旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

点と線と大吟醸たけしずく 香椎線を完乗!

2017-04-29 | 呑み鉄放浪記

 博多ポートタワーの袂から福岡市営渡船の高速船きんいん1に乗船した。
博多湾を疾走すること15分で志賀島のつけ根西戸崎に到着する。
国営海の中道海浜公園を訪ねてみる。偶然2週連続の海浜公園なのだ。

カナールでは、リビングストンデージーで彩られた『博多織文様花壇』が見頃を迎える。
博多織のデザイン「華皿」と「親子縞」をモチーフにした鮮やかな花壇と涼しげな噴水。
「水」と「花」のコラボレーションが美しい。

 

香椎線の起点は西戸崎、ホームの端に0キロポストがある。
国鉄時代からの旧い車両だけど、AQUALINER なんて洒落たネーミングを刻んでいる。

2両編成はけたたましい排気音と大袈裟な横揺れをして走り出す。
綺麗に化粧直ししていても、さすがに旧い型式だけに走りは誤魔化せない。
雁の巣までの2区間は公園の中を時速30kmくらいでゆっくりと走って往く。

 

香椎線はキロ程の中程、香椎駅で鹿児島本線とクロスする。
香椎と云えば松本清張の長編推理小説「点と線」の事件の発端となった場所だ。
福岡へ向かう機中で読んだこの小説は雑誌『旅』に連載された時刻表トリックの傑作だ。

香椎駅で少々長めの停車をして2両編成は約30分で西戸崎から宇美までを走り抜ける。
この先の大谷炭鉱の石炭を、積出しの西戸崎港に輸送するために敷かれたのが香椎線だ。

終点の宇美駅の近くに神功皇后・應神天皇の母子を主祭神とする宇美八幡宮がある。
應神天皇の産所を宇瀰(後に宇美)と名付けたのが由緒で、安産・育児の八幡宮なのだ。

参道を越えて行くと白壁に大きな酒林を飾った『萬代』の小林酒造本店が見えてくる。
隣接する酒工房で純米酒と大吟醸を試飲させていただく。
今回の獲物は淡麗やや辛の "大吟醸 竹滴"、夏の冷酒にお奨めの酒だそうだ。
今日の福岡は最高気温25℃、冷酒が旨い季節がやってきた。

香椎線 西戸崎~宇美 25.4km 完乗

 

Hotel California / Eagles 1977


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「Chinese restaurant 野沢屋」

2017-04-27 | Biz-Lunch60分1本勝負

 久しぶりに北馬場参道通りに踏み込むと新しい店、chinese restaurant 野沢屋が。
登龍、一品楼、榕城、味丸と中華料理店がひしめく界隈にチャレンジャーですね。
小籠包ランチの麻婆豆腐セットは880円。
旨みたっぷりの肉汁が詰まったスープ入り包子を、生姜のせお酢をかけて美味しい。
麻婆豆腐は山椒が利いたピリ辛煮込み、四川風だね。どちらもなかなか本格的だ。
品川宿には異色な小ぎれいで無機質なお店、メニューラインナップは少なめ。
続くかな、頑張って欲しいね、味は良いから。

      
file-024


みはらしの丘 “ネモフィラ” が見頃です ひたちなか海浜鉄道湊線を完乗!

2017-04-25 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 国営ひたち海浜公園のHPでネモフィラが見頃だと知って、ひたち海浜鉄道湊線を往く。
連続テレビ小説「ひよっこ」で注目の茨城を訪ねるには、“ときわ路パス” が便利だ。

ひたち海浜鉄道は茨城交通から湊線を引き継いだ第三セクター会社。
様々趣向を凝らしたディーゼルカーが、勝田から阿字ヶ浦までの14.3kmを走っている。

日立の工場群と住宅街をほどなく抜けると、田起こしに忙しい一面の田圃風景が広がる。
田植え後の緑の絨毯もキレイだろうと眺めるうち、舟運で栄えた歴史の街那珂湊に到着。
早いお昼に美味いものを探しに途中下車する。

