旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

今はもう秋 誰もいない海 伊豆急行線を完乗!

2017-10-30 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 台風22号の影響で、西日本から東日本にかけて前線が延び、天候はすこぶる悪い。
天候ばかりは仕様がないと、11:00のスーパービュー踊り子5号で伊豆急下田をめざす。 

 

近頃のエキナカは充実していて、大丸の地下街まで行かなくても旨いものは手に入る。
信玄どり照焼、牛タン塩焼、いぶりがっこ、深川めしなどが詰まった弁当を択ぶ。
節操無い気もするが、少量多品目の「東日本うまいもん弁当」はビールのアテに丁度良い。 

12:30過ぎ、スーパービュー踊り子は伊豆急行線に入る。下田までは1時間ほどだ。

下田に着いた頃、雨がやや小ぶりになっていた。少しだけ開国の歴史と史蹟を巡ろう。

 

下田港のペリー艦隊上陸の碑、日米下田条約が締結された了仙寺などを歩いてみる。

 

各駅停車で4つ戻ると今井浜海岸、今日の湯宿「今井荘」に投宿する。
前菜の "栗田舎煮"、"鮎一夜干し"、"柿胡麻和え" をアテに半島唯一の蔵の辛口を呑む。

 

椀物は "鶏せせりと茸の鍋"。
造りの "蒸し鮑"、"かんぱち"、"金目鯛" を天城山の山葵でいただく。旨い。

 

焼物は "甘鯛若狭焼き"、"冬瓜と小芋の桜海老餡かけ" の煮物に暖まる。
"ずわい蟹の酢物" で口を整えたら〆は "松茸御飯"、申し分ない酒肴のラインナップだ。 

 

今井浜温泉の柔らかなナトリウム泉にゆったり浸かる。
でもご自慢の太平洋と伊豆七島を眺める露天風呂は、傘をささなきゃ入れない。
否、傘も役に立たないほどの激しい降りだ。もちろん島影は見えない。
今はもう秋、誰もいない海。もとい波間に20~30のサーファーが漂うのみだ。

伊豆急行 伊東~伊豆急下田 45.7km 完乗

誰もいない海 / 天地真理


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「遊」

2017-10-28 | Biz-Lunch60分1本勝負

 「品川湊」は江戸前の魚介類や海苔がとれる港町でした。
水揚げされる高級な白身魚は江戸に送られ、そうでもない魚は地元で消費されたらしい。
そんな穴子は品川宿の名物だったとか。品川橋近くの「遊」は穴子料理がメインの店。 
穴子膳と云いかけると「今日は "鯛天丼" がお奨めです」とカウンターの女性料理人さん。
ほのかに甘くサクサクの鯛の天ぷらに、野菜のかき揚、上品なタレをかけて美味。 
帰り際には「今度穴子を食べ気来て下さいね」って、いやなかなか商売上手。
雰囲気も良いし、日本酒も充実しているから仕事帰りに寄り道するのも有りかな。

      
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Forty three degrees north latitude 石勝線を完乗!

2017-10-22 | 呑み鉄放浪記

 錦に染まりつつある山肌に朝靄がかかって美しい新夕張駅あたり。 
2019年3月にも廃止される見通しの石勝線夕張支線は呑み潰しておきたい路線なのだ。 

国鉄夕張線が追分から夕張を結んでいた頃は「紅葉山」って美しい駅名だった。
札幌と帯広・釧路をダイレクトに結ぶ石勝線が開通した際、紅葉山は新夕張となった。 
夕張線は石勝線の支線となった。あと1年半後にその歴史に幕を閉じることになる。 

新夕張を出た単行気動車は直ぐに夕張川の鉄橋を渡る。 川は豊にゆったりと流れる。

夕張まで25分のあっけない旅、リゾートホテルの軒先のような単線の小さな駅で終わる。
往時は広い貨物ヤードに石炭を満載した貨車で並ぶ光景が想像される。 

ところ変って新得、根室本線と合流する石勝線の終点。駅前には「火夫の像」がある。
難所と言われた狩勝峠を走るSLで投炭する火夫(機関助士)の姿を再現したものだ。

朝・晩の寒暖の差がある冷涼な気候の新得は風味豊かなそばの生産地だ。 
「そば処 せきぐち」さんのそばはやや太め、あっさりしただし汁でいただく。
十勝名物の豚丼をサイドメニューに欲張ってしまったのだが、どちらも旨い。 

