旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「落陽」

2011-08-30 | にいがた単身赴任始末記

 乗船待ちの単車が列をつくっています。ひとりで走ってきた人もずいぶんいるようだ。
自ずと走ってきたルートの情報交換とバイク談義に花が咲きます。
今回は話の輪に入ることができた。俄かライダーにも5日間走った成果があったようです。
苫小牧発、新潟行きの「フェリーしらかば」は19:30発。
乗船が済むと、それぞれ思い思いに時間を過ごします。私はもちろん生ビールです。

 

 はじめてのロングライドは5日間で1,590km。
忙しない日常を離れ、様々なものを見て、聞いて、感じた、密度の濃い時間でした。
なにが一番の収穫かって?対向車に照れなくサインを送れるようになったことか。
フェリーは白い航跡を引いて新潟港へ。明日からまた日常が始まります。

落陽 / 吉田拓郎


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「襟裳岬」

2011-08-29 | にいがた単身赴任始末記

 雲ひとつない青空の下、十勝平野を駆け抜けてきました。
一転、太平洋と出会う町広尾に入ると一面真っ白な霧の中。しかもとても寒いのです。

国道336号(黄金道路)は日高山脈が海に落ち込む断崖絶壁を覆道の連続で走り抜けます。
霧が太平洋から湧き出る。視界がない崖の淵を走るのはちょっとした恐怖です。

長い長いえりも黄金トンネルを抜けると崖は切れ、草原(百人浜)が広がります。
続く草原の先に見える襟裳岬は陽光の中、期待が高まります。

ところがところが、たどり着いた突端「襟裳岬」は再び霧に包まれていました。
30分粘りましたが願いは叶わず、苫小牧にむけてラストスパートをかけます。

 日高側の海岸線は山脈が緩やかな稜線を伸ばして海に達し、十勝側とは対照的。
様似町、浦河町辺りは昆布漁が最盛期、あちらこちらで昆布を干す作業が見られました。
最近はものが小さいのだと、作業をしていたお母さんが教えてくれました。
 浦河の町外れ、水産会社が営む「和食海鮮処 金水」でお昼を食べました。
ここの海鮮丼は新鮮なネタが豪快に盛り付けられることで人気があるそうです。

      

 国道235号(通称浦河国道)の右手は延々と牧場が続きます。
多くは競走馬の牧場で、サラブレッド街道とも呼ばれるようです。
きっと多くの名馬を輩出していることでしょうが、このあたりは残念ながら門外漢です。
国道が鵡川に架かる橋を渡ると、苫小牧の火力発電所や工場群が見えてきました。
帯広から襟裳岬を経て苫小牧港まで300km、ゴールはもうすぐです。

襟裳岬 / 吉田拓郎
 


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 番外編 「花嫁」

2011-08-29 | にいがた単身赴任始末記

 昭和50年代に流行った国鉄のキャンペーン “いい旅チャレンジ20,000km”。
広尾線には、愛国、幸福、大樹など魅力的な駅名が並び、多くの観光客が訪れました。
襟裳岬を目指すルート、ロードマップに「旧幸福駅」を見つけ訪ねることにしました。
旧駅舎とホームには気動車、鉄道ファンならずとも訪ねて楽しいスポットです。

 

 旧幸福駅ではとても素敵な光景に出会いました。
タキシードとウェディングドレスに身を包んだカップルが、結婚の記念撮影中でした。
図々しくも写真を一枚とお願いすると、はにかみながら快く応じてくれました。
今日の青空のような爽やかな青年と、純白がお似合いの愛くるしい花嫁さんでした。
どうか末永くお幸せに!

