旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

其の手は桑名の焼き蛤… 三岐線・北勢線を完乗!

2016-08-31 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 また西武鉄道の旧車両に巡り合った。三岐ってことは岐阜県まで延ばす計画だった?
三岐線は四日市から、石灰石資源に恵まれた藤原岳山麓(鈴鹿山系)まで30キロ弱を結ぶ。
地域の旅客輸送は勿論だけど、太平洋セメント藤原工場からの輸送を担っている。 

起点は近鉄名古屋線の富田駅に併設されている。
西口駅舎は鯨船神事の鯨を模している。アンテナで潮を噴いてるのが微笑ましい。

     

地方私鉄の車内の主役は大抵お年寄りと高校生だ。
部活か夏休みの補習か、若人を乗せて3両編成はガタゴトと員弁川(いなべがわ)を遡る。 

3両編成は駅々で高校生を降ろしながら50分ほどかけて夕暮れの西藤原駅に終着する。
構内には昭和29年まで貨物列車を牽いていたE102号蒸気機関車が展示されている。

     

途中の伊勢治田まで戻って途中下車、ここから2キロほど北に北勢線の阿下喜駅がある。
三岐線と北勢線は員弁川を隔て、ほぼ並行して走っている。
廃止予定であった近鉄北勢線は、地元自治体の支援により三岐鉄道が運営を継承した。 

 阿下喜駅構内に留まる古い車両は、戦前生まれのモニ226系という電車のようだ。
車体が小さいのでパンタグラフと前照灯が妙に大きく見える。 

夕闇の中を懸命に走って来た小さな電車は、時間を空けず折り返し西桑名行きになる。
北勢線はナローゲージという軌間762mmの鉄道だ。当然車両も小さい。

イメージ的には大江戸線の車両を2割くらい小ぶりにした感じだろうか。 
電車はボクひとりを乗せて阿下喜駅を出発する。横揺れとモーターの唸りがもの凄い。

ところで三岐鉄道は1日乗り放題パス(大人1,100円)を発行している。
玩具の様な3両編成は、やはり50分ほどかけて、とっぷり日が暮れた西桑名駅に終着する。

     

 さて桑名と云えば “焼き蛤”。駅チカの居酒屋「魚のてっぺん」を訪ねる。
ここの兄さんたちはとっても元気が良い、アウェー感なく楽しく飲ませていただいた。

伊賀の酒 "三重錦・超辛純米" は、ほんのりフルーティな含み香を持つ辛口の酒だ。
三重の外湾鮮魚の "お刺身盛り合せ" を桑名のたまり醤油でいただく。美味い。

多気郡大台町の "酒屋八兵衛・山廃純米" は、柔らかく旨みのある辛口だ。
お約束の "焼き蛤" に満足、〆の "ヨコワ漬け炙り丼" も美味。今宵もご機嫌なひとり酒だ。

三岐鉄道・三岐線 近鉄富田~西藤原 26.6km
三岐鉄道・北勢線 阿下喜~西桑名  20.4km 完乗   


大垣から桑名へ揖斐川岸を往く 養老線を完乗!

2016-08-27 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 大垣城は慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いで西軍・石田三成の本拠地になった。
ここ大垣を軸に、揖斐から桑名まで濃尾平野の西端を南北に走っている養老鉄道を往く。

揖斐駅は昔ながらの駅舎が残っていて、駅員さんが出札を行っている。
かなり広い駅構内には、1本のプラットホームに単線が引かれているだけだ。 

 

養老鉄道は近鉄養老線を独立・分社化した。車両も近鉄当時のものが走っている。
入線してきた大垣行はマルーン単色の近鉄カラーなのだ。

揖斐から30分ほど電車に揺られて大垣で途中下車。
大垣駅はスイッチバック構造になっていて、以北と以南で別の運用になっている。 

木曽三川の伏流水が集まる大垣は、豊かで美味しい水の恵みにより「水都」と呼ばれる。
当然お酒も美味いだろう。武内酒造を訪ねて、"大垣城・本醸造生貯蔵酒" を仕込む。

 ヘッドマークのゆるキャラは俳人松尾芭蕉、大垣は「奥の細道むすびの地」でもある。
電車は養老から山裾に沿って、揖斐川西岸を伊勢湾に向かう。
ところで車両はロングシート、残念ながら車中酒を開けることはなくなった。 

 

 大垣から桑名までは1時間10分、3両編成は近鉄の4番線を間借りするように終着する。
使用できるホームはこれ1本だけの様、電車は慌ただしく大垣へと引き返していった。
さて、初代桑名藩主は「真田丸」で豪胆な振舞いを見せる藤岡弘さん演じる本多忠勝だ。
九華公園で、鹿角の兜を被り、名槍・蜻蛉切を携えた忠勝公に会って養老線の旅を終える。

養老鉄道・養老線 揖斐~桑名 57.5km 完乗

どうぞこのまま / 丸山圭子 1976


根尾谷と谷汲山華厳寺と冷えたビールと 樽見鉄道を完乗!

