旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

水曜日は家呑み派 「夏純」

2021-06-30 | 日記・エッセイ・コラム

 “夏純” ってチャーミングな名前でしょう。木曽の酒・七笑、夏の限定種なのだ。
アテは豚バラ肉をさっとゆでて “豚しゃぶサラダ” の出来上がり。煎りごまドレッシングがいいね。
山盛りの夏野菜の串揚げは分けあって、シシャモが混ざっているのがちょっとご愛敬でしょう。
フレッシュな香り、爽やかな味わいの純米生酒のキレある喉ごしが美味しい。

Take Me / Casiopea 1981  
     


三陸海岸をゆく夏 大船渡「酔仙」

2021-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

 12:00発、盛(さかり)行きが2番線に時間ぴったりに入る。乗り継ぐ大船渡線もBRTだ。
橋梁も随道もそのままに、真っ赤なハイブリッドのBRTは専用道路を走り抜ける。

奇跡の一本松が見えると陸前高田、被害が大きかった町は巨大な防潮堤が屹立している。
半島の付け根をトンネルで越えると大船渡湾、鈍く光る海に牡蠣筏の風景が広がった。

気仙沼から1時間30分、真っ赤なハイブリッドがアイドリングを停めて盛駅に終着した。
余韻もそこそこに路線バスに飛び乗る。3キロほど盛川を遡って酒蔵を訪ねるのだ。

陸前高田で被災した酔仙酒造が氷上山を隔てた大船渡に蔵を再建している。
「芳醇にして呑み飽きしないきれいなお酒」 をめざして酒造りをされている。
地元営業担当だと云う古株の社員氏に被災のこと、酒造りのことを熱く説明いただいた。

 

酒蔵から盛駅に戻ったけれど、小さな地方の町の午後3時、飲食店など開いてやしない。
唯一赤い暖簾を提げていた大衆食堂に吸い込まれ、中生ジョッキーを呷る。旨いね。
熱い "五目ラーメン" を啜ったら、三陸鉄道リアス線で "辛口酔仙" を開けよう。

つづく

I LOVE YOU / オフコース 1981


水曜日は家呑み派 「大洋盛」

2021-06-23 | 日記・エッセイ・コラム

 3日間塩麹につけた頃合いになった “鶏ハム” にアルファルファをのせて、ご機嫌な一品の出来上がり。
今宵の夏酒は “大洋盛スカイブルーラベル” を。瀬波温泉を訪ねた時に出会った新潟は村上市の蔵の酒。
フルーティーな香りと甘酸っぱく軽快な味わい、多分に甘口の純米吟醸です。
よぉく冷やしてワイングラスで。ふだん日本酒を飲まない方、女性にもお勧めできる爽やかな酒ですね。
二品目、昨夜の鯛のアクアパッツァの残りで一風変わった “鯛めし” が出来上がりました。
トマトの酸味が程よく効いてなかなかの美味。甘口の日本酒と上々のコラボレーションなのです。

A Place In The Sun / Casiopea 1981
     


三陸海岸をゆく夏 気仙沼「伏見男山」

2021-06-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 三陸海岸を旅したのは2019年の夏、まずは宮城県の前谷地から気仙沼線に乗車する。
ところが起点から僅か17.5km、北上川を渡った柳津で鉄路は突然に途切れる。

ここから先は3.11以来不通になったまま、この先気仙沼まではBRTで北上する。
陸前戸倉を過ぎると車窓に志津川湾が広がり、堤防や高架道路の槌音が響いていた。
分かっていたこととは言えやはり言葉が見つからない。旅人はただ祈るしかない。

"ピカチュウ" が迎える終着駅の気仙沼、雨模様を気にしながら湊へと続く坂道を下る。
木造3階建ての本社屋は流出するも、仕込水の井戸は難を逃れた「男山本店」を訪ねた。
"伏見男山" は日本有数の湊町に集う漁師たちにぴったりの銘柄だと思う。

