旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

久遠寺の桜と信玄の隠し湯と七賢と 身延線を完乗!

2023-04-08 | 呑み鉄放浪記

 青春18きっぷで、東海道本線の始発321Mに乗って、製紙工場の煙突を眺めて富士までやって来た。
身延線を呑み潰すのは3度目だろうか。08:06、西富士宮止まりの3529Gで富士川を遡る旅は始まる。

富士山本宮浅間大社は駿河國一宮、御祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、女神様が富士山を鎮める。
桜が御神木とされ、奉納された500本の満開の桜は、朝の春時雨にピンクの花びらを散らし始めている。

ちらほら開き始めたお宮横丁で、かつてB-1グランプリで名を上げた “富士宮焼きそば” を食べておく。
“静岡麦酒” をグッと呷ってからの、イワシの削り粉をたっぷり振りかけた塩焼きそばが美味い。

特急ふじかわ3号を先行させて、10:39、2番手の3629G甲府行きのセミクロスシートに収まる。
大きく円を描くように電車は標高を稼いで行く。眼下に富士宮の町が広がっても富士山は雲の中だ。

車窓に富士川が見えてきたら、さっき富士高砂酒造で仕込んでおいた “高砂からくち” のスクリューを切る。
富士山を描いた蛇の目のお猪口で呑むと、フレッシュな辛口の酒が一層美味しくいただけるね。

次の目的地身延までは1時間ほど、飽かず流れる車窓を眺めながら、300mlを愉しむにはちょうど良い時間だ。
身延駅に着いたら、山梨交通の路線バスに揺られて10分少々、身延山久遠寺を訪ねてみたい。

薄紅色に満開の桜に見送られて三門を潜ると、目の前に本堂へと続く287段の石段「菩提梯」が立ちはだかる。
まるで昭和な部活動のトレーニングメニュー「腿上げ」の苦痛を経なければ、涅槃に達することはできない。

辿り着いた本堂、樹齢400年の巨木が淡いピンクに枝垂れる情景は、なるほどここは涅槃かと思わないでもない。

明治の大火から130年余ぶりに再建された美しい宝塔も、淡いピンクの簾の向こうで恥ずかしそうに見える。

旅の続きは13:44発の3631Gで、富士川に添いつつこのまま甲府への予定だったけど、3度目の途中下車。

下部温泉駅の構内踏切を渡ったら、老舗旅館下部ホテルを訪ねて、柔らかなお湯に浸かろう。
春とはいえ、まだ冷たい狭い谷間の風を頬に感じながら露天風呂に浸かる。涅槃の次は極楽浄土か。

風呂あがりのラウンジ、この時間に生ビールの提供なない。最近の呑み人は果敢に甘味にもチェレンジする。
アップルパイにアイスクリームをのせて球状にペーストで包んで、“真っ赤な林檎ケーキ” が美味しい。

アンカーの3633Gは30分遅れでやって来た。ひとりぼっちの駅待合室は旅情を通り越してうら寂しい。

車窓は鰍沢口から突然に開けて電車は甲府盆地に入る。どんよりした空からはとうとう雨粒が落ちてきて、
南アルプスの山々が見えない。やるせ無い気持ちを引きずって、電車は甲府駅5番ホームに終着する。

川中島の戦いの武田信玄公像に一礼して、駅前ロータリーから1本路地に入ると「酒蔵七賢」がある。
先ず “生ビール” で始めるのはいつものお約束。季節を感じて “菜の花からし和え” を抓まもう。

白州台ヶ原にある「七賢」の直営店だろうか?限定酒を含めて蔵のラインナップが並んでいる。
一杯目は春らしい桜色のラベルの “春しぼり” を択んだ。爽やかな香りを楽しみつつ、辛口の純米生酒が美味い。

大ぶりなジャガイモがほろりと崩れて、出汁が染み込んだ “肉じゃが” が美味しい。七味を振ってね。
黒塗りの盆に朱い塗り箸、ちょっとした料理屋を訪ねた気になる。いい気分で二杯目の選択に悩んでみる。
っで、滑らかなのど越しの “一番しぼり”、初冬に蔵出しされる新米新酒は緑色のラベル。これって酒林のか。

竹林の七賢人から名前をいただく “阮籍” は本醸造生酒、酸味とコクがある旨酒って感じか。
行く冬を惜しんで?、レモンを絞って抹茶塩を塗して “わかさぎ天ぷら” が美味い。コクある酒に合うね。
酒蔵七賢で七賢に酔いながら暮れていく小雨の甲府。身延線の旅を終えて、そろそろ上りの中央線に乗らないと。

身延線 富士〜甲府 88.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Friday Magic / 中原めいこ 1983


若戸大橋と藁炙り刺とNew Moonと 筑豊本線を完乗!

2023-01-21 | 呑み鉄放浪記

 18時、洞海湾を跨ぎ若松と戸畑を結ぶ赤い吊橋「若戸大橋」と「若松港石積護岸」に灯が点る。
1940年代の若松港は日本一の石炭積出港、当然のことながら若松駅の貨物取扱量も日本一となるのだ。
筑豊炭田で採掘される石炭を若松港まで輸送し、日本の近代化を支えた筑豊本線を今回呑み潰す。

始発の6620Dは06:57発、内燃エンジンが吐き出す排煙で煤けたキハ40、東日本で見ることは無くなった。
両端に運転台を持つ気動車がたった1両、かつての石炭の道を辿るこの旅のトップランナーになる。

まだ明けやらぬ空の漆黒が少しづつパープルに変化していく。
閑散とした原田(はるだ)駅には思い出したように小さな車が乗り付ける。親御さんが高校生を送ってくるのだ。
筑豊本線はここ原田で鹿児島本線から分岐し、かつて炭鉱で栄えた町々を繋いで若松で玄界灘に至る。

唸りを上げるキハ40が、3,286mの冷水トンネルで峠を越える頃、ようやく夜明けを迎える。
野球部の大きなバックを抱えたり、和弓を担いだり、乗客の殆どは高校生。ポツポツと夜勤明けのご同輩か。

左手から合流して来る篠栗線、博多発門司港行の1620Hと歩調を合わせて桂川(けいせん)着。この光景は楽しい。
筑豊方面へは博多発の篠栗線が直通して、本線の原田〜桂川の方が支線扱い、日に10往復でしかない。

狭い跨線橋を渡って1番線へ、並走してきた1620Hに乗り換える。
表示は直方行きになっているが、そのまま門司港行きとなる2時間40分90kmを駆ける長距離ランナーだ。

817系はJR九州管内に広く生息している車両、嬉しいことに転換クロスシート。しからばカポっと。
“寒山水” は八女の酒、軽やかな香りがあってキレの良い風味、ちょい辛の純米吟醸でした。
ところで鉄路は新飯塚から(若松まで)は複線になっていた。かつて石炭輸送の大動脈であったことを物語るね。

沿線の中心駅直方(のおがた)に途中下車。ちょっと平成筑豊鉄道に寄り道して呑んできます。
女子高生たちが取り囲んでいるのは元大関魁皇(現浅香山親方)、ここ直方市の出身なのだそうだ。

時刻は夕方に飛んで再びの直方駅、アンカーは6668Mの若松行き。
819系電車の「DENCHA(デンチャ)」という一見おふざけな愛称は「DUAL ENERGY CHARGE TRAIN」の略。
電化区間でパンタグラフを通じて電気を取り込み、非電化区間では床下の蓄電池がに蓄えた電力で走るらしい。
そういえばデザインもなんとなく単三乾電池っぽいなな。

直列に2つ繋いだ単三乾電池は折尾駅で再び鹿児島本線とクロスした後、(愛称)若松線区間をラストスパート。
このローカル線が複線なのも驚きだけど、架線もない鉄路を電車が軽快に走っていくのも不思議な光景だ。

約66キロ、本線としては短い旅は、錆びついて車止めに行手を塞がれてあっさり終わりを迎える。
かつては広大な貨物ヤードが広がっていたであろう若松駅、今では一面二線の寂しい終着駅だ。

国内有数の炭鉱地帯からの石炭積出港として栄えた若松の繁華街、今ではすっかりノスタルジックな町だ。
目星を付けていた酒場も、お休みだったりあまりにも寂しすぎたり、仕方なく折尾まで戻ることにする。

折尾駅の北口に「芽から鱗」って、ちょっと洒落た名前の炉端・藁焼の店を見つけた。
カウンターに1席のスペースが空いていて、運よく滑り込んだ19時。いつも通り生ビールから始める。

アテは “ごまヒラス” に “からすみのポテトサラダ” を。いかにも九州の匂いがするでしょう。
カウンターの中は若い子ばかりだけれど、手際は良いし、繰り出す肴は見た目も味もなかなかの出来映えだ。

大将格の兄さんが、サワラにニラの醤油漬けを添えた一皿をサービスしてくれた。これが美味い。
日本酒は全国の銘酒を取り揃えて、地酒を飲みたいボクにはちょっと残念。“鍋島” が唯一の九州の酒だ。
“New Moon” はしぼりたて生酒、フルーティーな香りで爽やか、酸味が心地よい純米吟醸原酒です。

“炭焼 野菜盛” は、ステーキ椎茸、つぼみ菜、ししとう、やまいも、ズッキーニ。其々の薬味が引き立てる。
三杯目は芋焼酎に変えて “赤兎馬” を水割りで、すっきりした味わいが野菜たちに違和感なく美味しいね。
最後に “海” をお湯割りで、立ち上る香りを楽しみながら、寒鰆、鰹、真鯛、活き穴子と “藁炙り刺” を抓む。

石炭を運んだ鉄路の終点若松、寒風吹き荒ぶ石積護岸、若戸大橋が真紅に浮かび上がってっている。
橋の袂から洞海湾を渡す若戸渡船が出る。今宵、小さな渡船の揺れに身を任せて、筑豊本線の旅を終えるのだ。

筑豊本線 原田〜若松 66.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
冬のリヴィエラ / 森 進一 1982


ディーゼルカーとボタ山と“とろろこぶうどん”と 後藤寺線を完乗!

