旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

北国街道紀行6 善光寺宿~新町宿~牟礼宿

2013-09-28 | 北国街道紀行

「善光寺宿」
 残暑厳しいこの日善光寺に戻ってきた。これから新町宿を経て牟礼宿をめざす。

北国街道は善光寺を正面に見て上ってくると本陣の先参道入口で右手に折れる。
この交差点に長野の道路元標がある。振り返ると宿場のあった通りを一望できる。

 街道はこの角も含めて右左右左と4回鈎状に折れて宿場を出て行く。
勾配も上下上下上とその度に変化し複雑な造りになっている。

 

二つ目の角、西宮神社は恵比寿様が祀られ、暮れのゑびす講の夜は大変な賑わいとなる。

 

四つ目の角を折れると一里塚跡に柏崎地蔵が鎮座する。謡曲「柏崎」にちなんだものだ。
街道はここから長く緩やかな右カーブを続け北から東へと進路を変えていく。
時折格子のある古い家が現れて街道筋の面影を見せてくれる。

 

左手に大きな古木が茂る吉田神社、ここには全国六十八の「一の宮」の石祠が祀られている。
お砂踏みのようなご利益があったのだろうか。さらに500mほど信濃吉田駅付近を左に折れる。
角には角源という古からの商店がある。

 

「新町宿」
 北に進路を変えた街道が浅川を渡った辺りからが新町(あらまち)宿。
稲積・徳間・東条の三村一宿で月を上中下旬で分けて役割を担ったそうだ。
遺構は残っていないが、本陣を兼ねた稲積の問屋吉田家の敷地に辛うじて案内板がある。
本陣問屋の先500mほどで飯山道との分去れになる。
道標には「右いひ山なかの志ふゆくさつ道、左北國往還」とある。
「右は飯山・中野・渋温泉・草津温泉へ」とは現代の道路案内にも負けない情報量であり
観光案内ではなかろうか。

蚊里田八幡宮の鳥居辺りから街道は長野盆地を抜けるための丘陵越えの勾配となる。
この先所々道の両側に石垣積みのある箇所があり、すれ違いのできない幅員になって、
本来の北国街道の道幅を感じることができる。
さて蚊里田神社は男根石を神体としているので、花街からの参詣者が多かったとされる。

左右にりんご畑が広がり始める。品種によっては真紅に色付いて収穫の日を待っている。
明治天皇北陸巡幸の小休所には飯山城の薬医門が移築されている。

田子神社裏に清水が湧く。田子清水を利用して街道には茶屋が建ち八軒の造酒屋があった。
先ほどの小休所に供せられたのもこの湧水だ。さらに北側には田子池という溜池がある。
この
辺りに東山道支道の田子駅があったと言われる。

 丘陵越えのピークに三本松がある。県道の交差点も三本松だ。
江戸に奉公にでる15才の一茶を父親が柏原宿からこの辺りまで送ってきたとされる。
“父ありて明ぼの見たし青田原” の句碑が刻まれている。

 

 街道が丘陵を下ると眼前に北信五岳(飯綱・戸隠・黒姫・妙高・斑尾)の眺望が広がる。
四ッ谷一里塚は一対が残る。東塚は民家の裏、西塚はりんご畑、所有者は牟礼神社だ。

 

「牟礼宿」
 牟礼宿は鳥居川の谷にある。街道は信越本線・R18と再会する。段丘を降りる坂がきつい。
信越本線のガードを潜り八蛇川の橋を渡ると桝方になっていて牟礼宿となる。

 

牟礼宿は約600mほどのほぼ直線で広がっているが古い遺構は殆ど残っていない。
鎌問屋をしていた山本家が卯建を揚げる幕末の建築を残しているくらいだ。
牟礼宿は鉄道建設に反対し駅は500mも離れて設置された。これも衰退の一因だ。

     

牟礼宿本陣は飯綱町(旧牟礼村)役場辺り、その敷地は旧国道18号線が横切っている。
牟礼宿付近は一里一尺、つまり4km進むごとに積雪が30cm増えると言われる豪雪地帯。
役場前交差点の信号機は積雪の負担を減らすため縦型になっている。
本陣跡裏の高台には牟禮神社が鎮座し、境内には上杉景勝の制札が残る。
「善光寺宿」から「新町宿」を経て「牟礼宿」までは13.7km、約3時間30分の行程だった。


休日はローカル線で 中山道の宿場と大正浪漫とハヤシライス

2013-09-21 | にいがた単身赴任始末記

 恵那駅付近の中央本線は旧中山道に並行し、駅から10分、大井宿本陣門が残っている。
明智鉄道はここ恵那駅から分岐して悲運の名将明智光秀生誕の地まで走る。
鉄路はのっけから急勾配を往く山岳路線で尾根をふたつも越える。

