旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

鶴山城とそづり鍋と加茂五葉と 津山線を完乗!

2022-02-26 | 呑み鉄放浪記

 羽田から始発便に搭乗して岡山へ飛ぶ、期限の迫ったマイレージを消費するにはちょうど良い距離だ。
JR西日本は利用者が極めて少ないローカル線について、線区ごとの収支を公表する方針を明らかにした。
今後廃止の是非も議論もされる事だろうから、中国山地を縦横するローカル線は早めに呑み潰したい。

岡山駅前では遥か彼方を見据える桃太郎の凛々しい姿に出会える。もちろん三獣のお供を傍に侍らせて。
9番線10番線は非電化の津山線と吉備線が乗り入れて、タラコ色の国鉄型気動車がローカル線の旅を演出する。

大袈裟にエンジンを唸らせてタラコが動き出す。車重の割に非力なエンジンに、走り出しはあくまでも鈍重だ。

岡山のベットタウンらしい車窓も三つ目の玉柏駅あたりまで。その先は旭川の谷に分け入っていく。

宇甘川に架かるガーター橋を鳴らして、対抗の「快速ことぶき」が金川駅に到着する。
岡山〜津山を速達する列車名は、福渡・神目・亀甲・金川・誕生寺など縁起の良い駅名が並ぶことに由来する。

車窓のお供はJR西日本プロデュースの “岡山白桃 CHU-HI”、みずみずしい香りとほのかな甘みが美味しい。

縁起の良い “亀甲駅” で上り列車と交換、やはりキハ47系、タラコ色の2両編成だ。
かつては日本中を駆けまわったキハ40系列もJR東日本・JR東海では見ることがなくなった。
ボックスシートをに幅広の窓枠、呑みながらの鉄道の旅にはうってつけの、旅情いっぱいの車両なのだ。

 津山駅は中国山地の交通の要所、津山線、因美線、姫新線がクロスしている。
蒸気機関車の時代には多くの国鉄職員を抱え、鉄道の町として栄えていただろう事は想像に難くない。

駅前のC11-80号機は、軍靴の音が近づきつつある昭和10年、瀬戸内海に面した笠戸で生まれた。
松山配属から、備後十日市(三次)、津山、会津若松と転配した後、車齢40年で廃車となった。
今では第二の故郷とも云える中国山地・津山の顔になっている。

 駅を背に北へ10分も歩くと津山城址に至る。表門から高さ45mの石垣と備中櫓を見上げる。壮観だ。
津山城は森忠政(森蘭丸の弟)が鶴山に築いた平山城、明治の廃城令で天守をはじめ建造物は取り壊された。
明治初頭の写真を見ると津山城がいかに壮麗であったか知ることができる。今では石垣に感じるのみだ。

聳える石垣を右に左に巡って天守台に立つと城下を一望に見下ろし、覗き込むと脚がすくむほどだ。
天然の断崖に吉井川と宮川を回らせて、関ヶ原後の城でありながら、その堅牢な造りを想像すると圧倒される。
もう半月もすると城山は、1,000本もの咲き誇る桜に包み込まれる事だろう。いずれ桜の季節に訪ねてみたい。

 旅の終わりは “そづり鍋” で一杯。
このB級グルメを食べたくて、ランチ営業をしている居酒屋に電話をしたところ、Dai黒さんが応じてくれた。
“加茂五葉” は津山の蔵・多胡本家酒造場が日本晴で醸す純米酒、硬派なやや辛が鍋や肉料理にも合いそうだ。

牛の骨からそずり(削り)おとした作州牛を、醤油ベースの甘辛な割り下で野菜やキノコそして豆腐と煮込む。
澄んだ汁、とろとろに煮込まれたそずり肉、アクセントに散らした唐辛子、あっさりとして美味しい。
鶴山城下で美作の美味い酒肴を堪能して津山線の旅は終わる。まだ日も高いから午後は鳥取をめざそうと思う。