2023-01-14 | 呑み鉄放浪記

赤地に白く抜いた「快速」の文字も誇らしげに、3531Dは23往復の後藤寺線にあって唯一の快速列車だ。

筑豊の日の出は7時20分、まだ山並みから昇ったばかりの朝日に照らされて、旧い気動車のドアが閉まる。
もはや東日本では見ることが無くなったキハ40系列の2両編成は、唸り声を上げてあくまでも鈍重に動き出した。

左手にカーヴを切って筑豊本線を離れた後藤寺線は、しばらく南東に向かう直線区間を加速していく。
右手に見える3つの三角錐は旧住友忠隈炭鉱のボタ山、その美しい姿から「筑豊富士」とも呼ばれる。

峠とも言えない小さなピークを越えると、今度は左手に岩肌が剥き出して人工的に道付けされた山が現れる。
関の山鉱山に麻生セメント、列をなして走るダンプカーが巻き上げる土埃は白い。なるほど石灰石鉱山だね。

もともと後藤寺線は石炭や石灰石を輸送するための貨物鉄道を、鉄道国有法により国鉄が買収して開通した。
今では石炭鉱山は全て閉山して石灰石鉱山だけが残っている。後藤寺線はすでにセメント輸送を廃止している。

わずか16分、キハ40系列の2両編成は田川後藤寺に終着する。木製の跨線橋がレトロ感いっぱいの雰囲気だ。
この駅は日田彦山線に後藤寺線、さらには糸田線(平成筑豊鉄道)が乗り入れる要衝だが、相互に乗り入れはない。

かつて炭鉱関係者で賑わったであろう田川後藤寺駅前に、昭和の匂いもぷんぷんに「一平食堂」がある。
7時に開店する駅前食堂は老夫婦が切り盛りする。ウインドウにはお惣菜を並べてご老人や単身赴任者の御用達。

ウインドウから “切り昆布” を択んで、スーパードライをグラスに注ぐ。レトロな180mlのコップが泣かせる。
朝飯がわりに “とろろこぶうどん” を注文。うどんが茹で過ぎなのはご愛嬌、しっかりした出汁、とろとろの
昆布が美味しい。何しろ飲み疲れた胃に優しいね。小母ちゃんとの会話を楽しんで、小さな旅を終えるのです。

後藤寺線 新飯塚〜田川後藤寺 13.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
愛の中へ / 渡辺徹 1982


千本鳥居と鳳凰堂と吟醸朱雀門と 奈良線を完乗!

2022-12-03 | 呑み鉄放浪記

東山に連なる三十六峰最南端の霊峰稲荷山(233m)、その頂へと朝霧湧き立つ幻想的な伏見稲荷大社を訪ねた。
秋の乗り放題パス(連続する3日間)を握りしめて呑み鉄の旅、三日目は京都から奈良へと奈良線を潰そう。

凛とした空気に包まれた早朝の京都駅、ホテルのガラス壁面に京都タワーが映り込む。映えって感じでしょう。

先ずは1611M城陽行きに飛び乗る。観光客に登山客それに部活の中高生を乗せて満員の電車が出発する。
ひとつ目の東福寺で驚くほどの降車客があるのは京阪電車への乗り換えがあるからだね。次が稲荷駅だ。

深く一礼をして鳥居を潜る。三十六峰から昇った秋の陽に逆光となって、堂々たる楼門がひときわ朱い。

伏見稲荷にはどれだけの「白狐」が居るのかは知らないけど、本殿前の一対は取り分けて立派だ。
一方は金の稲穂を咥えているんだけど、これは稲荷大神様はもともと五穀豊穣の神様だからだそうだ。

朝霧の中をどこまでも続くかのような「千本鳥居」の朱塗りが美しい。でもこの静けさの中では畏怖の念が勝る。

ガタガタとガーダーを鳴らして613Mが宇治川橋梁を渡る。桁下を水量豊かな宇治川(淀川本流)が大阪湾をめざす。

08:27宇治着、二度目の途中下車をする。駅舎は当然に平等院鳳凰堂をモチーフにしている?のだそうだ。
奈良線を旅するならやはり宇治も歩いておきたい町だ。

駅を背にして歩き出す。宇治橋通りに出ると老舗中村藤吉本店に突き当たる。堂々たる暖簾が掛かっている。
抹茶の “生茶ゼリイ” が楽しめるカフェは10:00開店というのに、もう女の子たちが並んでいるね。

通りが宇治川に突き当たる橋の袂に紫式部、ご存知の通り源氏物語の最後の十帖は宇治を舞台に描かれている。

この世に極楽浄土を表現した「宇治平等院鳳凰堂」が優雅なその姿を宝池に映して美しい。
呑み人としてはいつもの事ながら、極楽浄土の楽団 “雲中供養菩薩像” を飽くまで眺めるのが愉しい。

2603Mが滑り込んできた。京都〜奈良間を45分で駆ける “みやこ路快速” は宇治で各駅停車を追い抜く。

奈良線の車窓も宇治を過ぎると明らかに緑が濃くなり、一方車内は停車駅ごとに空いていく。っでプシュ。
かつて京阪神間を新快速として鳴らした221系は転換クロスシート、呑み人としては嬉しい仕様なのだ。

三重県の青山高原を源に発した木津川を渡ると旅の終わりは近い。実は奈良線は奈良には辿り着かないのだ。

片町線(学研都市線)、奈良線、関西本線を束ねて木津駅が奈良線の終点。地図上で見ると畜産用のフォークだ。
“みやこ路快速” はこのまま関西本線に入って、奈良までの7kmに魂のラストスパートをかける。

結局、後続の “大和路快速” で奈良まで足を延ばす。木津の町では昼飲みは出来ないからね。
先ずは “生ビール” それに “豚キムチ”、ちょっと酸っぱい。JR奈良駅には「ゆるり」って昼飲み酒場がある。

脈絡もなく和に転じて “きざみ奈良漬” に “まぐろ山かけ” を、やっぱりこんなアテがいいね。
奈良の地酒 “豊祝” はキレの良いまろやかな味わいの純米酒、奈良漬を相手にそれこそユルリと呑みたい。

こんどは “吟醸 朱雀門” がグラスから零れる。これも同じく奈良豊澤酒造の酒だ。
七味を振って甘辛い “カツとじ” がアテ、華やかな吟醸香をスッキリと流したら、この奈良線の旅を〆るのだ。

奈良線 京都〜木津 34.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Oh!クラウディア/ サザンオールスターズ 1982


臥龍城と宝塚だんじりと奥丹波と  福知山線を完乗!

2022-11-26 | 呑み鉄放浪記

 秋の乗り放題パス(連続する3日間)を握りしめて呑み鉄の旅、二日目は福知山から大阪方面に抜けようと思う。
駅の西にある車両所から223系が入ってきた。新しい形式なのだけど寸詰まりの2両編成なんだね。
10年ほど前に乗った時は堂々の編成だった気がする。JR線もローカルになるとほぼワンマン運転になっている。

由良川と土師川の合流点から福知山城を見上げる。二つの川が天然の堀であったことは想像に難くない。
明智光秀が修築した福知山城は野面積みを用いた石垣が残り、中世の姿に思い巡らせることになる。

山陰本線に福知山線、宮福線(京都丹後鉄道)が乗り入れる福知山駅は鉄道の要衝だ。
高架化された近代的な駅は南北に広場を持ち、新しくできた南口にはC11が転車台に載って保存されている。

09:01、福知山駅を発った2530Mは緩いカーブを描いて山陰本線に別れを告げると、土師川(竹田川)に沿って
田園地帯を往く。そして最初の停車駅丹波竹田を待たずに京都府から兵庫県へと入っていくのだ。

市島駅では列車交換の長い停車となる。ボクがこの駅で途中下車するのは長い停車時間に焦れた訳ではない。

“奥丹波” を醸す山名酒造、1716年(享保元年)創業は丹波で最も古い蔵になるらしい。後続の列車までは1時間、
石造の蔵を訪ねたら、山廃止込みのシェリー樽貯蔵酒、木桶仕込みの純米大吟醸を仕込んで満足の呑み人だ。

