旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

休日は各駅停車で 高砂のガールズ大衆酒場で一杯

2017-02-26 | 日記・エッセイ・コラム

夕暮れの印旛日本医大駅は時計台を持った瀟洒な駅だ。ここから北総鉄道に乗って京成高砂を目指す。 
ブルーのラインは北総鉄道の車両、浅草線、京浜急行線を経て羽田空港まで足を延ばす。

東松戸駅ではもれなくスカイライナーの通過待ち、本線を160kmで走り抜けていった。
北総鉄道の起点は京成高砂、京成本線から分岐している。この踏切も朝夕はなかなか開かないのだろう。

京成高砂駅北口から徒歩3分、町の雰囲気に溶け込んだ高砂家の引戸をガラガラと開ける。
カウンター席だけの正真正銘の京成沿線らしい大衆酒場だ。少々様子が違うのは「お帰りなさい」の声。
カウンターの中は若い女の子なのだ。明るく気が利く彼女たちが今宵も愉しく吞ませてくれる。 

 まずはキリンラガーを注いでもらって一息。"中トロ刺身" の薬味は、おろし大根にわさび、これなかなか良い。  
「温かいうちにどうぞ」と彼女が "じゃがいもバター塩辛" を手に微笑む。ご機嫌だ。
さらにポッピーを二杯、愉しく吞ませていただいた。地元にあったら通うんだけどなぁ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
カルメン'77 / ピンクレディー 1977


ご当地旨ラーメン事情 喜多方「源来軒」

2017-02-23 | 旅のアクセント

 週末の “AIZUマウントエクスプレス号” はJRの喜多方まで乗り入れている。
で、勢い余って喜多方ラーメンを食べに来た。市内に120店舗ほどラーメン店がある。
どうしても「坂内食堂」を目指しがちだけど、今日は駅近の「源来軒」を訪ねる。
 この店は喜多方ラーメンの元祖と言われている老舗、大正期に屋台から始まった。
少し濃い目の甘みのある醤油味のスープは、シンプルだが味わい深い一杯。
 ところで手打ち・手作りの餃子もとても美味しい。でもかなりニンニクが効いているぞ。
帰りの電車に乗り合わせた人は顔を顰めなかったかな、3人で六人前楽しんだから。

 

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高遠そばと会津中将と鶴ヶ城と 野岩鉄道・会津鉄道を完乗!

2017-02-21 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 温泉と会津の酒肴を求めて日光から会津へ抜ける。野岩鉄道の起点は新藤原、
会津田島まで直通する東武鉄道の快速は観光客とスノーボーダーを乗せて満員だ。

野岩鉄道は会津高原尾瀬口まで、その先は会津鉄道になる。快速の終点会津田島で
後続の “AIZUマウントエクスプレス1号” にリレーして大内宿最寄りの湯野上温泉へ。
茅葺駅舎と足湯の魅力的な駅だけど、数少ないタクシー確保のため足早に改札を抜ける。

      

雪景色の大内宿を訪ねた。
会津城下と下野の国・今市を結ぶ32里の下野街道に1640年頃に整備された宿場町。
近代、国道121号線が阿賀野川の谷沿いに整備され、大内宿は時代に取り残された。
故に、今日に街道時代の景観を残している。

 

“高遠そば” 三澤屋の茅葺屋根の板戸を開けると囲炉裏で岩魚を焼くかおりが漂ってくる。
そばを待つ間、大根と麩の煮物をアテに花春酒造の特別純米酒 “大内宿” を愉しむ。

     

“高遠そば” とは、会津の殿さまが信州高遠藩で育ちであったことに因んでいる。
大根おろしそばを長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねていただくのが大内宿流だ。

 

2両編成のディーゼルカーで雪景色の中をさらに北へ向かう。目的地は芦ノ牧温泉。
芦ノ牧温泉駅には名誉駅長が居る。「らぶ」と云う名前の雄のアメリカンロールだ。
なんか猫の駅長ってよく聞く気がする。でっ今宵は芦ノ牧温泉・大川荘で地酒に酔う。

 
 

今宵の肴、膳菜(前菜)は十念豆腐、鰊山椒漬、エゴ酢味噌和え。
季節の御造り。
鍋物は蒸し鮑と大根の蟹あんかけ。
台の物は福島牛リンゴソース。
山菜の天婦羅。

 

