旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

武雄の湯と鯖バッテラと六十餘洲と 佐世保線を完乗!

2016-10-29 | 呑み鉄放浪記

 国際通り沿いに在る「ヒカリ」は老舗のハンバーガーショップ。
少々甘めの玉子焼き、ベーコン、チーズ、トマトが入った "スペシャルバーガー" が初心者にはお奨め。
お隣の「LOG KIT」もこれまた人気店、佐世保バーガーの食べ比べも楽しいかも知れない。

 長崎本線の肥前山口から分岐する佐世保線で基地の街・佐世保をめざす。
2両編成の新鋭車両は静かに肥前山口を滑り出しだ。どこかに在るはずの0キロポストはチェックし忘れた。

途中下車した武雄温泉駅は、長崎新幹線の建設を見据えて高架駅に生まれ変わっている。
いつの間にやら小雨が降り出した。駅で借りた雨傘をさして向かう先は、もちろん日本の名湯・武雄温泉だ。

竜宮城を連想させる朱塗りの武雄温泉楼門は国重要文化財、東京駅を設計した辰野金吾氏の設計になる。
武雄温泉の歴史は古く、1300年前の書物にも記され、神功皇后が入浴したと伝えられる。

歴史上の人物では、宮本武蔵、伊達正宗、シーボルト、伊能忠敬などが入浴した記録が残っているそうだ。
3つある大衆浴場に浸かるには、楼門を潜った先の券売機で入泉券を購入するシステムになっている。

択んだ「元湯」は明治9年建築のレトロ浪漫漂うお風呂だ。アルカリ性単純泉でサラッとした泉質、
無色透明、肌ざわりよい、いわゆる「美肌の湯」に浸かる。至極ご機嫌なのだ。

 車窓に狭い谷あいに密集した家々と何本もの煉瓦造りの煙突が見えてくる。窯元の町・有田の風景だ。
列車は早岐駅で進行方向を変える。2両編成が後ろ向きに走り出すと、終点佐世保まではあと10分の乗車。

夕暮れの佐世保駅に降り立つと何処からともなくパティを焼く香りが漂ってくる。佐世保バーガーも食べないと。

日が暮れたら酒肴を求めて街にでる。「させぼ四ケ町アーケード」をはじめ、あちこちにアメリカを感じる。
とにかくBARが多い。ドアは開け放たれて、陽気な雰囲気やJAZZのメロディが通りまで流れてくる。

地元で人気の「ささいずみ」は、"庶民の料亭"ってのがキャッチフレーズのようだ。
テーブル席と、宴会で賑わう座敷の間を抜けて、生け簀をコの字型に囲んだカウンターに席を占める。
何はともあれ、とりあえずの生ビールを呷るのだ。

肴は季節がら "長崎県産あじの活造り" を食べておかないといけない。肉厚のある刺身がなんとも甘くて美味い。
波佐見町は今里酒造の "六十餘洲 純米酒" はすっきりとしながらも柔らかみがある酒だ。

不動の人気の "すり身揚げ" を含めた3点盛に、"特製たこわさび"、これまた冷酒に合うなぁ。
二杯目の "梅ヶ枝 純米" はハウステンボス近くの梅ヶ枝酒造の酒だ。

串揚げとたこわさを味わっている間に、あじの頭と骨が唐揚げになって登場、これもまた美味しい。
〆に長崎ハーブ鯖の "ばってら"、アジにサバに九州の旨い酒肴を愉しんでご機嫌な佐世保線の旅なのだ。

佐世保線 肥前山口~佐世保 48.8km 完乗


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「牛もつ・ちゃんこ 権太郎」

2016-10-25 | Biz-Lunch60分1本勝負

 11:30に天王洲を出て北品川商店街へ、この時間に向かわないと狙った店には座れない。
今日は「牛もつ・ちゃんこ 権太郎」で。
口コミサイトには『モツぷりっぷり』やら『煮込みがサイコー』って文字が躍るけど、
実は “モツ” は苦手名』私、で “牛焼肉定食” をいただく。上々の味だ。
ご飯の盛は、大・中・普通・小で選べる。ミドル諸氏は普通で充分満腹になるからご注意。
中は600g、マンガに出てくるような盛になる。北品川商店街は大抵の店が盛が良いのだ。

     
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幸せの黄色いハンカチと島原城と清酒普賢岳と 島原鉄道を完乗!

