旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

リゾート新幹線 "つばさ とれいゆ" で往く 山形新幹線を完乗!

2017-06-30 | 呑み鉄放浪記

 "つばさ とれいゆ号" のカラーリングは、霊峰・月山をグリーン、恵みをもたらす
最上川をブルーで描き、蔵王の清々しいアイボリーで包み込むイメージなのだそうだ。

 山形新幹線は奥羽本線のうち福島から新庄までの150km、愛称「山形線」を走る。
今回は新庄を15:00に発つ "つばさ とれいゆ2号" で福島をめざす。
所要時間は2時間40分、少々ゆったりと車窓を眺めながら地酒を愉しむ旅となる。

 

山形の美味いものが詰まったシンボルマークが描かれた16号車には「足湯」がある。
車窓に流れる果樹園や田園風景、出羽三山を眺めながら足湯に浸かるユニークな趣向だ。

 

15号車は「湯上りラウンジ」と「バーカウンター」になっている。 
紅花色のカウンターで、山形の地酒やフルーツジュースなどを求めることができる。
12~14号車は大きなカバ材テーブルを備えた「畳座席」で、まるで小料理屋の掘り炬燵。
リラックスした時間を過ごせそうだ。

 

"蔵王スターワイン" は、完熟したデラウェア種90%とベリーA種10%の辛口ワイン。
スモークチーズと米沢牛のジャーキーを肴にゆったりと愉しんで往く。

17:41、"つばさ とれいゆ2号" は福島駅に滑り込む。在来線の5番ホームだ。 
さて折角の福島、このまま帰る訳にはいかない。

と云うわけで20分後には「餃子の店・山女」の列のひととなる。
20人ほどの列に並んで小1時間 、路地が夕闇に包まれた頃、2階の座敷に席を占める。
乾いた喉に冷たい一番搾りを呷る。大皿いっぱいに盛られた円盤餃子まであと少しだ。

 

福島のご当地グルメはフライパンで焼き上げる円盤餃子。絶妙なきつね色が美しい。
美味い!生ビール片手に、ふっくら・サックリの餃子が最高なのだ。

山形新幹線 新庄~福島 148.6km 完乗

Mama Do You Remember / Joe Yamanaka 1977


広瀬川上流に宮城峡蒸留所を訪ねる 仙山線を完乗!

2017-06-28 | 呑み鉄放浪記

 杜の都・仙台から広瀬川を遡って作並までやってきた。
でも今回は湯には浸からない。ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所を訪ねるのだ。
呑み鉄旅だからね。土日祝日はJR作並駅から無料シャトルバスが運行している。

旅は仙台駅7・8番線から、プラットホームの端に0キロポストが仙山線の起点を示す。
仙台郊外の宅地化が進んで、愛子(あやし)まではかなりの本数が往復している。

 

09:04発の快速山形行きは満員。軽やかに滑り出す6両編成は暫し東北本線と並走した後、
一旦右手に膨らんでから大きく左にカーブして東北本線をオーバーパスして行く。

 

作並までは40分の乗車、ホームでは「こけし」が降り立つ乗客を出迎えてくれる。

 ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所は、朝ドラでお馴染になった創業者・竹鶴政孝が
ウイスキーづくりの集大成として建設、複数の蒸留所(もちろん一方は余市)で生まれた
個性の異なる原酒をブレンドし、より芳醇なウイスキーづくりをめざしたそうだ。

 

蒸留所見学は、女性ガイドがウイスキーの製造工程やニッカウヰスキーの歴史について
紹介しくれる。豊かな緑を背景に、蒸溜棟やキルン塔、赤煉瓦の貯蔵庫が美しい。

 

見学の最後はゲストホールでの試飲タイムとなる。"竹鶴" はもちろん安定の旨さだけど、
発見はリンゴのワインにブランデーを加えた "アップルワイン"。ロックで飲むと美味い。

 仙山線の快速列車が作並を出発すると幾つかのトンネルを抜け県境へと上って行く。
ピークは標高440m。県境の面白山トンネルは全長5,400m、開業当時は清水トンネル、
丹那トンネルに次ぐ長さだったそうだ。

 

面白山トンネルを抜けると山形盆地に向けて下り勾配、作並からは20分で山寺に着く。

『岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧、土石老いて苔滑に、岩上の院々扉を閉て、
物の音きこえず。』と奥の細道。"閑さや 岩にしみ入る 蝉の声" と芭蕉は詠んだ。