鶴乃江酒造の “会津中将 純米吟醸 夢の香” 、すっきりしたやや辛の旨い酒だ。
伊勢海老のタルタルとサーモンマリネ、会津蕎麦にも満足。
ここのところ立ち飲みが続いた「呑み鉄」なので、たまには贅沢に愉しもうと思う。

そして夜明けの雪見露天風呂を独占。もちろん源泉かけ流しの温泉なのだ。
大川の渓谷に向かってせり出す景観抜群の「空中露天風呂」に浸かって至福のひと時。

会津若松に向かってラストスパート。さすがに普通列車は単行ディーゼルカーなのだ。
ところで会津鉄道は、国鉄会津線を引き継ぐ目的で設立された第三セクターの鉄道会社。
開業が1987年7月と云うから、僅か3ヶ月をJR線として走った訳だ。

旅の終わりは西若松駅、新潟県小出から秘境を抜けてきた只見線と合流しての終了となる。
駅から東へ1.5キロ、難攻不落の名城とうたわれた会津若松城(鶴ヶ城)に行き着く。
昨冬は雪がなくてがっかり、今日は雪の中を凛として聳える望楼型七重の天守閣を見上る。

野岩鉄道 会津鬼怒川線 新藤原~会津高原尾瀬口 30.7km
会津鉄道 (旧会津線) 会津高原尾瀬口~西若松 57.4km 完乗 

沢田研二 / さよならをいう気もない 1977


日光道中・奥州道中紀行2 草加宿~越ヶ谷宿~粕壁宿~杉戸宿

2017-02-12 | 日光道中・奥州道中紀行

09:00 「新越谷入口交差点」
 冬型の気圧配置、関東は快晴なのだが冷え込んでいる。
今日は新越谷入口交差点から甲州道中(県道49号)を北へと発つ。 

 

Navi9. 瓦曽根ロータリー交差点(直進) → <県道52・325号> → 陸橋入口交差点 5.7km

 

09:30 「越ヶ谷宿」
 瓦曽根ロータリー交差点で旧道に入ると越ヶ谷宿だ。
宿場は、本陣1、脇本陣4、旅籠52軒と大規模で、街道筋では千住宿に次ぐ。
本陣・脇本陣は残っていないが、延長2キロの宿内には趣のある建物がちらほら残っている。
レンガの立派な卯建を持つのが塗師屋、その隣が雑貨商だ。

越ヶ谷宿は宿内の中程を元荒川が流れ、南側の越谷と北側の大沢に分かれている。
越谷側は商家と旅籠が混在し、大沢側は純粋な宿場だったと云う。
元荒川に架かる橋の袂には、日本橋から6番目の越谷一里塚があった。今は痕跡がない。

橋を渡って左手のパン屋さんが福井本陣が在ったところだが、何の遺構も残っていない。
遠くに見える高層マンションが宿場の日光方入口(北越谷駅前)だ。

 

越ヶ谷宿を出るとやがて東武伊勢崎線の高架橋を鉤型に潜って元荒川の堤にぶつかる。
この堤上を往くのは、日光道中・奥州道中が整備される前の「古奥州道」だ。
低い堤の規模が人力で築かれたことを想像させる。
堤下に見つけた三基の道標は古奥州道時代のものだ。

09:55 「宮内庁埼玉鴨場」
 鴨場は、皇族が皇室関連行事や、駐在外交官あるいは海外からの賓客を接待する場だ。
伝統的鴨猟の紹介を通じで日本の自然・伝統・文化・歴史を伝えているそうだ。
元々は幕府や紀州藩の鷹場であり、家康もこの地を訪れで鷹狩りなどに興じたそうだ。
明治の世になり、正式に宮内庁埼玉鴨場として創立している。

注)宮内庁埼玉鴨場の先で県道325号は右に折れてしまうが、日光道中・奥州道中はあくまで直進。

10:20 「間久里の立場」
 東武伊勢崎線の大袋駅近くの間久里は、越ヶ谷宿と粕壁宿の中間にあたる。
旅人の休息所である立場が設けられ「八軒茶屋」と呼ばれ、ウナギが名物だったようだ。
下間久里香取神社付近に所在した、日本橋から7番目の下間久里一里塚は何の痕跡もない。
街道はせんげん台駅手前で国道4号に合流する。

Navi10. 陸橋入口交差点(直進) → <国道4号線> → (春日部)一宮交差点 5.5km

武里駅入口手前には大枝香取神社、この街道沿いには下総国一之宮香取神社の末社が多い。

 

