のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

分かれ道

2006年06月15日 21時51分25秒 | 日常生活
会社からの帰り道、高校時代の恩師に遭遇いたしました。
うちの学校は副教科の音楽・書道・美術は選択制で
受けるのはこの中の1教科のみ。
美的センスというものがまったくないのりぞうは
第一希望を音楽、第二希望を書道にしてました。

が、音楽は希望者が多く。あえなく落選。
2年間、書道を学びました。学んだというよりは「触れた」。
自分の字は嫌いですが、字を書くのは嫌いではないのりぞう。
二年間、おおいに楽しみました。

本日、遭遇したのはその書道の先生。

「のりぞうやないかー!元気しとるやー?」

・・・って、先々週も同窓会で会ったばかりじゃないですか。
ま、しょうがないです。
同窓会のあのきらびやかな空間では、
ひとりひとりの存在は薄れてしまいがちですもの。
こういったところで偶然お会いしたほうが
よっぽど先生の印象に残れるってもんです。

と、先生が思い出したようにおっしゃいました。

「おまえのノート、まだ取っとうぞー。
 まだ授業中に使いようぞ。」

・・・・え?
10年も使いまわし?そりゃあ、すげぇや。
もうノート、黄ばんでませんか?



そういえば、高校時代ののりぞうは
何を血迷ったのか「書道」と「聖書」のノートのみ
えっらい力を入れて作成してました。
このニ教科のみ、ノートはA++。
通知表の評価も飛びぬけてよかったのです。


・・・・・あのとき、このニ教科に注いだ情熱を
主要五科目にもっと注いでいれば
のりぞうの成績ももっとかんばしかったろうに。。。。
ほんの少し、悔やまれます。

しっかし、今ののりぞうってば
字を習いに行ってるわ、教会に通ってるわ、
高校時代に学んだことの影響をうけまくりです。
すごいなぁ。学んだことが血となり、肉となってますわ。

先生、ありがとう。

テレパシーを身につけたい

2006年06月13日 22時06分29秒 | 日常生活
どかんとはまっていた新人研修が終了した今現在、
細々と様々なお仕事をしています。
そのひとつが夏休みに向けてのインターンシップ受け入れ。

国が推進しているせいか、年々受け入れを依頼される
高専や大学が増えてきています。
手続きがちと厄介ではあるものの
学生さんに仕事について考えてもらう大変よい機会です。
実際、たった2週間でも
 「オフィスで座ったままの仕事は自分には向いてない。」
といった気づきをされる学生さんもいるので
長い目で見ると、大変よい場ではないかと。

ただ、微妙に憂鬱なのは先生方の中に、
日本語が通じない方がいらっしゃること。

あ、学生課の職員の方などは、
いつもとても丁寧に対応してくださいます。
本当にこちらが申し訳なくなるぐらい腰が低い方ばかりです。
が、「先生」と呼ばれる方は・・・・。

本日も8月17日(木)から30日(水)までの
インターンシップの日程について、そういった「先生」から
お電話をいただきました。

「インターンシップの受け入れ、ありがとうございます。
 でもですね。8月の29日、30日は
 予備日なんでインターンシップに行けないんですよ。」

・・・・え?
「夏休みにインターンシップをさせてください。」って
書いてなかったっけ?
夏休みって31日までじゃなかったっけ?

「あぁ。そうなんですよ。
 夏休みは31日までなんですけど
 30日と31日は予備日なんで、インターンシップできないんです。」

できないんですって、そんな当たり前のように言われたって。
どこにも書いてなかろうもんっ!

「はい。書いてないんですけどね。
 予備日なんで、学生を行かせるわけにはいかないんです。」

・・・・・ちょっとよろしいでしょうか?
どこにも書いてない「予備日」の存在を
私はどうやって知ればよかったのでしょうか?
どうやったら、その予備日を考慮に入れて
日程を組めたのでしょうか?
ていうか、教えもしなかった情報のために
インターンシップの日程を変えろっていうのでしょうか?