明智は「歴史と伝統が感じられる大正ロマンのまち」として町おこしに力を入れる。

情緒溢れる黒塀の路地、役場、郵便局、駄菓子屋などが残り漫ろ歩きが楽しい。
辻の向こうから袴姿の女学生が現れそうだ。

明智の美味いもんは大正ロマンだけに "ハヤシライス" だそうだ。
日本大正村浪漫亭でこの町並みを眺めながら食べると感じるところがある。


休日はローカル線で 郡上八幡城と元文と鶏ちゃん

2013-09-14 | にいがた単身赴任始末記

 始発列車に揺られて2時間10分の北濃駅は静かな終着駅だ。
西側の尾根にトンネルを穿てば、僅かな距離で過日完乗した越美北線の終点九頭竜湖駅だ。
時代はこの路線の完成を必要とせず越美南線は第3セクターの長良川鉄道になった。
鵜飼で有名な清流長良川もここでは源流に近い。

折り返しの08:52発で美濃太田をめざす。
停車中のひと時、運転手と鉄道マニア達に談笑の輪ができる。
定刻、列車は北濃駅を出発する。かなりの下り勾配を長良川と絡みながら走っていく。

単行気動車に揺られて30分、清流と名水の城下町は「郡上おどり」で有名な城下町。
早速シンボルの郡上八幡城に登る、生憎天守閣は雨に煙っていた。

八幡山を下りて「日本名水百選」宗祇水を訪ねる。
その名は室町時代に訪れた連歌の宗匠・飯尾宗祇に因む。

郡上八幡の旨いものと言ったらやはり鮎か。町中の川でも鮎釣り人の姿を見かける。
古い町並みの所々で塩焼きの香ばしい匂いが漂っている。

この地方の郷土料理である鶏ちゃんは、タレに漬け込んだ一口サイズの
鶏肉をキャベツ、タマネギ、ニンジンなどの野菜と鉄板で焼いたもの。
郡上の地酒「元文」とともに美味しくいただいた。

郡上八幡駅に戻って旅を続ける、お供は相変わらず長良川の急流だ。
雨天にもかかわらず、沢山のカラフルなラフティングボートが飛沫を上げて下っていく。
ワインレッドの気動車は80分をかけて美濃太田駅に滑り込み長良川鉄道の旅は終わる。


休日はローカル線で 木曽路とあんかけパスタと五味饗宴

2013-09-07 | にいがた単身赴任始末記

 中央本線で信州に抜ける前に腹ごしらえ、今回は未知の "あんかけパスタ" を選んだ。
レジャービル3階の「あんかけ亭」で、店の娘に薦められた玉子ベーコンを注文する。
旨い!って程のものではないけど、きっとまた食べたくなりそうな名古屋めしだ。

名古屋から中津川行の快速に乗車。鶴舞・千種・大曽根と市街地を抜ける。
多治見辺りまで来ると山裾が迫ってくる。
中津川駅のホーム先端で進行方向を望むと山山、なにしろ中津川は馬籠の入口だ。

 バトンを継いだ17:00ちょうどの松本行きは2両編成、しかも塩尻まではワンマン運転。
この間は特急の方が多いローカル区間だ。幾つかトンネルを抜けると木曽川と出会う。

それを合図に冷酒のキャップを切る。はざま酒造の「五味饗宴」は中津川の地酒だ。
南木曽・木曽福島・藪原・奈良井と木曽路を進む。夕暮れどきの風景は殊更郷愁を誘う。
洗馬を過ぎると2両編成は、松本盆地の開けた視界に飛び出して行く。
車窓の左右にぶどう畑が広がると、まもなく塩尻に到着だ。

木曽路の女 / 原田悠里


休日はローカル線で 葡萄畑と甲州ワインとバケットサンド

2013-09-04 | にいがた単身赴任始末記

週末の中央本線を走っている “ホリデー快速ビューやまなし号”。
その名前から想像する車内の雰囲気に甘えて、朝から500ml缶を持ち込む。
お供はプルコギ風の焼肉弁当だ。

勝沼ぶどう郷駅に途中下車する。葡萄畑の中建つワイナリーのような駅舎だ。
後続の特急が停車し、多くの観光客がワイナリーへのシャトルバスに乗り込んでいった。

乗り継いだ松本行きは甲府で20分停車する。駅ビルに冷えた甲州の白を探しに行く。
バケットサンドとハーブチキンサラダも仕込んだら八ヶ岳を見ながらのランチだ。

ハーフボトルが空く頃に塩尻駅に到着。
先日乗車した名古屋~塩尻間と併せて東京~名古屋がつながった。

旧線の塩尻~辰野は約20分の乗車で短い2両編成が走る。
4駅間のシャトル運転で今や完全な支線扱いだ。

辰野~岡谷間は実質上飯田線の一部のような運用をされている。
ホームに滑り込んでくる岡谷行きはJR東海の車両、乗務員交代が行われる。
2駅11分を走ると終点の岡谷駅。降り出した雨が俄かに強くなった。