花嫁 / はしだのりひことクライマックス


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「大空と大地の中で」

2011-08-28 | にいがた単身赴任始末記

 ホテルの窓から見る朝の釧路港は真っ白、釧路は霧の町です。
戻ってきた夏の空の下、国道391号(通称摩周国道)を釧路川と絡みながら北上。
左手にはどこまでも釧路湿原が広がります。湿原の北端に近いシラルトル沼で一服です。

 3本の国道が交差する摩周界隈は、スタンドやコンビニにバイクがずらり。
一旦国道391号を右手に離れ、道道52号を10kmほど駆け上がると第一展望台。
今日の摩周湖は惜しげもなく鏡のような湖面に摩周岳とカムイシュ島を映していました。

摩周湖を下る周遊道路から異形を見せるのは、屈斜路湖カルデラの中に隆起した硫黄山。
標高500mの火山で、岩肌の噴気孔から硫黄分を含んだ蒸気を激しく吹き上げています。

 この先のルートを、阿寒湖か美幌峠か迷いましたが、峠からのパノラマを択ぶ。
屈斜路湖畔には、砂湯、池の湯、コタン温泉と露天風呂が続きます。
ひと風呂楽しみたいところですが、先の行程も長いのでここはぐっと我慢です。
国道243号(通称パイロット国道)に入って20kmほど、ちょうど湖を半周。
カルデラの淵を登りきると美幌峠、中島の浮かぶ屈斜路湖の大パノラマを堪能しました。

 美幌峠をくだり北見市から242号。旧国鉄池北線の廃線跡に沿って池田町を目指します。
置戸から陸別にかけては、時折鉄橋や駅舎が姿を表し、列車がやってきそうな気がします。

 足寄からは小さな丘を越えて上士幌へ。雄大な十勝平野が眼前に広がります。
地平の先に日高山脈を据えて十勝平野はどこまでも広く、十勝川は滔々と流れている。
まさに『果てしない大空と......』の世界です。
今日は釧路から帯広まで300kmのドライブ。明日は最終日、襟裳岬をめざします。

大空と大地の中で / 松山千春


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 番外編 「釧路の夜」

2011-08-27 | にいがた単身赴任始末記

 薄々感じていたのですが、私と他のライダーとでは荷物の量が違う。
倍いや3倍は違うのです。中には寝袋やキャンプ用のシートをくくり付けている人も。
どうやら“ライダーハウス”という簡易宿所やキャンプ場を上手に利用している様です。
確かに層雲峡でも釧路でも駐車場の単車は1台だけでした。

 釧路フィシャーマンズワーフMOOでは夏の間「岸壁炉ばた」が設けられます。
釧路港で水揚げされた新鮮な魚介類、サンマ、ホタテ、ツブなどを炭火焼で楽しめます。
気の合う仲間やカップルで訪れたら楽しそう。
香ばしい匂いも誘われましたが、ひとりで焼くのは寂しいので次回のお楽しみにします。

 

 醤油や生姜、ニンニクなどで濃厚に味付けされた唐揚げ「ザンギ」をご存知ですか。
釧路の繁華街栄町にその発祥と言われる「鳥松」を訪ねました。
カウンター12席ほどの小さなお店は満席。店外にも“お持ち帰り”を求めるお客さんの列。
幸い程なく常連さんの間に空席を得ることができました。
メニューはそれこそ「ザンギ」のみ。骨付き、骨なし、のみをオーダーするようです。

 

 釧路ラーメンは北海道4大ラーメンのひとつに数えられます。
ラーメン専門・日本お奨め “野菜塩ラーメン” は、カツオだしのあっさりした一杯でした。
明日は摩周湖、美幌峠を経て十勝川を目指します。

釧路の夜 / 美川憲一


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「知床旅情」

2011-08-27 | にいがた単身赴任始末記

 知床国道に入ると斜里岳の稜線を右に見て、天まで続くかのような直線を走る。
やがて左手に広がるオホーツク海は波穏やかで、宗谷方面の陸地が海上に薄く浮かぶ。
最初の景勝は「オシンコシンの滝」。60mの断崖を海に向けて流れ落ちる様子は迫力充分。
ウトロを過ぎると海岸線は断崖の連続、道路は海岸を離れ崖の上へと駆け上がる。

