旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行31 伏見宿~太田宿~鵜沼宿~加納宿

2014-12-27 | 中山道紀行

「伏見宿」 08:30
 東海環状道路の可児御嶽ICからここまで、左右の畑は白く霜で光っていた。
今年最後の中山道紀行はここ伏見宿から加納宿(岐阜市)を目指す。
岐阜県では9/1~3/10まで「中山道ぎふ17宿踏破スタンプラリー」を実施している。
良くできた公式ガイドブックがあって、文化的イベントが設定され誘客の工夫が
されているのだが、スタンプ設置施設は12/26の御用納めとともにクローズしいる。

なんの変哲もない国道21号線を進めると、三留野宿以来の木曽川の流れにぶつかる。
大正15年竣工の重厚な太田橋を渡る。「太田の渡し」は昭和初期まで現役だったそうだ。

「木曾のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と謳われた難所であった。


「太田の渡し」 09:40
 渡船場を背にした市役所の敷地に一里塚跡と渡し舟のオブジェがある。
太田の発展は渡しと水運であった。このオブジェ、猫の格好の昼寝場所となっている。

「太田宿」 10:30~12:00
 太田宿は左右に旧い建築物が残り、商店や案内所として立ち寄ることも可能だ。
旧脇本陣林家(写真左)は1769年の建物で国の重要文化財に指定されている。

本陣福田家は1861年皇女和宮下向の際に建てられた立派な表門が残っている。

個人的に宿場の華だと思っているのが酒蔵。
太田宿でも町並みほぼ中央に「御代桜醸造」が雰囲気のある黒塀を見せている。

少し早いお昼を町並みの中に見つけた蕎麦処でいただく。“投汁(とうじ)そば” は、
1杯分ずつ小分けされたそばを、竹で編んだひしゃく状の投じ籠(とうじかご)にいれて、
鍋の中で泳がせて食べるもの。寒い中この “きのこ鍋” で美味しく温まった。

 木曽川の堤防を行く中山道は、暫くすると谷を国道21号線と高山本線が並行する。
この辺りは日本ライン舟下りで楽しむ風光明媚なところ、狭隘な崖上に岩屋観音がある。

 

「うとう峠」 13:40
 途中、蛇行する木曽川の流れをバイパスするかのような「うとう峠」に入る。
もう峠道は終わったと思っていたので、他愛もない峠道が結構きつく感じる。
峠をやや西に下って「うとう峠一里塚」跡、太田から岐阜にかけて一里塚は現存しない。
大事に残しているところ、邪魔なものだと切り崩すところ、土地によて考え方は様々だ。

「鵜沼宿」 14:10
 うとう峠の下り道はやがて高台の住宅街となって鵜沼市街に向かう。
坂を下り切ると東の見附が置かれた枡形に小さな祠がある。ここからが鵜沼宿となる。

鵜沼宿の中心部では江戸時代風に造作された大安寺橋が迎えてくれる。
ここは明治時代に濃尾大地震で壊滅的な打撃を受けて旧い建物は殆ど残っていない。 
大安寺橋を渡ると右手に復元された脇本陣、その向かえに「篝火」の菊川の酒蔵がある。
やはり宿場の町並みに酒蔵が映える。

芭蕉がたびたび滞在したという鵜沼宿の町並みには用水がせせらいでいる。
新しく整備した通りではあるけれど情緒がある。

鵜沼宿から木曽川を挟んだ対岸の丘に城が聳えている。少々寄り道をして対岸に渡る。
犬山城は織田信康(信長の叔父)が築城したとされる現存する最古の天守閣だ。
木曽川を挟んで鵜沼宿から岐阜まで見通せる。はるか先の越美国境の山々は雪を被る。

いい気になって城見学をしているうちに短い陽が大きく西に傾いて日没サスペンデット。
鵜沼宿から加納宿へは明日に持ち越しせざるを得なくなってしまった。

「鵜沼宿」 09:30
 投宿した岐阜市内から名鉄電車で再び鵜沼宿へ。駅の名前はそのまま鵜沼宿駅。
雨上がりの道を加納宿(岐阜)を目指す。西の見附を出ると中山道は国道21号線となる。
4車線の国道には歩道がない。狭い路肩をトレーラーなどに追い越されるのは恐怖だ。

各務原の手前で高山本線をオーバーパスする。木の下辺りの畑が各務原一里塚のはずだが何も残っていない。

続いて名鉄線をオーバーパス。右手に三菱重工業、左手に航空自衛隊岐阜基地。各務原は航空産業の町だ。

航空自衛隊岐阜基地を過ぎたると、中山道は斜め左に旧国道を進む。
直ぐに六軒一里塚だが教育委員会標柱しかない。そして新加納にも酒蔵を発見。
昨晩岐阜の千成寿司で飲んだ純米大吟醸 "栄一" の蔵元・林本店のようだ

