旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

江の島で“生しらす丼”など 小田急・江ノ島線を完乗!

2016-05-28 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 ロマンスカー “えのしま9号” は、江ノ島線の起点相模大野駅で “はこね9号” を見送る。
ここからは後ろ4両だけで藤沢、そしてその先の片瀬江ノ島へ向かう。
相模大野の駅ビルはホテルセンチュリーも入って結構立派なのだ。

 

 相模大野を発った “えのしま9号” はほぼ真南に相模湾をめざす。揺れもなく快適だ。
途中、相模鉄道と交差する大和に停車して藤沢までは20分ほど。
藤沢駅はスイッチバックになっていて、ロマンスカーは進行方向を変える。
とは言え片瀬江ノ島まではわずか8分。座席の向きを変える乗客はほとんどいない。 

 

 終着した片瀬江ノ島駅はすっかり夏の陽射しが照りつけている。
竜宮城を模した駅前には修学旅行の小学生がたくさん集まっている。
グループ行動だろうか、栞をのぞき込んだり、キップを買ったり、わいわい楽しそうだ。

 弁天橋を渡る。陽射しは夏そのもの。でも吹き渡る風は涼やかで頬に心地よい。
いい季節です。橋を渡ると正面に江島神社の大きな鳥居が現れる。
江の島を訪れるのは老いも若きもカップルが多い。男ひとりはボクだけだろうか。

 小さな島のようでいて歩くと案外広い、なにしろアップダウンが結構あるのだ。
江島神社の瑞心門横から江の島山頂までは “エスカー” なる有料のサービスがある。
360円を払ってエスカレーターに乗るのは抵抗があるので階段を行く。

リゾート然とした島北側と対照的に、南側は切り立った崖、波洗う海食台地が見られる。

      

 稚児ヶ淵の崖上の「魚見亭」には、オーシャンビューのテラス席がある。
潮風に吹かれて、伊豆半島や大島を眺めながらの生ビールが最高にご機嫌なのだ。
今朝は “しらす” が揚がったそうだ。生姜醤油をかけて “生しらす丼” が美味しい。

小田急・江ノ島線 相模大野~片瀬江ノ島 27.6km 完乗

路地裏の少年 / 浜田省吾 1976
 


休日はローカル線で 東京にも旨い酒あり多滿が自慢

2016-05-21 | 旅のアクセント

 拝島線は、戦後、東大和にあった日立航空機立川工場への専用鉄道を取得するなど、
複数の路線をつなぎ合わせて開通させたなるほど開通の経緯が示すように拝島線は複雑だ。
萩山駅で多摩湖線とX字に平面交差、カーブを描がくホームはかなり無理な構造になる。
続く小川駅へは南に90度向きを変えて進入、国分寺線とこれまたX字に平面交差するのだ。

拝島線は小川駅を出ると再び西へ向きを変え、正面に山並みを見て上り勾配になりる。
左右の車窓には徐々に畑や緑が占めるようになると、わずか20数分の旅は終わる。
青梅線、五日市線、八高線がクロスするJR拝島駅の隅っこに、間借りをするように終着。
それでも西武新宿へと向かう急行は、青梅線と張り合うかのように堂々の10両編成だ。

拝島駅は福生市と昭島市にまたがる。西武側は横田基地の町。
駅前には “Welcome To 福生” の看板。JRの線路から拝島線とクロスして基地へと引込線も伸びる。

 多摩川の河原に向かって歩くこと15~20分、「多滿自慢」の石川酒造を訪ねた。
文久3年(1863年)の創業、この地に酒蔵を建てたのは明治13年だそうだ。

和食・そば処「雑蔵」は、有形文化財に指定された明治31年建造の土蔵を用いている。
少々ひんやりとした店内に淡い照明を灯してJAZZが流れている。なかなか雰囲気が良い。
粋な江戸っ子を気取って“板わさ”で一杯、酒は淡麗吟醸を徳利でいただく。

“板わさ” と来たら “出汁巻き玉子”。甘めの出汁で焼いた玉子がおろし醤油で美味しい。
仕上げに岩海苔が付いた “ざるそば” をつるりといただく。締めて3,000円也。
お手頃に多滿自慢と粋を楽しませていただいた。東京にも旨い酒があるのだ。

<40年前に街で流れたフォークソング>
酒と泪と男と女 / 河島英五 1976


ちはやふる電車で爽風の湖岸を往く 京阪・石山坂本線を完乗!

