深い喜びの裏には深い悲しみがへばりついている。背中合わせのしあわせとはよく言ったものだ。生きていてよかったともうことは、もう死んでもいいのだ と思えることかもしれない。好きではなかったが、渡辺淳一の「失楽園」はそういう話だろう。最高の快楽のまま死にたいという。それは精神も同じかもしれない。そこまでひとをあいせたら・・・。
山陽新幹線で九州まで移動した。いままで広島までしか新幹線では行っていない。九州は飛行機だった。降りたわけでもなく、ただその景色を見ただけだが、これから行ってみたい風景がたくさんあった。この湖北ですらまだたくさんあるのに・・・。やはり年を取りすぎていた。すべてにおいて遅い気がする。
荷物を整理して、最低限の空間で家賃も最低限に抑えて、旅に出ようか。芭蕉ならすべて処分して旅に出るだろうが。そんな気持ちになった。
生きるということは死ぬことおなじだ という言葉がさらにわかる気がした。