地震が起きるまでは、機嫌よく遊んでいたのに、地震が起きてからはテンションが下がって遊ぶ気にもなれなかった。人助けというよりはむしろ自分の気持ちを落ち着かせるための自己満足かもしれないが、たまたま新聞に救援物資の仕分けの手伝いの話が出ていたので1週間ほど行っていた。昼間作業している間はテレビも観ないが、帰ってきてテレビを点けると原発の状況が刻々と深刻になっていくようで落ち着かない。情報公開は必要なことだが、聞けば聞くほど心配になっていって、本当のことは知りたくないような気にもなってくる。
東電や国が説く原発の安全性に疑問を持っていた地元の人の「そんなに安全なら東京湾の真ん中に建てればいいのに」といっていた言葉の意味が今になってわかる気がする。長年原発政策を推進してきた自民党が野党になったのをいいことにだんまりを決め込んでいるようで腹立たしい。
福島以外の被災地が少しずつだが前に進んでいるのに、福島の人々は身動きできない状態に追いやられていて、気の毒としかいいようがない。
フランスでもアメリカでも、この事態を収束にもっていけるならどこにでもすがりつきたいが、「船頭多くして」という状態にならないことを祈るばかりである。
支援物資の仕分け会場になっていた廃校になった小学校の桜も行っている間に咲き始めた。