2016-08-24 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 穂先が黄金色に色づき始めた晩夏の田園風景の中、樽見鉄道のレールバスがガタゴトと往く。
旧国鉄樽見線は美濃神海駅が終点、第三セクター化後に建設凍結していた線名の樽見駅まで延伸開業した。

始発の大垣駅はJRに同居している、おそらくは国鉄時代と変わりない6番ホームから発車するのだ。
大きな身震いひとつ、レールバスは3kmほどを東海道本線と並走した後、揖斐川を渡る。
本社屋と車庫のある中心駅本巣を過ぎると、左手に根尾川(揖斐川支流)が近づいてくる。

途中下車した谷汲口駅を囲むのは桜の木、春先には絶好の撮影スポットになるようだ。
下り列車を待っていたコミュニティバスに乗車して谷汲山に向かうことにしよう。

「たにぐみさん」の愛称で親しまれる谷汲山華厳寺は延暦十七年(798年)に創建した。。その山号と寺号は
醍醐天皇より賜ったもので、古来より皇室・朝廷・有力豪族や民衆からの帰依が厚く隆盛を極めたそうだ。

華厳寺は、那智の青岸渡寺から始まる日本最古の観音霊場「西国三十三所観音霊場」の第三十三番札所。
故に結願・満願のお寺として知られ、春の桜、の紅葉の頃には特に賑わいをみせると云う。

まずは冷たぁいスーパードライを呷って、参詣後のランチは “冷やしきしめん” をいただく。

 谷汲山口を出発すると田園風景は一転、清流根尾川の谷に分け入る。幾つものトンネルと鉄橋をつないで、
鉄路は根尾川と絡み合って北上する。沿線には簗場や温泉が点在、湯上がりに鮎の塩焼きで一杯、至福だろう。

 レールバスが樽見駅に終着する。ここから徒歩15分、"薄墨桜" なる樹齢1500年の孤高の巨木がある。
やはり来るべきは春?この桜を冠した温泉旅館の送迎バスが僅かな乗客を攫うと、終着駅は一層閑散とする。

樽見鉄道 大垣~樽見 34.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
キャンディーズ / ハート泥棒  1976


「オグリキャップ」デビューの地へ 名鉄羽島線・竹鼻線を完乗 

2016-08-20 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 廃止に向かう石勝線夕張支線をめがけて “北の旅人” を気取るつもりだった夏期休暇。
ところが台風9号による欠航であえなく潰えて、天気が良さそうな東海地方を巡ってみる。

 

1本目の “ひかり” で岐阜羽島、名鉄羽島線の終点新羽島駅は新幹線駅と並行して在る。
中京地区に路線網を張り巡らしている名鉄は盲腸線が多い。この機会に一つ潰しておこう。 
羽島線は江吉良までの1区間、その先は竹鼻線となる。

4両編成はガラガラなので、小さなお子さんが喜びそうな運転士脇のシートを占める。
運転士目線で見る朝の日常風景が楽しい。 

ガラガラの4両編成は多少の乗客を増やして25分、名鉄本線に接続する笠松駅に終着する。
駅から5分の笠松競馬は、あの「オグリキャップ」がデビュー8連勝で世に出た競馬場だ。
そんな雑学を一つ得た「呑み」無き羽島線・竹鼻線の短い旅なのだ。

名鉄羽島線 新羽島~江吉良 1.3km
名鉄竹鼻線 江吉良~笠松  10.3km 完乗 

 


赤城山と風鈴電車と名物ひもかわうどん 上毛電気鉄道・上毛線を完乗!