「あ。ですから28日で終わらせてください。
 うちの学校では5日以上、行きさえすれば
 単位あげられますから。」

ふざけんなぁっ!
てめえ、そっちの都合ばかり押し付けやがる気か?
こっちの承諾はいらんというのか?

・・・・ごめんあそばせ。。
思わず言葉が乱れてしまいましたわ。

でもですね、真剣に思うわけです。
先生が「5日間さえ行けば」という気持ちでは
生徒たちに「インターンシップの目的」なんて伝わるわけがない、と。

「インターンシップは社会貢献だから」
と、当社の取締役は申してます。
その通りだと思います。
インターンシップは企業にとっては「社会貢献」。
ボランティアのようなものだと。
特に忙しい中、学生さんのお世話をしてくださる社員はとても大変です。

それでも企業がインターンシップを受け入れている理由を
先生方も考えてほしいなぁと思うわけです。

インディゴの夜/加藤実秋

2006年06月13日 22時04分13秒 | 読書歴
■ストーリ
 「クラブみたいなハコで、DJやダンサーみたいな男の子が
  接客してくれるホストクラブがあればいいのに」
 すべては女性ライター・高原晶が大手出版社の編集者・塩谷に
 漏らした何気ない一言から始まった。
 謎めいた美形の敏腕マネージャー・憂夜の助力を得て、
 二人は一風変わったホストクラブ“club indigo”を渋谷の片隅に
 開いたが、順調な経営とはうらはらに常連の客が殺され、
 店のナンバーワンに疑いがかかる。晶は個性豊かなホストの面々と
 ともににわか探偵団を結成、真犯人捜しに奔走する!
 「クラブ インディゴ」を舞台に繰り広げられる連作短編集。

■感想 ☆☆☆☆
 渋谷という都市を通りがかったことはあるものの(多分)
 渋谷を目指して行ったことがない。渋谷だと認識して
 街を楽しんだこともない。だから、渋谷が本当にこんなにも
 恐ろしい街なのか、若者のための街になっているのかは
 まったく分からない。

 渋谷の通りで日々繰り広げられるナンパ。
 (ナンパ師という人が存在するらしい。)
 ホストやキャバ嬢との楽しい会話。
 (キャバ嬢の為のホストクラブとそれ以外のホストと
  すみわけもあるらしい。)
 流行に敏感な若者たちが集う街であり
 その日に逢った人とでも簡単に盛り上がれる時間を過ごせる街。
 そういった活気に満ち溢れた表面とは裏腹に
 ヤクザ、麻薬、詐欺、暴力など裏世界が混沌とうずまく世界。
 そういった「裏の世界」が透けて見えてしまうのも
 渋谷の魅力なのかもしれない。

 ひとつひとつの作品で取り上げられる事件は陰湿きわまりない。
 それでも読後感が爽やかなのは、クラブインディゴで
 働く人たちが、その人たちなりに筋が通っているから。
 楽な方向に逃げた人ではないから。
 堕ちてきた結果、水商売に足を突っ込んだ人ではないから。

 彼らはみな自分の仕事に誇りを持っている。
 ひとりで、自分の足で立って生きていこうとしている。
 そういった姿勢がどこまでも清清しいのだと思う。

 特に主人公晶は魅力的。
 小説の中の描写ではスタイルもあまりよくなく
 (どうやら女性ホルモンが少なそうな体)
 化粧が似合わない顔立ちで30代半ばの独り身の女性。
 いわゆる「負け犬」だ。けれども彼女は卑屈にならない。
 若者に媚を売らない。その潔さい姿勢にかえって
 ホストの面々がなついているのが行間から伝わってくる。

 現実ではこういった「信頼感」で結びついているホストクラブ
 なんてありえないのかもしれない。お伽話なのかもしれない。
 けれども、こういう仲間っていいな、と思った。
 こういうホストクラブなら一度くらいは行ってみたいかも