親潮と黒潮が交わる三陸沖に臨む港町・気仙沼に来たからにはスシ食いねェ!
気仙沼のもう一つの蔵「角星」の "金紋両国 別格" は飲み飽きしない端麗辛口だった。
大将の十貫が端正な黒の大皿に並ぶと、気仙沼線の旅もそろそろ終わりを迎える。

つづく

守ってあげたい / 松任谷由実 1981


ヴァレ・ド・マルヌから

2021-06-16 | 日記・エッセイ・コラム

       

 雨が上がった休日、ベランダでシャンパーニュを開ける。
階下から立ち上って来る、灼けたアスファルトに水を打った時の匂いは夏のそれだ。
“Champagne David Faivre”、この4月に初輸入となったピノ・ムニエ種だけのシャンパーニュ。
泡が細かく繊細で美しい。本来ふくよかに仕上がる品種なのだけど、なぜか爽やかでドライに感じる。
MAUI CHIPS をつまみながら空の色の移ろいを眺めている。吹く風が心地よい。
ワインがお好きな方には叱られるが、程よく冷えてさえいれば美味しくいただける呑み人なのだ。


✴︎HPからお借りしています。

カナリア諸島にて / 大瀧詠一 1981
     


風を感じて! "風薫る" 軽井沢へ

2021-06-12 | 単車でGO!

 瑞々しい若葉を透して陽光降りそそぐ5月の終わり、火の玉カラーで碓氷峠を駆って軽井沢へ。
新緑の季節を迎え、賑わいが戻って来た旧軽井沢銀座から、ぐるっと浅間山を廻ってみようと思う。

閑静な三笠通りから白糸ハイランドウェイに入る。適度なカーブに単車を操る楽しさを満喫する。
岩肌から浸み出す湧水が無数の糸を垂らす「白糸の滝」はまるで水のカーテンのよう。涼しげな情景に癒される。

浅間山の北東山麓は天明3年(1783年)の大爆発で噴出した溶岩流が凝固したゴツゴツした山肌を見せる。

溶岩流の風化によってできた奇勝は「鬼押し出し園」に観ることができる。先を急ぐ今回は通過だけど。

浅間牧場入口の交差点に地粉を使ったそば処がある。結果として吞み人の「バイクめし」は蕎麦が多い。
"わらびのおひたし" が泣かせる、これを抓むに冷酒が欲しいけど叶うわけもない。代わりにノンアルを呷る。 

     

お待ちかねの "野菜天ざる" が運ばれてきた。なんとも盛りがいい。
たらの芽、ふきのとう、こごみがカラッと揚がって、野菜天というより山菜天、微妙な苦みに季節を感じる。
黒いホシ(蕎麦殻)を散りばめた二八をズズッと啜る。かすかな香りが鼻腔をくすぐって美味い。

つまごいパノラマラインで北麓を廻り込む。四阿山、白根山が美しい。遠く北アルプスの銀の屏風が煌めく。
黒い大地をキャベツの緑が覆い始めた高原のワインディング、右に左に単車を傾け走りは爽快だ。

県道94号(東部嬬恋)線を下ると東御市、旧北国街道の宿駅・海野宿の町並みが佇んでいる。
用水が流れその両側に立ち並ぶ格子戸の美しい家並み、溶け込んだ火の玉カラーの鉄馬、案外絵になるね。

江戸時代の家並みを抜けたら、日が傾きかけた山麓を西から南へ、浅間サンラインをアップダウンして軽井沢。
そよ風に誘われ、新緑を浴びた浅間山周遊の旅なのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
SOMEDAY / 佐野元春 1981


水曜日は家呑み派 「洌」

2021-06-09 | 日記・エッセイ・コラム

 デパ地下の酒屋さんには、陳列棚に夏酒がならんで、なんだかとっても涼しげ。
手が伸びたのは東光の小嶋総本店(米沢)の「洌」って清涼感のあるラベルでしょ。
ついでに惣菜も物色して、美味しそうなのを択んでみる。たまには調理をしない日があってもいいね。