新鮮な海の幸の販売店や魚料理屋が軒を連ねる「おさかな市場」へ続く県道は大渋滞。
たくさんの家族連れで賑わう市場、めざす魚料理屋は案の定長蛇の列なのだ。

一筋入った町の寿司屋さんに席をみつけたが、"海鮮丼" が運ばれてきたのは1時間後。
良いところを切ってもらった上等な丼ですが、やや興ざめだ。

 

気を取り直して那珂湊から阿字ヶ浦に向かう。
那珂川に沿って河口をめざした湊線、那珂湊を過ぎると北に転じて台地を上って往く。
平磯を越えると右手に青い太平洋を臨み、10分ほどで終点の阿字ヶ浦に到着する。

 

阿字ヶ浦は遠浅の美しい海岸の海水浴場で、シーズンは海水浴客で賑わう。
国鉄時代は上野から直通の急行「あじがうら号」が乗り入れていた。
静かな終着駅にバスが3台、「ネモフィラハーモニー」の無料シャトルバスだ。

 

北アメリカ原産の一年草の和名は「瑠璃唐草」、英名は「ベイビーブルーアイズ」だ。
可憐なネモフィラがみはらしの丘を青一色に染める。
やがて丘上で空の青と溶け合う風景は初夏の輝きに満ちている。

ひたちなか海浜鉄道湊線 勝田~阿字ヶ浦 14.3km 完乗

気まぐれヴィーナス / 桜田淳子 1977


北国街道紀行9 関山宿~松崎宿・二本木宿~新井宿~高田宿

2017-04-23 | 北国街道紀行

「関山宿」 05:50
 妙高山は別名「須弥山」と呼ばれ古くから修験道の道場として繁栄してきた。
関山神社は妙高山を霊山と仰ぐ修験道の道場として繁栄、境内には阿弥陀三尊像がある。
門前町兼宿場町として栄えた関山宿の規模は、旅籠14軒、他宿泊可能な家が62軒だった。
3年半ぶりの北国街道紀行は、ここ関山宿から、おそらく桜花爛漫の高田城下をめざす。

関山宿の標高は380m、残雪の妙高山から吹き下ろす風は肌寒い。
センターラインの様に見えるのは消雪パイプ、降雪時には地下水を流して雪を溶かす。
地下水に含んだ鉄分がアスファルトを褐色に染める。ここは日本有数の豪雪地帯なのだ。 

      

「北沢一里塚」 06:00
 西塚だけが高さ3m、原形を保ったまま残っている。塚木はケンポナシだそうだ。
一里塚を過ぎると北国街道はR18とクロスする。
左右には江戸時代に新田開発された田圃が広がる。
新井宿までの11kmで標高差320mを下る勾配はきつい。  

福崎新田あたりで妙高山を振り返る。未だたっぷりの残雪を抱えた雄姿が美しい。
天空には下弦へとむかう白い月が浮かんでいる。

 

「松崎宿・二本木宿」 06:50
 松崎宿と二本木宿は家並が連続している。月の半分で問屋業務を交代する合宿だ。
二本木宿の北桝方にあった石柱には旅のマナーが刻まれている。
「従是内、口附無之、小荷駄乗通るべからず、邑の内、咥きせる無用」と。

 

松崎宿と二本木宿には本陣がない。では参勤交代はどこで休んだのか。
安楽寺は庫裏に上段の間を設けて加賀藩の休憩所を担ったと云う。

 

「二本木駅」 07:15
 えちごトキめき鉄道の二本木駅は、新潟県内の鉄道駅唯一のスイッチバック式駅だ。 
付近が約25パーミルの急勾配が存在することから設置された。
蒸気機関車が上り切れなかった勾配を北国街道は往く。

スイッチバック線を通した築堤の先端に立つと、その先に高田平野が、さらに日本海を見渡すことができる。
中央から右手にかけて広がる高台は陣場山、上杉のお家騒動・御館の乱に乗じて、武田勝頼がここまで進入して陣を張っている。