続いて日吉神社を通過、ここで神様に使えるのは狛犬ならぬ「かえる」なのだ。
すっかり正月の準備も整ったこの神社で珍しいものを見ることができた。

 

「新加納立場」 11:50
 鵜沼宿から加納宿までは四里十町(約17km)の長丁場。
したがって中間点に立場(茶屋)という小休所が設けられ、皇女和宮も休憩したという。
ここにも一里塚があったがやはり何も残っていない。

県道77号線との交差点を越えた先に道標が建つ。「左木曽路」と今来た方角を示し、
右は「伊勢・名古屋みち」と指している。進む方向は「西京道」と書いている。
この先京都を西京と示した道標を複数認めることになる。

「御鮨街道」 13:20
 名鉄本線を茶所駅付近で渡ると「御鮨街道」との分岐点。加納宿と熱田を結ぶ
すなわち中山道と東海道を結ぶ重要な脇往還は、長良川で獲れた鮎を御鮨にして
幕府への献上品として運んだ道ゆえに呼ばれたそうだ。何とも楽しい響きだ。

「加納宿」 13:50
 御鮨街道と分岐して直ぐに中山道は右に直角に折れる。この枡方からが加納宿だ。
この枡方を最初にご丁寧に7回も道を曲げている。加納宿は加納城(廃城した岐阜城の
代わりに築城)の城下町を兼ね、旅籠35軒を有する大宿だったそうだ。
現在では旧い建物はほとんど残っていないものの枡方を重ねる道筋は雰囲気がある。
本陣・脇本陣などひとつひとつ丁寧に跡碑が設けられている。

東番所跡、当分本陣跡、本陣跡、西問屋跡、脇本陣跡を経て、加納栄町交差点がゴール。
霜の降った伏見宿から木曽川を渡って太田宿、鵜沼宿を経て加納宿まで32.3km。
今年最後の中山道紀行は2日間、8時間30分の行程となった。


ネタが大きい千成寿司

2014-12-20 | 日記・エッセイ・コラム


中山道を歩く旅に出て岐阜に投宿した。
一緒に歩いた息子と、木曽路以来、毎度クルマの回送係をしてくれた妻を労って、旨いものを食べよう。

20年ほど前の出張の折、岐阜支店の社員に紹介されたような気がする、とてつもなくネタの大きな寿司処。
たぶんここ千成寿司さんだ。

18時過ぎに伺ったので、常連さんに1席を譲っていただきカウンターを確保。
30分しないうちに店内には何組もの待ちができて、ぎふっ子には人気のお店のようだ。
板前さんに、初めましては自慢の穴子と卵焼きからとどうぞと薦められる。
脂がのった大きな穴子はシャリが見えず、卵焼きはタマゴの上にシャリがのったりして圧倒される。

ご自慢の一品だけではない、イクラもトラフグもこのボリュームだ。
さて美濃の地酒は店主おすすめ「栄一」の大吟醸をいただいた。
蔵元の林本店さんは、中山道沿いの新加納に在り先刻通過してきた。こんな偶然も楽しい。

<40年前に街で流れたJ-POP>
白い冬 / ふきのとう 1974年


都心でふるさとを味わう かごしま遊楽館「黒豚の野菜蒸し」

2014-12-13 | Biz-Lunch60分1本勝負

2014/12/13 の Biz-Lunch 再掲

 日比谷シャンテに隣接した「かごしま遊楽館」でアンテナショップ探訪3軒(県)目だ。
人気メニューの "かごしま黒豚の野菜蒸し" をいただく。これに豚汁とチラシご飯がつく。
甘味のある黒豚と温野菜をポン酢につけてあっさりと美味しい。だいいちヘルシーだ。

平日にしてなかなかの賑わい。有楽町でお買い物の奥様方が美味しいものを物色中。
自動ドアが開くと正面に薩摩揚げの実演コーナー、酒の肴に最高だろうな。

鹿児島といえば芋焼酎。コーナーには全県から集めたそれこそ無数のラベルが並ぶ。
通には品定めが楽しいだろう、あまり焼酎は嗜なまないのだが見ているだけで楽しい。

2階、かごしま黒豚料理の店「いちにいさん」は、ご婦人を中心に20人ほどの待ち。
とは云えお独り様のビジネスマン、ほどなくカウンター席を先に用意された。
棚には芋焼酎の人気銘柄が共演して、会社帰りも楽しそうだ。
実はこの店は先月もおじゃました。そのときは "黒豚の茄子はさみ揚げ" をいただいた。
こちらも旨かった。有楽町・銀座界隈のふるさと味めぐり、これなかなか楽しい。


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<40年前に街で流れたJ-POP>
冬の色 / 山口百恵 1974年