旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

それでは酔いお年を 今宵、ワイン酒場にて!

2018-12-31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ディープな街の路地に迷い込んでみる。
通りの名前からしてバーボンロードって云うんだから、オトナのワンダーランド。 

 

トリコロールのちょうちんが提がった立ち飲みバルに吸い込まれる。
カウンターに片肘ついて甲州の赤、"生ハム" と "冷やしトマト" でまったり愉しむ

 オフィス街の立ち飲み酒場は、ベルギービールとワインが愉しめる。
キャンディーシュガーが入った "ファロ" を一杯、2杯目からはシャルドネを。 

 

エビ、塩サバ、カマンベールの "自家製スモーク" が美味しい。
読みかけの文庫本はもう閉じてしまおう。

 埠頭を挟んでタワーがオレンジ色にかがやく湊町。
ベイサイドの賑わいに比べて静かな週末のオフィス街、スペインバルへと階段を上がる。
ソービニョンブランに、きんぴらごぼうをアレンジした "和キッシュ" が最高に美味しい。 

 

 行く先々では酒場の暖簾を潜って、旨い地酒と肴との巡り合いを期待します。
でも、偶にはバルでワインも良いですね。そんな時にはJAZZが流れているとご機嫌です。

今年も拙い「呑み話し」にお付き合い頂き有難うございます。来年もぶらり出掛けます。


Theme from Lupin III / Yuji Ohno Trio 


浜松町・大門界隈でBiz-Lunch「大天門」

2018-12-30 | Biz-Lunch60分1本勝負

 2018年の最後のランチは文化放送本社裏の「中国酒家 大天門」をめざす。
店外に延びた5~6人の列に並ぶも、5分を待たずに席に案内される。
オペレーションが良いのでしょうね。スタッフの対応にも好感が持てる。 
さて人気の麻婆豆腐、山椒よりも豆鼓のコクとスパイスが利いた優しい辛さが美味しい。
お奨めできる一皿です。今度は夜、冷えた白ワインか紹興酒のロックで愉しみたいね。 


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12月の雨上がり 三河線を完乗!

2018-12-29 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 何故か愛知県碧南市、名鉄・三河線を旅します。
東海道を歩こうと4時30分に最寄駅を発ったものの、富士市周辺は厚い曇り空。 
富士山が見えない!っで予定を変更して東海道本線を刈谷まで乗って来た。

関東の大手私鉄は呑み潰してしまった今、次なるターゲットは名鉄線。でも遠いな。
雨上がりの碧南駅、適度な湿気を得て空気が清々しい。 

折り返しの知立行きが入線してきた。真っ赤な2両編成だ。
部活だろうか補講だろうか、3連休の中日と云うのに高校生がたくさん。 

 さて碧南の町、路地を歩くと板塀のなつかしい風景に出会える。
特に九重味醂の「大蔵」が素晴らしい。こうした路地を抜けると知多湾の最奥部が開ける。

漁港がある碧南には当然に新鮮な魚が揚がり、10軒ほどの鮮魚店がある。
「魚為」では活魚はもちろん、刺身・干し魚などを販売し、品定めをする客で賑わう。 

三河線はローカルと謂えども15分間隔で利便性が良い。
2駅毎に行き違い列車と交換しながら30分で名鉄本線にアクセスする知立に到着する。 

三河線はここでスイッチバック。知立を挟んで運用は全く別線扱いで直通列車はない。
知立~碧南区間を海線、知立~猿投区間を山線と称している。 猿投(さなげ)は読めない。

 ところで今日の酒は "國盛"、お隣は半田の蔵。この辺りのオヤジさんの晩酌の酒だね。 
駅前の老舗「大正館」の名物カツ丼は卵でとじない一品、上品な味わいは酒の肴になる。 

 

 知立で乗り換えた山線も2両編成、こちらも律儀に15分間隔でシャトルしている。
梅坪で豊田線と分かれ、車窓に田園風景が広がると、まもなく猿投に終着する。

ここから北へ9kmほど、猿投温泉があるけどバスの便は無く玄関口でもなさそうだ。
どこまでも静かな住宅街の終着駅・猿投で三河線の旅を終える。
東京からは距離がある、名古屋に出張もない。苦戦しそうな名鉄線「呑み鉄」旅である。