福知山から山中を1時間10分駆けて篠山口、2両編成の223系は長い長いホームの中ほどにちょこんと終着する。

向かい側4番線に襷をつなぐ堂々7両編成の321系、大阪行きの快速2752Mが乗客を引き取って滑り出す。

7両編成になったからって、三田、宝塚辺りまではそうは需要がある訳ではない。後部車両は貸切状態なのだ。
然らば遠慮は要らない。大きな窓の広い枠に特別純米と猪口を並べたら、待ちきれずの一杯をいただきます。

阪急の駅ほどではないにせよ、宝塚駅はレンガ造り風の瀟洒な駅だ。初めましての街にちょっと途中下車。
宝塚大劇場に向かって「花のみち」を歩いてみる。ショッピングモールもホテルも立ち並ぶマンションも、
洗練されたデザインでオシャレ、そしてちょっぴりフェミニン。ステキな街並みだけど住むには擽ったい。

呑み人は行く先々で、結構な頻度でお祭りやイベントに当たる。なにか持っているのか?
花のみちでは「宝塚だんじり」と遭遇。川面神社の山車が3台、勇壮な掛け声とともに曳かれていく。
南欧風の大劇場と山車と法被姿の若衆、この洋と和の組み合わせがなかなかシュールな光景と思うのだ。

城崎温泉へ行く特急こうのとり9号が1番線に滑り込む。ボクの乗り込むアンカー1154Cは2番線に停車中。
宝塚始発の各駅停車は、東海道本線を高槻まで走ったり、学研都市線を同志社前まで走ったり、
勝手を知らない関東人からするとその走りはかなりトリッキー、JR西日本のアーバンネットワークが見事だ。

宇宙船のようなペデストリアンデッキから尼崎駅を望む。
福知山線の起点尼崎は鉄路がX字に交わり、神戸・宝塚・京都・同志社前方面を相互に結ぶ結節点の駅だ。

キリンビール尼崎工場の移転で生まれ変わった尼崎北口、高層住宅が立ち並ぶアミング潮江に紛れ込む。
ハロウィンのイベントで賑わうモールの一角、いかにも昭和な大衆居酒屋がポッカリと口を開けている。

先ずはお約束の “生ビール” から、アテに択んだ “ポテトサラダ” はオリーブオイル仕立ての変化球が来た。
それにしてもご同輩ばかりの昼呑み酒場(12時開店)の情景かと思いきや、ベビーカーを押してのママ友呑み、
小さな子どもを連れて家族呑み、紫煙をものともせず話に花が咲く。関西の文化・習俗は興味深い。

ちょい懐かしいBLACK NIKKAの “ハイボール” を飲んでると、おかかを踊らせ “つゆだく明石風たこ焼き” 登場。
これがなかなか面白い。酒を選ばずにいいアテになるぞ。

“蒸し豚のたっぷりネギ塩” も絶品、柔らかなモチモチの豚肉にたっぷりネギ塩ダレを絡めて美味しい。
控えておいた日本酒に手が伸びる。辛口純米 “族” は和歌山の九重雑賀の酒、名前だけで盛り上がりそうだね。
清涼感のあるスッキリとした辛口が蒸し豚の旨味をリセットするなかなかいい相性だと思う。いいね。

2時間と少々で丹波・摂津を駆け抜けた福知山線の旅、尼崎の大衆酒場で美味しく〆る呑み人なのだ。

福知山線 福知山〜尼崎 114.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
哀しみの黒い瞳 / 郷ひろみ 1982


舞鶴旬魚と万願寺とうがらしと池雲祝と 舞鶴線を完乗!

2022-11-19 | 呑み鉄放浪記

 1889年(明治22年)、旧海軍の舞鶴鎮守府が設置された。舞鶴線の歴史はこの軍港とともにあったと云える。
出征者や引揚者の様々な想いを乗せて舞鶴線は走ってきたことだろう。今宵この舞鶴線の短い旅をする。

近代的な高架駅に島式ホームが一つ、1番線に舞鶴線、2番線に小浜線の電車がホームを挟んで停車する。
18:51発の350Mは新しい223系の2両編成、小浜線からの乗継ぎ客を飲み込むと、定刻に闇を突いて走り出す。

30分の旅を簡単に乗り通してしまったら呑み鉄にはならない。呑み人はひとつ目の西舞鶴に降り立つのだ。
道中目星を付けておいた地魚が食べられる居酒屋を、赤れんが倉庫辺りで電話して席を確保しておいたのだ。

先ずはともあれ “生ビール” を一杯、突き出しには “あんきもポン酢” が出てきた。今宵は散財になるかな。
重厚な陶器に氷を敷き詰めて、盛り合わせの6種が美しく共演する。本まぐろ、さわら、真鯛、ぶり、サーモン、
それに舞鶴ならではの “土えび”、歯応えのある美味しいエビだ。量が少なく足が早いので都会では出会えない。

舞鶴の地酒 “池雲 祝” は京都の酒米「祝」で醸す純米吟醸、シャンパーニュグラスでいただく。
柔らかな口当たりとほのかな吟醸香の優しい酒は、ちょっぴり辛口で刺身と良い感じだね。
次なる一皿は “茄子と万願寺の揚げ出し”、万願寺とうがらしはここ舞鶴が発祥の京野菜、ひとつ利口になった。
ほんのり甘い揚げびたしも、純米吟醸のいいアテになる。

二杯目はおとなり福井の “黒龍秋あがり”、熟成してふくよかになった純米吟醸は、山田錦らしい吟醸香だ。
土瓶の熱い出汁をかけると、ふわっと海苔の香りが広がって、〆は大好きな “へしこ出汁茶漬け” の準備完了。
列車の時間が迫ってるからササっと掻き込むのだけれど、なんだかとっても幸せな気分だ。

ひとくち残しておいた “秋あがり” を喉に流して駅へ急ぐ。ガラス張りの西舞鶴駅がキラキラしているね。
福知山まで乗り入れる354Mは濃緑色に塗られた113系。綾部まではあと20分、鼻腔には吟醸香が残っている。

舞鶴線 東舞鶴〜綾部 26.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
今夜だけ Dance・Dance・Dance / 中原めいこ 1982


気比そばと早瀬浦と舞鶴赤れんが倉庫と 小浜線を完乗!

2022-11-12 | 呑み鉄放浪記

 風の音しかしない静かな駅、列車交換のために2両の125系が少々長めの停車をしている。
南から延びてきた尾根が何本かそのまま海に落ち込んでいて、その合間から青い日本海が覗いているね。

秋の乗り放題パス(連続する3日間)を握りしめて、北陸新幹線工事の槌音響く敦賀までやってきた。
小一時間の待ち合わせ、先ずは佐渡酒造先生に手を合わせる。今回も美味しいお酒と巡り会えますように。

かつてはホームにあったのかな?気比そばあまので “おろしそば” をいただく。ちょっと辛味が美味しい。
「これは “越前そば” ですか?」と呑み人、「いいえ、ここは “若狭” ですからね」と笑顔でお姐さん。
やっ、やっちまった。でも旅人の無知は時としてなごみを生むね。

漸く1番線に932Mが入線してきた。このブルーフェイスの2両編成で小浜線をゆく。
ローカル専用の125系は単行できるように両側に運転台、後から無理やり設置した感じのトイレがあって、
そのせいか座席と窓の位置が合ってなかったり、なんだか中途半端な作りなのだ。

河口が近いというのに川の流れが急だ。美浜駅に到着する前に海が覗いた。秋の日本海が青く穏やかだ。

列車交換する十村駅、ボックスをシェアしていた高校生がたった一人降りていった。静かに時間が流れている。
背景の山並みは福井と滋賀の県境の山、鯖街道もこの山の連なりを越えてゆくのだ。

カポっとワンカップを開ける。独りになったからね。“早瀬浦” は美浜の三宅彦右衛門酒造の酒だ。
しっかりした味わいは、漁師たちの酒って感じだろうか。呑みごたえがあるね。

沿線の中心駅小浜に途中下車してみる。
八ヶ寺をめぐるか、蘇洞門めぐりの遊覧船に乗るか、いずれかが小浜観光の常道だろうがその時間はない。
次の電車までは1時間半、小浜の古い町並みを歩いてみようと思う。

小浜には、人魚の肉を口にして、若く美しいまま不老不死になった八百比丘尼の伝承が伝わる。
マーメイドテラスは、美と長寿を願うモニュメントとして、二人の人魚が小浜湾に臨んでいる。 

狭い路地にベンガラ格子や出格子の家が軒を連ねるのは、小浜西組の三丁町(さんちょうまち)だ。
まるで京都の路地に迷い込んだような気分になるね。家々に灯がともる時刻に歩いてみたいものだ。

この町並みを少々外れるとフォトジェニックな庚申堂がある。
ひっそりとしたお堂に色とりどりの「身代わり猿」が吊り下げられている。飛騨地方のさるぼぼに似ているね。

後続の934Mは16:55発、当然に高校生中学生でいっぱいになる。この状態は首都圏の通勤時間帯と変わらない。

小浜湾に夜が訪れる。マジックアワーが過ぎて半島や小さな島々が漆黒に沈んでいく。もう少し見ていたい。

ブルーフェイスの2両編成は敦賀から2時間、若狭湾とともに緩やかに弧を描いて舞鶴に到着する。
一本の鉄路ではあるけれど、ここから西は舞鶴線として別の運用となる。ここが小浜線の旅の終わりだ。
真っ暗なのを承知で舞鶴港まで足を伸ばす。夜の闇に浮かび上がった「赤れんが倉庫」が美しく幻想的だ。

小浜線 敦賀〜東舞鶴 84.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
miss you / Hi Fi Set 1982


大猷院と天然氷のかき氷と四季桜と 日光線を完乗!