 世界自然遺産に登録された知床屈指の景勝地「知床五湖」。一般車両はここまで。
ビジターセンターから蝦夷鹿が戯れる姿を見ながら木道を歩くこと20分。

原生林に囲まれた一湖の湖畔展望台からは知床の大パノラマが広がる。
湖越に見る羅臼岳や硫黄山など知床連山は絶景なのだ。

 10Kmほどウトロ方面に戻って国道334号を左に折れると知床横断道路に入る。
標高740mの知床峠までは、穏やかな勾配とカーブが続く快適なワインディングロードだ。
知床PAからは雄大な羅臼岳を眼前に臨み、そして国後島。ほんと大きい、感激なのだ。

 知床峠を羅臼へ下っていくと野趣あふれる露天風呂がある。
羅臼温泉「熊の湯」は原生林の中、羅臼川のせせらぎを聴きながら浸かる。かなり熱い。

 国後島があまりにもきれいに見えたので、間近に北方領土を見たいと欲がでる。
予定を変更して本土最東端「納沙布岬」を目指す。後で大変な思いをすることを知らずに。

 

 羅臼から根室まで140Kmを2時間かけてこの時点で14:30。
遅いランチは「どりあん」で根室でディープに人気の "エスカロップ" を食す。
バターライスに薄切りカツをのせデミグラスソースをかける、ハイカラな洋食屋の味だ。

 根室半島は周遊50Km、時計と反対周りに先端をめざす。
海流の関係だろうか、太平洋側は風がとっても冷たく既に晩秋のよう。
ところどころで湿地がいりくみ、馬が草を食んでいる光景は “最涯感” たっぷり。

 たどり着いた納沙布岬、様々な団体が建てた記念館や碑が並ぶ。
歯舞群島は薄い板状の島々で肉眼では国後のような存在感はない。
双眼鏡を覗くと、草地だけの島に立つロシアの監視塔の様子が手に取るように見える。
関係の方々の心中察すると胸が痛む。ともあれ本土最東端の地に達した。

ここからが問題。納沙布岬で16:30、釧路までは北太平洋シーサイドラインを150Km。
本来、海の“青”と森林や草地の“緑”のコントラストが美しいルートだと思う。
でも、暮れかかる中、熊注意の標識のある対向車無き道を往くのはけっこう恐怖だ。
霧多布岬、火散布沼、厚岸湖を経て釧路へ到着したのは19:30。
斜里から知床峠、納沙布岬を巡り釧路まで、400Kmが今日のドライブだ。

知床旅情 / 加藤登紀子


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「風を感じて」

2011-08-26 | にいがた単身赴任始末記

 石狩川に流れ落ちる落差100mの名瀑「流星の滝」と「銀河の滝」。
柱状節理が屏風のような「大函」、層雲峡の渓谷美を堪能した後は、石北峠を越える。

 近頃、匂いで旅先や季節を感じることが少なくなった。
車はエアコンを効かせて走るし、列車も窓の開かないものが多いからね。
樹木や夏草、水辺、水田、牧舎や鶏舎の匂い、潮のかおり。
峠を越えたりカーブを曲がるだけで変化する空気、“風を感じて” 走る単車の醍醐味だ。

 留辺蘂で北見国道を左に折れて国道242号へ。
眼前に広がったサロマ湖はとにかく大きい。海と隔てる全長20kmの砂嘴もはるか遠くだ。
道の駅サロマ湖の先にある北勝水産で、人気のある「ホタテバーガー」を食べた。
これは旨かった。レタスとトマトの上に揚げたてのホタテを4つ、お奨めです。

 サロマ湖から見る夕陽はとてもキレイだそうだが、それまで待つ訳にもいかない。
なにしろ西から不穏な雨雲が迫るのでオホーツクラインを東に急ぐ。
能取湖・網走湖岸を抜け、女満別のメルヘンの丘を眺めて網走市内へ。
郊外の天都山に旧網走刑務所の建物を移築した「博物館網走監獄」を訪ねる。