右手に古利根川が近づいてくる辺りに国道4号線の33キロポストが立っている。
反対側の歩道には備後一里塚跡碑を見つけた。
退屈な国道を歩くこと70分、東武野田線のガードを潜ると春日部の市街地に入ってくる。
一宮交差点を斜め左に入る。この辺りが粕壁宿の江戸方入口となる。

Navi11. 一宮交差点(斜め左) → <県道2号線> → 新町橋(西)交差点 1.1km

  

宿場入口には東陽寺、山門脇には「伝芭蕉宿泊の地の寺」の碑が在る。
通りには “粕壁宿めぐり” の立派な道標が立つが、街道風情を味わうことはできない。
ビルには空きテナントが目立ち、東京近郊とは云え地方都市の中心商店街は寂しくなりつつある。

11:50~12:30 「粕壁宿」
 曾良の日記には「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」とある。
粕壁宿の規模は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋1軒だ。
唯一趣がある蔵造りの商家「問屋場田村本家」、軒先には天保五年(1835年)の道標が立つ。
「南西い八つき(岩槻)、北日光、東江戸、右乃方陸羽みち」と刻まれている。

 

 街道から1本路地を入った昔ながらの中華屋「宝来家」で腹ごしらえ。
ボリュームたっぷり、中華そばに玉子丼のセット、4つの小皿が嬉しい。
粕壁宿は正面に最勝院を見て新町橋西交差点を右折して終わる。この辻には高札場があった。

Navi12. 新町橋(西)交差点(右折) → <県道319号線> → 小渕(南)交差点 0.8km 

 

 新町橋は、江戸時代には大橋と呼ばれ、古利根川に架かる唯一の橋であった。
長さ16間、横3間の板橋で高覧が付いていた。
新町橋の上流には、上喜蔵河岸と呼ばれた船着場があり、石垣の一部が現存している。
江戸時代には高瀬船などで米や生活物資を運搬したそうだ。

 

街道は小渕交差点で国道4号線に合流するのだが、少し手前に関宿道との追分がある。
小さな道標は宝永六年(1709年)の建立、「右方せきやど道、左方あふしう道」とある。
日本橋から9番目の小渕一里塚もこの辺りのはずだ。

Navi13. 小渕交差点(斜め左) → <国道4号線> → 堤根交差点 3.6km

12:55 「小渕観音院」
 左手現れる立派な山門、小渕観音院は正嘉二年(1258年)開基と伝わる古刹だ。
山門の左右で睨みを利かす仁王像は、時代がさがって元禄年間に建立されたものだと云う。

 

東洋ケミカル埼玉工場を過ぎて旧道を斜め左に入る。この辺りは堤根立場となる。

Navi13-2. 東陽ケミカル埼玉工場(斜め左) 旧道を700mでR4に戻る

 

13:20 「堤根立場」
 九品寺の境内に庚申塔には「左日光、右江戸」と刻まれ道標の役割も兼ねている。
並びの古民家はなかなか立派な門構えだ。

国道に戻ると右手に見える旦照山馬頭院観音寺、本尊は伝教大師最澄の作と云われる。

Navi14. 堤根交差点(斜め左)→ <県道373号線> → ホンダカーズ埼玉中・杉戸店 2.6km

 堤根交差点で国道4号線を離れて旧道に入ると、日本橋から10番目の三本木一里塚跡。
文政五年(1822年)創業の関口酒造の銘柄は “杉戸宿” なのだ。 

 

老舗の鶴牧せんべい本店で風味の良い青海苔入りの堅焼きを求め、齧りながら歩く。
高札場が復元してあるこの辺りが江戸方の入口だろうか。

14:05 「杉戸宿」
 杉戸宿の規模は本陣1、脇本陣2、旅籠46軒、残念ながらここにも旧い遺構はない。
本陣跡に建つ民家の門が思いがけず立派なのだが本陣門なのだろうか。
日光道中・奥州道中の旅2日目は、新越谷駅入口から越ヶ谷宿、粕壁宿を経て杉戸宿まで。
19.8kmを5時間5分かけての行程となった。ゴールはその名も本陣跡地前交差点だ。

 