新得駅を出た列車は長大なS字を描いて狩勝峠を登って行く。
雄大な十勝平野を眼下に一望する眺めは、旧国鉄が制定した「日本三大車窓」のひとつだ。 
もっとも選ばれたのは廃止された旧線の方だが、この眺めだってきっと負けてはいまい。 

特急スーパーとかち6号をふたたびの新夕張で下車する。
新得~新夕張間は特急しか走らないから、乗り放題パスの特例で特急の自由席に乗れる。 

15分ほどの待ち合わせで夕張支線から走って来た千歳行きに乗り換える。 
JR線は基本的にローカル列車で呑み潰すのが、このゲームに課したルールだからね。 

単行気道車はゆるやかに続く勾配を石狩平野へと下りて行く。
左右には北海道らしい牧草地や牧場が広がる。数々の名馬を育てた社台ファームも右手に見える。 

追分駅では室蘭本線とクロスする。石勝線開通まではここが夕張線の始発駅でもあった。
ここから南千歳までは17キロ、途中に駅は無い。長い長い1区間だ。 

南千歳駅で下車。単行気道車を見送って、ほぼ北緯43°を往く石勝線の旅を終える。
3番ホームの下の0キロ標が、ここが石勝線の起点であることを教えてくれる。

石勝線 新得~南千歳 132.4km
新夕張~夕張   16.1km 完乗 

LAT、43° N ~forty three degrees north latitude~ / Dreams Come True


地球岬とホッキカレーと冬花火と 室蘭本線を完乗!

2017-10-20 | 呑み鉄放浪記

苫小牧からもうひとつの工業都市・室蘭をめざす。12:29発の室蘭行きも単行気動車だ。

始発の岩見沢は幌内炭鉱などの炭鉱群と港湾都市の苫小牧や室蘭を結んだ鉄道の町だ。 
今回はそんな石炭の輸送ルートを辿って、岩見沢から苫小牧そして室蘭をめざして往く。

3・4番線ホームには「ばんばの像」がある。
かつて岩見沢では「ばんえい競馬」が開催されていたそうだ。
嘶くばんえい馬に見送られて、室蘭本線の単行気動車は身震いひとつ1番線から発車する。

単行気動車が岩見沢を発つと、4kmほど函館本線と並走した後、やがて東へと離れる。
とっ早速 "サッポロCLASSIC" のプルリングを引く。肴は名物駅弁 "ホタテ釜飯" だ。

やがて右手から千歳線、左から日高線が合流してくると苫小牧の町。
正面に王子製紙の高い煙突が白い煙を吐きかけている。 

苫小牧はホッキ貝の水揚げ量が日本一だそうだ。そして "ホッキカレー" はご当地グルメ。
漁協の「マルトマ食堂」が有名だけど土曜日でもあり、50人以上の行列ができている。
然らば海の駅の「リトルアンジェラ」へ。
ホッキ貝の柔らかくコリコリとした食感と甘みがカレーと妙にマッチして美味しい。 

甘酸っぱいハスカップジャムに包まれたロールカステラ「よいとまけ」も苫小牧の名物。
その名は製紙工場の木場で丸太を上げ下ろしする時のかけ声に由来している。
あの「ヨイトマケの唄」と一緒だね。

東室蘭から室蘭までの4駅は室蘭本線の支線を行く。と云っても全線立派な複線区間だ。 

ひとつ手前の母恋駅から南東に3キロ弱歩くと、地球岬が太平洋に突き出す。
100メートルの断崖絶壁が連なる地球岬、アイヌ語で断崖を意味する「チケプ」に由来する。

東室蘭に戻って長万部行きに乗車、2両編成の気動車は高校生たちを乗せて噴火湾を往く。 

ホーム下まで波が寄せる北舟岡駅、対岸に見えるのは駒ケ岳そして恵山だ。
それにしても 秋の北海道は夕暮れが早い。

賑やかにしていた高校生たちも洞爺駅までに皆下車して車両は空っぽになる。
豊浦ではとうとう後ろ1両を切り離す。乗客はわずかに2人。
豊浦から長万部間を走る普通列車は、朝と夕方以降に5往復しかない難関線区だ。 

