旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

ユーラシア大陸最西端へ / ロカ岬

2013-06-24 | 旅行記

 リスボンから西へ20km。北緯38度47分、西経9度30分がユーラシア大陸最西端ロカ岬。
高さ144mの断崖絶壁、深い青色の大西洋、よろめく程の強風は “最果て感” たっぷりだ。

『 ここに地終わり、海始まる 』
岬の突端に立つ十字架の塔には詩人ルイス・デ・カモンイスの一節が刻まれている。
大航海時代に新大陸を目指した冒険家たちの夢と希望を描写しているかのようだ。

 ロカ岬と山ひとつ隔てて、王侯貴族から夏の避暑地として愛されたシントラの街がある。
イギリスの詩人バイロンが“エデンの園”と称えた街だ。

シントラには7世紀にムーア人が築いた城跡、王家の離宮「ペナ宮」がある。
はずなのだが故あって観光せず、陽光降り注ぐカフェテラスで待機となった。
でも名物のサルディーニャシュ・アサーダシュを肴に白ワインを空けてご機嫌な休日だ。


大航海時代を謳歌した都 / リスボン

2013-06-23 | 旅行記

 海とも河とも束ないテージョ川を4月25日橋で渡る。全長2277m、水面高80m、高い。
右手に旧市街のオレンジの甍が続く、アマリア・ロドリゲスが流れる。リスボン到着だ。
世界遺産「ベレンの塔」は河口を守る要塞であり、また航海を終えた船乗りたちを迎える
故郷のシンボルでもある。抜けるような青空に石灰岩の白壁が眩しい。
司馬遼太郎さんは著書の中で「テージョ川の公女」と賞賛している。

 世界遺産「ジェロニモス修道院」はマヌエル様式の最高傑作と謳われる。
マヌエル様式とはロープや珊瑚、新世界の動植物など航海にちなんだモチーフを指す。
南門上に幼いイエスを抱く聖母マリア像がが見える。

中庭を囲む55m四方の回廊にはその柱やアーチに、ロープや貝、異国の動植物など
大航海時代を象徴するモチーフがびっしりだ。

「サンタ・マリア教会」南面のステンドグラスはマヌエル1世の結婚式を題材としている。
礼拝堂は王家一族の墓になっている。柩の台座にはインド象が支えるように施されて、
インド交易と植民地支配を物語っている。

「発見のモニュメント」は、ジェロニモス修道院と通りを挟んでテージョ河岸にある。
大航海時代を拓いたエンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマ、フランシスコ・ザビエルなど
この時代を牽引した32名の偉人像が彫られている。

 旅程の半ばには大概日本食をアレンジする。この夜はローザ通りの「ボンサイ」で。
和の情緒あふれる店のオーナーは日本人女性、親御さんのお店を継いだ若い女将さん。
日本で修行したポルトガル人の夫君の包丁裁きが素晴らしい。目にも舌にも満足の内容だ。

 

ちなみにリスボンにある日本食レストラン、日本人の経営は2店舗。中国人・韓国人の
経営は100店舗以上とか。日本文化はきちんと伝わるのだろうか、心配になったりする。

 旧市街のアルファマを訪ねる。
1755年の大震災を被害を免れたサン・ジョルジェ城を中心とした最も古い街並みで、
迷路のような路地や急な坂道などが残りどこか郷愁を誘う。

カテドラルからトラムが走るアウグスト・ローザ通りを上ると、息が切れかかるころ
「ポスタル・ド・ソル広場」に至る。
広場からは青きテージョ川とオレンジ色の甍が連なるアルファマを一望できる。


 下町アルファマはファドを聞ける街でもある。
2日目の夜は古く狭い迷路めいた路地裏にあるカーザ・ド・ファド Pateo de Alfama で。
黒衣を纏った歌い手ファディスタ、ヴィオーラ、ギターラの奏でるファド。
その哀愁を駆り立てる切ない音楽が心を揺さぶる。

ボンバル公爵広場からテージョ川に向かって下る並木の美しいリベルターデ大通り。
高級ホテルや大使館などが並ぶ新市街。投宿している5つ星のホテルアルツもこの一角だ。
通りはレスタウラドレス広場で終わり、隣のロシオ広場(ペドロ4世広場)とテージョ川を
見守るコメルシオ広場を結ぶアウグスタ通りとオウロ通りが目抜き通りになる。


 リスボン最後の晩餐はガレット通りの LARGO で。
ノスタルジックな外観、店内はクラゲの漂う水槽をパテーションにした瀟洒なレストラン。
メインの仔牛料理をルビー・ポート・ワインで愉しんで、リスボンの宵は更ける。