2022-08-27 | 呑み鉄放浪記

 日光線に投入された新型車両(E131系)は、日光らしいレトロ調を継承しつつ、宇都宮で復元された
火焔太鼓の山車をイメージした黄色と茶色のラインを纏って、賑やかで高級感のあるデザインだ。

わたらせ渓谷鐵道を呑み潰した呑み人は、終点の間藤から日足連絡バスに乗って日光へやってきた。
日光を訪ねるとどうしても東照宮に足が向くのだが、今回は徳川三代将軍 家光公の廟所 大猷院を訪ねる。

仁王門を潜って次は、左に持国天を右に増長天が安置しているから「二天門」、扁額は後水尾上皇の筆だ。
巨大な門は陽明門を凌いで日光二社一寺では最大、「東照宮を凌いではならない」という遺言に違えている。  

さらに屈曲した階段を上ると、廟所を守護する四夜叉を安置した「夜叉門」を見上げる。奥に唐門がのぞく。
夜叉門の金色と燻んだ朱色には、新型車両の配色が親和しているのではないだろうか。

長いバス待ちの列を横目に、JR日光駅までの道のりはぶらぶらと歩くことにする。
大谷川に架かるのは二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の「神橋」ここから先は神々の領域だ。
神聖な橋はもっぱら神事・将軍社参・勅使などの参向に使用され、庶民は下流の仮橋を渡ったと云う。 

かつて神橋の傍を電車(日光軌道線)が走っていた。日光駅前から神橋、西参道、清滝を経て、終点の馬返しで
華厳滝や中禅寺湖への観光客をケーブルカー(当時)に繋いだ。東武日光駅に当時の100型電車が展示されている。 

 東武日光駅を横目に坂を下ると、淡いピンク色を配したルネサンス様式のJR日光駅が見えてきた。
重厚なエントランスを潜ると落ち着いた白と茶の世界、大正ロマンに溢れた白亜の洋館から日光線は出発する。

日光街道の杉並木に並行して、25‰の急勾配をE131系が駆け上ってきた。
県都宇都宮と鹿沼・今市・日光を結ぶ路線は、観光客の動線を東武日光線に譲っている。どちらかというと
通勤通学を含む生活路線のイメージ。勿論オールロングシートでそれなりに混んでいるから缶ビールはNGだ。

そうそう、大猷院から日光駅に向かう途中で田母沢御用邸正門通りの「日光珈琲」に甘ぁい寄り道をした。
太い梁が通った商家造りの店で、日光天然氷の “かき氷(とちおとめ)” を味わう。呑み人らしくないだろうか?
絹のように薄く削った氷が、イチゴの果肉と一緒にすぅっと優しく溶けてなかなかの美味なのだ。

19:02、864Mは勾配を駆け降りて宇都宮駅に終着する。直ぐ様家路を急ぐ乗客が雪崩れ込みそこに旅情はない。
駅前広場からバスに乗って、馬場通り・本町方面に向かう。今宵の酒場を探しに行くのだ。
宇都宮には3年半住んだけど、若い管理職として過ごした日々は仕事に明け暮れたので、この街の楽しいところ
美味しいところはまるで知らない。時あたかもビジネスマンに24時間闘うことを求めていた時代だからね。

 中心街のオリオン通りではアーケードに飲食店がテーブルを出して、まるで屋台のように賑わっている。
もちろんご同輩が目につくけど若者も多いなぁ。案外女の子のグループもグラスを傾けていて頼もしい。
ほんとは違う店に当たりを付けていたけれど、この「魚田酒場」の活気に誘われ、カウンターに席を求める。

生ビールをゴクリっとやってから気が付いた。黒板に書かれた刺身類には軒並み「売り切れ」の抹線、残念。
アテは “たぬき奴”、たっぷりの天かすをのせてポン酢の汁に浸かった冷奴がワサビを溶いて美味しい。

“四季桜” はご当地の酒、県産米とちぎの星を醸した純米酒はやや辛で濃醇、料理を選ばないタイプかな。
やっと見つけた刺身系は “太刀魚炙り” を択ぶ。塩を塗してよし、わさび醤油でよし、日本酒に合うなぁ。

“惣誉” は鬼怒川を挟んで市貝町の酒、辛口特釀酒は地元オヤジ晩酌の定番酒なれど山田錦を使っている。
きりっと冷やしても、燗をしてもいけそうだ。ボクは迷わず冷えたのを。これもどんな料理にも合いそうだ。
天汁におろしで “小柱と大葉のかき揚げ” をいただく、まったりした旨さを辛口でスッと流す。美味いね。

この時期は青春18きっぷの旅だから、1時間半かけて東京へと戻る。日光線の旅には延長戦が残っていた。
ボックスシートにほろ酔いの身体を収めて、宇都宮もまだまだ掘り起こしたい街だと思うのだ。

日光線 日光〜宇都宮 40.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
OK!マリアンヌ / ビートたけし 1982


奈良井千軒と寝覚の床と木曽路の女 中央本線を完乗!

2022-07-30 | 呑み鉄放浪記

 照りつける真夏日の日差しは信州の川から湖から水蒸気を吸い上げて、激しい夕立が来そうな空模様だ。
松本から来た8番手の834Mは15分の長い停車をしている。今日5本目の211系もロングシート、また外れたね。

中央本線呑み潰しの後半はJR東海が管轄する通称中央西線、ここ塩尻を境界にして双方を直通する列車はない。
ところで塩尻駅の中二階に塩尻産ワインを提供するカフェバー「アイマニ」を見つけた。6月OPENらしい。
「階段のアイマで、電車を待つアイマニ、人と人が会う間を」だって、なかなか洒落ている。いい感じだね。

頂いたのはサンサン ワイナリーのシャルドネ、2015年に荒れ果てた耕作放棄地に開いた若いワイナリーだ。
“柿沢 シャルドネ ネイキッド2019”、フレッシュな香りに滑らかな口当たり、いいワインに出会った。 

“トマトのカプレーゼ” を抓みながら、ふくよかな果実味を愉しむ。これ「日本酒と日本酒のアイマニ」かな。

16:06 塩尻発、車窓の左右に広がる葡萄畑には土砂降りの雨、列車は水煙を上げて木曽路へと駆ける。
夕立が嘘のように止むと、信州カラーの211系は奈良井駅に滑り込む。夕暮れの宿場の家並みを歩きたい。

旅籠風情を残す家々が折り重なるように連なり、途切れるその先には青々とした山並みが続いている。
冷たい湧水が溢れる水場、高札所、出梁造りに袖卯建と格子のある家並み、情緒たっぷりの風景だ。

険路で知られる鳥居峠を控えたこの宿場は「奈良井千軒」と謳われ大いに栄えた。現在でも容易に想像できる。
木曽路は2013年の夏から秋にかけて歩いた。ご興味があれば「中山道紀行22〜27」をご覧いただきたい。

 9番手の1836Mを木曽福島で下車する。17:50、まだまだ余裕で名古屋に到達できる時間帯なのだけど、
そこは呑み鉄旅、小さな町の酒場で “馬刺し” を肴に木曽の酒を愉しみたい。
ところが大きな誤算、当たりをつけた酒場が2軒とも金曜日というのに暖簾が掛からない。流行り◯の影響か。

夕暮れの町を彷徨うこと1時間、漸く冷たい生ビールにたどり着く、プハァーって思わず大袈裟な声がもれる。
駅から今夜の宿へと向かう途中に開店準備をしていた料理屋を思い出したのだ。ただ郷土料理の品書きはない。
お腹が空いていたので “鶏と夏野菜のグリル”、フュージョンな一皿だがニンニクソースが効いて食欲を唆る。

木曽の地酒は “中乗さん”、料理を生かす名脇役の辛口本醸造は飲食店などに卸している酒らしい。
お姐さん、調理台の上の一升瓶から無造作に注ぐ。大将、この酒を料理にも使っている。この大雑把さもいい。

刻み海苔とネギを絡めて “揚げ出し豆腐” を掬う。なかなかいい味を出している。大将、腕がいいなぁ。
“七笑” も木曽福島の酒、スッキリとした飲みやすさの辛口は、オヤジたちが燗をつけて飲む定番酒だ。旨い。