「藤沢一里塚」 07:50 
 東塚だけが残った藤沢一里塚、街道が掘り下げられているので、一段高い位置で行く先を見渡せる。 

 

「越後見納め小出雲坂よ。ほろと泣いたをなんじ忘られよ」と謳われた小出雲坂。
江戸をめざす旅人が坂の途中で振り返り、高田平野と日本海、米山を一望し感傷的になったと云う。
本来の松並木は現在桜並木にに代わっている。

 

小出雲に鎮座している賀茂神社は、銅板で囲われた鳥居や多くの石灯篭からすると、
かなり格式の高い神社と思われるが、創建等の詳細は不明だ。
地域の産土神に京都の賀茂神社の霊が勧請されたと推測されている。
街道脇湧く名水は旅人渇きをいやしたことだろう。

 

賀茂神社からの坂を下りきると飯山街道と合流する。
追分には「左飯山道・右善光寺道」(高田城下方から)と彫られた道標が建つ。
富倉峠を経て飯山に至る飯山街道(現在はR292)は、古くからの塩の道であり、
上杉軍が川中島へ向かう軍用路でもあった。右手から飯山街道が合流すると新井宿に入る。

「新井宿」 08:30
 荒井宿は住民の願いにより、天保9年(1838年) に新井宿に改めた。
本陣、脇本陣、問屋2軒は中町に置かれ、前後の上町・下町に旅籠が配されたが、
その件数は文書に残っていない。当時の旅籠は唯一玉屋旅館が営んでいる。

 

「君が代の こけのむすまで まちきれず 君とくむ酒 これぞ君の井」
旧い遺構の少ない宿内にあって街道風情が偲ばれる君の井酒造、酒蔵は宿場の華なのだ。
JR東日本大人の休日倶楽部、新潟県「越後杜氏篇」のCMに登場して有名になりました。

 

東本願寺新井別院には明治11年(1878年)に北陸行幸にあたって明治天皇が宿泊されている。
この際、関山宿にあった宝蔵院の建物を買収して移築改修して行在所となった。
その天台様式の建物は今はない。ここまでが新井宿だ。

      

新井宿を抜けると間もなく石塚一里塚跡。今では真新しい碑が建つのみである。

石塚一里塚を過ぎると大崎集落に入る。
街道の西側を流れる矢代川の千草石を利用した石屋街が続いている。

 

 さてこの区間一押しの "街道めし" は、たちばなのとん汁。
豚肉・玉ねぎ・豆腐を白味噌で仕上げたシンプルな一品、玉ねぎの濃厚で甘いスープが抜群に旨いのだ。
大崎集落を過ぎたら、妙高はねうまラインの線路を越えてR292へ寄り道すると良い。

道中絵図に「此橋稲葉候高田ノ城主タリシ時カカル、是ヨリ前ハ歩越ナリ」と瀬渡橋。
渡るのは矢代川、徒歩渡しの頃は難所だったことだろう。
上流に見えるのは北陸新幹線、今では "かがやき" と "はくたか" が東京と金沢を結ぶ。

      

「伊勢町口番所跡」 10:05
 瀬渡橋から2kmほど北上したR292の高田新田交差点が伊勢町一里塚跡になる。
高田城下の南入口であるここには番所が置かれ、目付が通行人を調べた。
城下へと入る旅人はここで馬を降り、くわえ煙草を禁止された。

伊勢町番所跡から雁木通りが始まる。雁木(がんぎ)とは、家の前に出した庇を云う。
雁木通りは、道路沿いの家々が庇を伸ばして冬の積雪時の道路を確保する雪国都市形態。
高田には総延長16kmもの雁木が残り、その長さは日本一と云われる。
雁木の北国街道は、南本町2丁目交差点で直角に西へと折れる。城下を通さないためだ。

      

700m続く南本町通りの中程に、江戸初期から粟飴を商った高橋孫佐衛門商店が在る。
寛永元年(1624年)創業の飴屋は、十返舎一九の「方言修行金草鞋」に絵入りで紹介され、
夏目漱石は「坊ちゃん」の中で『越後の笹飴が食べたい』と乳母の清に言わせている。