 

天台宗の古刹・立石寺、1,070段の階段、往復1時間超、気温30度、で今回は登らない。
でも冷えたビールと門前の蕎麦はいただく。
美登屋(みとや)の小母ちゃんからは「お参りお疲れさまでしたねぇ」と声が掛かる。
「いや、飲むだけです」とは云えず、苦笑いするのみだ。 

 山寺から10分、羽前千歳で仙山線の旅は終わる。ホームで6両編成を見送る。
合流する奥羽本線は山形新幹線を走らせるために仙山線とは軌間(ゲージ)が違う。
2つの線が交わることはない。

仙山線 仙台~羽前千歳 58.0km 完乗

熱帯魚 / 岩崎宏美 1977


奥の細道で一ノ蔵と鳴子の湯と 陸羽東線・西線を完乗!

2017-06-26 | 呑み鉄放浪記

 梅雨の晴れ間、奥羽山脈を横切って宮城から山形へ陸羽線で吞み抜けようと思う。
キハ48系を改造した車両は、鮮やかに織り成す紅葉をイメージした深緋(こきひ)色と
沿線に広がる稲穂を思わせるメタリックゴールドに彩られている。
さらに前面のアンティークゴールドの装飾は、伊達政宗の兜をイメージしたという。

 

"奥の細道湯けむりライン" 陸羽東線は、東北本線を小牛田から分岐して西へ向かう。 
「リゾートみのり」は、沿線の温泉地を結んで新庄へと向かう週末のリゾート列車だ。

 

傍らには沿線の名蔵・一ノ蔵の "本醸造生酒ひゃっこい"、駅前の古びた酒屋で仕込んだ。
控えめな香り、後味スッキリの生酒を、田植えを終えた田圃を眺めながら堪能する。

小牛田から60分と少々、鳴子温泉駅では「歓迎」の横断幕に迎えられる。
ここで途中下車して「リゾートみのり」を見送る。鳴子に来て湯に入らない手はない。

共同浴場「滝の湯」は、温泉神社のご神湯を引いた総檜造りの湯舟、雰囲気は抜群だ。
まさに掛け流しの温泉に浸かって至福のひと時を過ごすのだ。

 

「たかはし亭」 の縁側、冷たいビールと吹いてくる涼風で火照ったからだを冷やす。
"鳴子焼蕎麦おくずかけ" が美味い。小鉢の "豆腐と野菜の塩麹漬け" は酒の肴に絶品だ。

13:05発の新庄行きに乗車する。車両には "奥の細道" とマークされている。
『なるごの湯より尿前の関にかゝりて出羽の国に越んとす。此路、旅人稀なる所なれば、
関守にあやしめられて、漸として関をこす。』と奥の細道。
"蚤(のみ)虱(しらみ) 馬の尿(しと)する 枕もと"、鉄路は鳴子トンネルで尿前の関を越える。

 

鳴子温泉から1時間、県境を越えたディーゼルカーは新庄駅に終着する。
車内放送ではこの車両がそのまま、陸羽西線の酒田行きになることを告げている。
コンコースでは "鬼女紅葉伝説" を題材にした「新庄まつり」の山車飾りが迎えてくれる。

構内には明治36年の開業当時に造られた赤レンガの旧国鉄新庄駅機関庫が残っている。
引き続き乗車する陸羽西線の愛称は "奥の細道最上川ライン" に変わる。 

『最上川はみちのくより出て、果ては酒田の海に入る。白糸の滝は青葉の隙〱(ひまひま)
に落ちて、仙人堂岸に臨で立。水みなぎって、身あやうし。』とは奥の細道。
"五月雨を あつめて早し 最上川"、陸羽西線はまさにこの情景を走り抜ける。 

 

草薙温泉の下船場を過ぎると間もなく車窓が広がる。
最上峡の渓谷美から一転、米どころ庄内の肥沃な平野に列車はとびだして行く。
やがて陸羽西線は左手から寄って来た羽越本線と余目で合流しその旅を終える。 

余目駅から15分ほど、鯉川酒造は享保10年(1725年)の創業。
亀の尾(余目が発祥の米)で醸した "恋の川 純米吟醸" を求めて再び車中の呑み人となる。
新潟へと抜ける特急で、穏やかな吟醸香とふくよかな味わいを愉しむのだ。

陸羽東線 小牛田~新庄 94.1km
陸羽西線 新庄~余目  43.0km 完乗 

 

