旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

駅そば日記 大宮「駅そば」

2022-08-31 | 旅のアクセント

 川越のさつまいも、深谷ねぎ、名産がゴロっと入ってボリューム満点のかき揚げをのせて “さいたまそば”。
汁を一口、そばを大掴みしてズズッと啜る。出汁は辛め、そばは可もなく不可もなしってところか。
辛めの汁は、かき揚げの油と野菜の旨味が沁み出してだんだんマイルドになっていく。この変化が楽しい。
何より、さつまいもとねぎが大きく食感があって美味い。なるほど「旨い駅そば大百科」に載るのも頷ける。

「駅そば」と云う名の駅そばスタンドは、京浜東北線が発着する1・2番線にある。独立系店舗の生き残りかな?
件の “かき揚げ” は、常盤軒の “品川丼” (かき揚げを蕎麦ツユに浸して丼めしに盛る)風にしたら売れると思う。
案外近くで美味い駅そばを発見して、大汗を書きながらも満足の大宮駅なのである。


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<40年前に街で流れたJ-POP>
NINJIN娘 / 田原俊彦 1982

 


大猷院と天然氷のかき氷と四季桜と 日光線を完乗!

2022-08-27 | 呑み鉄放浪記

 日光線に投入された新型車両(E131系)は、日光らしいレトロ調を継承しつつ、宇都宮で復元された
火焔太鼓の山車をイメージした黄色と茶色のラインを纏って、賑やかで高級感のあるデザインだ。

わたらせ渓谷鐵道を呑み潰した呑み人は、終点の間藤から日足連絡バスに乗って日光へやってきた。
日光を訪ねるとどうしても東照宮に足が向くのだが、今回は徳川三代将軍 家光公の廟所 大猷院を訪ねる。

仁王門を潜って次は、左に持国天を右に増長天が安置しているから「二天門」、扁額は後水尾上皇の筆だ。
巨大な門は陽明門を凌いで日光二社一寺では最大、「東照宮を凌いではならない」という遺言に違えている。  

さらに屈曲した階段を上ると、廟所を守護する四夜叉を安置した「夜叉門」を見上げる。奥に唐門がのぞく。
夜叉門の金色と燻んだ朱色には、新型車両の配色が親和しているのではないだろうか。

長いバス待ちの列を横目に、JR日光駅までの道のりはぶらぶらと歩くことにする。
大谷川に架かるのは二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の「神橋」ここから先は神々の領域だ。
神聖な橋はもっぱら神事・将軍社参・勅使などの参向に使用され、庶民は下流の仮橋を渡ったと云う。 

かつて神橋の傍を電車(日光軌道線)が走っていた。日光駅前から神橋、西参道、清滝を経て、終点の馬返しで
華厳滝や中禅寺湖への観光客をケーブルカー(当時)に繋いだ。東武日光駅に当時の100型電車が展示されている。 

 東武日光駅を横目に坂を下ると、淡いピンク色を配したルネサンス様式のJR日光駅が見えてきた。
重厚なエントランスを潜ると落ち着いた白と茶の世界、大正ロマンに溢れた白亜の洋館から日光線は出発する。

日光街道の杉並木に並行して、25‰の急勾配をE131系が駆け上ってきた。
県都宇都宮と鹿沼・今市・日光を結ぶ路線は、観光客の動線を東武日光線に譲っている。どちらかというと
通勤通学を含む生活路線のイメージ。勿論オールロングシートでそれなりに混んでいるから缶ビールはNGだ。

そうそう、大猷院から日光駅に向かう途中で田母沢御用邸正門通りの「日光珈琲」に甘ぁい寄り道をした。
太い梁が通った商家造りの店で、日光天然氷の “かき氷(とちおとめ)” を味わう。呑み人らしくないだろうか?
絹のように薄く削った氷が、イチゴの果肉と一緒にすぅっと優しく溶けてなかなかの美味なのだ。