2016-08-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 学生時代、浜田山に住んでいた私にとって、とても懐かしい電車に思いがけず前橋で再会を果たした。
井の頭線を走ったステンレス車両が上毛線を走っている。ちょっと寸づまりの2両編成に変身していたけどね。

JR前橋駅からホノルルで走っているようなシャトルバスに乗って10分。広瀬川の流れが洗う中央前橋駅が
上毛電気鉄道上毛線の起点だ。平日も休日も律儀にきっちり30分おきに、西桐生駅に向けて出発していく。 

雄大な赤城山の南麓を往く「風鈴電車」は竹編みの棚に朝顔を飾り、短冊に短歌や川柳がしたためられた
風鈴が提がっている。ローカル私鉄のガタゴトした走りは、風鈴を鳴らすには申し分のない揺れを起こす。
チリンチリンと風流にそして涼やかに電車は走る。 

 大胡駅は上毛電気鉄道の要の駅。昭和3年建築の大胡電車庫は国の登録有形文化財になっている。
木造板張りトラス構造は当時の姿を残す希少な建造物、入場券を購入するとスタッフが案内してくれる。

もう60歳を過ぎているであろうエンジニア氏が付きっきりで説明をしてくれた。ガチガチの鉄でない私には
難しい話もあるけど、この半鋼製の16mのデハという車両が動態保存されているのは希少なことだそうだ。 

 映画のロケにも使われるレトロな雰囲気の西桐生駅には浴衣姿の女の子、法被姿の男達が降立った。
どうやら「桐生八木節まつり」の最終日に出くわした様だ。町は「熱い」ことになっている。

パレード待ちの連をかき分けかき分け、創業120年余、桐生うどんの人気店「藤屋本店」を訪ねる。
暑くて熱い今日の桐生では、やっぱりビールかなってことでYEBISUを呷る。染みわたるってのはこのことだ。
名物 "ひもかわ" は、幅広、極薄、のど越しツルツル、コシが強く、モチモチの食感が美味しい楽しい。
お箸で程々に畳んで "とり南" のつけ汁でいただく。旨い。並んでも試したい桐生の味なのだ。

上毛電気鉄道・上毛線 中央前橋~西桐生 25.4km 完乗 

<40年前に街で流れたJ-POP>
ささやかなこの人生 / 伊勢正三 1976


ロマンスカーと北斎と栗の町と奥信濃の湯と 長野電鉄線を完乗!

2016-08-13 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 "ながでん" はシルクと蔵の町・須坂、北斎と栗の町・小布施へとカタンコトン走る。北信五岳の雄姿を背景に、
リンゴ畑の中を抜けて往く "特急ゆけむり号"、夜間瀬川鉄橋を渡ると、まもなく温泉の町湯田中に終着する。

北陸新幹線の延伸開業を期にリニューアルした長野駅、善光寺の玄関口にふさわしい大庇(おおひさし)を設えた。
大庇の下をエスカレーターで地下へと潜ると長野電鉄の改札へと連絡する。

かつての小田急ロマンスカーは、4両編成に短くしているから芋虫の様に見えるけれど、これはご愛嬌だ。
小田急ではプラチナチケットの展望指定席も、ここでは早めに並べば座れる全車自由席である。

長野電鉄線は4つ目の善光寺下駅までは地下を走っている。地上に出ると住宅街の中を走り抜け、
大河千曲川を村山橋で渡ると蔵の町・須坂。須坂からは千曲川東岸のリンゴ畑の中を北上する。
長野から20分少々、北斎と栗の町・小布施に途中下車してロマンスカーを見送る。

 曹洞宗梅洞山岩松院の本堂の大間天井絵は、晩年を小布施で過ごした葛飾北斎作の「八方睨み鳳凰図」だ。
岩松院は福島正則公の霊廟でもある。安芸49万石の大封から10分の1に減封され、悲運を嘆きつつ没している。


 桝一市村酒造場は、栗菓子の小布施堂を営む市村家が宝暦5年(1755年)に創業した造り酒屋だ。
酒造場の直営店舗では、趣があるテッパ(手盃)台と呼ぶカウンターで自慢の酒を愉しむことができる。
それではとっ、日本酒度+8、辛口で芳醇な "鴻山"、もろみを荒めに濾したにごり酒 "ろく" を試した。

ランチは酒蔵を改装した和食レストラン「蔵部(くらぶ)」が気になるところだけれど竹風堂本店へ。
"栗おこわ定食" は、山菜煮物、にじます甘露煮、むかごのくるみ和えが添えられ、やっぱり酒が欲しい。  

 にわか雨が上がった小布施駅から、ここから湯田中もでは "特急スノーモンキー号" に乗車する。
地獄谷で温泉に浸かる "スノーモンキー" を称した先代NEXのカラーリングはながでんカラーと親和性がある。

信州中野から40‰の急勾配を登り切ると終点の湯田中駅は、湯田中渋温泉郷と志賀高原の玄関口になる。
特急の到着を待つ路線バスと旅館のマイクロバス、タクシーが入り乱れ、狭い駅前広場は一時の活況を呈す。