2016-05-14 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 京阪電鉄石山坂本線に広瀬すずちゃんが走っている。
『ちはやふる』電車が走るのは、彼女たちが目指す聖地・近江神宮前を走るからだ。
ところで私が映画や彼女のことを知るわけではない、すべて息子の受け売りなのだ。

石山寺は聖武天皇が開基した由緒ある寺院、紫式部が「源氏物語」を書いた地と伝わる。
美しい均斉美をもった多宝塔下の奇岩は、石山寺の名の基になっている。
ちょうど秘仏として安置されている本尊「如意輪観世音菩薩」33年振りの御開扉期間。
とても幸運な訪問となった。

      

石山坂本線は、石山寺を起点に琵琶湖南岸を大津市街地を抜けて比叡山麓の坂本に至る。

      

近江神宮前止まりの電車をやり過ごすと、幸運にも『ちはやふる電車』が入線してきた。
ヘッドマークに広瀬すず、車両にはイラスト、車内には漫画の名場面集が描かれる。
ファンには乗ってみたい車両なのだろう。

路線は全線複線、時折路面電車よろしく道路上の軌道を走る。
湖岸を走る平坦な路線かと思いきや、近江神宮から先は標高を稼いで坂本駅に終着する。

延暦寺の門前町坂本は「山王さん」の愛称で知られる日吉大社や延暦寺の里坊が並ぶ町。
玄関口の坂本駅は門前町には意外な瀟洒な駅舎だが、なんだか町並みに溶け込んでいる。

坂本は穴太衆積みの石垣の町でもある。穴太衆とは坂本の穴太の里の石工集団。
延暦寺の石工工事や安土城の石垣工事を担ったと云われる。

 

 「山王さん」こと日吉神社は京の都の鬼門を守る方除・厄除の大社。
日吉神社は全国3,800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮だそうだ。
西本宮楼門は重要文化財、その奥の西本宮本殿は国宝に指定される。
ここでは猿は「神猿(まさる)」と崇められ、「魔が去る・何よりも勝る」と縁起物だ。
楼門の軒下四隅にも屋根を支える「棟持ち猿」が彫られている。

 

 坂本で知られた名物そば処、享保初年(1716年)から300年続く「本家鶴喜そば」に伺う。
30名ほどの列、さほど待たないの姐さんの言に待つこと20分、庭を望む座敷に通される。
今日の一杯「松の司 純米吟醸 楽」は、ほのかな香りの優しい味わいの酒だ。

 

ほどよく喉がうるおったら、辛味の紅葉おろしを利かせた「割子そば」をいただく。
庭先から比叡山を下りてくる爽やかな風に吹かれて、心地よいひと時なのだ。

京阪電鉄石山坂本線 石山寺~坂本 14.1km 完乗

FLASH / Perfume


蛸薬師通木屋町「出逢ひ茶屋 おせん」にて

2016-05-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 中山道を歩き終えて蛸薬師通木屋町にて一杯。10数年前、お取引先に紹介いただいた「出逢ひ茶屋 おせん」は、旬の“おばんざい”を肴に飲める店。以来、先斗町に在った頃から京都を訪れる折々暖簾をくぐっている。純米酒『呑足味知(のみたりてあじをしる)』は、伏見は松本酒造の酒。やや辛口であと味のキレの良さが特徴、常温が良いようです。お造りにも合う酒です。

 
 

 ほんとはカウンターで大皿をのぞきながら一杯やるのが楽しいのだけれど、今日は小上がり。まあ家族連れだからそれも良いでしょう。純米吟醸『聚楽第』は上京区は佐々木酒造の酒。まろやかな口当たり、キレの良い喉ごしの酒で、煮物やら揚げ出しなどいただきます。