とっぷり陽が暮れた長万部駅に単行気動車が終着、紅いテールランプが寂しげに見える。
室蘭本線は、小樽、倶知安を廻って来た函館本線と合流してその旅を終えるのだ。 

 2時間半かけて苫小牧にもどって、駅にちかい「炉ばた焼居酒屋 のんきや」へ。
賑やかなのは30代前半と思しきの男性グループ20名ほど、プチ同窓会といったところか。
聞き耳を立てた訳ではないけれど、ひとり酒だから否応なく彼らの話が耳にとどく。
女房子どものこと、離婚のこと、転職のこと、都会のこと、様々な人生がそこにある。 

"純米吟醸 冬花火" は昨晩も飲んだ栗山は小林酒造の酒。香ほのかでキレ味よい酒だ。
刺身の7点盛は、お約束のホッキ貝ものってひとりでは食べきれないほど。
炉端焼きの店ですからなにか焼いてもらわないとね。豚串をお願いする。
道産米で仕込んだ "大雪乃蔵 辛々麗" が室蘭本線の旅を〆る酒なのだ。

室蘭本線 岩見沢~長万部 211.0km
      東室蘭~室蘭 7.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
走れ風のように / 木之内みどり 1977


ご当地旨ラーメン事情 札幌「ラーメン大公」

2017-10-18 | 旅のアクセント

お誂え向きに札幌出張は金曜日。迷わず延泊、会議を終えたら自分の時間だ。
七番蔵で日本酒を堪能したあとは、昭和風情漂う「ラーメン大公」の暖簾をくぐる。 
どちらかと云うと観光客ではなく地元の方で賑わうお店、評判はすこぶる高い。
人気の "バター・コーンラーメン" は、味噌味ながらあっさりスープが美味しい。
満足のうちに札幌の夜は更けゆく。明日は岩見沢から室蘭本線を呑み潰すのだ。 

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藻岩山と北の錦と遠い街のどこかで 札幌市電を完乗!

2017-10-16 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

「逢いたい時にあなたはいない」は携帯電話がない時代の遠距離恋愛ドラマ。
中山美穂が演じる主人公、恋人の札幌転勤がドラマの始まりだった。

何度となく札幌の情景も映ったのではなかったかな。そんな宵の札幌を市電で巡る。
2015年12月にループ化した札幌市電は札幌の市街地を周回している。
まずはすすきの電停から赤い外回り電車に乗ってみる。 

1周60分のちょうど半分、ロープウエイ入口電停で下車、ロープウエイで山頂へ向かう。
標高531mの山頂からは、宝石箱をひっくり返した様な煌びやかな夜景が美しい。

外回り電車でさらに半周して狸小路電停で下車、ここにお目当ての「七番蔵」がある。
ここは栗山町、創業明治11年の酒蔵「小林酒造」のアンテナショップだ。
小林酒造の酒蔵は六番蔵まである。だからこの店は「七番目の蔵」と云うわけだ。

日本酒の店だけど最初は生ビール、刺身は羅臼の "ほっけルイベ"、舌の上でとろける。 

1杯目は "汲みたて蔵出し 純米吟醸" をいただく。ここだけでしか呑めない非売品だ。
肴は "ささみ串うち(山わさび)"、これは旨い。それと "あじ南蛮漬け" にも満足。
2杯目の "北の錦 特別純米" は、ほんのりとした吟醸香の優しい酒だ。

ほろ酔いで外回り電車の残り1区間を乗車すると、すすきの電停に戻ってくる。
あとで調べたら、すすきの、狸小路、藻岩山展望台さえもロケ地ではなかったようだ。
今宵も満足のひとり酒、さてと〆のラーメン屋を探しますか。

札幌市交通局市内電車 すすきの~すすきの 8.9km 完乗

遠い街のどこかで / 中山美穂 


旧中山道・浦和宿 酒場事情「BOUCHON」

2017-10-14 | 津々浦々酒場探訪

たまにはワインだって呑みます。ってことで浦和駅近くのビストロ「BOUCHON」へ。

 

まずは "ハートランド" で乾いた喉を鎮める。
前菜は豚肉のリエット、白ナスとミントの地中海風、黒オリーブペーストなど5種を盛ってもらう。 

 

