというが、ウィキペディアによると近年はオリジナルビデオ作品にも出演しておられるという。あの頃の芝居や歌にかける情熱は少しもお変わりないご様子だ。ご自身の『上野山功一のブログ』からもそれがうかがわれる。

お送りいただいたDVDは家族や友人知人はもちろんのこと、できるだけ多くの方にご覧いただきたいと考えている。
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春雷【しゅんらい】

2008年03月01日 | 夫婦
今朝、「夜中、すごい雷だったね!」とくるみさんが居間に下りてきた。
「すごかったね!」と私、女房どのはぐっすり眠っていて全く気付かなかったという。有紀さんの受験の付き添い、絵理子さんの結納についてあれこれ、昨日の有紀さんの卒業式に関してのいろいろ、それに自身の学校の年度末に伴う仕事と、眠れない夜を過ごしているようだ。私がノー天気だからその分、連れ合いは大変だ。申し訳ない。
「春雷だよ。春を告げる雷さ」と私。

昨日、学び舎を巣立ち行く若者の声を多く聞いた。彼らの前途は、ただ漠【ばく】として広がっているだけだ。不安であろう。たじろぎもしよう。しかし、彼らは明るい未来を信じている。
誰もが学校と恩師への感謝の言葉を口にし、同時に彼ら自身の未来を創り上げていくための一歩を踏み出す決意を語った。

  春風や 闘志いだきて 丘に立つ

ああ、爽やかな春風が吹き渡っていく。春風にいっそうかきたてられる闘志を胸に秘め、今、私は丘に立っている。
高浜虚子の句だ。昨日の卒業式の中で大村市長が祝辞の冒頭、この句を引いた。

春雷の後一夜明け、今朝は青空が広がっている。
年度末を向かえ、新年度の町内会の各種補助金等の申請に関する書類の提出に追われながら、町内会総会のための資料作成、個人的には確定申告の書類作成等、片付けなければならない問題が山積している。

 春風や 闘志いだきて 丘に立つ

私の心境でもある。
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