名古屋鉄道・三河線 碧南~猿投 39.8km 完乗 

HERO~ヒーローになる時、それは今 / 甲斐バンド 1978


一酒一肴 田端・初恋屋「奥の松」

2018-12-28 | 津々浦々酒場探訪

 

 田端駅から歩いて5分、「初恋屋」って甘酸っぱいネーミングの酒場が在る。
看板には魚河岸料理とある。新鮮な刺身が自慢の店だ。
常連さんで賑わう酒場にひとり暖簾を潜る瞬間はいつでも緊張する。
真アジ、スルメイカ、マグロ赤味、真鯛を切ってもらう。下駄の上に華やかだ。
酒は二本松「奥の松酒造」の "遊佐 純米吟醸"、爽やかな香りとやや甘の酒は刺身に合う。 
店を出て暖簾を眺める。どうも雰囲気と屋号がしっくりこない。まあいいか。

2017/12/26

      

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初恋 / 島谷ひとみ 


浜松町・大門界隈でBiz-Lunch「ふくの鳥」

2018-12-27 | Biz-Lunch60分1本勝負

 今回もクレアタワーと秋田屋の間を左に入って「ふくの鳥」、やきとり居酒屋だね。
長州どりと獺祭が売りの様だけど、あれ、向かいの店も一緒だな。同じ経営だろうか?
今日のランチは "タルタルチキン南蛮"。
揚げたてチキンを特製ダレに漬け込んで、たっぷりのタルタルソースをかける。
さすがは鳥屋さん、カラッと揚がってジューシーで云うことなし。美味い一皿でした。 

      
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東海道紀行7 沼津宿~原宿~吉原宿

2018-12-25 | 東海道紀行

 沼津の狩野川河口から田子の浦港まで、駿河湾に沿って続く「千本松原」です。
"東海道を歩く旅" 第7日目の行程は、この松原を辿り、富士の姿を大きくしていく。 

09:55「沼津宿・高田本陣跡」 00:00:00
 火災と戦災で旧い遺構は残っていない沼津宿。
本陣3軒並んでいた本町通りは、シャッター商店街の様相を呈して閑散としていた。 

Navi21 通横町交差点(右折) → <県道160号~163号> → (富士市)東柏原交差点 10.9km

沼津は城下町らしく鉤の手が多い。
5つ目の通横町交差点を折れると、浅間神社を右手に見て、西見附から宿場を抜ける。

旧東海道は西高入口交差点で県道160号から163号に名称を変えるが直進だ。
八幡神社の石垣には「従是東」と刻まれた沼津藩領境榜示石が残る。
領域の境を示すこの榜示石、下半分の「沼津領」は無くなってしまっている。 

 

11:25「松長一里塚」 01:30:00
 ひたすら単調な直線を往く。日本橋から三十一番目、松長一里塚跡には真新しい碑が建つ。 

 

臨済宗妙心寺派の祥雲寺、境内には大松が斜めに聳えている。
樹齢どれくらいになるのだろう。街道を往来する旅人の目についたであろう。
間もなく東海道本線の踏切を渡る(原踏切)と原宿の東木戸(見附)跡になる。

 原宿と云えば白隠禅師が著名。
諸国の行脚修業を重ね京都妙心寺の第一座になった後、故郷は松蔭寺の住職となった。
修行僧を指導するとともに東海道を往来する大名にも教えを説いたと云う。 

11:20「原宿」 01:25:00
 宿場らしい面影が残っていない原宿。原交番東交差点あたりが宿場の中心地だった。 
浅間神社前に高札場があり、向かい側に渡邊本陣と問屋場が並んでいた。
その規模は本陣1、脇本陣1、旅籠25軒とこじんまりとした宿場だったらしい。 