 網走監獄を足早に見学すると、今日の目的地斜里に向けて国道244号に入る。
いよいよオホーツク海を間近に、と思った矢先、とうとう捕まったゲリラ豪雨。
昨日に引き続き大粒の雨に叩きつけられ、いつの間にか “雨を感じて”。
原生花園をあきらめて、急ぎ逃げ込んだ知床斜里駅のホテルまで、層雲峡からは240km。
明日は知床半島を走る。

風を感じて / 浜田省吾 


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「遙かなる大地より」

2011-08-25 | にいがた単身赴任始末記

 いったい誰が前線をここまで押し上げたのだろう。小樽はすでに秋の気配のする小雨。
石狩から空知へ抜ける頃、いよいよ雨も本降りになってきた。

 富良野では麓郷の森に、黒板五郎さん宅を訪ねた。ドラマ「北の国から」の舞台だ。
丸太小屋、石の家からは、今にも純や蛍が飛び出して来るのではないかと思わせる。
それにしても自然とハミングしてしまうテーマ曲。
すれ違ったお父さん何人かも気持ちよさそうに鳴らしていた。

 さて、ランチは富良野市街に戻って新・ご当地グルメ「オムカレー」を食べた。
「まさ屋」はカウンターの鉄板で、バターライス、オムレツ、豚トロを調理する。
デミグラスを合わせたカレールーをかけてくれます。アツアツを美味しくいただいた。
「富良野オムカレー」は、B1グランプリに10年連続で参戦しているとマスターが語る。
提供する店は市内に14店舗、「ふらの牛乳」が付いて1,000円。黄色い幟が目印だ。

遙かなる大地より / 花井悠希


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「愛と風のように」

2011-08-25 | にいがた単身赴任始末記

 富良野国道「花人街道」を旭川方面に北上、雨はいよいよ激しくなってきた。
沿道のラベンダーは、残念ながら花は8月中旬まで。今は向日葵がきれいだ。 

 昭和40年代の後半、ケンとメリーのCMで一世を風靡したスカイラインクーペ。
車もそのCMもとにかく格好良く、少年の憧れだった。
パノラマが広がる美瑛の丘にこのCMに登場したポプラの木「ケンとメリーの木」がある。

 やはり昭和50年代前半、タバコのCMに登場した風景「マイルドセブンの丘」がある。
荒天の中だけど、ふたつの美景を焼き付けて納得。
JR富良野線と寄り添いながら旭川へ、ようやく青空が広がってきました。
旭川ラーメンを堪能したいところだけど、陽も傾いてきたのでそのまま大雪国道へ。
今日のゴールは層雲峡温泉。小樽から350kmのドライブだ。

ケンとメリー ~愛と風のように~ / Buzz 


単車でGO!俄かライダーの北海道周遊 「出航SASURAI」

2011-08-24 | にいがた単身赴任始末記

 思い立って、750ccと新潟港10:30発のフェリーに乗船した。
「思い立って」乗ってしまうほど、にわかライダーは軽快かつ軽率なのだ。
船室で缶ビール片手に、昨晩書店で買い込んだツーリング・マッブルと暫し睨めっこ。
洋上は出航してからずっと曇り空。東北の沿岸は雨だろうか。厚い雲に覆われている。
日本海に沈む夕陽は観れなかったけど、きれいな茜が楽しめた。小樽港着は明朝04:30だ。

出航 SASURAI / 寺尾聰


中山道紀行9 本庄宿~新町宿

2011-08-15 | 中山道紀行

「本庄宿」 08:40
 猛暑が続く旧盆の最中の第9日目、武州路最後の行程を本庄宿からスタートする。
本庄市街には歴史民俗資料館前に移設された田村本陣門を除いて旧い遺構はない。
宿場の西の外れ近くに旧い商家や土蔵が僅かに見られるのみだ。