案山子 / さだまさし 1977


日光道中・奥州道中紀行4 古河宿~野木宿~間々田宿~小山宿~新田宿~小金井宿 

2017-06-19 | 日光道中・奥州道中紀行

07:20 「古河宿」
 福法寺の山門は古河城二の丸御殿にあった「乾門」を移築したものだ。
唐破風(からはふ)造りの屋根をのせた平唐門(ひらからもん)は、唯一残る城内遺構となる。 

 

江戸時代から両替商を経て、その後酒問屋として栄えた「坂長(さかちょう)」の店蔵は、
旧古河城の文庫蔵を移築したもの。現在はお休み処として観光客を迎えている。

Navi22-2. 本町2丁目交差点先2つめ信号(左折) 曲の手通りを140m

Navi22-3. スーパーとみや(右折) よこまち柳通りを700mで県道261号に戻る

 

城下町特有に鉤の手に曲ると「よこまち柳通り」、旅籠・茶店・遊郭が並んでいた界隈だ。
古民家が多く残っている、うなぎの武蔵屋本店もそのひとつだ。

Navi23. 野木交差点(左折) → <国道4号> → 粟宮交差点 11.3km

 

08:00 「野木宿」
 江戸から10番目の「野木宿」は下野国に入って最初の宿場だ。現在その面影はない。
宿場の規模は天保年間に於いて、本陣1、脇本陣1、問屋場4、旅籠25軒となっている。 

少々寄り道をした「野木神社」は、約1600年前、仁徳天皇の時代の建立。
征夷大将軍・坂上田村麻呂が延暦21年(802年)にここに詣で、勝どきを挙げたと謂われる。
境内脇には紫陽花が今を盛りに咲いている。

 

野木宿の町並みは10町55間(約1.2km)と長い。
宿並みの中に「野木一里塚」があった筈だが何の痕跡もない。
宿場の北口には「是より大平」の道標が建っている。
観音堂と十九夜塔が建つ辺りに、土塁と木戸が設けられていたそうだ。 

 

08:55 「法音寺・友沼八幡」
 友沼には立場があって "とろろ汁" が名物であったと云う。
「法音寺」には安永9年(1780年)に建てられた芭蕉句碑がある。
「道の辺の むくげは馬に 喰われけり」とあるがこの地で詠まれた句ではない。
斜向かいの「友沼八幡神社」は日光参詣の将軍の小休場であった。

 

09:10 「乙女一里塚」
日本橋から18番目の「乙女一里塚」は西塚のみが残る。国道4号線の69キロポストが建つ。

 

09:55 「逢いの榎」
 江戸へ18里、日光へ18里、日光道中の中間地点に在るので「間の榎」と呼ばれていた。
時代の流れとともに、いつしか縁結びの「逢いの榎」として祖師堂が建てられた。
願をかけに訪れる男女が多かったと云う。
榎を過ぎ緩やかな上りになる琴平神社辺りが間々田宿の南入口、土塁と柵があったそうだ。 

10:10 「間々田宿」
 江戸から11番目の「間々田宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋場3、旅籠50軒の規模。
元和4年(1618年)に宿駅となってから、結城藩領、古河藩領、直轄領、宇都宮藩領と
目まぐるしく所属が変わっている。

旧い遺構はなく、本陣青木家跡にも真新しい案内板があるのみだ。

 

宿内の茶屋「乙女家」で一休み。
栃木県特産の "かんぴょう" がジャムになって入っている「るかんた」をいただく。
甘夏風味と抹茶風味が美味しい。

少々寄り道をして「間々田八幡宮」、宿の総鎮守で天平年間(729~749年)の勧進。
平将門の乱の折、藤原秀郷が戦勝祈願をし、見事乱を平定したと云われる。
文治5年(1189年)、奥州藤原氏との合戦に臨む源頼朝も戦勝祈願に立ち寄ったと云う。

10:35 「西堀酒造」
 日本橋から19番目の「間々田一里塚」は何の痕跡も残っていない。
粟宮には "若盛"・"門外不出" の「西堀酒造」が日光連山から湧き出す天然水で酒を醸す。
まだ先が長いので泣く泣く試飲を断念する。

Navi24. 粟宮交差点(直進) → <県道265号> → 喜沢分岐点 6.0km

 