 ・・・とは思わなかった。こんな危険な世界は小説だけで十分だ。

RENT / 2005年アメリカ

2006年06月12日 23時02分17秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 家賃(RENT)さえも払えない貧しい生活の中、
 ドラッグやエイズといった様々な問題に直面しながらも
 夢に向かって生きるアーティストの卵たちの姿を綴る。
 1989年、ニューヨークのイースト・ヴィレッジ。
 人気バンドで活躍していたロジャーは、恋人がエイズを苦に
 自殺して以来、作曲ができなくなっていた。ルームメイトの
 マークはドキュメンタリー作家を目指している。
 そこへやってきたのは、かつてふたりと共に暮らしていた
 ベニー。金持ちの娘と結婚したベニーは、この付近の土地の
 所有者となり、彼らに立ち退きを迫るようになっていた。

■感想 ☆☆☆☆☆
 ミュージカルを見るたびに歌の力のすごさ、人の声が持つ
 強さに圧倒される。歌うとき、人は自然と声を張り上げる。
 感情をこめる。時に歌は言葉以上のものを伝える。

 この作品はそういった歌の特性を活用できていて
 ミュージカルだからこそここまでのチカラを持ったのだと思う。
 見る人を圧倒するのだと思う。
 それぐらい人のエネルギーに圧倒された作品だった。

 1989年。つまり今から17年前のアメリカ。
 私がエイズの存在をニュースで初めて知ったのは
 小学校一年のとき。と、考えると、エイズが発見されて
 急速に患者が増えていた頃。そしてエイズに対する偏見が
 今以上にひどかった頃。薬物中毒やエイズや三角関係や
 同性愛など様々な問題を抱え、それでも夢や希望を手放せずに
 いる若者たちを丁寧に描いている。

 確かに描かれている問題も、それらを取り巻く環境も
 「時代」を感じさせるものではある。
 けれども、そういった事態に直面したときの人々の感情の揺れや
 明日に対する希望、葛藤は時代を超えて普遍だと思った。

 もっとも、共感できないところも多数ある。
 そもそもエイズになったきっかけもほとんどが薬物中毒による
 注射の使いまわしだし、夢も大切だけれども、それよりもっと
 「生きること」「生活していくこと」が大切なのでは?と
 現実的な私は思う。夢のために現実を犠牲にしてはいけないと
 思うのだ。

 けれども、そこまでして譲れないものを持っている彼らを
 うらやましく思うし、「死」と隣り合わせになることで
 「生」の美しさを「知る」とか「理解する」とか薄っぺらい
 ものではなく、体全体で体感できている彼らはある意味
 幸せなのかもしれない、それが彼らにとっての「生きること」
 なのかもしれない、とも思う。

 それでもやはり思うのだ。
 「未来はない  過去もない
  あるのは今日だけ 今日という日があるだけ」
 この考え方は寂しすぎる。
 今日は昨日の上に成り立っていて、明日は今日の延長線上にある。
 だから、今日、自分が悲しい思いをしているのは
 昨日の私のせいだし、明日、私が笑っていられるように
 今日の私は精一杯生きなければいけない、と。
 それは、明日、死ぬかもしれない人も同じなのだと思う。
 「今」を楽しむことは大切だけれど、どんなに短くても
 明日を見つめること、過去に感謝することも忘れてはいけない。

 そんなふうに共感できるところ、共感できないところと
 別れたものの、最初から最後まで堪能した。
 とにかく出演者の歌唱力には感動。
 久々にサントラを購入いたしました。
 他にもまだ欲しいサントラはたまってるのに。

 けれど、買ってよかったな、と聴きながら思ってます。 

オカメインコに雨坊主/芦原すなお

2006年06月12日 22時35分00秒 | 読書歴
■ストーリ
 妻を亡くした絵描きさんが、偶然辿りついた村。ちょっぴり怖くて、
 あたたかい。見知らぬ人が懐かしい。
 そこは生者と死者がめぐり逢う場所だった。静かな時の流れが
 心を癒す掌篇小説集。