中山道は、宿場の西端、金鑽(かなさな)神社を右左と枡形に折れ、本庄の町を離れる。
社殿は極彩色うるし塗りの権現造り、本庄祭りでは豪華な山車が曳き回される。

本庄宿を出た中山道はしばらくR17の西側、県道392号線を進んでいく。

「泪橋」 09:20
 泪橋跡碑には「街道筋の住民に課せられた使役は酷く、とりわけ農繁や風雪時期の
使役はなおさらで、人々はこの橋端に憩い家族を思って涙した。」と刻まれている。

「陽春院」 10:10
 中山道は神保原でR17とクロスし、今度は東側を2kmほど並行する。
やがて左手には武田信玄の正室が仏門に入ったというエピソードが残る陽春院を見る。 

「勝場一里塚」 10:25
 中山道は勅使河原北交差点でR17と重なる。交差点の脇には一里塚跡の碑が在る。
緩やかな勾配を上っていくと神流川の堤防。架かる神流川橋は埼玉・群馬県境の橋。
真夏の陽にジリジリ照らされて、結構きつい渡河になる。

左手には高崎線の鉄橋、さらに奥には関越自動車道が川を越えていく。
中山道当時は徒歩渡りだったが、出水時には舟渡しになった。橋を渡り切ると上州路だ。

さてこの辺の神流川は戦国時代の歴史舞台でもある。本能寺の悲報を受けた滝川一益が
北条軍と激突して惨敗、本領伊勢長島に逃げ帰った「神流川の戦」古戦場なのだ。

「新町宿」 11:00
 堤防からの勾配を下りきると上州路最初の宿場・新町宿で常夜燈が迎えてくれる。
中山道は新町検問所からR17を右手に離れ、ここから新町宿に入っていく。
新町は古くから俳諧が盛んで、柳茶屋跡には芭蕉句碑が建っている。

宿場の中心地、明治天皇行幸時に滞在した新町行在所でこの日の行程を終える。
本庄宿から神流川を渡って新町宿までは11.1km。約2時間30分の行程となった。
夏休みシリーズは一旦終了。秋には上州路を碓氷峠めざして進めて行こうと思う。


中山道紀行8 深谷宿~本庄宿

2011-08-13 | 中山道紀行

「深谷宿」 07:40
 深谷宿は灯が東の常夜燈から西の常夜燈までの1.7kmの間。
隣の熊谷宿には飯盛女を置かなかったので、必然、深谷に多くの女が集まり賑わった。
この様子は英泉画「深谷之驛」でよく理解できる。
旧い造り酒屋など、土蔵や連子格子の家々が落ち着いた雰囲気を醸している町並みだ。
また明治の実業家・渋沢栄一の出身地深谷には、日本初のレンガ工場が建てられたからか
明治期のレンガ造りの建物がちらほら見かけられる。

 TVニュースでは、首都圏から各地へ向かう高速道路の渋滞が伝えられている。
そんな中、私たちは自分の足で行く。第8日目は深谷宿の外れ西の常夜燈からスタート。
今日も暑い日になりそうだが、武州から上州に抜けるのもあと僅か、自然と力が入る。

「瀧宮神社」 08:05
 宿場を発ってまもなく瀧宮神社(宿根総鎮守)が在る。明応五年(1496年)の大干ばつの折、
領民がこの地を、広さ百余坪、深さ一丈掘ったところ、大量の水が湧き出し耕地を潤した。
歓喜した領民が妻沼の聖天宮の神をこの遊水地に勧請したのが由緒と云う。

深谷宿を出ると、ほどなく中山道はR17と重なり4kmほど進む。
特筆する見所は無いけれど、清心寺・瀧宮神社・普済寺・鳥護産泰神社と続く寺社は、
炎天下の道を行く旅人に休息の木立を提供したことと想像される。
そういえば熊谷を出てからあちこちで馬頭観音が見られるようになった。

「島護産泰神社」 08:55
 中山道が緩やかに右手へR17とはなれると島護産泰(しまもりさんたい)神社が在る。
創立年代は不明、旧榛沢郡内の開拓が、神社の加護により進み、村々の信仰が厚くなり、
やがて総鎮守になったと云われる。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木之花咲夜姫命だ。