ホテルはリバーサイド、木曽川沿いリバーサイド、食事もリバーサイド、Oh- リバーサイド。
土曜の朝はサラリーマンが居ない朝食会場、半分は御嶽山か木曽駒への登山客、もう半分は建設関係の方か。

10番手の822Mは07:36発、JR東海の313系は転換クロスシート、これぞ旅気分、プシュッと缶ビール。

車窓から御嶽山を望むポイントがあった。長野方面に向かう列車なら、上松を出て木曽福島到着前、
左手に目立つ御嶽教の神社を過ぎたら前方に注目、王滝川の谷間の奥先にその雄大な姿を見せつけている。
名古屋方面に向かう列車からは振り向く様になる。残念ながらカメラを取り出す間もなく景色は通り過ぎた。

ひとつ目の上松で早速18分の停車となる。長野からの俊足ランナー “特急しなの” の追い抜きを待つためだ。

ボクは “特急しなの” を待たずに旧国道を歩き出す。車窓から見える「寝覚の床」だが間近に観たいものだ。
夏の陽を遮るものなく、瞬く間に吹き出す大汗。駅から20分、汗が目に沁みる頃に臨川寺の門前にたどり着く。
200円をお布施して石段を降りていくと、やがて中山道の景勝地、奇勝・寝覚の床が姿を現す。

木曽川の激流は花崗岩の柱状節理を削り、その特有の割れ方が、大きな箱を並べたような不思議な造形美を
もたらしている。白い岩肌とエメラルドグリーンの流れには、浦島太郎でなくとも魅せられてしまうのだ。

シャッターが開いたばかりの駅前の酒屋、七笑の吟醸 “木曽路の女” の300mlを求めて11番手の1824Mに乗る。
再び寝覚の床を眺める間もなくキャップを切る。ネーミングのとおり爽やかな香り軽い口当たりの酒だ。
『やっと覚えた お酒でも 酔えば淋しさ またつのる ♪』って原田悠里は歌えない。

「木曽路はすべて山の中である」と藤村、中山道で云えば贄川から馬籠までの11宿がこれに相当する。
多くは中央本線の駅名として残っている。木曽路を抜けた1824Mは落合川に停まり中津川に終着するのだ。

 観光案内所で散策Mapを手にしたら、江戸から45宿目、やはり江戸時代の風情を残した町並みを歩く。
めざすは京方の枡形、栗菓子の川上屋(中津川は栗の産地)、“恵那山” のはざま酒造が卯建を上げている。

鉄ちゃんが盛んにシャッターを切っている。1番線に入線して来たアンカーの2730Mは最新鋭の315系。
8両編成の快速電車は中津川〜名古屋を80分で快適に疾走する。でもオールロングシートで旅情は薄い。涙。

8編成の最後尾車両は貸切状態、ロングシートだけど幅広の窓枠、って呑めるんじゃね。さっそく準備を。
栗に小豆、川上屋で冷えた水菓子を求めてきた。これって絶対に吟醸酒に合うね。
穏やかに香る吟醸香、軽やかな甘みの純米吟醸をグイッと、すかさず甘味を一口。美味い、これは堪らないね。

14:13、最新鋭の315系が7番ホームに終着する。なんだか小さな人型ロボットのような愛嬌のある表情だ。
東京駅を発ってから32時間30分、信州の雄大な車窓を愉しみながら、よくも呑んだ中央本線の旅は終わる。
明日からの1週間は禁酒だなぁ。出来もしない誓いを金鯱に立てる呑み人なのです。

     中央本線 東京〜名古屋 396.9km
中央本線(辰野支線) 岡谷〜塩尻   27.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
リバーサイドホテル / 井上陽水 1982
     


諏訪の浮城と信州みそ天丼と舞姫と 中央本線を往く!

2022-07-23 | 呑み鉄放浪記

 幾何学的なクロスポイントが鈍く光っている。昨晩の雨の湿気をたっぷりと抱えた朝の空気を衝いて、
折り返し555TとなるE233系が高架を駆け上ってきた。5:45AM、名古屋をめざして中央本線の旅は始まる。

中野から西へ向かう高架から朝の街並みを眺めていると、退廃的だった学生の頃を思い出す。
歌舞伎町で朝まで飲んだか踊ったか、高田馬場あたりで徹マンが明けたか、こんなふうに中央快速に揺られた。

高尾からの2番手は淡いブルーと淡いグリーンの帯、爽やかな信州カラーの211系6両編成がバトンを継ぐ。
この辺りの山間谷間は、2015〜2016年に甲州街道を踏破したので馴染みの景色、小仏峠も笹子峠も山を越えた。

通勤通学客もいっぱいに521Mが甲府に到着。駅前広場では戦国の英傑武田信玄が睨みを効かせている。
15分ほどの待ち合わせで、3番手の松本行き431Mはグッと短く3両編成で信州をめざす。

3両編成が韮崎を出たあたりから車窓は今日のハイライトを迎える。左手は夏の雲を従えて南アルプスの北端が
手が届くかのように迫り、列車が大きな左カーブを描くと振り返るように富士山のシルエットが存在感を示す。
右手には大きく裾野を広げた八ヶ岳が近づいてくる。431Mは甲信国境に向かってさらに高度を上げていく。

大きなリュックを背負って岳人たちが小淵沢で降りていくと、車内は一時がらんとしてしまう。
この瞬間を待っていた呑み人、バックから “レモンサワー” を取り出してプシュ。本日の一杯目を愉しむ。

狂ったように蝉が鳴いている青柳駅、“あずさ5号” がミュージックホーンを鳴らして本線を駆け降りていった。
特急の追い抜きを待つ停車時間は、乗務員氏にも暫し緊張の解ける瞬間でもある。

 霧ヶ峰、八ヶ岳、南アルプス、山々から流れ込んだ水は、天竜川に流れ落ちるまでの一時を諏訪湖に湛える。
周囲約16kmの信州一大きな諏訪湖、上諏訪の湖畔には温泉や美術館が点在し、四季を通じて訪ねる人は多い。

湖畔公園から南へ歩くと、衣之渡郭、三之丸、二之丸、本丸が一直線に並ぶ「連郭式」の高島城が見えてくる。
湖水と湿地に囲まれて、あたかも諏訪湖に浮かぶかのような姿から「諏訪の浮城」と呼ばれていたそうだ。

舞姫、麗人、本金、横笛に真澄、諏訪五蔵の銘柄は、字面も響きも美しいと思う。
五蔵は城下の東を南北に貫く甲州街道に、風格のある白壁の土蔵造や、趣のある「雀踊り」を載せた蔵が並ぶ。

酒蔵を巡るなら、バック、利き酒グラス、スタンプカードの「ごくらくセット」を駅前の諏訪観光協会で求め、
街道風情を感じながら、ゆるりと蔵自慢の酒を味わい歩くと愉しいと思う。浴衣姿に下駄を鳴らしてね。

今頃は流行りの関係で試飲を一時休止しているからご注意を。(現在は試飲の代わりにカップ酒を提供中)
ならば店で飲もうかと、呑み人は「セラ真澄」を出て上諏訪駅方面へと戻る。

「れすとらん割烹いずみ屋」は甲州街道を歩いたときにも訪ねた。昼から飲んでも違和感ないのが嬉しい。
舞姫の “芳醇 静” を択んだ。やわらかな香りの淡麗は、冷でよし燗でなおよしの本醸造、厳しい諏訪の冬、
オヤジたちが燗をつけて飲むんだろうなぁ。っで今日は冷やで、“ごまどうふ” を突っつきながらいただく。

味噌ダレをたっぷりかけた “みそ天丼” は信州諏訪にご当地グルメを育てようと頑張っている。
地元の野菜に、諏訪湖の “わかさぎ” に “川エビ” がのって、酒の肴になるから嬉しいね。なかなか美味だ。

4番手の435Mはひと駅だけ乗車して下諏訪に途中下車、諏訪大社 下社 秋宮を訪ねておきたい。

信濃國一之宮・諏訪大社は国内にある最も古い神社の一つ、諏訪湖周辺に4つ境内があってその一つが下社秋宮。
諏訪大社には本殿がなく、秋宮の場合代りに一位の木を御神木として拝している。    

今年は7年に一度の御柱祭(おんばしらさい)の年、その勇壮さと熱狂が有名な諏訪大社では最大の神事であり、
社殿の四隅には真新しい樅の巨木「御柱」が立っていた。この春は善光寺ご開帳と合わせて多くの人を集めた。

5番手の437M松本行きが6両編成で入ってきた。中央本線の211系(信州カラー)はロングシートの編成と
セミクロスシートの編成が混在していて当たり外れが大きい。ここまでの4本はすべて「外れ」ときている。
呑み鉄としては当然セミクロスシートを期待する訳だ。秋宮の往復で吹き出した汗が強い冷房で引いていく。

列車は長い塩嶺トンネルを抜け約15分で塩尻駅に到着する。塩尻駅での中央本線は、東京からの東線、
辰野を回ってきた支線、名古屋からの西線が束になって、篠ノ井線となって松本長野方面に続く。