北国街道は本町1丁目交差点で右に直角に折れ、再び北へと向かう。
本町通りとなった2kmの直線が高田宿である。
駅周辺の一部が瀟洒なアーケードに代わっている他は延々と雁木が続く。

 

北国街道の1本東を並行する大町通りに、旧日本陸軍高田第13師団長官舎がある。
 明治43年(1910年)に長岡外史中将によって建てられた明治期の洋風木造建築物だ。
銅像の長岡外史はオーストリアからレルヒ少佐を招き、日本にスキーを発祥させた人物。
次の師団長は「坂の上の雲」の主役である秋山好古だ。

      

これまた雁木通りの大町通りには、二七の市、四九の市と二つの朝市が立つ。
野菜をごっそり並べた八百屋、海産物の加工品を扱う乾物屋、直江津港で揚がった鮮魚、
地面にゴザを敷いた農家のおばちゃんたちの店が軒を連ねる風情は情緒がある。
ただこの朝市は街道時代からのものではなく、高田第13師団を誘致した後の開設だ。

「高田宿」 11:00
 本町7丁目交差点は筋違いの交差点は北国街道追分、北国街道の終点になる。
左、江戸方から来る北国街道が、右(写真手前)に折れて東へ向かう北国街道奥州道、
出雲崎まで延びる佐渡金山からの御用金を江戸へと運ぶ道だ。
左(写真奥)に折れて西へ向かうのは、加賀街道、前田家参勤交代の道だ。

 高田城址ははたして桜花爛漫、上杉謙信・景勝が治めたこの地に、徳川家康六男の
松平忠輝が75万石の太守として封じられたのが高田藩の始まり。
しかし忠輝は大坂夏の陣への遅参や家老の失脚により異母兄・秀忠に改易させられる。
親藩大名の治世が続けば、高田は日本海側にあって金沢に並ぶ都市になったかも知れない。 

 妙高山麓の関山宿から、松崎宿・二本木宿、新井宿を経て高田宿までは、21.6km。
中山道を追分宿から分かれた北国街道紀行を終える。
この先加賀街道を往くか、北国街道奥州道を往くかは未だ決めていない。     了


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「おさむの店」

2017-04-19 | Biz-Lunch60分1本勝負

 急な階段を上がって行くと、場末のスナックのような店内にオールディーズが流れる。
壁には何本ものギターが架かり、ドラムセットやアンプが無造作に置いてあるね。
先客がいないので、失礼ながら思わず店を出ようかと考えたりした。
でも慣れてくると音量を抑えたオールディーズが耳に心地よい。

      

「おさむのイタリアン」、 今日のパスタは "シラスと春キャベツのぺペロンチーノ"、
ムムなかなか本格的、そして美味しい。
ランチコースは前菜とドルチェ、エスプレッソが付いて1,000円はいいパフォーマンスだ。
生ビールかグラスワインが欲しいところだけれど、午後も仕事だからね。

 
file-023


高田の春は爛漫と 古城を包む春霞 2017.

2017-04-17 | 日記・エッセイ・コラム



 北国街道紀行最終章、妙高山麓の関山宿から高田城下までの20kmを歩きました。
ゴールは桜満開の高田城公園、その拘りが4年の時間を空けてしまいました。
"北国街道紀行9" は、後日レポートさせていただきます。

高田公園の「ソメイヨシノ」は、公園をめぐる広大な内堀と外堀に約4,000本が咲き競う。
約3,000個のぼんぼりに照らされて、お堀に映える美しさは、上野の恩賜公園、
弘前城公園とともに日本三大夜桜の一つに数えられています。
妙高山を背景とした「ソメイヨシノ」は絵になるのですが、妙高山は春霞の中でした。


握りまでたどりつかない鮨処で「あたごのまつ」

2017-04-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 週末は大抵、ひとり旅の空の下で呑んだくれている。
だからたまには家族を誘って地元の鮨処。ここ、旨い酒を選んでるんですよね。
先ずは "特別純米あたごのまつ"、宮城は新澤醸造店の酒です。果実香がふわっと広がる。
おまかせのお造りは、酢味噌でいただくホタルイカがお気に入り。