天正遣欧少年使節が訪れた街 / エヴォラ

2013-06-22 | 旅行記

 ポルトガルのセビーリャからハイウェイで280km。
国境を越えたアレンテージョ地方の中心都市エヴォラは古代ローマ時代からの城壁都市で
月の女神ディアナに捧ぐローマ神殿を持つ。天正遣欧少年使節団が訪れた町でもある。

 古城や教会、王宮を利用したポルトガルの国営高級ホテルであるポサーダ。
ローマ神殿の広場に面した Pousada dos Loios、オレンジのなる中庭を囲む回廊でランチ。

"ソッパ・カンポネーザ" はジャガイモ、玉ネギ、ニンジンを煮込んだスープ。
メインの "バカリャウ・ア・モステイロ・デ・ティバエス" は青菜のソテー、ほぐした干しダラ、
トウモロコシパンを3層にした一皿。いずれも郷土料理だ。(写真は失敗してしまった)

 60年の年月を費やし1204年に完成したカテドラル、その塔は左右非対称だ。

“神秘のバラ”、“明けの明星” と呼ばれるステンドグラス、伊藤マンショと千々石ミゲルが
演奏したパイプオルガンが残る。

 1510年に建てられたサン・フランシスコ教会はゴシック様式だ。隣接して5000体以上の
人骨が壁や天井を覆い尽くす人骨堂がある。修道僧が瞑想に使った場所だそうだ。

 城壁都市のエヴォラには石畳の狭い路地が多く、迷い込んでしまいそうな錯覚に陥る。
広い通りには街路樹の “ジャカランダ” が季節外れに薄紫のキレイな花を付けていた。
この春先は天候不順だったそうだが、幸運にもこの大好きな花を見ることができた。
バスはエヴォラの城壁を潜り、最終目的地のリスボンへと向かう。


大航海時代の華麗なる都 / セビーリャ

2013-06-21 | 旅行記

 「カルメン」や「セビーリャの理髪師」の舞台セビーリャはアンダルシア州の州都。
大航海時代は河川港として栄え、伊達政宗が送った慶長遣欧使節の支倉常長も滞在した。
柱廊のある半円形の建物と水路・噴水からなる「スペイン広場」はセビーリャの象徴で、
1929年の博覧会場として建てられた。
数々の名画のロケ地としても使われ、有名なところでは「カサブランカ」に登場する。

一方、世界遺産「アルカサル」は11世紀までのイスラム時代のカリフの宮殿跡地に
キリスト教王の宮殿を建造したもので、歴代の王たちによって増改築が繰り返された。
写真は1366年建造のペドロ1世宮殿のファザード。

ペドロ1世宮殿の乙女の中庭を取り囲む建物は執務室や私室からなる。
1階は漆喰装飾の14世紀のムデハル様式、2階は16世紀に増築されたルネサンス様式だ。

アルフォンソ10世が建てたゴシック宮殿は、キリスト教王によるゴシック様式であり、
イスラム色は完全に排除されている。

グアダルキビール川畔に建つ12角形の塔、黄金の塔(海洋博物館)は海運で栄えた時代に
検問及び防衛の役割を担っていた。
今回は夕陽に映える黄金の塔をレストラン ABADES TRIANA の席から眺めることになる。

つい先日皇太子殿下が訪れたという(支配人談)川側が総ガラス張りの洒落たレストラン。
メインはリゾットにステーキとイベリコの生ハムを載せた逸品だった。
大切なひととウエイティングバーから楽しみたい素敵なレストランであった。


イスラムとカトリック美の競演 / コルドバ

2013-06-20 | 旅行記

 アトーチャ駅09:00発、AVE2090でアンダルシアへ向かう。
荷物置き場にスーツケースを収め、Preferente の革張りシートに自分の座席を見つる頃、
セビーリャ行きはごく軽い振動を残してプラットフォームを静かに滑り出す。
列車は市街地を抜けるとスピードを上げ、窓の景色が猛烈なスピードで流れはじめる。

Preferente は横3列の座席配置、国際線エコノミークラス程度のミールサービスがある。
中間車両は動力車になっていないので極めて静かで快適な乗り心地だ。
コルドバまでは所要1時間50分、向日葵畑を見ながら果てしない丘陵地帯を往く。

カラオーラの塔をくぐり、グアダルキビル川をローマ橋で渡るとコルドバの町に入る。
8世紀に後ウマイヤ朝(西カリフ帝国)の首都として栄えた古都コルドバでは、
栄華を謳歌したイスラム時代の遺構を見ることができる。