洒落た小皿を盆にならべて、時計回りに
 ● まるごと揚げ小なすのガーリック風味
 ● 焼きとうもろこしの白和え
 ● きすの涼風みぞれ添え
 ● 北海道産生ハムとアスパラの華やかサラダ
 ● しっとり塩豚の柚子胡椒ねぎソース
ほらっ、初夏のとある日、小料理屋の品書きみたいでしょ。

ほどよく冷えた夏季限定酒のスクリューキャプを切る。ボトルにあわせた透明の酒器に注ぐ。いい感じ。
きゅっと一杯、フレッシュだけどキレの良さを感じて、雄町夏生が美味い。

ASAYAKE / CASIOPEA 1981
     


JY03 山手線立ち呑み事情 アキバの酒場@秋葉原

2021-06-05 | 大人のたしなみ

 

 平日限定の「枡盛」は数量限定、豊洲市場から直送の旬を3点盛って528円、これ目当てで通う酔客は多い。
ピンクのラベルは京都、城陽酒造の "徳次郎"、五百万石を醸したスッキリ、シャープな味わいの大辛口だ。

緊急事態宣言の前々夜、時差通勤シフトで早々に仕事をこなして秋葉原までやってきた。
神田に途中下車してから早4ヶ月、現下の状況で立ち飲みで巡る山手線の旅は遅延しがちだ。

壁の黒板にチョークで「今日の地酒」が、ラインナップを見て関西の酒で攻めることにした。
奈良は御所、千代酒造の "篠峯" を二杯目に択ぶ。こちらもドライでキリっとした純米山田錦の超辛口だ。
アテは "キュウリとミョウガのさっぱり和え"、夏を先取りって感じでしょう。 

"イカと青のりのさつま揚げ" はショウガをたっぷりのせて美味。アテは立ち飲みクオリティを超越している。
三杯目は山を越えて滋賀、甲賀は笑四季酒造の "EMISHIKI Sensation"、白ラベル生酒はフルーティでやや甘。 
たまには甘口でまったりと暮れていく時間を過ごすのもいい。

いやちょっと調子に乗りすぎたか、まばらだった店内はいつの間にか密状態、お後がよろしいようで。
さて、延長を重ねる緊急事態宣言、次の御徒町に下車できるのはいつのことか。わが山手線は運転見合中だ。

メモリーグラス / 堀江淳 1981


夏がくれば 思い出す ♪

2021-06-02 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和の時代、信州の子どもたちの最大のイベントは海水浴だった。
吞み人が育った長野市から直江津までは75キロ、もちろん上信越道も北陸新幹線もなかったからね。
電気機関車が牽くすし詰めの客車列車で信越線を2時間半揺られる。
或いは、父の運転するコロナでR18を往くなら、果てしない渋滞に我慢する。憧れの海は遠かったのだ。

県境を越えると行程も半ば、左手に仰ぎ見るように妙高山(2,454 m)が夏の雲を突き抜けて聳えている。
列車のときは "冷凍みかん" を頬張りながら、車のときは "焼きとうもろこし" をかじりながら見上げたっけ。
海水浴の思い出に山?って不思議に思うでしょう、でも賛同いただける同郷の方、多いんじゃないかな。

さて、直江津からは北陸線に乗り換える。あの頃はまだ蒸気機関車。車なら左折してR18からR8へ。
西へ転じると北陸線もR8もほどなく谷浜海岸へ抜ける郷津のトンネルに潜り込む。
はるか遠くに感じる出口の光点が次第に大きくなる、っと少年の期待ははち切れんばかりに膨らむ。
一瞬、フラッシュを焚かれたように目が眩む、窓から潮の香りがなだれ込む、青がキラり煌めくのだ。

シンデレラサマー / 石川優子 1981