 

『カッコつけます うどん県』 にも旨い酒がある。
はじめて口にする "特別純米 川鶴"、これもメロン系の甘い香りかな。
シャイシャキの水菜にパプリカとたっぷりのジャコをのせたサラダを肴にいただく。

 

空豆、ヤングコーン、しいたけ、タマネギを焼いてもらって、"黒龍 純吟 垂れ口" を。
福井は永平寺の酒、うすにごりの原酒が、野菜の甘みを肴に旨いね。

 

いつも握りまで辿りつかないのだけれど、蒸車海老、サヨリ、真鯛、芽ねぎを握ってもらう。
罪滅ぼしのつもりの鮨処、結局勝手気ままに呑んでしまう宵なのだ。

 


旅の途中 岳南電車で「つけナポリタン」

2017-04-13 | 日記・エッセイ・コラム

 「...... 富士の高嶺に 雪は降りつつ」と山部赤人が謳った田子の浦。
歌のような凛とした冬の日ではないけれど、富士の高嶺は未だ雪を被っている。
岳南電車は田子の浦港にほど近い吉原駅を起点に9.2km、約20分の旅になる。

吉原駅に入線してきた7000系の単行電車はたぶん井の頭線を走っていた懐かしい顔。
学生時代に乗った車両かもしれないと思うとなんだか親近感を感じる。

「紙のまち」富士市らしく切符は紙製の硬券。全線1日フリー乗車券は700円。
単純に全線を往復すると元が取れるので、途中下車しながらのぶらり旅には重宝する。

 

早速2つ目の吉原本町で途中下車、レトロな吉原商店街は、旧東海道の吉原宿。
地元B級グルメ「つけナポリタン」元祖の店喫茶アドニスで "つけ富士リタン" を注文。
まずはハートランドを一杯。「呑み鉄」だからね。

特注のもっちり麺には駿河湾の桜エビがのる。
つけだれのトマトと鶏ガラのスープには、たっぷりチーズが入って濃厚な旨みがある。
●よく(スープに)つけて食すべし。
●チーズを絡めて食すべし。
●レモンは半分食べたら麺にかけるべし。 メニューに書かれたお作法に従って美味い。 

 岳南原田駅では段ボールの匂いに包まれる。辺りは製紙工場群になっている。
この駅、工場群を抜けていく岳南電車を撮る結構有名な撮影スポットらしい。
工場を背景にするなら、このくすんだオレンジ色の車両のほうが断然見栄えが良い。

     

岳南富士岡駅には車庫があって、昔貨物輸送に活躍した機関車が側線に留置されている。 

 閑散としている岳南江尾駅に終着。広い構内が逆に侘しさを誘う。
岳南電車は世界でたった一つ、「全ての駅から富士山が見える鉄道路線」だそうだ。
この地をカタコト走るんだから当たり前だよね。
ここ岳南江尾では、新幹線の高架の上に残雪を纏った富士山が覗いている。

風の街 / ハイ・ファイ・セット 1977


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「クロモンカフェ」

2017-04-09 | Biz-Lunch60分1本勝負

 黒門横丁入口、商店の2階部分に「クロモンカフェ」がある。
玄関で靴を脱いで急な階段をあがると畳敷きの部屋、炬燵やちゃぶ台に座布団、
昭和の懐かしい空間がここにはある。
マガジンラックにさりげなく「明星」が、石川秀美と堀ちえみが笑っている。
今日のアジアごはんは "坦々ライス"、玄米ごはんの上に辛味肉味噌、蒸しナス、オクラ、
ゆでたまご、それにたっぷりのお野菜。ほんのりエスニックで美味しいのだ。 