11:45~13:15 「小山宿」
 「小山宿」は五街道追分と云われ、壬生通り・佐野道・結城道が分岐した交通の要衝だ。
本陣1、脇本陣2、問屋場4、旅籠74軒とかなり大きい規模なのだが、遺構は何ひとつない。
それにしても大衆食堂やら蕎麦屋の1軒も見つからず、なんと1時間30分も費やした。

 

街道から左右に朱塗りの灯籠がびっしり並ぶ参道を進むと「須賀神社」が鎮座している。
天慶の乱に際し、藤原秀郷公が日夜、素盞嗚命に戦勝を祈願し、成就することが出来た。
そこで天慶3年(940年)、京都の八坂神社から御分霊を勧請して祀ったのが始まりと云う。
社宝の「朱神輿」は、日光東照宮を造営した職人により東照宮を縮尺して造られたものだ。

 

小山市役所は、関ヶ原前夜の慶長5年7月24日、上杉討伐途上の徳川家康が、石田光成
挙兵の報を受け軍議「小山評定」を開いた所であり、評定所跡の碑がある。
さらに北隣りは日光参詣に向かう徳川将軍の宿泊所である小山御殿跡だ。

 

12:50~13:30 「喜沢追分」
 壬生通りの分岐点「喜沢追分」は旅人が休息した茶や立場があったところ。
現代の旅人もやっとこの地でお昼にありつく。「蕎麦きはる」で生ビールを呷る。
"酢蛸" で疲れはとれるだろうか。"十割蕎麦" は "とろろ" でいただくのだ。

Navi25. 喜沢分岐点(斜右) → <市道> → 羽川小学校 2.3km

 

13:35 「喜沢一里塚」
 日本橋から21番目の「喜沢一里塚」、西塚は雑木林の中にほぼ原形を残している。
一方、東塚は宅地の売れ残った一角に残土が盛られている感じだ。
一里塚を過ぎると街道は暫し東北新幹線の側道となって北上する。 

Navi25-2. 菅沼整骨院(斜左) 400mでR4に戻る

Navi26. 羽川小学校(斜右) → <国道4号> → ミニストップ自治医大駅西店 5.3km

14:00 「新田宿」
 羽川小学校あたりが、江戸から13番目「新田(しんでん)宿」の江戸方の入口になる。
本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠11軒の規模は、日光道中では最も小さな宿場であった。
本陣跡には四脚門が残っている。

 

新田宿には幕府代官陣屋が置かれていた。もちろん遺構は残っていない。
陣屋跡の向かいには薬師堂がある。

 

Navi26-2. 銅市金属工業(左折すぐ右折) 1.9km、力道寿しでR4に戻る

右手に佐野手打ラーメンの赤い看板が見えたら銅一金属工業の角を左折。
さらに15m先を右折すると、建物(倉庫)の影に石仏群が佇んでいる。
宝暦2年(1752年)の供養塔、寛政12年(1800年)建立の馬頭観音などだ。
ここは新田宿の日光方の入口でもある。

国道4号線の概ね100m西側を約2km、道なりに真直ぐ進む。
市道が遊歩道になり、暗渠道になり、一部私道?を通り、再び住宅街の市道になる。
やがて街道は畑に突き当たるのだが、公園になった一里塚が目の前だ。
右折して30mで国道4号線に戻って左折となる。

 

14:40 「小金井一里塚」
 日本橋から22番目となる「小金井一里塚」は、東塚西塚の一対が立派に残っている。
西塚には榎、東塚には檪(くぬぎ)と榎の巨木が生えている。
梅雨の晴れ間の日曜日、古河宿からひたすら焼けたアスファルトの国道4号線を歩いた。
行程は25.0km、7時間20分。小金井一里塚は「小金井宿」の江戸方の入口でもある。

 


古伊万里の町で昼呑みなど 筑肥線を完乗!