 

 純米大吟醸『古都の雫』は鶴正酒造、こちらは伏見の酒。香り控えめやや豊醇、冷やして飲むのが美味しいのでガラスの酒器でいただきます。食中酒としてどんな料理にも合いそう、筍の天ぷら、豚の角煮で一杯。〆はお店の名物“たぬきご飯”、生姜の利いたアツアツの餡をからめて美味しいひと椀です。中山道完歩の祝杯に楽しい夜になりました。女将さん、御馳走さま、また寄らせていただきます。

 
 


中山道紀行37 草津宿~大津宿~三条大橋

2016-05-07 | 中山道紀行

 

「草津宿」 10:30
 2ヶ月ぶりに草津宿。中山道を歩く第37日目は東海道との合流地点からスタートする。
今回は新幹線でやってきたので少々遅い歩き出し。順調に進むと今日が最終日になる。
草津宿は旅籠70軒と規模が大きい宿場であったが、面影を残す遺構は少ない。
現存する本陣建築では最大級の田中七左衛門本陣が立派だ。

 

酒蔵は街道の華。宿内には「道灌」の太田酒造は江戸城を築城した太田道灌を祖先に持つ。
そして宿場を出て間もなく「天井川」の古川酒造が在る。
どちらの蔵も御神燈の提灯を下げているのは、この辺りの神社はどうやらお祭りのようだ。

1200余年の歴史を有する滋賀県隋一の古社、立木神社も今日が例大祭でお神輿が舞う。
旧東海道に面して鎮座し、古くより交通安全厄除けの神社として信仰を集めている。

 

「野路一里塚」 11:00
 南草津駅付近に野路一里塚跡がある。すでに塚はなく花に囲まれた公園になっている。
正確には東海道の一里塚のなるが、中山道としては130番目の一里塚になる。
「野路の玉川」は有名な歌所、萩の玉川とも言われ日本六玉川のひとつとして知られる。

「瀬田の唐橋」 12:30
 近江八景「瀬田の夕照(せきしょう)」に描かれている瀬田の唐橋を渡る。
多くの文学作品に登場するこの橋は日本三名橋の一つして有名だ。
流れは琵琶湖から流れ出す唯一の瀬田川、学生が操る漕艇が水面を滑っていく。

      

「和田神社」 13:30
 瀬田の唐橋を渡ると街道は川に沿って北へ向きを変える。
膳所の町並みは、そこかしこの神社がお祭りで、神輿を待つ人達で賑やかだ。
和田神社の境内には高さ24m幹周り4.4mの大銀杏が聳える。樹齢は650年だそうだ。
伊吹山中で捕らえられた石田光成が京へ護送される際、この大銀杏につながれたと云う。
この辺のエピソードを司馬遼太郎さんが「関ヶ原」で描いている。

 
 

「義仲寺」 14:10
 街道が琵琶湖岸に沿って西へ向きを変えると左手に義仲寺が見えてくる。
平氏を都から追いながらも、源範頼・義経との戦いに敗れた朝日将軍源義仲の墓所である。
義仲が元服し、また挙兵した宮ノ腰宿を歩いたのが懐かしい。
寺には義仲を偲んだ芭蕉がその遺言により墓を建て眠っている。

「大津宿」 14:40
 義仲寺を過ぎると間もなく大津宿。ちょうど京阪電車の石場駅辺りが江戸方の入口だ。
大津宿は琵琶湖水運の要衝として、旅籠71軒と大いに栄えたそうだ。
宿内に旧い遺構はないが、緩い蛇行をしてきた道がここだけ長い直線になっている。

宿場は京津線の電車通りにぶつかって、琵琶湖を背にして直角に南向きに折れる。
この辺りが大塚本陣が在ったところ、振り返ると広重の絵の情景が見えたはずだ。

 大津から山科へ逢坂を越える。GW中でもあり京都方面への車線が渋滞している。
平安時代には逢坂の関が置かれ、都を守る重要な三関のひとつとして機能した。
蝉丸法師や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地としても大変有名だ。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の和歌が著名だ。

