のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

奇跡/2011年日本

2011年08月06日 21時14分56秒 | 映画鑑賞
□奇跡/2011年日本
□監督・脚本:是枝裕和
□音楽:くるり
□出演
前田航基、前田旺志郎、林凌雅、永吉星之介、内田伽羅、橋本環奈、磯邊蓮登、
オダギリジョー、大塚寧々、樹木希林、原田芳雄、夏川結衣、阿部寛、長澤まさみ

□ストーリ
小学生の兄弟、航一と龍之介は両親が離婚したため、鹿児島と福岡に離れて暮らす。
新しい環境にすぐに溶け込んだ弟・龍之介と違い、
鹿児島に移り住んだ兄・航一は、現実を受け入れられず、憤る気持ちを持て余していた。
ある日、航一は、新しく開通する九州新幹線「つばめ」と「さくら」の
一番列車がすれ違う瞬間を見ると奇跡が起こるという噂を聞く。
もう一度、家族で暮したい航一は、弟と友達を誘い「奇跡」を起こす計画を立てる。

□感想 ☆☆☆☆
「あなたもきっと、誰かの奇跡」
このキャッチコピーがとてもしっくりくる素敵な映画でした。
見ている間も、見終わった後も、あったかいゆくもりを感じ、
かつての自分を、小学校時代の友達のことを懐かしく思い返しました。
この映画のどこかに、あの頃の私がいてもおかしくない。
そんなふうに思える映画でした。

全体的な印象は、青空。
その青空は太陽がぎらぎらと照りつけるような光りまぶしい青空ではなく
空気の冷たい早朝、薄い抜けるような色合いのどこかはかない青空。
終始、柔らかな光に包み込まれているような印象を受けました。

様々な形の人と人とのつながり。
仲がいいけれど、確実に「姉妹」とは異なる距離感が爽やかな男兄弟のスタンスとか
思春期一歩手前の甘酸っぱさを感じさせる「男子」と「女子」の関係とか
長男の母親に対する「守らなきゃ」とがんばる姿とか
次男と父親の親子というよりは仲間のような対等なスタンスとか
親しいにも関わらず、どこか遠慮があるみんなの関係性が
この映画の持つどこか淡白な空気感を生み出しているのだと思う。

両親の離婚で離れて暮らすようになった兄弟だが、
弟は持ち前の人懐っこさで新しい生活にもあっという間に馴染み、
兄のほうは失って初めて家族四人で過ごせた日々の幸せをかみしめる。
ふたりの「あのころの家族」に対する捉え方の違いも面白い。
明るく天真爛漫な弟は、物心ついた頃からの思い出が兄より少ない分、
喧嘩を繰り返す両親の姿の比重が大きく、楽しかった日々のことは思い返さない。
マイナス思考で悩みすぎるきらいのある兄は、家族みんなで笑って過ごした
家族ピクニックを思い返し、大阪での日々を「幸せの象徴」として美化する。
対照的に、失ったものを日々実感させられる九州での毎日。
兄は、九州の生活になじまないようにすることで、
両親の離婚を受け入れられない自分から目をそらす。
やがて、あの頃は幸せだった。楽しかった。という想いが
少しずつ、桜島が噴火すればいいのに、という願いに変化していく。
桜島さえ噴火すれば、自分たちは鹿児島にいられなくなる。
鹿児島にいる場所がなくなれば、家族四人で暮らせるかもしれない。
頭では桜島が噴火しても、家族が元の形に戻ることはないと理解していても、
そう願わずにはいられない。
けれど、その願いを口にすることが母親を困らせることもちゃんと分かっている。
それゆえに、「物分かりのよい長男」として過ごし続ける長男が切ない。

「奇跡」を求め、「つばめ」と「さくら」がすれ違う瞬間に向けて
九州の北と南から中央に集まる子供たち。
彼らの旅の中での仕草や振る舞い、ちょっとした言葉は「科白」ではなく、
監督が状況や場面、今後の展開を説明した上で、
出演者自身が自分で考えた「アドリブ」なのだそうだ。
だからこそ、彼らの笑顔ややりとり、言葉が自然で
どこか郷愁を感じさせてくれるのだと思う。
微笑ましい気持ち、懐かしい気持ちになる。

クライマックスで思い思いに自分の願いを叫ぶ子供たち。
その中で願いを口に出せなかった航一。
彼が弟に伝えた「俺、家族より世界を選んだんや」という言葉が胸をうつ。
誰よりも奇跡を願っていたはずの航一が思い出した
今までの12年間を彩る日々のかけらたちがとてつもなくいとおしい。

家族でまた暮らしたい。
大阪に戻りたい。
でも、万が一にも奇跡が本当に起きてしまったら。
本当に桜島が噴火してしまったら。
失うもの、失いたくないもの。
鹿児島に慣れないようにしていた航一なのに、
鹿児島にも着実に「大切なもの」が増えている日々。
そのきらきらした破片がとても美しい映画だった。

郷土愛

2011年08月06日 01時21分23秒 | 日常生活
明日から二日間、北九州市では「わっしょい百万夏祭り」が開催されます。
郷土愛が人一倍強い(と勝手に思っている)私は
朝礼のスピーチ当番が回ってきたのをいいことに、わっしょいの宣伝を行いました。
私の思う祭りの見所と、
「ちょっと遠いけど、お暇な方にはぜひ遊びに来ていただきたい!
 来た以上は、ぜひ北九州市にて大量にお金を落としていっていただきたい!」
という大切なお願いをお伝えして、スピーチを締めたところ
思いがけず、同僚から色々と話しかけられました。

いわく。
「俺もキタキュー出身やけど、一度も行ったことないもんねー。」
「キタキューって、そんなにお金に困っとうと?」
「わっしょいよりも企業祭のほうが見るところ多いやろうが。」
「キタキューって・・・。まだ『百万』にこだわっとったんやねぇ。」

・・・私のスピーチに反応していただけるのは大変大変ありがたいのですが。
いかんせん、内容が(特に大切なお願いが)
まったくもって伝わっていない気がしてなりません。