2016-10-22 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 海に一番近い駅?大三東駅に願い事やメッセージが描かれた「幸せの黄色いハンカチ」がはためく。
雲仙温泉で開かれた入社同期会で懐かしく愉快に飲んだ翌日、島原鉄道で諫早をめざす「呑み鉄」番外編。

島原半島を半周するように走った島原鉄道は、2008年、南半分の島原外港~加津佐間が廃止になった。 
普賢岳の火砕流被害から復旧してから僅か10年後だ。未だに水無川方面へ赤錆びた鉄路が延びている。

乗車早々ひとつ目の南島原で下車する。駅から徒歩5分ほど、龍馬長崎初上陸の地・島原湊で若者達が
ルアーに講じている。この水辺に島原藩の倉をリノベーションした蔵カフェ「茶房 升金の蔵」がある。

松の一本樹の梁、窓から眺める湊の海、木の香りと潮風、年代物の箪笥や船具店時代の滑車やランプ。
郷愁を誘う雰囲気のある空間だ。

「地元でとれた野菜をたっぷり使ったヘルシーなランチセットは女性に人気」と、ガイドブックに書いてある。
アルコールを置いてないのが、呑み人には残念なのだ。 

お城を模した島原駅前には「島原の子守唄」の銅像が立つ。まずは島原城へと歩いてみる。 

「島原の乱」の舞台となった島原城は、安土・桃山様式、層塔風総塗込めの五層の天守閣が聳える。
石高4万の大名の城としては分不相応に壮麗な城ではある。

天守からは南に島原湾と浮かぶ天草の島々を望み、西は雲仙普賢岳と手前の眉山の存在感に圧迫される。

普賢岳の伏流水が湧出する島原は水の都、鯉が泳ぐ水路や湧水が点在する。
湧水庭園「四明荘」は明治後期に建てられた登録有形文化財、池には日に1,000トンの湧水が湧く。
ならば当然ながら旨い酒がある。江戸末期からの白壁の蔵を持つのは「山崎本店酒造場」だ。
昨年ANAのビジネスクラスに搭載された "普賢岳 特別本醸造" を車中酒に仕込む。 

 穏やかな陽光に誘われて大三東駅に途中下車、潮の香りに包まれてベンチで駅呑みと洒落込む。
急ぐ旅でもあるまいし。"普賢岳 特別本醸造" は爽やかでフルーティな香りの酒だ。 

1時間後の諫早行きのディゼルカーが島原半島を東岸から北岸へと廻り込む。海の向こうに見えるのは国見岳か。
吾妻、愛野と少々くすぐったい名の駅を過ぎて風景は干拓地の田園風景に変わる。諫早まではあと少しだ。

島原鉄道 島原外港~諫早 43.2km 完乗 

Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree / Dawn


霧の蔵ブルワリーで爽やかに "Hyuganatsu" を 吉都線を完乗!

2016-10-19 | 呑み鉄放浪記

 開通当時の吉都線は、日豊本線として九州を縦貫する幹線だった。
戦前の吉松駅は、鹿児島本線(現肥薩線)と日豊本線(現吉都線)が合流する鉄路の要衝だったそうだ。

昭和7年、霧島連山の南麓を走る新線が開通すると、名称を吉都線と改めローカル線となってしまった。 
今では1~2両の気動車が11往復、都城と吉松を結んでいる。通学時間を過ぎた10:05発の都城行きは単行なのだ。 