■感想 ☆☆☆☆☆
 表紙の絵のやわらかさ、桃色の優しさに心惹かれて手に取った一冊。
 表紙だけでなく、小説自体も柔らかく優しく、まるで春の靄に
 包まれているような印象を受けた。
 登場人物の声や川のせせらぎ、柔らかく降る雨の音などが
 実際に聞こえてくるような幸福な瞬間を何度も味わえた。

 時代設定も村の場所もすべて特定されていないものの、
 おそらく今よりもう少し前。まだ戦争のことが「過去」ではなく、
 少し前の痛みとして残っている時代。
 「村」という言葉がぴったりのまだまだのどかな場所に迷い込んだ
 画家はそこで様々な人に、動物に、そして人でも動物でもない
 「何か」に出会い、この世の神秘について思いを馳せる。
 静かに季節が変わり、人工的なものなどどこにも見えない空間の中では
 「神秘」や「不思議」や「動物との意思疎通」がごくごく
 当たり前に行われ、そのことに何の違和感も抱かせない。
 「不思議な出来事」や「懐かしい風景」に、時にぎゅっと胸を掴まれ
 穏やかに暮らす人々との会話に、画家だけではなく読んでいる私までが
 ふと人生について思いを馳せてしまう。
 その「日常の中でふと非日常なことに想いを馳せる時間」がもたらす
 幸福を存分に味わえる。

 登場人物たちの会話は日常生活のごくごく普通の会話にも関わらず、
 ユーモアと示唆に富んでおり、私たちを楽しませ、
 そして考えさせてくれる。
 特に英語教師ノートンとの会話は印象的だ。
 この世に存在している「魂」の神秘について。
 「死ぬ」ことは哀しいことなのか。
 死んだ人の魂は「消失」することはなく、
 自分たちを見守っていてくれると「分かっている」にも関わらず、
 なぜ自分はこんなにも別れが悲しいのか。
 
 宗教がかってはいるものの、易しくたどたどしい日本語で
 繰り広げられる彼の考えは深く私の胸に染みこんできた。

 帯の言葉は「命の源を知ればさみしくなんかないんだよ」。

 時間が「残された人」を癒してくれる。
 けれども、命について、死について思いをはせることによって
 悲しみを風化させるのではなく、乗り越えること、
 自分を納得させることも必要なのだと思う。
 「残された人」は死んだ人を忘れるのではなく
 死んだ人の思い出とともに生きていくのだ。
 そういう天寿を全うした「死」に対して、肯定的な
 捉え方が優しく伝わってきた。

 そして、小学生らしくない言葉遣いのチサノ。
 彼女の繰り広げる人生訓のような言葉の数々には
 くすりと笑わされ、なんとなしに愉快な気持ちになる。
 そして、同時に屁理屈を思う存分こねることができた
 ちびっこ時代の幸福やとてつもなく長かった一日の終わりの
 夕暮れの郷愁を思い出してセンチメンタルな気持ちになる。

 最後の1ページを読み終えるのがこんなにも寂しい小説に
 久々に出会えた。

人間の底力

2006年06月11日 23時34分54秒 | 日常生活
今日は教会に所属する青年主催のバーベキューでした。
みんなにお肉と野菜1品を持ち寄ってもらい
それらを炭火でがんがん焼いて食べる日です。
事前準備が少ないので楽チン。
なのにイベント要素が大きいため、ちびっ子たちは大喜び。
一石二鳥のイベントです。

準備のため、いつもより一時間早く教会に行き
網を洗ったり、野菜を切ったり、盛り付けたりして過ごしていると
ちびっこ軍団が目を輝かせながら周囲をうろつきまわります。

ひとりのちびっこが得意そうに話しかけてきました。

「俺、今日、教会に入ったとたんに
 もしかして!って思ったっちゃんねー!
 絶対、肉の匂いがするっって思ったと!!
 でも、そんなうまい話があるわけないって
 自分を疑っとったんやけど、これ、肉よね?」

うん。肉だよ。
でも、まだ焼いてもない肉だよ。
どんだけ嗅覚が鋭いんだ?!