津山線 岡山〜津山 58.7km 完乗

唇をかみしめて / 吉田拓郎 1982
     


駅そば日記 藤沢「大船軒」

2022-02-23 | 旅のアクセント

 ここは藤沢なのに「大船軒」ってこれ如何に。
3・4番線の階段下にある古びた蕎麦スタンドは、ちょっと屈まないと入れないほど窮屈な造りになっている。
これまた冬の限定メニューだと云う “豚肉入りけんちんそば” は根菜たっぷり、見るからに温まりそう。
薄切りの豚肉と多めのそばを割り箸で掴んで大胆に口に運ぶ。ズズッと啜るとほのかに柚子の香り。美味い。

このホームで年季の入った蕎麦スタンド以上に目立つのがKiosk、初代湘南電車80系が小田原方面を向いている。
3扉両開きの電車がデビューする1960年代中頃まで、東海道本線の主役として東奔西走していたはずだ。
ボクの子どもの頃、信州では東海道本線で役目を終えた80系電車が走っていた。とても懐かしいなぁ。
さてっと、東海道本線を下ったら、次はどの駅に蕎麦スタンドがあるのだろうか?


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愛をください / 河合奈保子 1982


西新井大師と草だんごと炉ばたの一杯 東武大師線を完乗!

2022-02-19 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

単線のホームに8000系の2両編成が収まると、わずか1km所要2分、大師線の短い運行が終わる。

小さな門前の町に突っ込んだような駅を降りると、表参道まで達するのは造作もない。
両脇の金剛力士像が睨みをきかす山門前、左右の “草だんご” の店から呼び込みの声が掛かる。

酒場の提燈が灯るまではまだ時間があるから、たまには甘味もと門前の一軒に吸い込まれてみる。
つぶ餡をたっぷりのせた “草だんご” 一皿、ほどよい甘みとよもぎの香り、抹茶を傍に美味しくいただいた。

西新井大師にはいたるところに梅が植えられて、見ごろを迎えた紅梅白梅が芳しい香りを漂わせている。

五智山遍照院總持寺という真言宗豊山派の西新井大師、弘法大師が護摩祈願によって枯れ井戸から
清らかな水を湧かせ、悪疫流行から村人を救ったと云い、それが「西新井」の地名の由来らしい。

東武伊勢崎線の西新井駅、西口駅ビルのショッピングセンターはシャッターを降ろし寂しい風景だ。

1番線から発車した8000系2両編成は、伊勢崎線の複々線を離れて短いひとり旅に出る。

左へ大きくカーブを切ると針路を真西にとって、まだ弱いけれども午後の日差しが眩しい。
2両編成はするすると高架に上がる。大師線はローカル線とは云え、踏切が存在しないハイスペックな路線だ。

唯一のシグナルが大師前駅進入を示す黄色を点している。よく見るとこのシグナルには青色(進行)がない。

伊勢崎線の西新井駅と東上本線の上板橋駅を現在の環七に沿って結ぶ計画であった西板線であるが、
昭和初期に路線予定地が急速に市街地化ことにより、ついぞ荒川を渡ることは叶わず未成線となった。
西新井大師参詣者の輸送を目的として、1区間だけ開業したのが現在の大師線なのだ。

広すぎるドーム場のホームを金剛力士像が見下ろしている。このスクリーン、なかなか格好いい。
大師前駅には券売機も精算機も改札すら設置されていない。その機能は西新井駅の乗換通路にあるからだ。

駅前に赤い提燈を揺らして大衆ろばた焼きがある。焼き台をL字に囲んでご機嫌なカウンターがある。
掘りごたつ風の小上がりでは、すでに叔母様たちの女子会が盛り上がって、地元の方々で盛況な様子だ。

背後の喧騒はよそに、まぐろと平目の “刺し2種盛り” を肴に、今宵はホッピー(白)ではじめる。
「つきじ」を名乗るだけあって、ろばた焼きの店とは云いながら、なかなか美味い刺身を切ってくれる。