西木戸(見附)跡近くの高嶋酒造は純米酒に拘った酒造りをしている。酒蔵は街道の華だ。
残念ながら日曜祝日はお休みだ。この蔵を最後に原宿を後にする。 

Navi22 東柏原交差点(斜め右) → <県道380号> → 檜交差点 2.2km

 原一本松一里塚跡には小さな碑が建つ、次の沼田新田一里塚は痕跡もない。
東柏原交差点で県道380号と合流する。海岸線(千本松原)通るため千本街道と呼ばれる。
海岸に出てみる何処までも続く松原と砂浜、分かつ堤防が続いている。
田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」って覚えたな。

12:40「六王子神社」 02:45:00
 この辺りに三股淵生贄伝説が残っている。
3つの川の合流点の深い淵に棲んでいた龍に、毎年若い娘を生贄に捧げていた。
旅の巫女が人身御供にされ、残された連れの巫女が悲しみのあまり沼に身を投げたと云う。
あとを追った6名の巫女を祀ったのがこの神社だ。 

Navi23 檜交差点(左折) → <県道170号> → 富士信金吉原南支店 1.8km

13:15「毘沙門天妙法寺」 03:20:00
 高崎、深大寺と並ぶ「日本三大だるま市」のひとつ毘沙門天大祭が開かれる妙法寺。
本尊の毘沙門天は聖徳太子作と伝わる。振り返ると白妙の富士を望む。 

この地は江戸初期の吉原宿、延宝八年(1680年)の大津波で宿並は壊滅した。
2年後、宿場を移転して後、元吉原と呼ばれるようになった。 

Navi24 富士信金吉原南支店(右折) → <県道170号~171号> → 喫茶アドニス 3.5km

津波を避けた東海道は針路を北に転じて富士を正面に進む。ほどなく東海道本線の踏切。

河合橋交差点で県道170号から171号に替わって沼川を渡る。
製紙工場70がひしめく富士市、オレンジ色の煙突と立ち上る白煙がシェアを誇っている。

Navi24-2 鈴与富士支店前Y字路(斜め左)

Navi24-3 吉原駅入口交差点(直進) 100mほどR139と重複

Navi24-4 富士由比バイパス下Y字路(斜め左)

 

13:35「左富士神社」 03:40:00
 吉原宿の移転でこの辺りの旧東海道は北へ向かっている。
よって江戸を発って京へ向かう旅人は進行方向左側に富士を見ることになる。
左富士は名勝となり、広重は吉原宿の情景をこの「左富士」として描いている。 

続いて「名残の松」が左手に見える。広重が描いたうちの一本だろうか。

Navi24-5 平家越え橋東詰Y字路(斜め左)

13:45「平家越え橋」 03:50:00
 治承四年(1180年)の源平富士川の合戦、ここに平家が陣を張った。
水鳥の羽音に源氏の襲来と恐怖し、西へと潰走してしまった平惟盛の大軍勢。
貴族化した平家の醜態を見せたエピソードの地だ。 

 

吉原宿の東木戸跡を過ぎると岳南電車の吉原本町駅、ちょうど電車が出て往った。
駅裏の身代わり地蔵、昔、悪い眼病が流行った時にこの地蔵に願を掛けて完治した。
地蔵の目にはいっぱいの目やにが付いていたと云う話だ。 

14:05「吉原宿」 04:10:00
 吉原宿の宿並みはアーケードの吉原本町商店街になっている。
二度の移転でこの地に拓いた吉原宿は、本陣2、脇本陣3、旅籠60軒の規模であった。 

アーケードを一筋入ると天神社がある。吉原宿を形成する時に町割りの基準となった。 

 

「東海道表富士」は富士山専門のギフトショップ、富士山関連商品や地元の逸品販売する。
海抜0メートルからの富士登山道「村山登山道」の案内をしているそうだ。
「鯛屋旅館」は天和二年(1682年)創業の旅籠、今でもビジネス旅館として営業を続ける。
世紀の大親分清水次郎長、幕末の偉人の一人山岡鉄舟の常宿としても知られる。 

 