ていうか、どんだけ肉に飢えてるんだ?!

人間の本能とは、時に恐ろしいほどのチカラを発揮させます。

初組み合わせ

2006年06月10日 23時26分31秒 | 日常生活
ランチを楽しんだ後、靴を購入する必要があったため
ももりんと二人でショッピングを楽しむことになりました。

よくよく考えると、10年も付き合いが続きながら
ももりんと二人行動を取るのは初めてです。
いつも大人数で集まっているため、
ももりんだけではなく、他にも
「実は、二人で会ったことってないよね?」
という方はいますが。

初めての二人行動ということで、集団に埋もれていて
分かりにくかった二人の特性がよく出たお買い物と相成りました。

1.計画性がない。
  欲しいものがどんなものなのか、なんでほしいのか
  漠然としか決まっていないため、あちらにふらふら
  こちらにふらふらする二人。おかげで必要以上に時間をかけて
  天神を歩き回りました。

2.決断力がない。
  よっぽどほしいものでない限り、「えいやっ」と決められない
  ため、同じ店を出たり入ったり、同じ洋服を何度も試着しなおしたり
  迷惑な客以外の何者でもなかった自信があります。

3.割と本能の赴くまま。
  ふたりで行動している割には、本能の赴くままに
  動き回る二人。それでもはぐれることなく、付かず離れずの
  距離で行動できている自分たちにちょっぴり感動いたしました。


一日の終わりにももりんがしみじみと申しました。

「私以上に優柔不断な人っておったっちゃんねぇ。
 いっつもみんなをつき合わせて悪いと思いよったけど
 今日は気が楽やん。
 いつもは私のほうがみんなを苛々させとうのに。」



・・・・もしかして苛々してた?
ご、ごめんなさい。
地下街の端から端まで歩かせて、お店を行ったり来たりさせて
挙句の果てにさっきのお店に戻って試着しなおしたりして


その結果、何にも買わなくって・・・・。

せめて次回は閉店時間を意識して時計を見ながら行動しましょう。
地下街閉店のチャイムに呆然としたももりんの顔は
しばらく忘れられそうにありません。

と、言いつつ
その直後に晩御飯を食べるために入ったお店でも
結局、時計を見ることなく過ごし
閉店時間間際に追い出されたんですけどね。

もうひとつ共通点みっけ。

4.学習能力がない。

大人の階段

2006年06月10日 22時59分42秒 | 日常生活
出産のため、帰省してきている高校時代の同級生りんりんと
出産前にランチご一緒させてください、とお願いしておりました。
出産後のほうが忙しそうなので、出産前。
体調が今ひとつよくなさそうなのですが、滅多に逢えないため
おそるおそるお願いしたところ、快諾してくれました。

わーい。
結婚している友人さえ、ほとんどいない状況なので
「妊婦」の経験談を伺えるのは貴重な機会です。
楽しみにしていました。

いつもよく集まる7名に召集をかけたものの、
残念ながら、みな忙しく、結局集まったのは2名。
合計4名でランチです。

「ひさしぶりー!」と言ってみたものの、その直後に
「イマイチ、久しぶりっていう気はせんけどねー。」
とさくっと言われました。

確かに。
みんなそこそこ久しぶりなのですが
何一つ変わっていないため、どうも久しぶり感が伝わりません。

とは言え、近況報告として話すことはたくさんあり
大笑いしながらお昼を終えました。
もう少し、長居するためにデザートも頼み
延々と3時間近く居座る4名。

ふと気が付きました。

変わってない、変わってないと思っていたのりぞうたちも
確実に10年の歳月を経て、変化しつつあることに。

この席以外のお客様が全員入れ替わり、なおかつ
まだまだ客を回転する必要がありそうなお店の状況に気が付きつつも
しらんぷりをする度胸やふてぶてしさ。

高校時代と比べると、これは確実に増強されています。
変化は徐々に訪れるのです。恐ろしい・・・・。

意外と器用です。

2006年06月09日 23時29分39秒 | 日常生活
本日、最終上映の映画を見るために
仕事が終わってから急いで移動しました。
急ぎすぎてしまったのか、道の真ん中ですってんころりん。
思いっきりこけました。