「なか」のおかわりを頼みながら、“厚揚げ” と “ナス” を焼いてもらう。しょうが醤油を垂らして美味しい。
地酒は置いていないのだが、300mlの冷酒が千歳鶴の吟醸酒 “開拓時代” であった。
北海道の酒ならばと、短冊から “いくらおろし” を択ぶも切らしている。昨今イクラは高騰しているからね。
然らば代わりに “明太子おろし” を。ひょんなことから札幌と福岡のコラボレーションを愉しんでいる。

地元の方々であらかた席が埋まった6時過ぎ、一見の余所者はそろそろ席を辞するころか。
短い短い大師線の旅は西新井へ折り返す2両編成に2分揺られて終わる。今宵美味しい大師さま門前の一杯だ。

東武鉄道・大師線 西新井〜大師前 1.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
YES MY LOVE / 矢沢永吉 1982


駅そば日記 大船「濱そば」

2022-02-16 | 旅のアクセント

 大船だけど「濱そば」ってこれ如何に。この店は蕎麦スタンドと云うより小綺麗なファストフード店だ。
冬の限定メニューだと云う “イカと紅生姜のかき揚げそば” のボタンを押す。っと程なく温かい丼が着丼する。
ネギを絡めてズズッと啜る。かき揚げはイカの歯応えとピリッと紅生姜がアクセントになって美味しい。

子ども連れ、老夫婦、若いカップルに鉄ちゃん?、休日の駅そばは明らかに客層が違うね。興味深い。
さてこの後、横須賀で昼呑みか、小田原でおでんか、沼津まで伸ばして海鮮を食すか。あれこれ悩む乗換駅だ。


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夢見るSeason / 伊藤つかさ 1982


天神さまの梅と餃子とスカイツリーと 東武亀戸線を完乗!

2022-02-12 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

黄色のボディーに橙色の帯を纏って、なんとも派手な8000系2両編成が曳舟駅の5番線から走り出す。
亀戸線は3.4kmを10分毎にシャトルしている。所要は7分だから折り返し時間は3分、のんびりしていられない。

駅を出ると曳舟川通りを跨ぐ。見上げる先にはスカイツリーが聳えている。
短い亀戸線の旅は、下町の家並みの合間からスカイツリーを仰ぎながらの車窓になる。

下町の地上に敷かれた亀戸線は踏切が多い、直線区間のずっと先までシグナリングが点灯している。

鉄路が丸八通りに寄り添い緩やかに左カーブすると東あづま駅、ここで上り下りの電車が行き違う。

反対方向から走ってきたのは、橙色のボディーに黄色の帯、これまたド派手な車両ですね。

 

東あづま駅と亀戸水神駅の間で北十間川を渡る。遮るものがないこの辺りからのスカイツリーの眺めは良い。
風がない日には、川に映る逆さスカイツリーが楽しめるポイントでもある。

2両編成が徐行しながら急カーブを曲がると終点の亀戸は近い。
レールと車輪がキーンキーンと高い音を響かせて通り過ぎる。モーターから焦げたオイルの匂いがするね。

橙色の帯を纏った黄色の電車は、駅ビルに突き刺さるかのように亀戸駅に執着する。乗車時間は僅かに7分だ。

亀戸は「梅まつり」の季節を迎えている。
亀戸天神社を訪ねる。鳥居の「朱」紅梅の「紅」ツリーの「銀」、色彩と新旧のコラボレーションが良い。

太鼓橋(男橋)を渡ると梅の香りが漂ってきた。白梅が見頃を迎えている。

参拝の列が途切れない本殿前の梅はまだツボミ、梅の周りには合格祈願の絵馬が満開になっているね。

名店「亀戸餃子」を訪ねる。ここはひたすら餃子だけいただく、ビールと餃子は最強の組み合わせだと思う。
オーダーは二皿縛りで、姐さんがタイミングを見て二皿目を重ねてくれる。和がらしを付けるのが亀戸流だ。

三皿めに合わせて “老酒” をいただく。芳醇な香りを愉しみながら、短い短い亀戸線の旅を締めるのだ。

東武鉄道・亀戸線 曳舟〜亀戸 3.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
言葉にできない / オフコース 1982