肥薩線と分岐した単行気動車は、霧島連山の北麓、田園風景の中を宮崎自動車道と並行して往く。
モータリゼーションが進んだ地方のローカル線の乗客はというと、御多分に洩れずお年寄りと中高生がほとんど。
そして昼間っからボックス席で焼酎を飲む域外からの闖入者?と相場は決まっている。 

ほぼ行程半ばの高原(たかはる)駅で下り列車と交換すと、単行気動車は向きを南に変えて都城をめざす。
都城盆地に降りるとにわかにスピードを上げる、如何せん年季の入った車両は揺れが半端でない。 

単行気動車は甲高いブレーキ音を響かせて都城駅の5番ホームに終着する。
日豊本線から分岐する吉都線の起点を示す0キロポストは引き込み線の向こうにひっそりと在った。 

都城には芋焼酎 “黒霧島”、麦焼酎 “麦飯石” を醸す霧島酒造の「霧島ファクトリーガーデン」が在る。
所要30分の工場見学は、格芋焼酎 “白霧島” と “黒霧島” の製造工程を見学と試飲を楽しめる。

ブルワリーレストランで宮崎県産の日向夏をまるごと入れてつくった “Hyuganatsu” を一杯いただこう。
「呑み鉄」南九州編、シャンパンを思わせる爽やかで軽い発泡酒が、焼酎を飲み続けた喉に心地よい。

吉都線 吉松~都城 61.6km 完乗


鮎屋三代と "いさぶろう号" と隼人心と 肥薩線を完乗!

2016-10-15 | 呑み鉄放浪記

 九州に飛んだ呑み鉄旅は "いさぶろう1号" で八代駅を発つ。この車両は見るからに水戸岡鋭治氏の作品だ。

 SL人吉号など多彩な観光列車が走る肥薩線、開通当時は鹿児島本線として九州を縦貫する幹線だったという。
昭和2年に水俣・川内を経由する海沿いの新線が開通すると、名称を肥薩線と改めローカル線となってしまった。 

肥薩線の起点は鹿児島本線の八代駅、0キロポストは1番ホーム上にある。

肥薩線の八代~人吉間は通称「川線」と呼ばれ、最上川、富士川と並ぶ日本三大急流・球磨川に沿って走る。
翠緑色の水を湛える球磨川では、尺アユと呼ばれる30センチもの大きなアユが育つそうだ。

"鮎屋三代" は九州駅弁ランキング3年連続1位の名物駅弁、乗車前に八代駅前の「鮎の老舗より藤」で仕込んだ。
焼鮎からとっただし汁で炊き込んだごはんに、球磨川産の天然鮎で作る甘露煮がのった一品は期待を裏切らない。
甘露煮はもちろんのこと、炊き込みご飯や脇を固めるおかずの旨さにはとても満足なのだ。

 

 城の形をした人吉駅は「からくり時計」が迎えてくれる。情緒豊かな小京都・人吉を散策してみようと思う。

駅から徒歩5分、国宝「青井阿蘇神社」が在る。御祭神は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃である
阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子どもの國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱だ。

球磨川を人吉橋で渡って訪ねた繊月酒造の焼酎蔵、随時蔵見学を受け付けてくれる。
15分ほどの工場見学の後は、繊月城(人吉城)址や球磨川を眺望する城見蔵で試飲を楽しめる。
ぼぼ全商品を自由に飲み比べできて焼酎ファンには堪らないだろう。

 人吉駅に戻ると「ハチロク」の愛称で親しまれている8620型機関車が牽く "SL人吉号" が入線していた。

旅の続きは篠ノ井線の姨捨、根室本線の狩勝峠と並び日本三大車窓に挙げられる絶景を "いさぶろう3号" で往く。

肥薩線の人吉~吉松間は通称「山線」と呼ばれる。ひとつ目の大畑(おこば)はスイッチバックの駅。
駅舎の待合室のには多くの名刺が貼られている、ここに名刺を貼ると出世するという噂があるからだ。 