19:02、864Mは勾配を駆け降りて宇都宮駅に終着する。直ぐ様家路を急ぐ乗客が雪崩れ込みそこに旅情はない。
駅前広場からバスに乗って、馬場通り・本町方面に向かう。今宵の酒場を探しに行くのだ。
宇都宮には3年半住んだけど、若い管理職として過ごした日々は仕事に明け暮れたので、この街の楽しいところ
美味しいところはまるで知らない。時あたかもビジネスマンに24時間闘うことを求めていた時代だからね。

 中心街のオリオン通りではアーケードに飲食店がテーブルを出して、まるで屋台のように賑わっている。
もちろんご同輩が目につくけど若者も多いなぁ。案外女の子のグループもグラスを傾けていて頼もしい。
ほんとは違う店に当たりを付けていたけれど、この「魚田酒場」の活気に誘われ、カウンターに席を求める。

生ビールをゴクリっとやってから気が付いた。黒板に書かれた刺身類には軒並み「売り切れ」の抹線、残念。
アテは “たぬき奴”、たっぷりの天かすをのせてポン酢の汁に浸かった冷奴がワサビを溶いて美味しい。

“四季桜” はご当地の酒、県産米とちぎの星を醸した純米酒はやや辛で濃醇、料理を選ばないタイプかな。
やっと見つけた刺身系は “太刀魚炙り” を択ぶ。塩を塗してよし、わさび醤油でよし、日本酒に合うなぁ。

“惣誉” は鬼怒川を挟んで市貝町の酒、辛口特釀酒は地元オヤジ晩酌の定番酒なれど山田錦を使っている。
きりっと冷やしても、燗をしてもいけそうだ。ボクは迷わず冷えたのを。これもどんな料理にも合いそうだ。
天汁におろしで “小柱と大葉のかき揚げ” をいただく、まったりした旨さを辛口でスッと流す。美味いね。

この時期は青春18きっぷの旅だから、1時間半かけて東京へと戻る。日光線の旅には延長戦が残っていた。
ボックスシートにほろ酔いの身体を収めて、宇都宮もまだまだ掘り起こしたい街だと思うのだ。

日光線 日光〜宇都宮 40.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
OK!マリアンヌ / ビートたけし 1982


JY11 山手線立ち呑み事情 立呑処でかんしょ@巣鴨

2022-08-24 | 大人のたしなみ

 猛暑と流行で、おばあちゃんの原宿は閑散としているのか思いきや、そんなことはない。
巣鴨地蔵通り(旧中山道)は地域の生活を支える商店街、夕餉のお惣菜を求める主婦や勤め帰りの人で賑やかだ。

巣鴨地蔵通り商店街から白山通りを渡って駅北側の裏通りに紛れ込む。
何もチェーン店(フランチャイズ店?)らしい3軒ある立ち飲み屋のうち、はじめましての店の引き戸を開ける。
50円券×22枚で1,000円のチケットを求めたら、今宵は “生ビール” と “マカロニサラダ” でスタート。
プハァー。こうした店では時として裏切られるけど、この店のジョッキーはキンキンに冷やされていて好感。

日本酒は「縛り」を決めて飲むんだけどラインナップは多くない。唯一3銘柄並ぶ「新潟淡麗」で攻めよう。
“越乃景虎” は栃尾の蔵、さすればアテは “あぶらげ” か!とも思ったけど、“厚切りハムカツ” に軍配。
飲み飽きしないすっきりした淡麗辛口は揚げ物にも対応してくれる。まったりした口をスッと流して美味しい。

いよいよ日が暮れると、赤提灯は誘蛾灯の効果を発揮して、次から次にご同輩が訪れる。これ位賑やかがいい。
テーブルの3分の1は腰を引っ掛けるバーがある半立ち飲み?3分の2はウイスキーのオーク樽に丸テーブルを
設えたもの、いい雰囲気だね。こちらは正真正銘の立ち呑み。勿論ボクはオーク樽で日本酒を舐めている。