駅そば日記 柏「喜多そば」

2022-02-09 | 旅のアクセント

 構内放送が「水戸方面からの特急が強風の影響で10分遅れ」と叫んでいる。北風が冷たい。
日中の緩行線は10分間隔、吹きさらしのホームで身体も冷えたから、っと階段下のスペースに潜り込む。
1・2番線には国鉄時代からの「喜多そば」が健在だ。(3・4番線は「いろり庵きらく」に代わっている。)

ここは “かしわ” だけど “鴨そば” を択ぶ。茹で上げたそばに汁をかけたら、薄い鴨肉を5枚並べて着丼。
鴨南蛮の雰囲気を味わって470円なのだから、なかなかのコストパフォーマンスだと思う。
先ずは甘じょっぱい汁を一口、温まるなぁ。一枚の鴨肉とそばを割り箸で大胆に掴んでズズッと、美味しい。
人心地ついた頃合いに各駅停車が入ってきた。空いたシートに身を委ねても、マスクの中はそばの余韻だ。


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sexy気分の夜だから / 嶋大輔 1982
     


流星と幸谷なのはと笑顔がいちばん 流鉄・流山線を完乗!

2022-02-05 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 警笛を響かせて、オレンジの車体にブルーフェイスの「流星号」が大きなカーブを描いて現れた。
前照灯下のステンレスが特徴的な表情は、ずいぶん短くなっているけど西武鉄道を走っていた車両に違いない。

流鉄・流山線は世が大正に代わった頃、すでに開業していた常磐線馬橋から流山まで5.7kmを結んだ。
古い木造の屋根を載せた馬橋駅のプラットホームから、赤いボディーの「あかぎ号」に乗って流山を目指す。

流鉄は頻繁に軽い警笛を鳴らせて走る。よく見ると公園や沿道で手を振る子供たち応えているようだ。
運転士は可能な限り白い手袋の左手を低く振っている。地元の足として住民に愛される鉄道の姿を知る。

 波打つ線路に悪戦苦闘するように「あかぎ号」は上下左右に大袈裟に揺れる。さして速度は出ていない。
左手にイトーヨーカ堂の白い箱が見えてくると平和台駅に辿り着く。ここで途中下車したら町歩きが始まる。

西に5分も歩くとお椀を伏せたような小山が姿を見せる。この小山に流山の地名由来となる面白い伝説がある。
上州赤城山が噴火したときに、土塊がここに流れ着いたとされ、“山が流れてきたから流山” という訳だ。
山頂には赤城神社が祀られ、山門に長さ6.5m、太さ1.5m、重さ500kgの大しめ縄が氏子により奉納されている。

流山市の名産である “白みりん” の製造は明治時代から行われ、以来200年、この地を発展させてきた。
流山キッコーマン工場の壁面は、白みりんの歴史的資料を掲示する「まちなかミュージアム」になっている。
工場までは緩いカーブを描いて引き込み線の跡が残っている。製品の輸送に流鉄が役割を担ってきた訳だ。

 このまま「流山本町のまちなみ」を北上するのもいいのだけれど、流鉄も完乗しなければならない。
っで平和台駅に戻って最後の一区間を乗車する。タイミングよく踏切が鳴り始めて「なの花号」が入ってきた。

600mの短い直線を揺れて「あかぎ号+なのは花号」の混成が流山駅に終着する。
駅の奥は検車区で、今日は運用されていないピンクの「さくら号」にグリーンの「若葉号」が休息をとっている。
なんだかこのカラーラインナップは、子ども達が夢中になる戦隊モノをを彷彿させるのだ。

 江戸時代から江戸川の水運やみりん醸造業で栄えた流山には、明治期に建てられた町家や土蔵が点在する。
一帯は流山本町としてレトロな情景を醸し、登録有形文化財はギャラリーやレストランとして町並みに溶け込む。

     