「山科追分」 15:30
 逢坂を越えると伏見街道(奈良街道)が分岐する山科追分、近江と山科の国境でもある。

国道1号線では名神高速道路の京都東IC手前で「京都府」に入る。
1号線は五条通へと流れ、旧道は三条通となる。ゴールまでもう少しだ。

 

旧道を進むこと1.5km、五条別れ道標が在った。「三条通り」の標識に気持ちが高鳴る。

山科から蹴上げへと向かう上り坂に荷車に米俵を積んだモニュメントがある。
三条通りを走った路面電車(京阪京津線)の地下鉄化を記念したものだそうだ。
街道時代は牛に引かせた荷車が物資を都へと運んでいた。

「三条大橋」 17:30
 粟田口から入京、右手に平安神宮の大鳥居を眺めて白川を渡る。
整備された三条京阪ターミナルに御所を望拝する高山彦九郎が見えると三条大橋だ。
「草津宿」で東海道と合流し、瀬田の唐橋を渡って「大津宿」、逢坂の関を越えて、
粟田口から京の都に入り三条大橋まで26.2km、所要7時間の行程になった。

 日本橋を発って延べ37日、537km、今日三条大橋で男旅を終えた。
その大半が単身赴任期と重なって結局5年半を費やすことになった。
気付けば横を歩く息子は視線の高さが同じになった。ストライドは幾らか彼の方が長い。
まもなく身長も抜かれることだろう。
もうこんな旅に付いてくることはないだろうと、夕陽の三条大橋を眺めながら思う。


“ひこにゃん” と彦根城と近江牛丼と 近江鉄道本線を完乗!

2016-05-04 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 姫路・松本・犬山・松江と並ぶ国宝天守の彦根城、関ヶ原の戦後、井伊直政が
石田領を拝領し、佐和山から湖岸の彦根山に移して築城したものだ。
中山道の旅の途上、ここ彦根を挟んで米原と貴生川を結ぶローカル私鉄に乗車する。

 

 女子高生が改札へと駆け込んでいく。JR草津線との待ち合わせ時間は7分。
一見利便性の高いダイヤだけれど、定期券を持たない乗客やお年寄りには忙しない。
そして私には車中酒を買う時間がない。ローカル線の連絡はもう少し余裕があって良い。

地元では “ガチャコン” の愛称で親しまれている近江鉄道。
支線の多賀線と八日市線は、昨秋乗車しているので、今回の本線乗車で仕上げとなる。
2両編成は、草津線、信楽高原鉄道と連絡する貴生川駅を、ガクンと揺れて走り始める。

 

東海道の宿場町水口を過ぎると、次の日野までの5キロほど、何もない野っぱらを行く。
下り電車と交換する以外、ひと駅ひと駅を淡々、のんびり、車両を左右に揺らして走る。

 

八日町から乗客が増した2両編成は、水田地帯を東海道新幹線に併走し北上する。
彦根駅には電車庫がある。伊藤園、FUJITECなど沿線企業のラッピング車両が並ぶ。
珍しいのは、交通安全を呼びかける滋賀県警のラッピング車両、緊急車両の配色だ。

 

彦根駅西口には徳川四天王・井伊直政公の像、城下に睨みを効かせている。
一方彦根城内には赤備えの兜を被った招き猫のキャラクター “ひこにゃん” が出没。
玄宮園からは、美しい緑の中に白亜の天守を望む。

彦根城を散策した後は、城下の四番町スクエアで近江牛をいただく。
「にし川」自慢の “近江牛丼”、甘くジューシなたまねぎと柔らかい近江牛が美味しい。

      

 再び車中のひと、2両編成は三成の佐和山城址をトンネルで抜け、米原に終着する。
近江鉄道本線は、右手に鈴鹿山脈を眺めながら2時間の旅だ。

近江鉄道本線 貴生川~米原 47.7km 完乗