気動車はループ線を走って標高を稼ぐ。ピークで停車した車窓から大畑駅のスイッチバックを見下ろす。
ふたつ目の矢岳(やたけ)は肥薩線で最も高い標高536.9mに位置する。ここで仕込んだ "たる繊月" を開ける。

吉松盆地へと下りはじめて、三つ目の真幸(まさき)はスイッチバックの途中にある味わい深い木造駅舎。
国鉄時代に使われていた鐘は「幸せの鐘」として旅人たちに人気、「真」の「幸せ」と記す入場券はいいお土産だ。

"いさぶろう号" の終着駅吉松では、鹿児島中央行きの観光特急 "はやとの風" に乗り継げるダイヤになっている。
けれども自ら課した有料特急は使わない「呑み鉄」ルールに反するので1時間後の普通隼人行きを待つことにする。

単行気動車は霧島連山を左手に錦江湾に向かってガタゴトと50分、日豊本線に合流する隼人が肥薩線の終着駅だ。

旅の終わりに大隅一の宮・鹿児島神宮に詣でる。漆塗りの現神殿は宝暦6年(1756年)、島津重年公による再建。
主神は天津日高彦穂穂出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)と豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)だ。

本日の〆、投宿したホテルの日本料理店「京はるか」で、地元日當山醸造の芋焼酎 “隼人心” を楽しむ。

酷と甘みが際立つ芋焼酎に合わせた肴は、キビナゴ刺身、黒豚豚骨、さつま揚げ、そして黒豚しゃぶ小鍋。
郷土料理肴に、雨に煙る桜島のシルエットを眺めながらの独り酒なのだ。

肥薩線 八代~隼人 124.2km 完乗


田園シンフォニーと栗めしと瑞鷹と くま川鉄道を完乗!

2016-10-12 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 国鉄湯前線は九州山脈の山々に囲まれた球磨盆地の木材輸送を担い、木材を積載した貨物列車が走った。
平成元年に第三セクターのくま川鉄道に移管されて現在に至っている。
起点はJR人吉駅と併設で、5・6番線を割り振られているのだが、駅名は人吉温泉駅と改称している。

人吉温泉(人吉)駅には、今では全国的にも珍しくなった駅弁の立ち売りがいる。
菖蒲豊實氏は「人吉駅弁やまぐち」の社長さん、知る人ぞ知る駅弁界のレジェンドだ。

ふたつ目の川村駅を出るとまもなく球磨川を渡る。球磨川第四橋梁は国の有形文化財で有名な撮影スポットだ。

人気の駅弁 "栗めし" は、栗型の容器に、かんぴょう入りの炊き込みご飯、ほくほくの甘い栗がのっている。
まずは付け合わせのおかずを肴に "瑞鷹" のワンカップを楽しむ。ほくほくの栗めしはあとのお楽しみだ。

     

"田園シンフォニー" の車両は、人吉球磨産ヒノキをふんだんに使用した、明るくやわらかい雰囲気だ。
これまたどう見ても水戸岡鋭治氏デザインと思われる観光列車なのだ。窓側に向いた座席やソファーシート、
テーブル付き対面座席が嬉しい。小さなバーカウンターや、人吉・球磨の物産品などを飾るショーケースもある。

3両編成の気動車は、およそ45分の旅でコスモスが揺れる終点湯前駅に、ガクンと揺れて終着する。
大正13年の開通当時に建設された湯前駅もまた国の有形文化財だ。
日本三大急流の球磨川も、くま川鉄道が寄り添う中流域では、ゆったりと流れるやさしい表情をしていた。

くま川鉄道 人吉温泉~湯前 24.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
哀愁のシンフォニー / キャンディーズ 1976


甲州道中紀行8 勝沼宿~栗原宿~石和宿~甲府柳町宿

2016-10-08 | 甲州道中紀行

 