“鶏もも” と “ししとう” を焼いてもらう。テーブルには一味しかないね。今後は八幡屋礒五郎を持参かな。
二杯目のお馴染み “八海山” は六日町の蔵、オヤジの晩酌の普通酒だけど贅沢に五百万石を磨いている。
これもまたスッキリと淡麗で料理のじゃまをしない。焼き物を口に放り込んではまた一口、美味いね。

ここで終わりにすれば良いのに “揚げ出し” をアテに “梅サワー” を一杯、口の中が甘ったるくなった。反省。
二冊目のチケットが捥がれたら潮時だ、家路を急ぐ人々に紛れて改札を潜る。それでは次回大塚界隈で。

<40年前に街で流れたJ-POP>
少女A / 中森明菜 1982


風を感じて! 黄花コスモスとZとマルゲリータと

2022-08-20 | 単車でGO!

黄色と橙色が入り乱れて、夏の終わりの高原に “黄花コスモス” の花畑が広がっている。
トップスの色に似ているから、はしゃいで花畑の中の小径にかけ込む彼女を見失いそうだ。

渋谷からR246を走ってきた。付き合いはじめの1,000kmは1速から6速まで満遍なく回したいからね。
県道151号に乗り換えて、富士の裾野を快適に駆け上がってくると、須走浅間神社の大鳥居にぶつかる。
ちょっと寄り道、手水舎の冷たい水で清めたら、二拝二拍手一拝、ふたりの旅の安全を祈る。

上空の雲は驚くほどのスピードで流れ、時々思い出したように青空がのぞく。富士山は見えない。
ドーン、ドーンと遠雷が聞こえる。雨か!一瞬の緊張。どうやら東富士演習場の砲音のようだ。

籠坂峠へのR138を駆け上る。右へ左へ深いカーブの内側に体ごと傾けて、だいぶ息が合ってきたね。
峠の下りは案外短くて、ほどなくT字路に突き当たるとそこは山中湖畔、ボクたちは左に折れて花畑をめざす。

やっぱりは “ひまわり” が好きなんだね。
藍色のリボンを飾った彼女の麦わら帽子が、微笑む “ひまわり” たちの合間に見えたり隠れたりしている。

白に赤、ピンクにオレンジ、それに黄、彩り鮮やかな “ヒャクニチソウ” の花畑は、まもなく見ごろを迎える。

彼女が花畑を去りたがらないのは、見えそうで見えない富士山のせいだね。
ちょっと今日は無理なようだね。そんなにがっかりしないで、また訪ねたらいい。

湖畔のピッツェリア、相変わらずビールテイストにこだわるボクを見て、半分呆れて笑っているね。
彼女のアイスティーは大きめのグラスに角氷、レモンよりも薄く切ったオレンジを浮かべると似合いそうだ。
テラス席で涼風に吹かれる。凪いだ湖上をスワンが滑っていく。それにしても “マルゲリータ” は美味しかった。

野外シアターでは、SWEET LOVE SHOWER 2022 というイベントが開かれているらしい。
ライトが激しく点滅し、アーティストが大音響で愛を叫ぶ。思わず顔を見合せ、ボクはちょっと照れくさい。

復路はR413を相模原へ下る。夏の終わりを感じさせる湖畔から、高度を下げるにしたがって猛暑が戻ってくる。
途中通り雨に降られた。焼けたアスファルトが冷やされる匂い、現実に引き戻されていくボクがいる。

<40年前に街で流れたJ-POP>
246:3AM / 稲垣潤一 1982


信州点描 Rue de Vin

2022-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

 薪ストーブの煙突を突き出して、小さなカフェレストラン・リュードヴァンはありました。
信州からの帰り道はいつも、代わり映えのしない高速道路を避けて、峠越えで風景と風を愉しんでいます。
今回は東御市から嬬恋村(群馬県)へ、百体観音が道案内をする地蔵峠(県道94号線)ルートを抜けます。