・・・・すみません。
意味もなく、見栄を張りました。

「すってんころりん」なんてかわいいこけ方ではなく
「どてっ。ずさっ。」と、色々と被害が大きそうなこけ方です。
案の定、ストッキングは破れ、靴は二足とも脱げ
足は血みどろ状態、という悲惨な有様です。

見かねて、通りがかりのおばさま二名が駆け寄ってくださいました。
「ちょっと大丈夫?!立てる?」
「た、立てます。すみません。。。。」

あまりに大人気ないこけっぷりが恥かしくて
卑屈に謝ってしまったのりぞう。
そんなのりぞうを哀れに思ったのか、
優しく慰めてくださるおばさま二名。

「泣かんのよ。大丈夫やけん。」

何が大丈夫なのかちっともわかりません。
ていうか、まったくもって大丈夫じゃなーいっ!

とは言うものの、その優しさには、ほろりとしました。
おば様方の優しさに感謝しつつ、
本日上映最終日の映画館を目指して再び急ぎます。
こんな犠牲まで払って、見られなかったら浮かばれません。

幸い、映画には間に合いました。
かなりよい席にも座れました。
映画も予告を見て感じた期待通り、とってもすばらしいものでした。
中盤あたりからは感動のあまり泣きっぱなしです。号泣です。

そして、映画の中盤あたりから
足の怪我もものすごいことになってました。
応急処置で貼っていたバンドエイドに
収まりきれない血が流れっぱなしです。流血騒ぎです。

流れる涙をぬぐうため顔面を右往左往する右手。
流れる血を止めるため、右足と左足を行ったり来たりする左手。
映画からの感動を精一杯受け止める感情。
流れる血で座席とスカートを汚さないようにと冷静に考える理性。

のりぞう総動員。

常々、自分のことを
「一度にひとつのことしかできない不器用なヤツ」
と認識していましたが、そんなことない!

「切羽詰まれば、複数処理できる意外と器用なヤツ」
と自分の認識を改めました。

やればできるじゃん。
ちょっぴりいい気分。



・・・27年も生きていると
自分を慰めるバリエーションも増えてくるってもんです。

嫁洗い池 / 芦原すなお

2006年06月09日 23時17分58秒 | 読書歴
■ストーリ
 東京郊外に妻と二人で住む作家のぼくの許に、同郷の悪友、
 河田警部が美味そうな食材を手にやってくる。
 すると、妻は料理の腕に勝るとも劣らない推理の冴えを見せ、
 捜査のヒントを示唆する。
 それに従って、ぼくたちがちょっとした再調査に着手すると、
 どんな難事件も見事解決してしまうのだった。
 台所探偵の事件簿第二弾。

■感想 ☆☆*
 前作と同じく連作短編集。
 今回も友人が持ち込む事件を奥さんがあっという間に解決
 してしまう。謎の解決だけでなく、料理の腕もますますお見事。

 今作品も楽しむのは謎ではなく、夫婦がともに過ごす日常生活や
 一緒に食べる郷土料理。そしてふたりが作りあげる家庭。

 だだっこのような作家さんがかわいらしい。
 奥さんのことが好きで好きでたまらなくて、奥さんの
 姿が家にないと、それだけで落ち着かない。
 そして、そんな旦那様をやさしく暖かく愛しそうに見守る奥様。

 とにかく他愛もない会話が微笑ましい小説だった。