沿線の勝沼と同様、塩尻も日本ワインの主要な産地である。
駅舎の駅名表示はオーク樽に焼印のデザイン、駅前広場には塩尻ワインを扱う観光案内所やWineBarが見える。
反対側の西口から延びる県道を走れば、葡萄畑が広がり、いくつかのワイナリーを訪ねることができる。

さてここで呑み人は岡谷まで戻る。1983年の塩嶺トンネル開通でローカル線に転じた辰野支線を潰さないと。
岡谷から6番手の218M、窯口水門から流れ落ちる天竜川に沿って辰野へ。オレンジの2両編成はJR東海の車両、
飯田線に乗り入れて天竜峡まで走る。辰野駅では東日本から東海へと乗務員の引き継ぎをしている。
ホーム向かい側の163Mに乗り換えると、再びの塩尻までは20分と少々の乗車になる。

辰野〜塩尻間をシャトルしている7番手、E127系は一部にボックスシートを持っている。
それではっと、涼しげな青いボトルの “麗人” のスクリューキャップを切る。ちょっとだけ味見をしよう。
匂ってきそうな青々とした田圃を眺めながら、フルーティーな香りで爽やかな純米吟醸が冷たくて美味しい。

      中央本線 東京〜塩尻 222.1km
中央本線(辰野支線) 岡谷〜塩尻   27.7km

<40年前に街で流れたJ-POP>
ダンスはうまく踊れない / 高樹澪 1982


白馬三山と深志城とアルプス正宗と 大糸線を完乗!

2022-05-14 | 呑み鉄放浪記

残雪を朝の日に煌めかせる白馬三山(白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳)、田起こしを待つ田んぼ。
田中の小道が跨ぐ踏切が点滅をはじめた。カタンコトンと軽快なリズムが薫風に乗って耳に届いてくる。
8時ちょうどに新宿駅を発った特急あずさ号が目の前を流れていった。今回は大糸線で呑む。

糸魚川駅の新幹線側はJRの管轄、名称はアルプス口、ちょっと大きく出たなぁ、気持ちは解るけど。
階下に再現された赤レンガ車庫「ジオパル」には、かつて大糸線を走ったキハ52形気動車が保存されている。

と言うことで、最初のはくたかで糸魚川までやってきた。今日は松本まで大糸線に揺られる大人の休日。
4番ホームでアイドリングしているのはキハ120形、JR西日本の非電化ローカル線でおなじみの顔なのだ。

南小谷までの大糸線は姫川(奴奈川姫に由来)に沿って、ゆっくりと勾配を登っていく。
白馬〜糸魚川の45キロで標高700mを下るからかなりの急流、美しい風景とは裏腹に暴れ川として知られる。

カポっと “加賀の井” を開ける。新潟県最古の酒蔵は糸魚川宿本陣、前田公が滞在したことに由来する銘柄だ。
アテは “ほたるいか素干し”、ほんとはライターでちょっと炙るといい。急峻な山肌を眺めて朝の一杯を愉しむ。

35キロを1時間かけて南小谷に終着、ここはJR西日本とJR東日本の結節点、信濃大町行きの電車が待っている。

淡いブルーと淡いグリーンの帯を引いた信州色の127系が信濃森上に差しかかると急に視界が開ける。
正面は唐松岳か、視線を右に追うと鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳と白馬三山が標高を競っている。

プレートガーダの松川橋梁を渡るとまもなく白馬に到着する。ここからの北アルプスの眺望は素晴らしい。

車窓に仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)が次々に現れると、いつしか川の流れる方向が変わっている。
これから松本に向けて安曇野を緩やかに下っていく大糸線の旅なのだ。
立山黒部アルペンルートの玄関口・信濃大町駅は山岳都市らしく山小屋をイメージした造りだ。

折角だから信州そばを食べたい。っと駅から5〜6分、明治元年に建てられた趣ある「タカラ食堂」を訪ねた。
突き出しのポテサラと柿ピーを傍にスーパードライをグラスに注ぐ。喉が鳴るこの瞬間が嬉しい。

先に出てきた天ぷらをアテにビールを呷る。サクサクの “エビ天”、“ふきのとう” の苦みを楽しむ。
せいろに右横書きの文字が老舗そば屋の風格を感じる。素朴な “信州そば” をズズッと啜る、美味いね。

小走りで駅に戻ると、13:48発の5240Mに間に合った。標高の高い大町ではこの頃がサクラの盛りだ。

高瀬川橋梁から遠望する蓮華岳、その奥は針ノ木岳か。山塊を黒部立山アルペンルートが穿っているはずだ。

信濃鉄道として開通した信濃大町〜松本間は駅間が短い。信濃松川では同じ信州色の127系2両編成と交換する。

昭和15年(1940年)に改築された駅舎、立派な社殿造りになっているのは穂髙神社への参拝駅だから。

穂髙神社の御祭神は穗髙見命、古事記には別名・宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)とある。
その奥宮は上高地の明神池に、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳(3,190m)の頂上に祀られている。

駅を挟んで反対側には焼きレンガを積み上げた西欧教会風の碌山美術館、ここにもまた多くの人を集める。
日本近代彫刻の扉を開いた荻原碌山は安曇野の生まれだ。子どもの頃、家族のドライブで訪ねた記憶がある。

駅舎とホームを繋ぐ構内踏切が鳴動して、この旅の最終ランナー5242M松本行きがゆっくりと入ってきた。
穂高駅の駅名表示版には安曇野の代名詞的な道祖神の写真、睦まじい夫婦道祖神に見送られて松本へ向かう。

安曇野を往く大糸線の車窓からは常念岳(2,857m)の存在感が大きい。やがて梓川橋梁を渡ると松本は近い。
槍ヶ岳を発し山々の雪解け水を集めた梓川は、奈良井川と合流して犀川となり北へと向きを変える。

先輩の添乗を得て乗務してきた車掌嬢が降車確認を終えて5242Mの扉を閉める。ほっとする瞬間だろうか。
松本駅の6・7番ホームには大糸線と上高地線の電車が並んで、まさにアルピニストの駅だ。

酒場の提灯が灯るまで少し時間が早い。しからばお約束の松本城まで歩いてみる。城下はすでに葉桜だ。
五重六階の大天守が、乾小天守と月見櫓を従えて、黒漆塗と白漆喰仕上げの威風堂々とした姿を見せる。
背景には西に傾いた日によってシルエットになりつつある北アルプス、やはり常念岳が主役のようだ。

駅近の大衆酒場「風林火山」は5時半に暖簾がかかる。人気のある店だから開店時間に合わせて戻ってきた。
メニューに “ふき味噌” を発見、これ酒に合うんだよね。今宵は生ビールはパス。信州の酒肴を堪能しよう。

先ずは辰野の “夜明け前”、ちょっとシュワシュワ感のある生一本しずく採りでさわやかに始める。
“馬刺し” はロースを択んで、たっぷりと生姜醤油をつけて美味しい。

若山牧水も愛飲したであろう “美園竹” は望月町の酒、中山道を歩いた時に訪ねた。ちょっと懐かしい。
この季節限定の “春花見” は生酛造りの純米生原酒、ちょっぴり黄色に色付いて卓に花びらが舞い降りたよう。
生酛を楽しみながら “いわな塩焼き” にかぶりつく。まず塩でそのまま、後半はレモンを絞って味わう。

山賊焼きと迷って “川中島納豆と野沢菜のかき揚げ”、大粒の納豆と野沢菜のコラボ、汁は相当に塩っぱい
でも嫌いじゃないなぁ、大根おろしをたっぷり浸して、刻み海苔を散らして、なかなかの美味。
真打は松本の “アルプス正宗”、兄さんが奨めてくれたフレッシュな生酒が、濃口のかき揚げを中和して旨し。

まだちょっと肌寒かった葉桜の松本の街、このほろ酔い加減が心地よい大糸線の旅の締めくくりだ。

大糸線 糸魚川〜松本 105.4km 完乗

聖母たちのララバイ / 岩崎宏美 1982


立山連峰と白エビかき揚げと三笑楽と 北陸本線を完乗!

