旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

都心でふるさとを味わう 茨城マルシェ「生しらすネギトロ丼」

2015-01-24 | Biz-Lunch60分1本勝負

ビストロのランチは、あんこう鍋、鹿島灘はまぐり旨辛鍋、つくばしゃも炙り焼き等がメニューに並ぶ。
11:00~14:00の間、フリーサービスの「茨城野菜ビュッフェ」が嬉しい。っで "生しらすネギトロ丼" を択んだ。
久慈浜産の “生しらす” と “ねぎとろ” の贅沢な丼を、醤油ダレに生姜をたっぷり溶いていただく。
さらにレモンを絞ると素材の甘味が引き立ってなお美味しい、かなり満足度の高いランチだ。

このショップ、マルシェと称するだけあって、新鮮な野菜に広いスペース、お約束の地酒が並んでいる。
そして水戸納豆、懐かしい「わら納豆」をはじめ豊富な種類が棚を賑やかにしている。

ブランド総合研究所が調査する都道府県魅力度ランキングで2年連続最下位に評されたのは茨城県。
それでもエントランスでゆるキャラ「ハッスル黄門」が迎える銀座1丁目の「茨城マルシエ」は、
今をときめく石川県やトップ3常連の沖縄県のショップに並んで、茨城の魅力を発信しているのだ。


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<40年前に街で流れたJ-POP>
22才の別れ / かぐや姫 1975年


中山道紀行32 加納宿~河渡宿~美江寺宿~赤坂宿

2015-01-10 | 中山道紀行

「加納城址」 07:00
 夜通し高速を飛ばして加納城址にやってきた。前回まで中央道経由を指したカーナビは
今回は東名高速を奨める。山岳区間を終えた中山道の旅もいよいよ終盤戦ということだ。
関ケ原の戦で落城した岐阜城を廃し、天下普請で築かれた加納城は石垣のみが残る。
中山道は加納城の北側を東西に貫いている。

「加納宿」 07:50
 今回のスタートは加納栄町交差点、北側に岐阜駅が見通せる。
岐阜観光コンベンション協会のホームページでは「加納宿は美濃にあった16宿のうち
最大の宿場町、城下町にある唯一の宿場」と紹介している。

岐阜中心部に旧い建物は少ないが通りの微妙な蛇行に旧街道の雰囲気を感じる。
長良川が近づいてくると古い民家が見られるようになり河渡橋に達する。

「河渡の渡し」 08:50
 長良川を県道の河渡橋が渡っている。初代の河渡橋が明治14年に架けられるまで、
中山道はこのやや下流を「河渡の渡し」で越えていた。
堤防に立つと真っ白に化粧した伊吹山が見える。橋を渡る今も、舟で渡った時代も、
伊吹山を越えて吹いてくるこの寒風だけは変わらないことだろう。

少々寄り道をして「小紅の渡し」 09:00~10:00
 河渡橋の2kmほど上流で「小紅の渡し」が現在でも交通手段として利用できる。
河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えたそうだ。
船頭小屋は河渡側にしかなく、今回のように岐阜側から渡るには、大きく手を振ったり
大声で船頭さんを呼ぶことになる。市の土木管理課が管理し、月曜日運休、無料だ。

河渡の渡し対岸、堤上に小さな祠、この辺りが渡船場であったのだろう。
堤防を下りると馬頭観音の愛染堂と常夜灯が建つ。

「河渡宿」 10:10
 愛染堂から300mほどで河渡宿一里塚跡がある。
濃尾平野に入ってから一里塚は一基として残っていないのは寂しいばかり。

延長330m、旅籠24軒の小さな宿場は、川止めの時には多くの旅人が滞留し賑わった。

五六川という小さな川を渡る。長良川支流の一級河川。
この名前、次の美江寺宿が日本橋から56番目の宿場であることが由来となっている。

樽見鉄道(旧国鉄樽見線)の踏切を渡ると美江寺一里塚。市指定史跡の碑が建つのみだ。

「美江寺宿」 11:00
 美江寺は幹線鉄道や国道から離れたひっそりとした町並みだ。公式な開設は1637年、
本陣の開設は更に遅い1669年、実際あまり栄えない小さな宿場だったようだ。

美江寺宿を抜ると歌川広重が「木曽海道六十九次みゑじ」を描いた地に案内板が建つ。
水辺に竹藪、果実、犀川堤防への坂道が描かれているが、現在は埋め立てられている。

描かれた犀川の袂には美江寺千手観音堂、難所を往き来する旅人の安全を祈願している。
寒風が吹き抜ける田圃地帯を往くと再び大きな堤防に当たる。
今度は鷺田橋で揖斐川を渡ると古い町並みが残る呂久集落に入る。

呂久集落には史跡小簾紅園(和宮記念公園)がある。揖斐川を御座船で渡る皇女和宮が
対岸の紅葉を玉簾を中からご覧になった故事を引いたものだそうだ。
「おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」と和宮。
小簾紅園は揖斐川の呂久渡船場跡に在る。

目的地の赤坂宿が近づく。110番目、池尻一里塚も碑があるのみ。
大垣から伸びてくる国道417号線との合流地点に今時の道標が建つ。

「赤坂宿」 13:20
 中山道が杭瀬川を渡ると赤坂宿となる。
かつて揖斐川の本流であった杭瀬川の水運で、宿の江戸方は赤坂港として栄えた。
また北へ向かう谷汲街道、南へ向かう養老街道への分岐点でもあり賑わったという。
今日も結構な数の観光客がカメラを片手に散策しているのにすれ違った。

宿場中央部の枡方、四つ辻付近が最も雰囲気がある。矢橋家住宅は江戸時代の建物。
将軍上洛時の休憩所として設けられた「お茶屋屋敷」もこの辺になる。

加納宿から長良川を渡って河渡宿、美江寺宿を経て揖斐川を渡って赤坂宿まで19.3km。
ゴールの赤坂本陣跡まで4時間30分の行程だった。春先には天下分け目の関が原をめざす。

街道めしは大垣駅前で。観光案内所でお薦めを尋ねると、挙げてくれたのが "みそにこみ"。
凍える身体に、熱々の "みそにこみ" は素朴な濃厚味噌味が美味しい。
半熟の玉子を箸で割ったり、生姜を入れたりすると風味が変わってまた美味しいのだ。