6月も終わりに近づいた。あっという間に半年が過ぎる。1年1年、月日の経つのが早くなる。残されて時間はどれほどあるのだろうか。
入院中の母は童女のように過ごしている。「むなしさ」を微塵も感じることがないようだ。物理的なものを有することのむなしさ、精神的なものを失うことのむなしさ。そんなさまざまなむなしさと共に生きてきた気がする。共に築いてきた家もそれが崩れた時、空になった部屋に取り残されたむなしさ。どうしたら別れることができようか と思った愛も崩れゆく時のむなしさ。「いのち」というもののむなしさ。
楽園の悦びを知ったものだけが失楽園の悲しみをより深く知る という言葉があった。でも、その逆もあるような気がする。味わったむなしさ以上の悦びを感じることができる。
宇野千代デザインのさくらのパジャマを着ていて嬉しそうにしていた母。悦びとはそんななかにあるような気もする。小さな小さな花が集まって心を満たしくれる気がする。むなしさを耐えたことは悦びに生きることに転換したのではないだろうか。
入院中の母は童女のように過ごしている。「むなしさ」を微塵も感じることがないようだ。物理的なものを有することのむなしさ、精神的なものを失うことのむなしさ。そんなさまざまなむなしさと共に生きてきた気がする。共に築いてきた家もそれが崩れた時、空になった部屋に取り残されたむなしさ。どうしたら別れることができようか と思った愛も崩れゆく時のむなしさ。「いのち」というもののむなしさ。
楽園の悦びを知ったものだけが失楽園の悲しみをより深く知る という言葉があった。でも、その逆もあるような気がする。味わったむなしさ以上の悦びを感じることができる。
宇野千代デザインのさくらのパジャマを着ていて嬉しそうにしていた母。悦びとはそんななかにあるような気もする。小さな小さな花が集まって心を満たしくれる気がする。むなしさを耐えたことは悦びに生きることに転換したのではないだろうか。