      
file-022


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「ミスターヤン」

2017-04-07 | Biz-Lunch60分1本勝負

 都営北品川アパートの近く、街道時代は陸ではなかったかもしれない辺り。
紅い庇の台湾風味「ミスターヤン」は、週替わりのランチは1種類のみで850円です。
今週は米粉(ビーフン)、餃子、ライス、サラダのセット。
若いサラリーマンには一寸もの足りないかも知れないけれど、
あっさりしたビーフンが美味しい、北品川の穴場的ランチスポットです。

     
file-021


那智大社と青岸渡寺と 南紀を巡る 紀勢本線を完乗!≪後編≫

2017-04-05 | 呑み鉄放浪記

 ホテル中の島は湯量豊富な源泉掛け流しの天然温泉。
露天風呂「紀州潮聞之湯」で、打ち寄せる波の音を聞きながら至福の時を過ごす。
日の出前後、彩が移りゆく海を眺めながらの露天風呂は最高だ。

紀の松島に浮かぶホテル中の島から、連絡ボートで観光桟橋に渡る。
紀伊半島を巡る紀勢本線の旅2日目は、紀伊勝浦08:24発、新宮行きでスタートだ。

 

2つ目の那智駅で下車、路線バスに20分揺られると熊野那智大社に至る。
紀元前662年、神日本磐余彦命(神武天皇)一行は丹敷浦(那智の浜)に上陸した。
光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智の滝を探りあてる。
その滝を大己貴命の御神体としてお祀りしたと伝わる。

1000年の時が流れて、仁徳天皇5年(371年)、山の中腹にあらためて社殿を設けた。
ここに熊野の神々・御瀧の神様を遷したのが熊野那智大社の始まりとされる。

 那智山青岸渡寺は、西国三十三ヶ所第一番札所として、多くの信者や参詣者が訪れる。
如意輪観世音を祀る本堂は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が再建した桃山時代の建築。
那智の滝を背景とした美しい朱色の三重の塔がそびえ立つ様が美しい。

      

落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さ10m、落差と水量日本一。
名瀑・那智の御瀧は、熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体として祀られている。

 

 新宮から先は非電化区間、JR東海の管轄になる。
乗り継ぐ2両編成のディーゼルカーには、オレンジのラインが引かれている。
新宮から多気までの140km、3時間20分を要するこの区間は乗りごたえがある。

 

新宮には熊野地方唯一の蔵元・尾崎酒造がある。蔵を訪ねたかったけど時間が許さない。
売店で純米酒 "くまの那智の滝" と本醸造 "太平洋" を買い込む。でも3時間はもたないな。

 

新宮からロングランしてきた2両編成は多気が終点。
ここで鳥羽からやってきた亀山行きに乗り換える。紀勢本線の旅の最終ランナーだ。
2つ目の松阪、僅かな停車時間で「駅弁のあら竹」の "モー太郎弁当" を求める。
納得の松坂牛すきやき弁当は1,350円なのだ。

"モー太郎" を楽しみながら小1時間、2両編成の気動車は亀山に終着する。
5番線の外側に0kmポストが在る。380kmを逆走してきた紀勢本線の旅はここで終わる。
南方・紀土・羅生門・紀州美人・太平洋・くまの那智の滝、地酒を堪能した南紀の旅だ。

紀勢本線 和歌山市~亀山 384.2km 完乗 

 

星の砂 / 小柳ルミ子 1977


最短のローカル線で紀州美人に会いに行く 紀州鉄道を完乗!

2017-04-03 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 JR御坊駅から営業距離2.7kmという日本最短のローカル線・紀州鉄道が走る。
御坊には岸野酒造本家という小さな酒蔵があって「紀州美人」と云う酒を醸している。
美人と聞いては会いに行かずに居られない。で単行レールバスに揺られてみる。

 

紀州鉄道のレールバスは、御坊駅の0番ホームからディーゼルの匂いを残して走り出す。
この便にはツアーご一行が乗り合わせて、いつもと違って賑やかな車内だ。
イラストの「宮古姫」は 聖武天皇の生母藤原宮子で、ここ御坊の出身と云う伝説がある。

