雷雨注意報が出ていました。黒い雲と風は強くなりましたが、雨も雷もやってきません。それは幸いなのですが、蒸し暑いこと。やっと朝夕は過ごしやすくなりましたのに。髪を切りに行くことができ、すっきりしました。ほんの少しの贅沢でシャトレーゼでお菓子を求めました。あたたかいお茶やコーヒーがおいしい季節になりました。先日求めた湯飲み茶わんは、背が高くてたっぷり入ります。淡い草色と黄色の夫婦茶碗がお気に入りになりました。
「お茶、いれましょうか」と危ないおばあさんになります。家には私しかいないのに・・・。人恋しいからとかではなく、我が家では一つの儀式なのです。だらしなくなりやすい一人暮らしをなんとか保つための儀式というのか。もう何年続いているのかわかりません。それが日常になっています。友人たちは馬鹿にしていますが。わからなくてもいいのです。そこに生まれる暮らしの豊かさがあるのですから。
『ひとりを慎む』は、母が残してくれた言葉です。朝晩働き続けていた私の暮らしは、ともすると粗雑になりそうでした。「食べる」は動物にも使いますが、「食事をする」は動物には使わない、という話を以前礼法の先生にお聞きしました。犬が餌を食べるですが、犬が食事をするとはいいませんね。人は、ただ、食べるだけではないということを言われました。
夏の暑さで何も作りたくない、食べたくないときでも、相棒に「ごめんなさいね。・・・」を危ないおばあさんは話しました。そうめんの夕飯でもなんとか形になりました。
「ねぇ、品のいいおばあさんになったでしょ」と、おばあさんは髪型を相棒に見せるのでした。