千曲川へと落ちていくなだらかな傾斜地は、かつては豊かなリンゴ農園だったそうです。
このワイナリーは、農業の担い手を失い荒廃していく農地に、葡萄の木を植え育て、ワインを造り始めました。

地味のことは解りませんが、上田を中心としたこの地方は、信州の中でも降水量が少なく日照時間が長いこと、
標高と盆地の地形が相まって寒暖差が大きい気候は、欧州系品種の栽培にも適していることは理解できます。

近年では個性豊かな個人ワイナリーが増えていて、千曲川ワインバレーとして様々な発信をしています。

     

カフェレストランには魅力的なランチメニューがありましたが、ホテルで遅い朝食を済ませたばかり、
っと云うことで、ワインをいくつか試してみることにします。あっ勿論私は今回もジュースで我慢なのですが。
青りんごとかパッションフルーツを想像させる香りが気に入ったとかで、“Sauvignon Blanc 2019”、それに
“Pinot Noir 2021” が今回の戦利品です。

ワイナリーでは葡萄畑も楽しんで欲しいと、アベニュー表示のような品種の案内板を立てたり、
ランチボックスとワインを楽しめるテーブルとベンチを置いたりして、なかなかステキな演出をしています。

標高740m、ピノ・ノワールの畑が広がっています、湿気に弱い品種だそうで、しっかり下草が刈られています。
ブドウたちはまさに「葡萄色」に色づき始めているところです。

標高790m、ソーヴィニヨン・ブランの畑は房が目立ち始めて、収穫に向けてたっぷり日を浴びています。
最上部は標高830m、ふたたびピノ・ノワールそれにメルローの畑が並びます。
葡萄畑からはなだらかな裾野を広げた蓼科山を望み、吹き上がってくる風が心地よく、楽しい寄り道です。

脚線美の誘惑 / THE SQUARE 1982


渡良瀬渓谷とやまと豚弁当と赤城山と わたらせ渓谷鐵道を完乗!

2022-08-13 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 あかがね色とアイボリーのツートンカラーを纏ったレールバスにコトコト揺られて大間々にやってきた。
わたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)は、起点の桐生から暫し両毛線を併走すると、赤い渡良瀬川橋梁を渡るのを合図に
大きく右カーブを描いて狭隘な渓谷へと入っていく。本社と車両基地のある4つ目の大間々までは15分の乗車だ。

大間々から足尾まで観光列車「トロッコわたらせ渓谷号」が走っている。
駅のホームには整理券に座席指定を受ける家族連れが並んでいる。このシーズンならではの賑わいだ。

DE10型ディーゼル機関車が4両の客車を牽引するスタイルは、なんとも昔ながらでノスタルジックだ。
家族連れには中間2両のトロッコ車両が人気だ。自然の風が吹き込んで子供たちの歓声か聴こえるようだ。
ボクは迷わず静かな一般客車のボックス席を〆る。旧国鉄急行型客車は青色のシート生地で垂直の背もたれ、
窓の下には大きめの台形のテーブルが張り出している。さすがに灰皿と栓抜きは付いていないなぁ。
お盆に祖父母の家を訪ねたり、日本海へ海水浴にいくときには、大抵こんな客車に揺られていった。 

 ボクはこれから1時間半、架空の、緑豊かな谷間の実家に帰省する旅人になって客車に揺られたい。
プシュ、ガクンと列車が動き出すのを合図に缶ビールのプルリングを引く。これはお約束なのだ。
冷房は効いているけど窓は開け放してしまおう。樹々の匂いに蝉の声、吹き込む風を全身に感じる。