2022-04-30 | 呑み鉄放浪記

 ヘッドマークも誇らしい旧国鉄の急行型電車、北陸本線で呑む旅のアンカー455系が直江津をめざす。
駅弁、缶ビール(子どもだったからバヤリースか?)、冷凍みかん、全開の窓、昭和な旅路がそこにあった。

まだ少し冬の匂いを残した凛とした朝の空気の中、兼六園と金沢城を巡って来た。
伝統芸能である能楽・加賀宝生の鼓をイメージした「鼓門」を潜って、北陸本線を呑む旅、第二幕が始まる。

07:57発、5区を走るのはスカイブルーの旧国鉄413系の3両編成、ある意味ラッキーな巡り合わせだ。

ガラガラの車内でボックスシートを一人占め、プシュッとプルトップを引くのに憚ることはない。
倶利伽羅峠越えのお供は “金沢百万石BEER”、黄金にかがやく缶はスッキリとした喉越しのコシヒカリエール。

高岡駅古城公園口には「ドラえもんの散歩道」って、オールスターキャストの銅像が戯れている。
ドラえもんを描いた藤子・F・不二雄氏は高岡の出身だそうだ。なるほど、知りませんでした。

その名も大佛寺にある青銅製阿弥陀如来坐像「高岡大仏」は、地元の銅器製造技術の粋を集めた高岡の象徴。
なにせ高岡銅器は、わが国における銅器の生産額の約95%を占めていると言うから凄い。

高岡から富山まで乗車した6番手ランナーはIRいしかわ鉄道の車両、コーポレートカラーの空色を纏う。
北陸新幹線の金沢延伸開業に際し、あいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道はJR西日本から521系を譲り受けた。
3社は同系の車両を使用している訳だけど、ほか2社と比べてずいぶん厚化粧なIRいしかわの電車なのだ。

持続可能なコンパクトシティを推進する富山、駅前広場は歩行者と路面電車が主役の人に優しいレイアウトだ。
満開のサクラ越しに行き交う電車を眺めるのも楽しい、街灯にはオレンジやイエローの花が飾られているね。

天守閣と石垣を背景に、濠に満開のサクラが枝を投げ出している。ビルの谷間に立山連峰が覗く。
フレームに城とサクラと立山連峰と、なんとも豪勢、富山の街の風景に溶けこんだ立山連峰が美しい。

富山城址公園を抜けて富山最大の繁華街総曲輪に迷い込む。ここに地元で愛される「昼飲みの聖地」がある。
「丸一」の縄のれんを潜る。なんと開店は11:00、引戸を開けると奥まで伸びるカウンターはすでに満席。
2〜3分待って空けてもらった席に収まって、先ずは “サッポロ赤星”、アテは “ホタルイカの酢味噌和え” を。  

隣のご同輩は若い女の子を連れて、いや羨ましい。氏が薦めてくれた地酒は五箇山の “三笑楽” だ。
サクサクの “白エビかき揚げ” にはレモンをたっぷり絞って、ほどよい酸味がある純米酒によく合う。
口の中に広がるのは、あっこれ “かっぱえびせん” の味だ。
ご同輩の連れは富山大学に就学中の娘さん、一人暮らしを訪ねたらしい。ちょっと安心、いや余計なお世話で。

厚揚げ、玉子、大根にあんばやしを択ぶ。“富山おでん” はとろろ昆布をかけて、旨味がたっぷりで美味しい。
あと “すすたけ” を2本、春を感じるね。すすたけとは根曲がり竹のこと、信州や越後では姫竹って言うかな。
ボクはサバの水煮缶と溶き卵といっしょに煮る “たけのこ汁” に目がない。これ余談でした。
酒は北前船で栄えた岩瀬浜の “満寿泉”、優しい口当たりの純米酒がおでんに合うなぁ、燗酒でもよかったか。

さて旅は後半戦、8番手の泊行き437Mはあいの風とやま鉄道の521系、シルバーの車両がスタイリッシュだ。

車窓には常に残雪きらめく立山連峰が流れて飽きることはない。ちょうど12時、列車は黒部川橋梁を渡る。

シルバーの2両編成が泊駅の2番ホームに終着すると、えちごトキめき鉄道のディーゼルカーが迎えに来た。
乗り換えの便を計って同じホームに向き合うように縦列停車。ローカル線の乗り換え駅ではよくある光景だ。
9番手の1637Dは車体に日本海の海の幸をあしらって、前面に描かれるのはベニズワイガニか。
気動車とはいえ最新のET122系、出足も滑らかに、あっと言う間にトップスピードに達して軽快に駆ける。

快適な乗り心地のET122系とは僅かにふた駅乗車してお別れ、市振からは懐かしの急行型電車に乗る。
えちごトキめき鉄道が演出する昭和の旅路、かつて関西・中京と北陸を結んだ455系に10区のアンカーを任せる。
直江津方につけた「さくら」のヘッドマークは、満開を迎えた沿線の「高田城址公園観桜会」をアピールか。

途中の糸魚川駅では10分の停車、駅前広場には伝説の女王・奴奈川姫の像が立つ。
ヒスイを用いて祭祀を行い、高志国の一部を治めたとされる女王は、古事記では出雲の大国主命と結ばれる。

能生駅には桜並木があって、列車は撮影のための臨時停車となる。なるほどカメラの砲列が並んでいるね。
ボクはと言えば、ワンカップをカポっと開けて花見の一杯。“雪鶴” はちょい辛旨口、糸魚川の酒だ。

延長11,353mの長大な頸城トンネルを、モーターが唸りを上げて、急行電車が110km / hで疾走する。
かつては日本中の幹線を走った急行電車、ボクの子どもの頃は確かにこんな旅があった。
谷浜の海岸線から直江津の火力発電所が見えると、昭和の旅路はまもなく終わる。っと最後の五智トンネルだ。

14:31、8003Mが直江津駅1番ホームにゴールを切って、10本を繋いだ文字通りの駅伝、北陸本線の旅は終わる。
敦賀、金沢、富山、満開の桜と北陸の酒肴を堪能した2日間、さて最後に夜桜の高田城址公園を歩きましょうか。

     北陸本線 米原〜金沢 176.6km
  IRいしかわ鉄道 金沢〜倶利伽羅 17.8km
あいの風とやま鉄道 倶利伽羅〜市振 100.1km
えちごトキめき鉄道 市振〜直江津 59.3km

赤道小町ドキッ / 山下久美子 1982
     


雨晴海岸と海鮮漬丼と有磯曙と 氷見線を完乗!

2022-04-23 | 呑み鉄放浪記

 大きな弧を描いて能登半島が続いている。海面はどこまでも穏やかな富山湾だ。
定刻に警笛の音がしたような気がする。やがて海岸線をなぞって朱色のディーゼルカーが姿を現す。
カタンカタンとレールを鳴らして、2両編成のキハ40系が女岩(めいわ)の横を抜けていった。

北陸本線で呑む旅でふたつ目の寄り道、氷見線に乗って美味い海鮮丼を食べたい。喪黒福造にも会いたい。
新幹線に先んじて開業した瀟洒なステーションビルからは、海王丸の湊へと向かう路面電車が走り出してきた。

高岡05:56発、始発の523Dに乗車する。地方に出張るとどうしても行程を欲張るから、勢い早起きになる。
わずかな乗客を乗せた2両のタラコは、少し大袈裟な唸り声を発して、鈍重に動き出す。

朝ビールは “ゆずびぃる”、石川県産大麦を使用したJR西日本のKIOSK(セブンイレブン)の限定販売モノ。
もう県境を越えちゃってるけどご愛嬌、爽やかなゆずフレーバーを楽しみながらディーゼルカーは往く。

高岡を発って二つ目の能町までは住宅街の中、けっこう軒下ギリギリを抜けたりして趣がある。
小矢部川を渡る前後は臨海工場群の中、四つ目の越中国分を出ると、車窓に風光明媚な海岸線が広がる。

海岸線に沿って曲がりくねる車窓に男岩(おいわ)が、続けて女岩(めいわ)が見えてくる。雨晴海岸だ。
氷見までのラスト2区間は青々とした松林に沿った直線区間になる。鈍重だったタラコは軽快に走り出した。

わずか30分、缶ビール1本の旅は、車止めに行く手を塞がれた単式ホームに甲高いブレーキ音とともに終わる。
休む間もなく折り返す2両編成には、高校生たちが次から次に乗り込んでいく。

「ドーン!!!!」っと笑ゥせぇるすまん。ボクはどストライクな世代なので喪黒福造と会えて感無量なのだ。
氷見は藤子不二雄Ⓐの故郷、町中には氏の描いたキャラクターたちに溢れている。

午前8時、桜花爛漫の湊川べりに足を運ぶと、軽快な音楽が流れて水煙が上がり、カラクリ時計が動き出す。
約5分の愉快なショーは、忍者ハットリくんが風呂敷を広げて空を飛んで終わる。子供たちは大喜びだね。

桜の並木に包まれた湊川を河口まで歩くと氷見漁港、寒ブリで有名なこの漁港は富山湾随一の水揚げを誇る。
つまり、ここを訪ねれば富山の「きときと」が堪能できるのだ。っで漁協の2階「漁市場食堂」を目指す。

氷見の高澤酒造が醸す “有磯 曙”、キリッとしまった淡麗辛口は豊潤でもあり、なかなか上品で美味い酒だ。
択んだ丼は “氷見海鮮漬丼”、揚がったばかりの新鮮な魚を甘辛い自家製ダレに漬け込んで最高のアテになる。
小鉢の “もずく酢” も嬉しいね。生姜を溶いて、これまた酒の肴にピッタリなのです。

漬けは三分の一を肴に、さらに三分の一をご飯と楽しんだら、だし汁を注いで茶漬け風に楽しむ。美味い。
土鍋でグツグツと音を立てて、磯が香る “漁師汁” も純米吟醸を引き立てて、なかなか味のある助演なのだ。
富山湾の「きときと」な酒肴を味わい、嬉し愉しの寄り道、氷見線の旅。さてそろそろ北陸本線に戻りますか。

氷見線 高岡〜氷見 16.5km 完乗

夢見る渚 / 杉 真理 1982
     


残雪と桜と若鶴と 城端線を完乗!