11:10 「勝沼宿」
 すっかり肌寒さを感じるこの日曜日、甲府盆地の中心に向かって扇状地を下って往く。
本陣池田屋跡の「槍掛けの松」には、大名や公家が宿泊すると、目印に槍を立て掛けた。
通りを挟んで江戸時代の豪商萩野家「仲松屋」の佇まいが街道時代を想像させる。  

勝沼周辺は観光ブドウ農園とワイナリーが点在する。今日はどこも賑やかだ。
新宿から乗った臨時快速も、勝沼ぶどう郷駅で大半の乗客が降り、ワイナリーへと向かった。

     

右手に秋葉山常夜燈が現れる。
秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山・秋葉山を神体山と仰ぐ神社で、
江戸時代には全国に秋葉講が結成され参詣者で賑わったそうだ。
確か中山道でも群馬から長野、岐阜にかけて、かなりの秋葉山常夜燈を目にしてきた。

12:00 「栗原宿」
 栗原の地名はこの地を治めた栗田氏に由来している。
宿場の規模は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠20軒だ。本陣などの遺構は残っていない。
宿場の中心地には旧栗原五十五か村の総鎮守・大宮五所大神が鎮座している。 

     

勝沼から甲府への行程は、一里塚をはじめ旧い遺構はほとんど残っていない。
察するに扇状地を暴れ下る笛吹川水系の度重なる氾濫が原因なのではないだろうか。
このあたりは郷土史家の研究誌を読めばよいのだが、それは別の機会に譲ろう。
写真は一町田中に並ぶ秋葉大権現、山神宮、石尊大権現が祀われた石仏群がある。

     

田安陣屋跡は、吉宗の次男田安宗武が山梨郡に二十八か村を領有し置かれたものだ。
ここに残る水上稲荷神社は陣屋の守護神であったそうだ。 

 

 笛吹川沿いに松並木は、明治40年の大水害の後に植林され。街道時代のものではない。
松並木の外れには笛吹権三郎像がある。
洪水で流された母が好きだった曲を吹き、日に夜に探し求め彷徨い歩いた故事に因む。 

     

勝沼を出てから目にする 「丸石神」は謎の道祖神。
東京都の山村、神奈川県津久井郡、静岡県伊豆地方、長野県の一部にわずかに存在する。
山梨にはなんと700基もあるそうだ。確かに中山道でも北国街道でも見ることはなかった。

 

日蓮宗鵜飼山遠妙寺は、弘安年間(1280年頃)、日蓮上人の高弟日朗上人が草庵を結んだ。
石和温泉では七ヶ寺に七福神を配して、観光客の周遊を演出している。
ここ遠妙寺に鎮座するのは大黒天様だ。

 

13:20 「石和宿」
 石和宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠18軒の規模であった。。
後藤本陣は明治13年の大火で消失している。駐車場の奥に在る土蔵を残すのみだ。
石和温泉の歴史は浅く、昭和36年、葡萄畑の中に突如湧き出した温泉だ。
後藤本陣跡の向かい側には「足湯」が在る。暫しの休憩で癒しをもらった。 

 

甲運橋を渡ると甲府市に入る。
橋の袂にあるのは川田道標。「左甲府 甲運橋 身延道」「右富士山 大山 東京道」とある。
万延元年(1860年)建立と新しいものではあるが、すべて漢字で彫られているのは珍しい。 

 

14:10 「青梅街道追分」
 山崎三差路交差点は青梅街道追分である。
内藤新宿で分かれた青梅街道は、青梅、大菩薩峠を経て、ここで再び甲州道中と合流する。
近くには江戸深川からやってきた摩利支天尊堂がある。 

14:30 「酒折宮」
 酒折宮の御祭神は日本武尊。
東征の帰途、この地の翁に与えた「火打嚢(ひうちぶくろ)」を御神体として祀っている。  

14:40 「甲斐善光寺」
 甲州道中から1kmほど外れるのだが、善光寺の門前に育った者としては気になる場所。 
甲斐善光寺は武田信玄が、上杉謙信との “川中島の合戦” の折、戦火による消失を恐れ、
本尊の “阿弥陀三尊像” を、信州からこの地へ移したのが起こりだ。