2017-06-04 | 呑み鉄放浪記

 伊万里です。折り返しの唐津行きの発車まで1時間。駅で待つには長く、窯元を訪れるには時間が足りない。必然に選択肢は「呑む」しかありません。  

 

改札を抜けると、伊万里駅は県道を挟んでJRの東駅舎と、松浦鉄道の西駅舎がまるで双子の様で向かい合っているのが分かります。鉄路は分断され相互に乗り入れることはありません。乗換客は階段を上り、ペデストリアンデッキを渡って西駅舎に向かいます。 

 

伊万里駅前商店街の入口では古伊万里美人像が迎えてくれます。どちらも穏やかな表情で美しいですね。 

      

“忍者うどん” って何?特異な看板に惹かれて入りました。メニューの写真を見ると、海老天やら高菜やら、お揚げに梅干し、わかめにお肉までのって、なんだか兎に角スペシャルの様です。

 
 

気になりますが、そこは「呑む&乗る」 がテーマなので、刺身を切り出してもらい、おでんを盛ってもらい、40分1本勝負、ベタな昼呑みを愉しむのです。本当は古伊万里酒造さんを訪ねたかったのですが次の機会です。6月中はJALのファーストクラスで純米大吟醸が提供される様ですね。

 ほろ酔い人を乗せて単行レールバスが走り出します。筑肥線の伊万里から山本の区間はのどかな田園風景が続きます。筑肥線は山本駅で一旦途切れ、唐津線のレールに乗り入れて唐津に向かいます。 

 

1983年、福岡市地下鉄との相互直通運転開始時にルート変更になった筑肥線は唐津に乗り入れます。白いボディーの6両編成福岡空港行きが高頻度で始発して行くのです。

白い6両編成は虹ノ松原沿いを軽快に飛ばして行きます。筑前前原からは高架複線となって都会の高速鉄道の様相になりますが、今宿から下山門間では左手に博多湾そして浮かぶ能古島の景色が広がり、ローカル線の雰囲気を味わえます。 

唐津からちょうど1時間、姪浜駅で筑肥線の旅は終わります。白い6両編成は、ここから福岡市地下鉄空港線(1号線)となって地下に潜ります。筑肥線の姪浜~博多間がどうなっているかは廃線跡ファンに任せることにします。 

 

“肉ちゃんうどん” は北九州で生まれ博多で育った、大きなサイコロ状の牛肉をのせ、ショウガを効かせたツユで食べる福岡のソールフードだそうです。足かけ3日間昼に晩に呑み続けたカラダにほっと一息の一杯でした。さて、そろそろ福岡空港に向かいます。

      筑肥線 伊万里~山本  42.6km
      筑肥線 唐津~姪浜   24.1km
福岡市地下鉄空港線 姪浜~福岡空港 13.1km 完乗 

気絶するほど悩ましい / Char 1977


舞鶴城と曳山酒呑童子 唐津線を完乗!

2017-06-02 | 呑み鉄放浪記

 唐津城です。天守閣があるのは唐津湾に突き出た満島山、虹の松原と合わせ見ると鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城と呼ばれます。満島山上からの唐津湾、虹の松原の眺望は見事です。

 

 唐津線の起点は長崎本線の久保田駅、駅前は少しまとまった住宅街になっているものの、駅裏は畑の中に住宅が点在しているような小さな無人駅です。3番線の向こう側には起点を示す0キロポストが打ち込まれています。すべての列車は2つ先の佐賀が始発・終着、やって来たのは鮮やかな黄色の単行レールバスです。

 
 

筑紫平野から玄界灘側へ抜けるわけですから、どこかに峠があるはずですね。たぶんこの笹原トンネル(標高458m)が鉄路のピークの様です。 

相知駅の近くに「万齢」の小松酒造があるのですが、時間の関係で酒蔵探訪は断念です。久保田駅にもキオスクが無かったので、久しぶりに車中酒なしのローカル線の旅になりました。鬼塚駅からは高架になり、やがて右手から筑肥線が寄り添ってきたら唐津駅。なんだか東京近郊の私鉄線のような駅なのです。 

停車中の上り列車は、黄色のレールバスに国鉄時代からの気動車が連結された2両編成でした。 

 唐津神社を訪ねました。秋季例大祭は「唐津くんち」、主役の曳山を神社隣の展示場で見ることができます。一番曳山の「赤獅子」、六番曳山の「鳳凰丸」が目を惹きますが、ブログのテーマには十一番曳山の「酒呑童子」が合うでしょうか。

 
 

唐津から西唐津までの区間2.2kmは、福岡空港へ直通する筑肥線の電車も入線する電化区間です。西唐津駅はホーム1線だけの小さな終着駅ですが、車両基地を備え、唐津線、筑肥線の大半の列車が始発終着しています。それにしても「呑み鉄」にならなかった唐津線の旅、旨い酒肴を探すのは次の機会に譲ることとして、午後は筑肥線で呑みます。

唐津線 久保田~西唐津 42.5km 完乗 

 

渚のシンドバット / ピンク・レディー 1977