予約しておいた “やまと豚弁当” の包みをひらく、自慢のしょうゆダレの香りが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。
モチモチの豚肉がビールのアテに消えてしまっても、ご飯には香ばしいしょうゆダレが滲みていて美味しい。

神戸(ごうど)駅を出ると列車は草木トンネルに侵入する。全長5,242 mは第三セクター鉄道では最長になる。
草木ダム建設によって水没する線路を付け替えたトンネルの高低差は約140m、草木ダムの堤体高さと同じだ。
ボクは座席を進行方向左側に移動する。トンネルを抜けると直ぐに鉄路は渡良瀬川を跨ぐからだ。

沢入(そうり)駅を出たら “赤城山” のスクリューキャップを切る。赤城山の伏流水を仕込み水にした淡麗辛口だ。
涼しげなガラスの酒器に注いだ辛口を、グイッと呑み干すごとに故郷は近づいてくる。

通洞駅到着のアナウンスが流れる頃、左手車窓いっぱいに「足尾銅山通洞選鉱所」の遺構が広がった。
江戸時代には日光東照宮の部材や寛永通宝の鋳造に使われ、明治に至っては近代日本の富国強兵政策を支えた
大鉱山である。負の遺産としての足尾鉱毒事件は社会科の教科書でも触れるところだ。

列車が足尾駅にたどり着く。今は使われている気配のない何本もの引込線が往時の賑わいを想像させる。
老体のDE10型に盛夏の登坂は堪えるのか、カバーを開け放してオーバーヒート気味のエンジンを冷ます。

土産を詰め込んだ大袈裟な紙袋を抱えて、ボクは1番線と駅本屋へ続く構内踏切を渡る。
今は無人になった改札を抜ける。待合室の白壁、磨かれた切符売り場の机、赤いポスト、何も変わっていない。
真夏の日差しに左手を翳す。3月に地元の高校を卒業した甥っ子は自慢のクーペで迎えに来ているだろうか。

 妄想の帰省を果たした呑み人は後続の普通列車で終点までの1区間を走る。呑み鉄旅は呑み(乗り)潰しの旅だ。
終着駅で折り返しの桐生行きを見送って、ノスタルジックなわたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)の旅が終わる。

わたらせ渓谷鐵道 桐生〜間藤 44.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP> 
涙をふいて / 三好鉄生 1982


JY10 山手線立ち呑み事情 立呑ひろし@駒込

2022-08-10 | 大人のたしなみ

 

 冷たい生ビールを喉が鳴るほどに呷る。美味い。大袈裟でなく生きているなぁと感じる瞬間だね。
ところがだ、山手線を立ち呑みで巡る10駅目、呑み人は大きな失敗をしてしまう。お作法を違えてしまうのだ。

旧岩崎邸庭園で最後のバラを鑑賞して16:00、満を持して開店時間、駅から1分のその店に飛び込む。
詰めれば20人ほどが立てそうなカウンター、ところどころ破れて年季が入った大きな提灯が迎えてくれる。
入り口付近にご同輩、奥のテレビの下を陣取るのは2人の若衆、どちらも勝手を知ったご常連然としている。

スターティングメンバーの4人に一杯目が行き渡る。すると「今日はいい枝豆があるよ」っとマスター。
湯気が立つ大皿をカウンターの上段に載せる。「じゃ私いただこうかな」とご同輩、「こちらも」と若い衆。
昨晩 “黒崎茶豆” を贅沢した呑み人にヒットしない。「私は冷や奴を」マスターの表情は少し曇った気がした。

二杯目の “梅しそバイス” を呑みながら、短冊で気になった “お袋の玉子焼き” を注文、これダメ押し。
「皆さんに飲み物出せなくなっちゃうんだよね」とマスター、今度は声に出た。やっやってしまった。