「百庚申」 09:10
 中山道がR17バイパスとクロスする岡(西)交差点手前、岡の坂に庚申塚の一群がある。
百庚申(ひゃくこうしん)は幕末の万延年間に村の有志によって建立されたもの。
桜田門外の変や黒船来航による騒然とした国情に、生活に不安を感じた民衆が
神仏に頼ろうとした心理がさせたそうだ。

中山道は小山川を滝岡橋で渡って、長閑な川沿いの県道となって続く。
近世、馬が急死した路傍に建てられることが多くなった馬頭観音像や、賽神の石碑、
子育地蔵尊、庚申塔など、石仏たちが街道の存在を感じさせてくれる。

「本庄宿」 10:50
 武州最後の宿場である本庄宿は中山道最大規模の宿場として大いに賑わった。
天保年間におけるその規模は、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は77軒となるほど多い。
またこれらとは別に飯盛旅籠が54軒、飯盛女100人を数えたと云うから盛況だったろう。

二軒あった本陣の一方、田村本陣門が本庄市歴史民俗博物館前に移築されている。
深谷宿から本庄宿までは11.4km。炎天下、午前中に絞って3時間の行程とした。
さて次回はいよいよ神流川を渡って上州路に入る。


中山道紀行7 熊谷宿~深谷宿

2011-08-08 | 中山道紀行

「熊谷宿」 07:30
 予定が合わず、ひと月半空けてしまった第7日目、暑い盛りに日本一暑いところを歩く。
幾らかでも涼しいうちにと7時30分に熊谷宿本陣跡前をスタートした。
中山道は直ぐに八木橋百貨店に吸い込まれ、裏玄関の延長線上に商店街となって続く。

八木橋百貨店の並びに熊谷寺、熊谷直実公が出家した後、結んだ草庵が始まりとされる。
慶長9年(1604年)、徳川家康より30万石の御朱印領を拝領を受けた由緒ある寺院だ。

「石原分去れ」 08:05
 商店街が左へ緩い弧を描いて再びR17と重なってから1.5kmで石原町北交差点。
ここの分去れを左に折れると秩父道、観音巡礼の道として交通量も多かったようだ。

「新島一里塚」 09:05
 更に1kmほど進み新島地籍に入り、中山道がR17を左手に外れると新島一里塚。
東塚は石垣に囲まれた樹齢300年の欅の大木が残る。西塚は残っていない。
宝暦年間の道中絵図には「左右に榎二本」と記されているのだが、なぜか欅です。

中山道は玉井地籍でR17とクロスした後、その東側を緩やかに蛇行しながら進む。
用水路が流れ、庚申塔・道標・地蔵尊などが次々現れ、ここが中山道だったことを示す。

それにしても暑い。9時そこそこでおそらく水銀柱は30°をとっくに超えているだろう。
ちょっと息子の様子がおかしい。熱中症?
途中、スーパーで保冷用の氷を分けてもらいタオルに包んで首に巻いて休む。
ゆえにこの間、写真は無い。

「深谷宿」 11:50
 県立深谷一高の先でR1とクロスして西側に抜けると、深谷市街地に入っていく。
まもなく道の右側に「東の常夜燈」が建つ。この先1.7kmが深谷宿になる。

道の両側には、土蔵や連子格子の古い家や、なかには煉瓦造りの卯建を持つ家もある。
旧田中籐左衛門商店の建て物は幕末の物と思われる。

本陣跡近くにも旧い商家が何軒か並んでいて雰囲気がある。
その中のひとつ「清酒菊泉」の看板を上げる滝澤酒造の前で今日の行程を終える。
熊谷宿から深谷宿までは11.1km。熱中症に冷や冷やしながらの4時間30分の行程だった。


