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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

おかしな夢 花を咲かせます

2025-01-24 20:34:31 | 日記

昨夜は途中で起きることもなく、朝を迎えました。ただ、面白い夢を見て目が覚めました。夢なのでつじつまの合わないことばかりですが、3人組の男たちに追いかけられて、ホテルに逃げ込むと3人の男性と3人の女性が待っていて、助けてくれるという感じでした。このホテルがお城のようなホテルでした。すぐに見つかるようなところに隠れたり(大きな椅子の影とか)で漫画ですが、男性たちも女性たちも追手?から守ろうとしてくれます。最後はお風呂なら安全と逃げ込むのですが、熱くて出られず大変な思いをしていると、ホテルの人が部屋が用意できましたと、知らせに来るのです。そして、次の朝まで安全に過ごすのですが、朝飯の時間で部屋から出ると、お友達のR子さんも豪華なガウンで部屋から出てきて、「子供たちに3時にホットケーキを焼きましょう」と10キロぐらいの小麦粉の袋を抱えてくるのでした。みんなで3時にホットケーキを焼くことで、話が終わりました。この小麦粉を持って出てきたR子さんがやたらおかしくて印象に残るのでした。なにかみんなに助けられたことでうれしい夢でした。

11時に放送大学院の単位認定試験が終わりました!何点でももう放送大学院は続けないと決めたので、素晴らしい!開放感でした。何も決めず、まずは教会にお礼を言いにいって、なにかおいしいものでも食べてこよう、と出かけました。暖かな早春の陽気のようです。水ぬるむ彦根城のお堀では鳥たちが日向ぼっこ。

お城には入らずにお堀の周りを歩いたり、街並みのうつくしい商店街を歩いたりで、のんびり過ごしました。長浜においしいパン屋さんがないので、パンを買って、新鮮な野菜を買って、なんか所帯じみているなぁ、なんて思いながら帰りました。そうだ、6畳のダイニングで買ったTVだから小さいのでTVでも春には買おうかな、とか陶芸でまた陶灯を作ろかな、とか考えるのでした。

仕事はきちんと早くやらなくちゃ、テスト勉強はちゃんとしないと等と、自分を解放できずに、本当にしたいことは何なのかも忘れていた気がします。

桜のつぼみがほんの少しほころんでピンク色でした。(風で揺れていてよく撮れません)

花を咲かせます」だれかが言っていました。

 

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99.7% でよかったと言えるイチロー

2025-01-23 20:49:03 | 日記

玄関の戸を開けると、ストックの花の香りがしてきます。春の香りです。疲れた身体に潤いを与えてくれます。

今日は朝から佐々木朗希選手のドジャーズ入りのインタビューが流れていました。最初は緊張気味で神経質そうな表情でしたね。ロッテに入団して1年はかごの鳥のように大事に育てられていた、と聞きましたが、昨夜のNHKの密着取材では腕の筋を痛めていたとか。大事を取っていたようです。腕がいつおかしくなるかわからないという恐怖があったようです。そういう意味からの、海外へ行くのを急いだとか。大谷選手も山本由伸選手もいることですから、安心なのではないでしょうか。成長が楽しみです。

男の顔は履歴書、といいますが、USAでも殿堂入りしたイチロー選手がとてもいい表情だな、と思いました。年齢とともに、深みを増し、それでいて男の色気が健在なのですね。そのインタビューの一言一言には、イチローでないと語れない意味深いものがありました。私が記憶に強く残ったのは、満票でなく1票足りないことについてのコメントでした。

「1票足りないのは、凄く良かったと思います」で始まる言葉です。「それを自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんです。これとそれとは別の話なんですけど、不完全であるというのはいいなって。生きていくうえで不完全だからっ進もうとできるわけです」イチローが言うと重さが違いますね。彼ほど完璧を求めた男はいないでしょうから。

この言葉を前にして、何か言うことはできないのですが、99.7%でも凄く良かった、と言える・・・。私もこの頃50%でも凄く良かった、と思うのです。行きたい方向に行こうと思える。それが希望となって、進んでいける。単純にうれしいです。

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帰りを待っていてくれたのか

2025-01-21 20:13:10 | 日記

風は強いものの暖かい日でした。陽ざしが春らしいです。町の駅で買ってきたストックが春らしくてうれしいです。

でも、この花は悲しい花にもなりました。昨夜、5年頑張って生きていたメダカが亡くなりました。教会のお友達から3匹頂いたメダカの2世です。15匹くらいいたのですが、7匹くらいになり、最後はこの1匹でした。寒いせいもあって動きも悪かったのと、もう寿命が近かったのでしょうね。子どものころからある鉢で飼っていたのですが、7匹ぐらいになったので、水槽で飼いだしました。ちゃんと「メダカの飼い方」なる本を読んで、ポンプやらを揃えました。毎日、その姿を見るのが楽しみでした。ごく普通のメダカです。