レールバスは平均時速20kmでノロノロと、否ヨロヨロと走って行く。
学問、紀伊御坊、市役所前と停まって、約8分で西御坊に終着する。

岸野酒造本家は、本願寺日高別院の近く、旧い土蔵屋敷が残る一角にひっそりと在る。

ご主人曰く、そもそも醸造量が少ない「紀州美人」は地元の酒屋にも並ばない。
店先でひっそりと販売し、あとはネット通販、否メールで注文を受けて発送している。

 

土産に "紀州美人 手造り純米吟醸" を求める。ご主人曰く芳醇でフルーティな辛口の酒だ。
鮮やかなラベルの720mlは未だ我が家の小さなセラーに眠っている。

紀州鉄道 御坊~西御坊 2.7km 完乗

     

ブーメラン・ストリート / 西城秀樹 1977


紀三井寺から潮岬へ 南紀を巡る 紀勢本線を完乗!≪前編≫

2017-04-01 | 呑み鉄放浪記

 標高約49mの虎伏山(とらふせやま)の和歌山城、白壁の天守閣が美しい。
「御橋廊下(おはしろうか)」越しの1枚を収めて、足早に和歌山市駅に向かう。
亀山駅から紀伊半島をぐるりと380kmを周ってきた紀勢本線の終着駅だ。

 

南海電鉄に間借りしたような2番線から、肩身狭そうに停まっている紀勢本線の2両編成。
和歌山市~和歌山間は別線区の様にこの2両編成が明けても暮れてもシャトルしている。

 

朝の和歌山駅に青緑色とでも云うのかな?和歌山色の旧型電車が勢ぞろいしている。
でも2番手ランナーの湯浅行きは天王寺からやってきた斬新なデザインの新型車両。
折角ですが2つ目の紀三井寺に途中下車する。

 

 紀三井寺は「日本さくら名所百選」に選ばれた桜の名所。でも開花まではもう少し。
唯一、231段の急な石段の途中に、ヒガンザクラが楼門を見下ろすように咲いる。
芭蕉は 「みあぐれば 桜しもうて 紀三井寺」 と散りはじめた桜を仰いでと詠んだ。
私たちは1週間早かったかな。遠方から花の盛りに合わせて訪ねるのは難しい。

 御坊から先は旧型2両編成のワンマン運転、ロングシートだから缶ビールが精一杯。
乗り換えの紀伊田辺で駅弁を求める。本当はおかずを肴に一杯やりたいところなのだが。
"てまり弁当" は、田辺名産の蒲鉾、ごぼう巻、うなぎの蒲焼、鶏照焼、筍がのる。
充分つまみになるでしょう。 

 

 串本駅は本州最南端の駅、構内の観光案内所でレンタサイクルを借りて潮岬をめざす。
潮岬灯台までは6km、アップダウンと強い潮風にあおられ結構ハードなサイクリングだ。
 

 

北緯33度25分59秒、東経135度45分45秒。潮岬は本州最南端に位置する。
真っ青な太平洋に映える白亜の潮岬灯台。
明治6年(1873年)から沖行く船を照らし続ける。
68段のらせん階段を上ると眼前に広がる大海原が眩しい。地球が円いことを実感させる。

 紀伊勝浦は紀勢本線のちょうど中間地点、大阪からも名古屋からも特急が乗り入れる。
聖地・那智山のお膝元で、天然の良港を持つ紀伊勝浦には温泉も湧きます。
今宵は湯に浸かってから地酒を楽しむことにして、観光桟橋から連絡ボートに乗船する。
四方を海に囲まれた孤島の温泉宿「ホテル中の島」までは約3分の船旅だ。

 

風呂上がりのビールを呷った後は、田端酒造の「羅生門 鳳凰・吟醸」を。
やや辛でキレのあるこの酒は "花冷え" で飲むのが旨い。 

 

膳のものは、突き出しの "イカの山葵和え" と "鯛のしぐれ煮" が美味い肴だ。
明日は熊野那智大社、那智山青岸渡寺を巡って亀山をめざす。

 紀勢本線 和歌山市~紀伊勝浦 189.1km 完乗

 

夢先案内人 / 山口百恵 1977