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「飲み食い処 十三夜」

2017-02-10 | Biz-Lunch60分1本勝負

 バラエティ番組で、とんねるずとゲストが “きたな美味い店” で食事をした後、
採点を☆の数でつける「きたなシュラン」なるコーナーで☆1.5を獲ったそうだ。
なるほど紹介されるに相応しい店構えに痺れる。
L字に7席のカウンターの内側で調理するご主人、給仕をするのはお母さんとだろうか。
“ピリ辛マーボなす定食”、家庭用の冷蔵庫から食材を取り出し、二口コンロを駆使して、
これまた一般的なフライパンで調理されたマーボなすは、当然に家庭の味でした。
青森名物B級グルメ「つゆ焼そば」が人気の一皿のようです。 

      
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遥かなる大地より 富良野へ走った夏

2017-02-08 | 日記・エッセイ・コラム

 にいがた単身赴任時代のとある夏、思い立ってCB750を連れてフェリーに乗った。新潟港からは新日本海フェリーが小樽へと走っている。およそ18時間の船旅だ。そう、つい思い立って乗船してしまったのだ。

早朝の小樽港から冷たい雨の中走った最初の目的地は富良野。ラベンダーはすでに終わって向日葵が盛りの頃だ。富良野岳や十勝岳を望む麓郷の森は、富良野市内とは云え、中心街から18キロも山合いに入り込む。

 BSフジで「北の国から」を再放送している。正確に云うと全24話が終わり、年明けから毎週土曜日にスペシャルドラマを放映している。先週からは「’92巣立ち」、麓郷に五郎を残して、純は東京で、蛍は旭川で暮らしている。

ドラマが放映された80年代は、「バブル」へと向かう右肩上がりの経済成長、好景気に世の中が浮かれていた。そんな時期に、真反対に華やいだ都会から地方に移り住み、自給自足の生活をはじめた「家族」のドラマになぜか引き込まれていった。

戦後、家父長的な大家族が衰退して核家族化が進んだ。ドラマの時代には、その最小単位の「核家族」でさえ、家庭内暴力とか家庭内離婚とかで危うくなってきた頃。その潜在的な危機感がヒットの背景だったのかも知れない。

 でもあの夏は「家族」の元に帰らずに、そう、つい思い立ってフェリーに乗船してしまった。今となっては苦笑するしかない。そんなことを考えながら「遥かなる大地より」を鼻歌で歌っているこの頃だ。


休日は各駅停車で 串酒場・伝助で昼呑み「春ラ!ラ!ラ!」

2017-02-04 | 日記・エッセイ・コラム

京成本線から千葉線、新京成線が分岐する京成津田沼駅は電車の発着が頻繁、駅至近は開かずの踏切だ。
千葉線の発車は5番線、正確に10分を刻み、ちはら台行と千葉中央行が交互に出発する。

千葉に城があるなんて知らなかった。もっともこの天守閣風の建物は史実とは別のもの。
1126年、千葉氏の祖がこの台地に築城した亥鼻城(千葉城)は、きっと砦のようなものだったことだろう。

さて、途中下車した千葉中央駅は千葉線の終着駅、ここから先は千原線となる。
名称が違うのは千原線は旧千葉急行電鉄の路線、他の京成線とは運賃体系が別なのだ。

バブル期にニュータウンへのアクセス路線として開業した3セク鉄道の千葉急行電鉄。
どうやらその崩壊とともに経営が立ち行かなくなったらしい。
終点ちはら台駅から先に延びる鉄路は、凍結状態の延伸計画を物語っている。 

 京成千葉に戻って串酒場「伝助横丁」へ。まだ午後2時だけど席の半分が埋まってる。
昼呑みの需要ってのは意外とあるんだね。若いカップルだってチラホラ見かける。

まずは生ビールを呷る。肴は "たこぶつ" だ。
"串かつ5点盛" と "冷やしトマト" を肴に2杯目からはホッピーを楽しむ。 
'70~'80年代のアイドルを聴く怠惰な午後。そう、聞こえてきたのは「春ラ!ラ!ラ!」だ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
春ラ! ラ! ラ! / 石野真子 1980


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「ロビンソンクルーソー」

2017-02-02 | Biz-Lunch60分1本勝負

 北品川商店街と京浜急行の高架橋に挟まれた路地、陽だまりで猫が昼寝をしている。
そんな住宅街の只中に、カレーハウス「ロビンソンクルーソー」が在る。
店の壁は「●●●倍完食」なる辛さチャレンジャーの栄光の記録でいっぱいだ。
著名は俳優や某人気アイドルグループのメンバーの名も見られる。
で私はメインメニューらしい、炒めたほうれん草たっぷり “北品川カレー” を注文する。
ポパイお奨めの一皿をたいへん美味しくいただきました。

     
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