Navi25 喫茶アドニス(左折) → <県道22号> → 錦町北交差点 0.8km 

 

東海道が鉤の手に折れる角に「喫茶アドニス」はある。今回の街道めしをここで食す。
ご当地グルメ "富士つけナポリタン" は、トマトソース+鶏ガラのWスープに麺をつける。
もっちり太麺にトロけたチーズが絡んで美味い。息子絶賛。なんだが「呑み鉄放浪記」的。

沼津宿から千本松の駿河湾に沿って白隠禅師の原宿、名勝・左富士を実感して吉原宿へ。
小雨さえ降った沼津、昼過ぎには冬晴れが広がり富士を堪能した4時間10分の行程だった。
次回は富士川を渡って由比、興津あたりをめざす。薩堆峠からの富士山を楽しみだ。

沼津宿~原宿~吉原宿 17.6km 


冬のご褒美は北東北の旨い酒肴 田沢湖線を完乗!

2018-12-23 | 呑み鉄放浪記

 8月末、花火大会で賑わう大曲も今は一面真っ白な雪景色。
大人の休日4日目は、田沢湖線で飲みながら喰いながら盛岡へと向かう。 

 

大曲も横手も(そう云えば新庄もそうだった)駅舎が新しい。皆同じテイストだけど。 

幸い陽が出てきた。田圃と里山の雪景色が澄んだ青空に映える。 

秋田新幹線こまち号が雪煙りを立てて通過していく羽後長野駅で途中下車。
この町にある鈴木酒造を訪ねるために小さな駅に降り立つ。 

 
 

 軒下に真新しい酒林が吊るされてて、新酒の搾りがはじまっている。
鈴木酒造は元禄二年(1689年)創業の古くからの蔵、"秀よし" の銘柄を醸している。
薄く濁った生まれたての新酒 "純米しぼりたて生酒" を土産に求めた。華やかな香りがいい。 

羽後長野から2つ進めると角館、ご存知「みちのくの小京都」だ。
武家屋敷と桜の風景はあまりにも有名だけど、凛とした冬の風景もなかなか良い。 

 
 

 武家屋敷は石黒家を拝見した。武士の格式を示しながらも簡素な佇まいがいい。
座敷の壁に幻燈の様に映る欄間の亀が素敵でしょう。蝋燭の灯なら泳ぐように揺れて。
雪が深々と降る夜は、こんな部屋で差しつ差されつ飲みたいものだ。 

 

武家屋敷の町並みの中に「稲庭うどん処古泉洞」、かつては寺子屋だったそうだ。
"比内地鶏の稲庭うどん" をいただく。あっさりした出汁が美味しい、温まるね。 

15:23、盛岡行きの2両編成に乗車する。冬の陽は低い。
盛岡までは60km、単線で往き違いも、新幹線の待ち合せもあって1時間30分もかかる。 

列車は県境を越え、雫石川水系の谷を辿って北上盆地へと下って往く。 

16:56、とっぷりと暮れて盛岡に終着。
このまま新幹線に飛び乗るのはもったいない。ひたすら東へ、歓楽街大通りをめざす。 

 

串焼き酒場 萬、炉端の幅広のカウンター席がなかなか良い。
渋く "サッポロ赤星" の栓を抜く、焼き物が上がるまでは "タコぶつ" を抓む。 

 

串焼き5点盛りを味わったら、"炙りしめ鯖串" を焼いてもらう。脂がのってこれがうっ旨い。
海の肴には海辺の酒、釜石の "浜千鳥" を啜る。穏やかな飲み口で旨みのある酒だね。 

 

二杯目は磐乃井酒造(一関市)の酒 "IWANOI THE MOON"、なんとも洒落たラベル。
県産トヨニシキで醸した特別純米無濾過生原酒は、飲み飽きしない1年熟成の酒。
澄んだ出し汁の上品な "おでん" と一緒にいただいた。
余所者にもやさしいアットホームな店で、旨い酒肴を堪能した盛岡の夜なのです。

田沢湖線 大曲~盛岡 75.6km 完乗 

 

どんなときも / 松岡茉優


冬がはじまっている町へ 北上線を完乗!