生き残った1匹は少し背骨が曲がったような感じでしたが、賢くて餌のもらえる位置にすぐ寄ってきました。水槽が玄関のすぐそばの部屋にあり、帰宅して部屋に上がると(ドアでなく戸で、グローリングに上ござが敷いてあります)まず、メダカの様子を見ます。人の動きはわかるので寄ってきます。私を出迎えてくれるので、「今、帰ったよ」と声をかけました。

そして、いよいよ動きがおかしくなったので、小さな金魚鉢に移し日の当たるところに置きました。昨日、家に帰ると真っ先にメダカを見にいきました。動かないのですが、指で触ると動き出しました。ああ、生きていた・・・。夕食の支度をして金魚鉢を見てみると、もう浮いていました。思わず十字を切りました。良く頑張ったね、と。夜なので、埋めてあげられないので上手に紙に包んでおきました。白いストックを1輪乗せて。

今朝、いままでメダカを埋めていた鉢に移しました。今まで以上に悲しかったです。水槽のポンプも灯もそのままにしてあります。まだ、処理できません。

一匹のメダカの存在が、私の生活の大事な一部だったなんて・・・。祖父母も両親もその最期を見届けることはできませんでした。

きっと、最後の力で私の帰りを待っていてくれたのだ。そう思うのです。今日はストックを玄関に飾りました。

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繋がりの欲しいこどもたち

2025-01-20 21:40:00 | 日記

朝、外に出ると柔らかな空気が肌を包みました。ああ、春の感覚!夜、雨が降ったせいかしっとりとした感じです。お隣の枝垂れ桜の木が全体がピンク色になりだしました。ああ、自然は正直ですね。志村ふくみさんのお話しで、桜の染料は、桜の幹から作るそうです。木から桜色になるのですね。でも、今日は大寒でした。

昨日、駅へ行く途中でスクールガードで面倒を見ていた男の子が遊んでいました。しばらく、スクールガードは休んでいるので、マスク、帽子姿ではわからないだろうな、と思いました。「こんにちは!」の挨拶。びっくり。口数の少ない子でした。背も伸びたようです。ああ、もう少しで中学生か・・・。おばあさんは嬉しくなるのでした。遅刻もあったので、よく途中で待っていたこともありました。その子が挨拶してくれるなんて!たくましくなった!

子どもたちとのかかわりは学童クラブでも、今年になって変わってきました。彼ら(彼女ら)が少し成長したのでしょうか。距離が近くなりました。それは、一緒にバカなことをしているからかもしれません。子どもが冗談にすごい顔をするので、そんな顔をすると、そういう顔になるよ、と言って私も同じような顔をします。(虎子さんのように)それがおかしいらしくバカ受けします。体育館でもそばで遊びを見ているので、うれしいようです。バスケは一緒にできないので、シュート成功で拍手!バトミントンは下手なので「先生、下手!」と叱られています。縄跳びは、何回飛んだか数えさせられます。数え方が遅いと叱られますが、飛ぶのが速い!、と虎子さん顔をします。子どもと同じレベルなんですね。笑。

子どもたちは、繋がりが欲しいんですね。遊んでほしいし。それは、同じ目線で遊ぶことのようです。同じ目線で笑って、怒って、悲しいんで。ああ、これが昔からのスタイルだったと思うのです。

優雅な奥さまとは少し違うけれども、これをみたらだれでも楽しくなると思うのです。

 

 

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江戸端会議のおばさんに

2025-01-19 19:58:21 | 日記

夕方、6時過ぎのニュース速報で、ガザ地区の停戦のニュースが入りました。毎朝、神にウクライナとガザ地区の停戦を祈っていたので、少しほっとしました。住民のほとんどが避難を余儀なくされ、これからどう生活していくのか、と思いますが、それでも人々は停戦に沸いていました。

今日は、3月並みの暖かさとか。それでも家の中は冷えていました。例によって、炬燵にもぐりこむようにTVで都道府県対抗の駅伝を見ていました。午前中は家事と勉強をしていたのですが、なにもテストも85点くらいとれればいいのだ、とのんびりすることにしました。

昨夜、遠藤周作の「深い河」を再読し始めました。でも、初めの妻があと余命3か月くらいと医師に宣言された磯辺の章を読み始めると、つらくて読めなくなりました。妻には気づかれないようにと思う磯辺でした。一人、病院から帰宅して妻のいない空間で過ごす男の姿・・・。そこにいた人がいない、という空間。

重い話は読むのはやめよう、と思うのでした。年のせいかつらい話は苦しくてなりません。カーテンを開けて、今日も明るい日の光が差し込む部屋で、今までと違う生き方がしたい、と思うのでした。手帳の時間の空白を埋めるような生き方はやめようと。学んで、それを生かして、会社社会(男社会)を生き抜いてきた。のんびりTVを見られない日のほうが多かった。走っていくのではなく、待つことにしようと。そんなできなかった人生を生きるためにここに来たのかもしれない。都会ではない田舎で、合わない暮らしだけども・・・。

ちょっと物足りない駅伝を見終わって、とろとろとした時間を過ごしました。生きられなかった人生の半分を優雅な主婦で生きてみよとも思うのでした。

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