ワインはスクリューキャップものだけど、興味深く、美味しいものがいただける。
今日のソーヴィニヨンブランは "トトワーズ クリーク"、フレンチフライを抓みながら。 
"3種のジャガ芋のドフィノワーズ" にシャルドネは "ビオビオ" で。

 

サクサクの "三元豚のカツレツ トマトとチーズ風味" を味わいながら
仕上げのメルローは "キュヴェ・ドゥ・ラ・メゾン"だ。
こういったお店、軽くワイングラスを傾けて、サッと引くのが粋なのだろうけど...
まったり呑んでしまって、少々格好悪いのです。 

 

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旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「三叶家」

2017-10-12 | Biz-Lunch60分1本勝負

 和風居酒屋の三叶家(みきょうや)です。ずいぶんな繁盛店を今まで見逃していました。
地階へと下りる階段に席待ちのサラリーマンが並んでる。カウンター8席、テーブル席と
お座敷で30席弱ってところだろうか。"ジャンボメンチカツ" は自慢のメニューのようだ。
HPにも「あなたの人生で一番のメンチカツになること間違いナシ!!」と自画自賛。
確かにジューシーでボリューミーで満足の一皿。今夜は走らないとカロリーオーバーだ。

     
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奥州道中紀行6 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿

2017-10-10 | 日光道中・奥州道中紀行

 この秋三度目の宇都宮宿となる。
街の中心は二荒山神社、延喜式に名を連ねる歴史ある神社で
下野國一之宮といわれている。

 

09:00 「宇都宮宿」
 日光道中との追分は伝馬町交差点。
日光道中はここを左折して清住通りを北上し、奥州道中は真直ぐJR宇都宮駅方面へと進む。
2つの本陣のうち本陣青木家は、この伝馬町交差点を日光道中と反対に右折したところにある。
もう一方の本陣石橋家跡はみずほ銀行宇都宮支店の場所らしい。
いずれにしても、終戦直前に大きな空襲に見舞われてた宇都宮に古い遺構は残っていない。 

Navi58. 裁判所前交差点(右折)→<国道119号>→NOF宇都宮ビル 800m 10分

Navi59. NOF宇都宮ビル(右折)→<市道>→BAR Maron 130m 2分

Navi60. BAR Maron(左折)→<オリオン通り>→筑波BK宇都宮 400m 5分

Navi61. 筑波BK宇都宮(左折)→<県道35号>→ファミリーマート大通り二丁目店 50m 1分

Navi62. ファミリーマート大通り二丁目店(右折)→<大町通り>→ホテルニューイタヤ裏 400m 5分

Navi63. ホテルニューイタヤ裏(左折)→<上河原通り>→博労町交差点 500m 7分

宇都宮宿の白河方の入口は田川に架かる幸橋。
ここに架橋されたのは江戸時代初期の万治4年/寛文元年(1661年)と早い。
元々上河原橋の名称を明治天皇の御渡歩を期に幸橋と改称したと云う。

Navi64. 博労町交差点(右折)→<県道125号>→小野川通商前 8.0km 100分

09:30 「旧篠原家住宅」
 奥州街道口で、醤油醸造業や肥料商を営んでいた旧篠原家住宅は国指定重要文化財。
現在の建物は
明治28年(1895年)のもので一般公開している。
宇都宮大空襲を経て残った母屋と石倉は、ここが街道筋であったことを想像させてくれる。

 

奥州道中は旧篠原家住宅の在る博労町交差点から延々と県道125号を北上する。
竹林町辺りでは豪農の家らしい立派な門構や大谷石を使った蔵が散見される。
日本橋から28番目となる竹林一里塚は、豊郷南小学校辺りと推測されるが痕跡はない。 

白沢街道の名称がついた県道125号線が海道町交差点を過ぎると並木が現れる。
桜、杉、栗であったり様々だ。
左右には近隣の農家が直売する梨や巨峰が秋を感じさせる。 

10:40 「海道新田一里塚(推定地)」
 海道新田一里塚は日本橋から29番目になるが痕跡はない。
塚があったと推測される辺りには蕎麦の畑が広がっている。 

Navi65. 小野川通商前(直進)→<市道>→白沢宿交差点 0.9km 11分

 