散策前の腹ごしらえに駅近くの「小西屋」を訪れる。
なんてことはない町の蕎麦屋さんなんだけど、店外に二組が席待ちをしていて期待が高まる。

お隣のテーブルを盗み見て択んだ “大ざる” は、せいろに峰を誇ってたっぷりと海苔を散らす。
二割五分・七割五分のそばは、案外香りもあり喉越し良く、美味しいそばでした。半分までは。

パンパンの腹を抱えて町並みを巡る。万華鏡ギャラリーとなった寺田園茶舗の見世蔵、イタリアンレストラン
に生まれ変わった丁子屋、恵比寿と大黒天の鬼瓦を載せた呉服の新川屋、どれも魅力的で味のある建物だ。

近藤勇ら新撰組が屯集した陣屋跡、小林一茶寄寓「天晴みりん」の秋元本家跡をめぐって江戸川堤防に上がる。
くっきりと筑波山のシルエット、春は菜の花で埋まる堤防も、今は冬枯れて乾いた北風が吹きさらすのみだ。

 これは地酒と云うのだろうか、町並みの外れ「かごや商店」を訪ね “笑顔がいちばん” を求めた。
どうやらここに蔵はなく、神崎町の鍋店神崎酒造蔵に造らせているらしい。いわゆるOEMになるのかな。
いずれにせよ、ロングシートの流鉄では300mlを開けるに憚られる。純米吟醸は家に帰ってのお楽しみなのだ。

 沿線では最も賑やかそうな幸谷駅に降り立って初めて気がついた。ここはJR新松戸駅に隣接している。
常磐線、武蔵野線、流鉄が交差する駅前は小さな市街地を形成している。今宵はこの辺りで酒場を探そう。

ロータリーから常磐線に沿って南へ2分ほど歩くと「丸昇」の紅い提灯が揺れている。
お通しの “ひじき煮” を抓みながら生ビールを呷っていると “インドまぐろ” が登場する。
口に含むとトロッと蕩けて美味しい。なにしろ切り身の朱というか赤というか、鮮やかで美しい。

地酒のラインナップはみちのくの蔵を並べている。この沿線は東北から出てきた方が多いのだろうか。
先ずは由利本荘の “天壽” を択ぶ。この蔵は由利高原鉄道を呑み潰した夏、終点の矢島の町で訪ねている。
冷でよし燗でなおよしの旨口純米酒で、“タラの芽の天ぷら” の春の苦さを愉しむ。旨いね。

“ねぎま” をタレで焼いてもらったら丁寧に七味を振りかけて、ジュワッと鶏とネギの旨味が広がる。
二杯目は吟醸王国やまがたは鶴岡の酒 “大山”、さらりとした口当たりの特別純米は引き立て上手な食中酒だ。
6時をまわって、次々に引き戸を開ける常連さんでカウンターも埋まってきた。一見さんは引き時か。
最初で最後かもしれない幸谷(新松戸)呑み、案外魅力的な酒場が点在して、ご同輩が杯を傾けているのだ。

流鉄・流山線 馬橋〜流山 5.7km 完乗

い・け・な・い ルージュマジック / 忌野清志郎 + 坂本龍一 1982
     


駅そば日記 宇都宮「野州そば」

2022-02-02 | 旅のアクセント

 7・8番ホームに昔ながらの蕎麦スタンド、出し汁の匂いに誘われてついつい券売機のボタンを押してしまう。
“山菜そば” を択ぶ。ワラビにタケノコ、そばと対極にあるその食感も楽しみながら春を先取りした気になる。
冷え込むこの時期、ワンコインで身も心も温まる一杯、おまけに旅情も演出する立ち喰いそばが好きだ。

在来線ホームに唯一残った4号店、新幹線高架に覆われた薄暗い階段下で「野州そば」のサインが浮かび上がる。
JR東日本フーズにまとめられて、すっかり独自色が失われたメニューラインナップがちょっとさびしい。
下野国の異称「野州」を冠するんだから、栃木ならではの尖ったメニューがあれば再訪するんだけど。
頑張って欲しいなぁ。3年半を暮した宇都宮にはそれなりの思い入れがあるのだ。ごちそうさまです。


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ラブ・ミー・テンダー / 松本伊代 1982