2022-04-16 | 呑み鉄放浪記

 散居集落、残雪、桜の老木、ディーゼルカー、なんだかホッとする雪国の春の風景がある。
こんな風景の中に帰る田舎があったらステキだなぁなんて思う。北陸本線の旅の途中、城端線で呑む。

金沢駅のみどりの窓口、ダメ元で尋ねた「ベル・モンターニュ・エ・メール」の指定席。聞いてみるものですね、
最後の1席を手に入れる。たった530円の指定席に笑顔で「いってらっしゃいませ」と駅員嬢、旅はいいなぁ。

予定を変更して途中下車した高岡駅の2番ホーム、「美しい山と海」をフランス語で表した、濃緑のボディーに
ゴールドのラインを纏って、ちょっぴり高級感のある車両が乗客を待っていた。

砺波平野を南下する城端線、新幹線から乗り継ぎの乗客を迎えると、ほどなく農村風景の中に溶け込んでいく。
青々とした畑は植えたばかりの大麦だそうだ。地元の親父さんが教えてくれた。

カポっと鳴らして売店で仕込んだワンカップを開ける。沿線砺波の “若鶴” は旨味とキレ味ある辛口純米酒。
ひと箱で二度おいしい “ますのすし” と “ぶりのすし” の小箱、脂ののった鱒と鰤を肴に嬉しい楽しい朝酒だ。

「べるもんた」が砺波駅を出ると、車窓にはいよいよ散居集落の風景が広がっていく。
散居集落の島を浮かべた広大な耕地の海原を、濃緑のディーゼルカーが優雅にクルージングしていく様だ。

終点に近づくほどに、砺波平野を狭めていく左右の山並み、白い残雪がまだら模様の雪国の春。

高岡から1時間弱、静かな終着駅の車止めに行く手を塞がれた「べるもんた」は先行したタラコ2両と並ぶ。
撮る鉄ちゃんには良い絵になるのではないだろうか、濃緑と朱の共演が小さな終着駅を華やかにする。

城端は越中の小京都とも言われ今もレトロな町並みが残っている。朝酒で気持ちも軽やかに旧い町並みを巡る。

町並みの中心は真宗大谷派の城端別院・善德寺、開基450年来の山門・本堂・太鼓楼・鐘楼は県の文化財だ。

板張りの趣きある建物は城端曳山会館。ユネスコ無形文化遺産に登録された300年の歴史を誇る城端曳山祭、
曳山会館には祭に使用される城端塗と木彫刻や金箔で飾られた絢爛豪華な曳山が展示されている。

恵比寿、大黒天、布袋と、展示された曳山は美しくも迫力がある。
5月5日に行われる
城端曳山祭本祭、絢爛豪華な曳山巡行は一度見てみたいと思う。

越中の小京都を漫ろ歩いて城端駅に戻ってきた。昨秋は吉高由里子さん主演ドラマのロケ地にもなったね。
桜が見下ろすホームに2両編成のタラコがアイドリングしている。ローカル線の風景にはこの朱色が似合う。
気温が上がった午後は車内の扇風機を回して、心地よい揺れと優しい風に吹かれて城端線の旅は終わるのだ。

城端線 高岡〜城端 29.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
あまく危険な香り / 山下達郎 1982


桜花爛漫の石川門と鴨治部煮と菊姫と 北陸本線を往く! 

2022-04-09 | 呑み鉄放浪記

 早朝の金沢城公園、石川門も百間堀も満開のソメイヨシノに埋もれてしまったかの様だ。
4月の週末、出張から解き放たれて、桜花爛漫の北陸本線を鈍行列車に揺られて呑み潰そう。

姫路から長駆200km、新快速3232Mはここ米原で後8両を切り取られて、たった4両で北陸本線を往く。

長浜で観桜と竹生島クルーズに向かう乗客を降ろすと、やっと転換クロスシートに席を確保する。
すかさず開ける “萩の露” は高島市の福井弥平商店が山田錦・吟吹雪を醸したやわらかな辛口の酒。
余呉湖を眺めながら、ちびりちびりと呑み始めよう。

     

肴は米原で仕込んだ駅弁「湖北のおはなし」を。粒こしょうでローストした鴨、鍬焼風のかしわ、
甘辛く炊き込んだこんにゃく、葱とお揚げのぬた、どれも申し分のないアテ、辛口の酒がすすむ。

 近江塩津からは2番手の3438M、同じく姫路発ではあるけれどこちらは湖西線を駆けてきた。
辿り着いた敦賀駅は北陸新幹線工事の槌音が響く、駅舎は2015年、ひと足先に瀟洒に生まれ変わった。

敦賀のメインストリートには、なぜか「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のブロンズ像に溢れていて、
五代進や星野鉄郎、メーテルに出会える。どストライクな時代に育った呑み人としてはちょっと嬉しい。
気比神社の門前にはアナライザーが戯けている。んっと佐渡酒造先生と愛猫のミーくんは見つけられなかった。

越前國一之宮「氣比神宮」の大鳥居の両脇にも満開のサクラ、朱色と桜色のコラボレーションが美しい。
「月清し遊行のもてる砂の上」敦賀の港に宿をとった芭蕉は、月の美しい夜、氣比神宮を参拝している。

赤れんが倉庫、欧亜国際連絡列車が発着した旧敦賀港駅舎を巡って海に出る。
海沿いのボードウォークから敦賀港を一望、北前船の帆を模ったモニュメントが青い海を背景に鈍く光る。

 駅に戻るとすでに3番手の1243M福井行きが待っている。短い2両編成がローカルな旅を演出するね。

長い長い北陸トンネルを潜って福井平野へ抜ける。桜が咲き乱れる足羽川を渡ると、列車は福井駅に到着する。
数多くの恐竜の化石が発掘された福井県、西口駅前広場で威嚇しあうフクイサウルスとフクイラプトル、
全長10m、首長竜のフクイティタンが咆哮を上げる。実物大モニュメントを見るだけで途中下車の甲斐はある。

 折り返して1347M金沢行きになる4番手ランナーが停車すると、乗降客でホームが溢れるばかりになる。
少なくとも県庁所在地を発着する列車に2両編成はキツイんじゃないかな。せっかくの転換クロスシートだけど
立ち客になった呑み人、仕込んでおいたご当地ビールはブリーフケースの中で出番を無くしてしまった。

芦原、加賀、粟津と加賀温泉郷をつなぐ車窓いっぱいに、霊峰白山が存在感を大きくしてきた。
たっぷりと雪を抱いた信仰の山は、午後の陽を浴びて神々しく輝いている。

途中の小松で列車を飛び降りる。実は是非見ておきたいものがあった。
東口駅前に広がる「こまつの杜」に、超大型ダンプトラック930Eと超大型油圧ショベルPC4000を見上げる。
オーストラリアや南米の鉱山で唸りをあげる姿を想像して、本邦のモノづくりを誇らしく思ったりする。

1日目の5区を任された653Mは金沢〜小松間をシャトルしているらしい、さすがに4両を連ねていた。
小松から40分、雅やかなチャイムが流れて電車は金沢駅の3番ホームに滑り込んで、今日の旅を終える。

若い青春18きっぱーは遠くへ遠くへと乗り継ぐのだろうけど、呑み人は陽が傾き始めたら街へ降り立つ。
ガラスのドームに覆われた駅で満開のサクラに迎えられ、今宵この街の酒場で金沢を味わう。

君と出逢った香林坊交差点から鞍月用水のせせらぎを遡ると、酒場(酒と人情料理いたる)に白い灯がともる。♪
つきだしの “バイ貝の煮付け” をアテに生ビールを呷りながら、地酒純米酒の品書きを眺める。

お造りの小桶には、がんどぶり、かじき鮪、桜鯛あぶり、生だこ、甘海老が踊って美しい。
北陸の鮮魚はどれも美味、とくに脂がのった “がんどぶり” は甘くて美味しいなぁ。出だしから絶好調だ。

加賀の酒はご存知 “加賀鳶” の山廃純米、絶妙の酸味と深みのあるコクの超辛口が美味い。
アテは “サバの糠漬け(へしこ)” にレモンを搾って、これ好きなんだよね、これだけで二、三合はいけそう。
さらに “大人のポテトサラダ” はカリカリに揚げたポテトを散らして、これまた申し分ない酒のつまみだ。

次なる純米酒はこれまた山廃仕込の “菊姫” を択ぶ。ハレの日の郷土料理 “鴨治部煮” を味わいながら、
濃醇で飲み応えがある硬派な酒を愉しむ。いやはや金沢の旨い酒肴を堪能した柿木畠(かきのきばたけ)の宵だ。

北陸本線 米原〜金沢 176.6km 完乗

My Song For You / 尾崎亜美 1982