県道125号が新道で左手に逸れていくと間もなく白沢の集落になる。
白沢地蔵尊辺りから街道は鬼怒川の氾濫原に向かって緩やかな勾配を降りて行く。

白澤宿の江戸方の入口、大榎のたもとに「江戸時代の公衆便所」なるものがあった。
高さは160cmくらい、一畳敷きほどの小さな小屋に2つの半個室、肥桶が積み重なっている。
挿絵には用を足しているしゃがみ込んだ侍に、鼻を抓んだ順番待ちの旅人二人、微笑ましい。 

Navi66. 白沢宿交差点(左折)→<県道239号>→河内郵便局 0.4km 5分

 

白澤宿内は道路の左右に水路が流れ、家々は軒下に屋号を記した板を揚げていて雰囲気が在る。
白沢交差点を左直角に折れると、間もなく右手に本陣宇加地家がある。水路には水車が回っている。 

11:15 「白澤宿」
 天保年間の「奥州道中宿村大概帳」に印された白澤宿の規模は、本陣1、脇本陣1、旅籠13軒。
やや小ぶりの宿場だったようだ。鬼怒川で獲れる鮎、それに牛蒡が名物であったと云う。

 

宿並みは白河方の入口手前でもう一度右直角に折れるのだが、この突き当たりに井上清吉商店が在る。
明治元年創業の蔵では "澤姫" の銘柄で地酒を世に出している。"澤" はもちろん白澤宿から受けている。

Navi67. 河内郵便局(直進)→<市道>→鬼怒川堤防 1.0km 13分 

鬼怒川堤防への田舎道を進むと、土地の方が建てた白澤一里塚址碑がある。
距離的にはだいぶ手前のような気がするが、そもそも繰り返される鬼怒川の氾濫で場所は特定できない。 

 

Navi68. 鬼怒川堤防(左折)→<堤防道路>→阿久津大橋西詰 1.5km 20分  

Navi69. 阿久津大橋西詰(右折)→<県道125号>→上阿久津交差点 0.7km 10分 

阿久津大橋で鬼怒川を渡る。「鬼怒川の渡し」は500mほど下流であると思われる。
街道時代の「鬼怒川の渡し」は、春から秋にかけては舟渡し、冬の渇水期には仮橋を架けて渡ったと云う。

Navi70. 上阿久津交差点(左折)→<県道125号>→勝山城址入口 1.5km 20分

 

上阿久津の高尾神社は、人間の能力では自由にならない天候を支配する高尾神を祀る。
雷神・龍神・水神などを祀って信仰されてきたのは、暴れる鬼怒川の神を鎮めようとしたからだろうか。
今日はちょうど例祭の日らしく、引き回される彫刻屋台が見事だった。 

将軍地蔵には、源義家が奥州に進軍したときの鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇退治の物語がある。
江戸時代には、街道の道中安全にご利益があると有名になったと云う。
なるほど、境内には遠く秋田・会津の商人たちから奉納された石灯籠などが残されている。

 

12:40 「勝山城址」
 鬼怒川の段丘面を天然の要害にした勝山城は、鎌倉末期に氏家氏が築いた。
その後宇都宮氏の北方防衛の拠点であったが、豊臣秀吉の命で改易したのに伴い廃城となっている。
城址からは日光連山から那須連山まで見渡せる。

Navi71. 勝山城址入口(右折)→<市道>→馬頭観音 1.5km 20分

田舎道となった街道を進む。国道4号の上阿久津バイパスを渡った辺りに氏家一里塚があったはずだ。
その先左手の「お伊勢の森」は、伊勢神宮の内宮・外宮その他末社を勧請したのが祀られている。 

 

東北本線の複線を渡る。踏切の名称は「旧奥州街道」とある。東京駅からは126kmになる。

 

田舎道の行き止まりは、奥州道中と太田街道の分岐点となっていて、旧い道標が建っている。
享保年間以前の道標には「右江戸海道、左水戸かさま、下だて、下づま」と書かれているそうだ。
正面の「右江戸海道」だけが辛うじて読み取れる。
ここを鉤の手に曲がると氏家宿の江戸方の入口で、木戸番所が設けられていた。