 松代藩の湯治場として、また善光寺に詣でた後の精進落としの湯として名を馳せたのが湯田中温泉。
今日は寛政年間から続く老舗旅館「よろずや」に投宿する。
お膳は、信州サーモン、信州手打ちそば、信州牛巻き蒸し、鮎塩焼き、と地物尽くしを堪能するのだ。


老舗旅館は純木造伽藍建築の「桃山風呂」と野趣あふれる「庭園露天風呂」がご自慢。
夕に朝に趣溢れる源泉掛け流しの風呂に浸かって、いつもと違うちょっと贅沢な長野電鉄線の旅なのだ。

長野電鉄・長野線 長野~湯田中 33.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
コバルトの季節の中で / 沢田研二 1976


渡瀬橋と織姫神社とデンキブランと 東武・伊勢崎線を完乗!

2016-08-06 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 太田駅から “特急りょうもう” に乗車する。浅草までは90分、乗客の大半は出張のビジネスマンのようだ。
6両編成は50%ほどの乗車率で太田駅を静かに滑り出して、東武鉄道呑み潰しの仕上げの旅は続く。

東武鉄道の最長路線で浅草をめざす。都会的な高架の伊勢崎駅は東武伊勢崎線とJR両毛線と分け合っている。
本線ではあるものの、特急の殆どは桐生線に流れてしまうので、太田までは各駅停車に揺られるのだ。

太田駅では新田義貞公が迎えてくれる。太田市は富士重工の企業城下町、日本を代表する工業の町だ。
高度経済成長期、安くてボリュームある「焼きそば」が工員さん達の胃袋を満たしたという。
今でも約80軒の焼きそば店が市内に点在し、この町のご当地グルメとして存在感がある。

     

駅から15分歩いて「もみの木」を訪ねる。ここのひと皿は、ジューシーな唐揚げを盛り付けてボリューミー。
近くに在る高校のラグビー部員の人気メニューだそうだ。

“特急りょうもう” の最初の停車駅は足利市、列車が近づくとオルゴール調の森高千里のメロディーが流れる。
渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ ♪ 駅前を渡良瀬川が流れ、モデルとなった橋が架かる。

 

渡良瀬橋を渡ると「足利織姫神社」がある。祭神は太古の昔より機織りを司る天御鉾命と天八千々姫命の二柱。
産業振興と縁結びの守護神は "恋人の聖地" として有名、8月7日までは「七夕まつり」で多くの恋人たちが訪ね来る。

 ふたつ目の停車駅・館林では「分福茶釜」の狸たちが迎えてくれる。群馬は秋蒔き小麦の産地であり、
県内いたるところで「うどん文化」が花開いている。ここに名店有り、駅前の「花やまうどん」を訪ねる。

     

“分福茶釜の釜玉うどん” は、昔話「分福茶釜」にちなみ、加盟各店がそれぞれの趣向を凝らして提供している。
こちらの一品、冷やしうどんに豚肉と大根おろし、濃口の醤油ダレをぶっかけて旨い。

 館林でほぼ満員となった “特急りょうもう” は 羽生で残った席を埋め、北越谷からの複々線を快調に飛ばす。
このまま浅草へと滑り込みたいところだが、曳舟から押上まで延びる1区間の支線を潰さないといけない。

     

この支線は東京メトロ半蔵門線へと乗り入れる都心へのゲートウエイ。終点の押上駅は半蔵門線の起点であり、
京成押上線と都営浅草線の起終点でもある。地上に出ると「東京スカイツリー」の天を突く深い青色が美しい。

浅草駅へは隅田川橋梁を渡り、半径100mの急カーブを15km/hの速度制限、車輪とレールを響かせて進入する。
東武伊勢崎線114.5kmの旅の終わりは、東武鉄道線の旅の終りでもある。

1931年、浅草雷門駅として開業した百貨店併設のターミナルビルは、日本のアールデコ建築と謳われた。
現在はネオ・ルネッサンス様式に再現されて、東武鉄道「呑み潰し」のゴールは美しくライトアップされている。

旅の終わりは多くの文豪たちに愛された「神谷バー」で一杯。店の代名詞とも云う “デンキブラン” で〆る。
優雅な琥珀色、ほんのりとした甘味、でっアルコール40度。こっれ調子に乗ったら大変なのだ。

東武鉄道・伊勢崎線 伊勢崎~浅草 114.5km
            曳舟~押上  1.3km 完乗 

<40年前に街で流れたJ-POP>
青春時代 / 森田公一とトップギャラン 1976