2018-12-21 | 呑み鉄放浪記

 大人の休日3日目、朝の北上駅まで東北新幹線に乗ってやってきた。
このお得なきっぷ、新幹線沿線に住んでいるなら日帰りを重ねる使い方もある。 

 

北上線はここで東北本線から分岐して、奥羽山脈の脊梁を越え、奥羽本線の横手に至る。
起点を示す0キロポストは杭ではなく、1番ホームにペイントされていた。

脊梁の手前と先ではきっと風景が一変する。
北上盆地は雪の気配こそあれ、稲刈り後の田圃がそのまま車窓の左右に広がる。 

和賀川を遡るにつれ路盤を覆う雪が厚くなり、平行する2本の鉄路だけが鈍く光る。
モノトーンの風景にトラス橋の「赤」が映える。 

 湯田ダムが形成する錦秋湖が途切れると中心駅ほっとゆだ駅に停車する。
湯田温泉峡のシンボルでもある温泉付きの駅舎は、木造にトンガリ屋根の時計台。
ちょっとひと風呂っていきたいところだけれど、途中下車したら次の列車まで3時間半。 

 何時の間にか下り勾配になっている。列車は秋田県に入り横手盆地へと下って往く。
屋根にはたっぷりの雪。あと2~3日降雪があれば、年内に最初の雪おろしだろうか。 

4番線に終着した単行気動車は乗客を降ろすと、ほどなく引き込み線に引き揚げる。 

1日平均乗降人員が1,200人程度の横手駅だけど、駅舎は驚くほど近代的な建屋。
階下の観光案内所で「横手やきそばガイドマップ」を手にする。B1グランプリでお馴染だ。 

 

革靴の足元を気にして慎重に足を運んで5~6分、「食い道楽本店」の暖簾を潜る。
地元横手の酒 "阿櫻 純米超辛口" は、日本酒度+10のシャープなキレの良い飲み口だ。
"肉豆腐" と "タコ塩辛" でほんの軽く一杯。

 

2年連続で「四天王」の栄冠を手にした此の店の一皿は "牛バラやきそば"。
もっちり太麺に牛肉の濃厚な味を楽しんだら、後半は黄身を割ってマイルドにいただく。
って、冬がはじまっている町で "やきそば" と辛口の酒で〆る北上線の旅。

北上線 北上~横手 61.1km 完乗

 

冬がはじまるよ / 槇原敬之


旅するどんぶり 三崎港「まぐろ漬けトロ天丼」

2018-12-19 | 旅のアクセント

「みさきまぐろきっぷ」で京浜・久里浜線。
ウイークエンドを口ずさみながら「海35系統」で岬をめぐったら、当然にお腹が空いた。
くろば亭本店は、多彩なマグロ料理と季節の地魚が自慢の人気店。
背トロの天ぷらと、秘伝のタレで漬けた赤味がコラボする "まぐろ漬けトロ天丼" を食す。
漬けは絶品、天ぷらは脂がのって、山葵をのせると美味しい。満足のランチなのだ。

2017.12.18 

      
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樽生と "牛タンビール煮込み" と空港鉄道と 仙台空港線を完乗!

2018-12-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 全線高架の軌道をステンレス製の快速電車が疾走して往った。今回は仙台空港線。

 

仙台空港線は名取を起点とした7.1kmの鉄道、でも全ての列車は仙台を始発としている。
寒風吹き荒ぶホームに立つと、大きくSAPPOROの文字が見える。もどったらここで一杯。 

1番線に2両編成がやってきた。日中3往復の快速は仙台と空港を17分で結ぶ。
ほぼ20分間隔で走る後続の各駅停車、空港利用者とAEONモールへ向かう乗客で満員だ。 

名取から空港の所要は行き違いの有無で7~13分と様々だが僅かな乗車時間だ。
4つの外航が乗り入れる仙台空港、車窓から見えるエプロンの顔ぶれも多彩で楽しい。

さて、名取に戻ったらサッポロビール仙台工場へ、ここは工場見学は受け付けていない。
でっ仙台ビール園。まっ寒い季節だから閑散としている。
おひとり様はジンギスカンでもないから、樽生と "牛タンビール煮込みのチーズ焼き"。
仙台味噌とデミグラスソース、ビールで煮込んだ牛タンが美味しい。お奨めです。
「大人の休日」2日目は、福島から仙台でビールを愉しんだ2路線の旅なのです。 