世界遺産メスキータは785年、アブデラマン1世によって建てられた世界最大級のモスク。
キリスト教徒の国土回復後、カルロス5世によって再びカテドラルに改造されるのだが、
モスクの遺構が一部残され、イスラムとカトリックの美が競演している。

     
     

イスラム教徒が祈りを捧げる「ミフラーブ」は、メッカに向けて祭壇が立てられている。
神聖な祈りの空間は、壁を金色のモザイクで飾りイスラム聖典コーランの一部が刻まれ、
天井部分は美しい幾何学模様の装飾が施されている。

     

キリスト教徒によって造られた「マヨール礼拝堂」はミフラーブと向かい合う形になる。
完成に250年を費やした関係で、ルネッサンス様式、ゴシック様式などが混合している。

     

日時計となるステンドグラスの彩が床に光を落とす。これほどキレイに映るのは珍しい。
イスラムとカトリックの奇妙にも美しい共演を見せてもらったメスキータだ。

メスキータの北側には旧ユダヤ人街、迷路のように道が入り組んで広がっている。
美しい花の小鉢が飾られた白壁の街並みは、路地ごとに様相を変えるステキな散歩道だ。


文化と芸術が花開く首都 / マドリッド

2013-06-18 | 旅行記

 バルセロナからスペイン新幹線AVEで2時間45分、マドリード・アトーチャ駅に到着する。
最高時速300km走行だが、揺れも走行音も気にならない快適な乗り心地だった。

スペイン王宮は1764年、フェリペ5世によって、ハプスブルク王家宮殿跡に再建された。
フランスとイタリアの建築様式を融合させた建物だ。

王宮の向かいに建つ壮麗なカテドラルはアルムデナ大聖堂。

     
緑豊かなスペイン広場、中央にはセルバンテス没後300年記念の彫像が、
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像を見下ろすように立っている。


 お馴染みパエリャはバレンシア生まれの伝統的家庭料理。
その名も Casa de Valencia で、 "パエリャ・デ・マリスコス" と "アロス・ネグロ" を食す。

 スペイン王家の300点ものコレクションを誇るプラド美術館は、欧州でも屈指の美術館。
今回はゴヤ、ベラスケス、エル・グレコの作品を中心に鑑賞した。
「着衣のマハ」「裸のマハ」と並んだマハとは、国立西洋美術館以来1年半ぶりの再会。
「カルロス4世の家族」「1803年5月3日の銃殺」「我が子を喰らうサトゥルノ」など、
ゴヤの主な作品は幸運にも全て在館していた。
ベラスケスの「女官たち」エル・グレコの「胸に手を置く騎士」「聖三位一体」とともに
鑑賞を楽しめた。詳細かつ興味深い解説をしていただいたガイドの河田氏に感謝。

 1956年創業の格式あるタブラオ Corral de la Morería のディナーショーに出掛けた。
情熱的な歌声、激しく美しい踊り、繊細なギターの音色、本場フラメンコショーを楽む。
著名人も訪れるこのタブラオ、さすがに主役級の踊り手の迫力たるや圧倒される。
とはいえ先に登場したキャサリン・ゼタ=ジョーンズ似の踊り子に魅了されたのが本音だ。


カタルーニャの都 / バルセロナ

2013-06-17 | 旅行記

 空港から市街にむかう道路が混雑していた。
気温30℃を超えた日曜日、ビーチに繰り出した人々の帰宅の車列だと言う。
バルセロナはガイドブックの謳い文句の通り青い海と輝く太陽の街だった。

バルセロナが生んだ天才芸術家アントニオ・ガウディの代表作サグラダ・ファミリア、
地から這い出たような8本の鐘塔が迫力だ。
生誕のファザードはガウディ自ら指揮をして最初に完成させた部分だそうだ。
「聖母マリアの戴冠」「受胎告知」などキリスト誕生に関わる彫刻で飾られている。
聖堂内部は十字架の形をしている。
天井を支えるのは木が枝分かれしたような36本の柱、全体を森に見立てているそうだ。

ガウディとパトロンのグエルが開発した田園住宅街はグエル公園として開放されている。

カラフルな破砕タイルで飾られた公園のシンボル「ドラゴン」は人気の撮影スポットだ。
高台にある公園からはバルセロナの街と地中海の水平線が一望できる。

カタルーニャ広場から南へ延びるランブランス通りは並木が木陰をつくる素敵な散歩道。

通りが地中海の達するポルタル・デ・ラ・パウ広場にはコロンブスの塔が建っている。

 サン・ジョセップ市場は新鮮な野菜・果物、肉類、魚介類が並ぶ市民の台所。
午後になっても活気のある市場を巡ったら場内のバルでセルベッサを一杯。


 滞在したのはバルセロ・ホテル・サンツ、新幹線の始発であるサンツ駅上に建つ。
旧市街からは離れていて散策には不便だが近代的な設備でビジネスには申し分ない。
ロビーやエレーベーターホールは宇宙船を表現した前衛的なインテリアになっていた。
ここからイベリア半島の旅が始まる。