現在の金堂・山門は、宝暦四年(1754年)に消失した後、寛政八年(1796年)に再建された。
善光寺建築に特有の撞木造であり、朱塗りであることを除いては善光寺によく似ている。

 

甲斐善光寺参道を過ぎると、甲州道中は左、右へと4度にわたって直角に折れて進む。
街道特有の桝形なのか城下町の防衛上の構造なのか、どちらだろうか。 

     

15:00 「甲府柳町宿」
 甲斐國鎮守、甲斐奈神社を過ぎるといよいよ甲府柳町宿へと入る。
甲府は武田信玄の父信虎が石和からこの地「躑躅ヶ崎」に居館を移したことに始まる。
宿場の規模は本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠21軒、旧い遺構は何ひとつ残っていない。
今回の行程を終えるのは丸の内郵便局前、身延道追分だ。
近年建てられたものだが、「西志んしゅうみち、南みのぶみち」と刻まれている。

 

旅の終わりは甲府駅前で一杯、生ビールを呷った後は名物 "甲州ほうとう" で腹を満たす。
ぶどう実る勝沼宿から笛吹川扇状地を栗原宿そして石和宿と下って甲府柳町宿に至る。
17.1km、所要3時間50分の行程となった。

 


古民家食堂と惣誉とSLもおか号と 真岡鐵道を完乗!

2016-10-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

久しぶりに晴れ間がのぞいた日曜日、東北本線と水戸線を乗り継いで下館にやってきた。
今日は真岡鐵道を呑み潰す。益子焼の町に古民家レストランと酒蔵を見つけたのだ。

駅前の酒屋で求めた市貝町の酒 “惣誉 辛口特醸酒”、さっそくスクリューキャップを切る。
デーゼルエンジンの振動に身を委ね、辛口の酒をちびりちびり。至福な日曜日になる。

沿線の中心駅真岡は、蒸気機関車を模した本社屋が建っている。
併設された「SLキューロク館」には、9600型、D51型が展示され、
ファンには楽しい空間に仕上がっていて、多くの親子連れで賑わっていた。 

北山駅近くに明治末期の大屋根の農家を再生した古民家食堂「tetto grande」がある。
新鮮な地元食材にこだわった南欧家庭料理を楽しめる素敵な「和モダン」の空間なのだ。
薪ストーブが赤々と燃える頃に訪れると良いかも。まずは “ハートランド” を呷る。

スパイシーなカレーをチーズでマイルドに仕上げた “夏野菜とカレーのオーブン焼き”、
ジャガイモとカボチャの甘みが引き立って美味しい。 

 北山駅から益子の市街地に向かってイチゴ農園の間を行くと「燦爛」の外池酒造が在る。
今日は “80だよ全員集合!!秋の酒蔵まつり” で出店ありライブありで賑わっている。
(80周年だそうですね、おめでとうございます)
土産に「純米酒ひやおろし」を仕込んでご機嫌なのだ。

益子駅から終点の茂木に向けてラストスパート。
レールバスは、時折こんな林のトンネルを潜ったりしながら、
車体を左右に揺らして疾走する。ちょっと健気で愛らしい。

鬼怒川を北上する真岡鐵道は、真岡から北東に転針して終点茂木はむしろ那珂川に近い。
茂木は「ツインリンクもてぎ」がある町、今月は “2016.FIM MotoGP” で賑わうはずだ。

気動車に休息はない。僅か5分の停車で小さな車体大きく震わせて下館へと折り返す。
代わりにシュッシュッと蒸気を鳴らし、側線からC11-325機が茶色の客車を押して来た。
幸運にも20分後の発車は “SLもおか号”、3等車の赤帯が入った客車に揺られて帰ろう。

真岡鐵道真岡線 下館~真岡 41.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
遠くで汽笛を聞きながら / アリス 1976