旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

人生のそばから 信州・富倉「かじか亭」

2012-11-24 | にいがた単身赴任始末記

 R292を上越市から志賀高原方面に750ccを走らせて県境を越えると飯山市富倉。
「手打ちそば かじか亭」で名物の富倉そばと笹ずしのセットをいただいた。蕎麦はもちろん新そば。
笹ずしはこの県境地帯の家庭で作られるもので、川中島合戦当時は上杉謙信の野戦食だった。
切干大根の添え物が嬉しい。旨い蕎麦だったけれど、そばつゆが今一つだっただろうか。
信越県境のこの辺りは紅葉も終わり、もうひと月もすると深い雪に埋もれる。


中山道紀行18 芦田宿~笠取峠~長久保宿

2012-11-10 | 中山道紀行



「芦田宿」 11:00
 前回はイベントで賑わっていた芦田宿をスタート、おそらく今年最後の中山道紀行。
雨が上がりを待って遅い歩き出し、でもすでに抜けるような秋の青空が広がっていた。
旧本陣前から中山道は笠取峠に向かって上り坂となる。

「笠取峠のマツ並木」 11:40
 芦田宿の立科町と長久保宿の長和町は別の谷筋、つまり尾根を越えの行程になる。
標高900mの笠取峠へR142は直線的に上っていく。並行する中山道は松並木となる。

慶長年間に徳川秀忠が街道の改修に一里塚の設置と植樹を命じたそうだ。
この際赤松苗753本が小諸藩に下付され、近隣の村人によって植えられたという。
2kmの区間に68本が残っていて、一部は公園となっている。
松並木の入口の道祖神は寄り添う夫婦が笠を持っている。笠取峠に掛けたものだろうか。


「笠取峠」 12:20
 笠取峠を越えると長和町、ここで見納めになる浅間山は山頂に雪を冠している。
峠を越えてまもなく一里塚跡の碑、長和町へと下るR142はワインディングロードとなる。


「中山道原道」を所々歩ける。左右には旧い石積があって往時を偲ばせてくれる。
適度に水分を含んだ落ち葉の道はクッションとなる。
きっと草鞋履きの旅人も歩きやすかったのではないだろうか。

「長久保宿」 13:20
 峠を下ると松尾神社が鎮座し、集落は紅葉に染まる依田川の谷間にひっそりと在る。

長久保には宿場の遺構が数多く残っている。下り勾配に丸石積みの旧い家並が続く。

長野県内最古の町家は釜鳴家、歴史資料館になっている濱屋、本陣の石合家だ。

L字形の宿並は、松尾神社から一直線に坂道を下ると左直角に折れて和田峠を目指す。
ちょうど旅籠さながらに営業している濱田屋旅館前だ。
右手は北を目指す善光寺道との分岐点になっていて、新旧の道標がが建っている。

芦田宿から笠取峠を経て長久保宿までは5.7km、ずいぶん短い今日の行程は2時間。
春が訪れたら、中山道最高所の和田峠を越えて、下諏訪を目指すことになる。


人生のそばから 信州・湧井「みゆきそば屋」

2012-11-03 | にいがた単身赴任始末記

 「みゆきそば屋」のそれは、自家の畑でとれた蕎麦を石臼挽いて手打ちにしたニ八割そば。
冷たい湧水で引きしまった艶々の蕎麦、やや甘めのつゆに浸けると繊細な香りが広がります。

 斑尾山南麓、旧豊田村(現中野市)は作詞家高野辰之の出身地。
まさに唱歌『ふるさと』の情景の中、涌井の集落に「みゆきそば屋」はあります。
昼夜の寒暖差で霧が発生しやすい高原地帯で採れる良質なそばを「霧下そば」と云います。
戸隠、黒姫、斑尾、妙高など信越国境のものが有名です。

中野市湧井へは国道18号古間から入るのが便利。黒姫高原、野尻湖が至近です。
この日は生憎の曇り空でしたが、野尻湖周辺の紅葉が見事でした。