開店から30〜40分、ママ?がお出ましになる。
お作法はきっとこうだ。開店から1時間はマスターのワンオペだ。だから調理場に入らなくていいように、
日替わりのお奨めの一品を用意する。客は予定調和的にこの一品で繋ぎながら、一杯目二杯目を楽しむ。
ママがカウンターに入ったら、晴れて焼き物揚げ物のオーダーが解禁になるって感じだ。

一見の余所者が人気のスタンドのリズムを崩してしまったか、酒呑道を求道する者としては悔いの残る呑みだ。
“牛タンつくね” を齧りながら、お代わりの “中” を飲み干したら、せめてキレイに席を辞そう。
ごちそうさまでした。通勤ルートにあったら通いたい好感のお店です。それでは次回巣鴨でお会いしましょう。

<40年前に街で流れたJ-POP>
ねじれたハートで / 桃井かおり&来生たかお 1982
     


風を感じて! ひまわり畑とZと渚橋のコーヒーショップ

2022-08-06 | 単車でGO!

中央環状線の長い暗闇を抜けると、真正面から真夏の朝日に射られる。
反射的に左手を翳して「どこまで走るの?」と彼女。
何本もの赤い巨大なクレーンと、色とりどりのコンテナを見ながら湾岸線に合流する。

「湘南の海を見ながらコーヒーを飲もう。」 若い頃のボクなら決してこんな台詞は口にしない。
左手には何本もの新幹線のぞみが生真面目に整列している。

「モーニングコーヒーのために走るの?楽しいのね。」
高度を上げていく銀色の機体が、広げた翼いっぱいに朝日を浴びて、キラッと光った。

「火星の基地みたいね。」 時折、彼女は不思議な発想をする。
人工島に広がる緑の森から、オレンジとホワイトで塗られたチェックの巨大なサイロが何基も生えている。
まるで尖塔のような煙突が幾つも天を突き、それら構造物をあたかも血管のように錆びたパイプが繋いでいる。
このコンビナートのことを言っているのかな?
湾岸線はコロニーの上を飛び去って、やがて横浜ベイブリッジに差しかかった。

逗子インターから続くランプウェイの急カーブ、右に左に車体を傾けるとそのまま逗葉新道に吸い込まれる。
トンネルを2本潜る。R134となった道路が海に出会う渚橋交差点を左折すると、そのコーヒーショップはある。

エスプレッソマシーンで淹れたコーヒーがテラスに薫る。
シュリンプとタマゴそれにフレッシュトマトのクラブサンドイッチをシェアして、ボクたちの朝食だ。
遠くに見える江ノ島を遮るように、カラフルなセイルたちが海を滑っていく。

「近くにね、ひまわりが咲く丘があるの。今頃キレイだと思うわ。」
パーキングを出るタイミングで彼女がつぶやいた。
左に点滅していたウインカーを右に出し直す。冷静を装って。ボクたちは三浦半島を南に向かう。
「詳しいんだね。誰と来たの。」もちろん台詞の後半は飲み込んだままだ。

<40年前に街で流れた J-POP>
SPARKLE / 山下達郎 1982

Hearts / The Square 1982


旅先のひと皿 上野広小路「ヒレかつ」

2022-08-03 | 旅のアクセント

 11:30の開店に合わせて、名店・井泉に飛び込む。とりあえず男は黙ってキリンラガーを呷る。
「お箸できれるやわらかいとんかつ」が、創業明治5年(1930年)のこの店のキャッチフレーズ。
やわらかくしたのは、一説には花柳界の芸者衆が小さな口でも食べ易すくするためだとか。 

ビールのアテに和がらしたっぷりにジューシーなヒレを口に放り込む。甘辛なソースもいいね、美味しい。
グラスが空になったら、あったかいご飯とサクサクとした食感を楽しむ。具だくさんの豚汁と一緒にね。
銀座線でぶらりと巡る東京、ビルの谷間にある老舗の味を堪能する休日のランチが愉しい。


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<40年前に街で流れたJ-POP> 
ハイティーン・ブギ / 近藤真彦 1982