Navi72. 馬頭観音(斜め左)→<県道181号>→上町交差点 0.9km 10分

 

13:30 「氏家宿」
 国道293号と交差する氏家交差点を過ぎると左手にある平石歯科医院が、本陣平石家の跡になる。
天保年間の「奥州道中宿村大概帳」に印された氏家宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠35軒の規模。
鬼怒川舟運の北限である「阿久津河岸」が近いため、物資の集散地として大いに賑わったと云う。

 

氏家宿には宿場の遺構がほとんどない。代わりに宿並みの中央部「西導寺」をゴールに行程を終える。
西導寺は建久2年(1191年)に氏家氏の始祖で勝山城を築いた宇都宮公頼が開いたとされる古寺だ。
日光道中と分かれた奥州道中、白澤宿を経て、鬼怒川を渡り氏家宿までは19.0km、4時間30分の旅。
ゴールまで持ち越した今日の街道めし、西導寺門前の「なかや」で "とろろそば" と生ビールなのだ。

 


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「北一食堂」

2017-10-06 | Biz-Lunch60分1本勝負

 お櫃から盛られるご飯が美味しい。
おふくろの味「北一食堂」は、コの字型カウンターに15席ほどの定食屋さんだ。
メインの一菜を注文して、カウンターに並んだ100~120円の小鉢をお好みで。
で、今日は "アジフライ" に "なすの南蛮漬け" をいただく。裏切らない安定の旨さだ。
ここはちょっと前時代的な、美味しい、懐かしい名定食屋なのです。 

      
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日光道中紀行7 大沢宿~今市宿~鉢石宿

2017-10-02 | 日光道中・奥州道中紀行

 日光東照宮「陽明門」に立った。
豪華絢爛な美しさは、40余年ぶりの大修理を終え、本来の輝きを取り戻したかのようだ。
正月3日に日本橋を発ってから140km、延べ7日間の日光道中の旅がここに終わる。

Navi63. 大沢郵便局(斜め左)→<旧道>→水無交差点 1.3km 17分

      

07:50 「大沢宿」
 大沢宿を発った日光道中は基本的に国道119号を往く。
時折旧道となって右へ左へ外れるが、杉並木の間を通れば良いのであって迷うことは無い。
日光方の入口から宿外にでると、直ぐに八坂神社がある。と云っても小さな祠だ。

 

八坂神社を過ぎると、旧道は突然通行止め、排気ガスや振動から杉並木を守る配慮だ。
この先は過ぎの落ち葉を踏みしめて歩く。

08:00 「水無一里塚」
 日本橋より32里目の水無一里塚、並木の中にあるので両塚が原形を留めている。
杉並木自体が道路面より高い位置に植えられているので、塚の全容を観るのは難しい。

 

08:05 「水無地蔵尊」
 杉並木の旧道は水無交差点で国道119号と合流する。
その手前に水無地蔵尊、地蔵堂を囲むように数体の地蔵が並んでいる。

Navi64. 水無交差点(直進)→<国道119号>→日光甚五郎煎餅工場 1.4km 18分

Navi65. 日光甚五郎煎餅工場(斜め右)→<旧道>→下森友交差点 0.9km 12分
Navi66. 下森友交差点(直進)→<国道119号>→森友交差点 0.5km 6分 

Navi67. 森友交差点(斜め右)→<旧道>→小倉交差点 2.8km 40分

 

08:50 「七本桜一里塚」
 日本橋から33本目の七本桜一里塚。
東塚の塚木は杉の巨木なのだが、根元が腐って大きな空洞になっている。
大人4人程度が入れることから「並木ホテル」とも云われている。

七本桜交差点の先で東武日光線のガードを潜る。杉並木と東武電車のコラボレーションだ。

まもなく西側から別の杉並木が近づき、小倉町交差点手前で合流する。日光例幣使街道だ。
この街道は倉賀野宿で中山道と分岐して、太田宿、栃木宿を経て、日光道中と合流する。
例幣使とは朝廷の勅使のことで、朝廷から神への捧げものを毎年東照宮に納めた。
往路は中山道から日光例幣使街道を、復路は江戸で将軍と対面してから帰京したと云う。 

Navi68. 小倉交差点(直進)→<国道119号>→瀧尾神社 0.8km 10分

 