信長栄華の地安土城跡

2013-06-15 | にいがた単身赴任始末記

 安土城跡は特別史跡、20年前とはずいぶん様変わりをした。500円の入山料が徴収される。
発掘調査で解った大手口から城内へと続く幅8m長さ180mを直線的に進む大手道。
天主までの道は、伝羽柴秀吉邸跡・伝前田利家邸跡・摠見寺などを見ながら登る。

JR安土駅南口の「安土城郭資料館」は安土城跡散策のスタートに立ち寄ると便利だ。
1/20スケールで再現された安土城模型は内部構造まで見ることができる。
TV番組作成の際には、この模型をマイクロカメラで撮影して利用している。
天正少年使節の屏風絵ローマ法王献上を描いた “屏風絵風陶板壁画” が展示される。

 安土城跡とは東海道本線を挟んで「県立安土城考古博物館」と「信長の館」がある。
1992年スペイン・セビリヤ万博に出展された安土城天主5階6階部分の原寸大復元の展示は、
総朱漆塗床の八角形の空間に金箔の壁と “釈迦説法図” の襖絵が描かれている。

天主6階は狩野永徳に描かせた “金碧障壁画” を再現している。
宣教師をして「ヨーロッパにもあるとは思えない壮大なもの」と言わしめた絢爛豪華さだ。

 2日間にわたって一乗谷朝倉氏遺跡、近江八幡市町並みと安土城跡を視察した。
史跡自体の価値や歴史上の人物のブランド、行政の関与、住民意識には其々違いがあるが、
春日山城跡整備計画に一定の示唆を与えてくれるものと考えられる。


秀次が築いた近江八幡の町並み

2013-06-08 | にいがた単身赴任始末記

 近江八幡は安土廃城後、豊臣秀次が隣接する琵琶湖畔に八幡山城を築いたことに始まる。
為政者として有能だった秀次が商人職人を呼び込み発展させた町は近江商人のふるさとだ。

近江八幡市は城下の堀割や古い町並みの美しい景観を活かして観光町づくりをしている。
美しい町並みもさることながら感心したのは、そこに暮らす人々のホスピタリティー。
道いっぱいにあるく視察団に、車のクラクション・自転車の鈴ひとつ鳴らない。
視察団が気付いて道を空けるのを待ってから会釈をして過ぎて行く。
自分の町への愛着や誇りが訪ねてくれる観光客への思いやりになるのだろうか。

観光客が散策する八幡堀と町並みを挟んで東西に大型バスが止まれる駐車場がある。
清潔な公衆トイレが整備され、観光客は町並みをゆっくり散策し、
町家を改装した飲食店などで湖の幸や近江牛などを楽しむことができる。

ただ観光地然としていない街並みは、訪れる人々には心地よい時間を過ごせるが、
さて地元にどれだけの経済効果があるのだろうか。この点は調べてみる必要がありそうだ。

上越市が春日山城跡とともに観光資源として挙げる高田の町並み。
夜桜や蓮が有名な高田城公園、雁木通りと朝市が開かれる町は来年開府400年を迎える。
近江八幡の事例は高田の町の活かし方に参考になりそうだ。


お父さん犬も走る一乗谷朝倉氏遺跡

2013-06-01 | にいがた単身赴任始末記

 北陸新幹線延伸開業と新駅誕生をを1年半後に迎える上越市。
観光資源としての上杉謙信公の春日山城跡整備計画策定のための視察が、
市・商工会議所・観光コンベンション協会・市民団体代表によって実施された。

最初に訪ねた先進事例は特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡。
1573年、信長に敗れ灰塵に帰すまで朝倉氏5代100年余、越前の中心として繁栄した一乗谷は、
京都から貴族・僧侶など文化人が下向し文化的にも高い地であったそうだ。

福井市の南東約10kmに埋もれていた一乗谷は、昭和42年から福井県が発掘調査を行い、
現在では特別史跡・特別名勝・重要文化財と国の三重指定を受けている。
遺構が確認された義景館跡唐門、湯殿跡庭園、武家屋敷、商人・職人の町家が復元された。

最近では大手通信会社のCMでお父さん犬とウルトラマンが共演した舞台だ。
発掘開始から45年で現在進行中。文化財の発掘・保護、観光資源化は息の長い事業である。