旅の途中 "青春18きっぷ" で 中部縦貫の旅

2011-08-06 | にいがた単身赴任始末記

 青春18きっぷを利用した帰省は中部縦貫ルート、日本海から太平洋まで縦貫する。
06:13 高田発
 トップランナーの普通列車長野行きに乗車。
天気は良好。高田から妙高高原までは、車窓右手に常に妙高山を見て勾配を上る。
県境を越えると黒姫。ガラガラの車両は徐々に通勤通学客を呑み込み、満員で長野へ。

08:17 長野発
 遅い朝食は5番ホームの裾花亭で “野沢菜・山菜そば” をすする。
しなの鉄道は短い3番ホームから。レッドとガンメタの化粧を施した電車で小諸をめざす。

09:58 小諸発
 小諸は北国街道沿いの町、懐古園、渥美清こもろ寅さん会館がある。
かつては20往復もの特急が停車した駅も、新幹線ルートから外れ郷愁のローカル駅。
4番ホームに待っていた新型のディーゼルカーに乗り換え、八ヶ岳山麓の高原に向かう。

 小諸を出ると、“乙女”、“美里”、小海線にはきれいな響きの駅名がある。
臼田を過ぎた辺りから、左右の家並が疎らになると、千曲川と寄り添うように走る。
信濃川上で千曲川と別れて列車は一気に高度を上げ、視界が広がると一面のキャベツ畑。

程なくJRで最も標高の高い駅(1,345m)野辺山に到着。

野辺山で途中下車。八ヶ岳を写真に収めたいのだが、雲がかかって姿を見せてくれない。

13:10 野辺山発
 野辺山始発の臨時列車小淵沢行きに乗車する。
列車はJR鉄道最高地点の碑(標高1,375m)を右手に見ると、一気に急勾配を駆け下りる。
清里は多くの乗降者があるリゾートの駅、甲斐大泉は落ち着いた別荘地の様相だ。
やがて列車は大きく左にカーブして中央本線と並走、標高差を徐々に縮めて小淵沢に到着。

14:07 小淵沢発
 駅弁を品定めするうちに、引き込み線に退避していた普通列車高尾行きが入線。
車窓に八ヶ岳を覆った真っ黒な雲と稲光を見ながら、"駅弁浪漫・やまのごはん" を開く。
うめ・みそ・栗おこわのおにぎり、マスの塩焼き・つくね・たけのこ・きゃらぶき・大学芋。
竹かごにはいって、見た目も楽しく、ちょっぴり懐かしい大人の味、お奨めです。

14:49 甲府発
 小淵沢から甲府までは40分程。
本当はこのまま新宿へ向かいたい所、もうひと捻り、身延線に乗り換え太平洋をめざす。
目的はそう “富士宮やきそば”、5番ホームから富士行きの電車に乗り込む。

電車は身延の手前からは富士川東岸を静岡県へ。車窓から富士山の姿は見えない。
暮れかかる富士宮の町は浅間大社の「富士山御神火まつり」で賑わっている。

縁日のたつマイロード本町の路地にオレンジ色の「富士宮やきそば」の幟を見つける。
「つぼ半」さんは、テーブルの鉄板で店のお婆ちゃんが焼いてくる。
コシの強い麺とキャベツを炒め、タコ・エビ・豚肉をトッピング、仕上げにイワシの削り粉。
冷えた生ビールを傍らに、熱々のやきそばを美味しくいただいた。

 店の外が騒然としてきたので、お婆ちゃんに教わったとおり大通りに出てみる。
御神火まつりは、浅間大社で採火した御神火を神輿に点火し、市内を練り歩く。
最後はこの火を神田川の水で清めクライマックスとなるそうだ。
御神火と共に神輿に乗った、さらしに法被姿の姐さんたちが格好良い。

19:25 富士発
 富士宮から富士までは20分、日本海から太平洋へ中部縦貫を達成。
ここからは東をめざす。まず普通列車熱海行きに乗車、さすがに東海道本線は大幹線。
速度も快適、乗り継ぎ時間も僅か。熱海駅、平塚駅で乗り換えて大宮まで。
ラストランはグリーン車で一杯やりながら。このルート、504km、16時間40分の旅だ。