09:20 「追分地蔵」
 追分の二股になったところに追分地蔵がある。
もともと如来寺に安置されていたものを、街道開設の頃この地に移したものらしい。
日光道中と例幣使街道が合流した追分が今市宿の江戸方の入口である。
小倉町交差点辺りに木戸が設けられていたと云う。

 

09:25~10:05 「今市宿」
 今市宿に入ると直ぐ右手に道の駅が広がる。その裏手にあるのが報徳二宮神社が在る。
二宮尊徳は幕府の命による農村復興事業の最中、ここ今市で70歳の生涯を閉じている。
今市宿の規模は、本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠21。1と6の日には市が開かれ賑わった。
宿場は幕末に戊辰戦争の戦火に見舞われ、大半が焼失し、宿並みに当時の面影は無い。

 

道の駅の向かい側には "日光誉" 渡邊佐平商店が在る。天保13年(1842年)の創業だ。
日光山麓の清冽な名水を汲み、日光連山から吹き下ろす冬の寒気の中で酒を醸している。
将軍の行列も例幣使の行列も、市の賑わいも見つめてきた酒蔵は宿場の華なのだ。

 

宿並みの中央、春日町交差点に日光名物 "たまり漬" 上澤梅太郎商店が在る。
この向かい側辺りに本陣大橋家が在ったのだが、当然に何の遺構もない。
宿場の鎮守瀧尾神社は、日光二荒山神社を祀った際、この地にも瀧尾権現を祀った。
この瀧尾神社が宿場の日光方の入口で木戸が設けられていたそうだ。

Navi69. 瀧尾神社(斜め右)→<旧道>→日光市野口 3.5km 45分

瀧尾神社から先の日光道中は杉並木鑑賞道路となる。この辺りの杉並木が美しい。
左右に清流が流れる砂利道が杉の並木の中で緩やかに右へ左へとカーブして続いて行く。

 

日本橋から34番目、日光道中最後の瀬川一里塚は終ぞ見つけられずに通り過ぎてしまった。
戊申戦争では日光・会津への交通の要衝今市宿をめぐる官幕両軍の激しい攻防戦が展開された。
慶応4年(1868年)4月、官軍の北村砲隊が放った砲弾の痕が並木杉に残っている。

 

野口の集落に入ると薬師堂があって念仏供養塔が並んでいる。青雲山竜蔵寺の跡地だ。
貧しい竜蔵寺には釣り鐘がなく、日光廟造営の石工に造ってもらった石の釣鐘が在る。

Navi70. 日光市野口(斜め右)→<国道119号>→いろは食堂 1.9km 25分

Navi71. いろは食堂(斜め左)→<旧道>→東和町交差点 0.4km 5分
    ※JR日光線ガード下でR119と交差するので注意 

 

JR日光線のガード下で国道119号と交差してさらに旧道を行く。
鉢石宿を目前にして石段がある。
明治天皇が東北行幸の際、この階段のため、七里の御小休所で馬車から馬に乗り換えた。

Navi72. 東和町交差点(直進)→<国道119号>→神橋交差点 2.0km 30分 

11:55 「鉢石(はついし)宿」
 JR日光駅入口の相生町交差点。ここに鉢石宿の木戸が在った。
日光道中最後の宿場である鉢石宿の規模は、本陣2、脇本陣1、問屋場1だ。

 

ゴール目前、文化元年(1804年)創業と云う老舗「湯沢屋まんじゅう本舗」でひと休み。
ちょうど二つあった本陣の一方、高野本陣はこの店の向かい側と思われる。
"焼き酒まんじゅう" は、餡の入った酒饅頭を串にして、味噌だれをつけて焼いたもの。
抹茶といただく。これ中々いける。疲れも吹っ飛ぶ。これから東照宮も歩くからね。

高野本陣の先の「鉢石」は、開祖勝道上人がこの石に座って日光山を仰いだと云うもの。
「鉢を伏せたような形状」がその名の起こり、やがてこの地の地名になった。
大谷川の流れの碧に映える朱塗りの「神橋」は日光道中の終着地。対岸は神域になる。
大沢宿から今市宿を経て、美しい杉並木を歩いた最終日は、15.8km、4時間05分の行程だ。
次回は宇都宮宿に戻って奥州道中を進める。 了