仙台空港鉄道・仙台空港線 名取~仙台空港 7.1km 完乗

 

性 / TWIST 1978


伊達なトレインであぶくま川を往く 阿武隈急行を完乗!

2018-12-15 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 福島から槻木まで阿武隈急行線はその名のとおり阿武隈川に沿って標高を下げて往く。 

 

駅ビルと雑居ビルの間、路地の様な通路の先「あぶQ」の乗場が飯坂線と共有して佇む。
30年間走り続けている車両は、所々塗装が禿げてちょっと痛々しい。 

国鉄民営化の折、赤字ローカル線と未成線を引き継いで造ってしまった第3セクター。
人口は山際を並行する東北本線沿線に偏り、利用者は少なく、経営は厳しいだろう。 

 

「9」がつく日のフリー乗車券を購入して乗り込んだ2両編成。
それなりの数の乗客も、停車駅を幾つも数えないうちに消え去り、何時しか貸し切り状態。 

広い福島盆地から数キロの狭隘部を阿武隈川と絡んで走ると、やがて仙台平野が広がる。

 

 瀟洒な角田駅の裏手にJAが経営する仙南シンケンファクトリーが在る。
四季の地場産食材をふんだんに使用したビアーレストランで今日の一杯を。
"気まぐれプレート" を肴に4種のクラフトビールを飲み比べ、ヴァイツェンが好みだな。 

ラスト4区間を乗った後続の2両編成は、濃いブルーのラッピング車両だ。
「伊達なトレインプロジェクト」は、伊達氏ゆかりの名所旧跡をPRしようと云うもの。
キャラクター化された正宗は、歴女たちを呼び込んで小さな賑わいを創れるだろうか。

阿武隈急行 福島~槻木 54.9km 完乗 

オリビアを聴きながら / 杏里 1978


一酒一肴 西日暮里・三吉「髙清水」

2018-12-13 | 津々浦々酒場探訪

 

 西日暮里の「やきとん三吉」を訪ねる。16:00開店ってのが嬉しいね。
日本酒メニューは東北と新潟、この辺りは北国出身の方が多いのか。上野駅も近いし。
まずは秋田の酒「高清水」を、普通酒だけど冷やして飲むと美味い。
"冷やしトマト" でさっぱりして、自慢の "豚バラ" と "トロタン" を焼いてもらう。
秋田は今晩もきっと雪ですね。

2017.12.19

 

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旅の途中の酒場探訪 大分・都町「気らく家」

2018-12-11 | 津々浦々酒場探訪

 大分の歓楽街都町です。今回の出張は週のど真ん中、で「呑み鉄」は成立しない。
靴を脱いで「気らく家」、足が落とせるカウンターは居心地が良い。今宵はここで酔う。 

 

試しに酒場の定番メニュー "ハムカツ" をいただく。
からっと揚がって美味、カウンターの大将の仕事も丁寧だ。今日も当りだと確信する。 

 

 大分の郷土料理をいただく。まずは "りゅうきゅう"。
アジなどの切身を、醤油・酒・ミリン・生姜・ゴマ他を合わせたタレに漬け込む一品。
これ旨いよ。杯が進みそう。でっ酒は "鷹来屋 辛口本醸造" をいただく。
豊後大野の浜嶋酒造は石高500石の小さな蔵、土地の米と水で醸す当に地酒だ。
燗を付けてよし、冷やでよし、飲み飽きしないシャープな味わいだ。

 

刺身はカンパチ・シマアジ・地タコを切ってもらい、甘味のある刺身醤油でいただく。
二杯目は安心院(あじむ)の米と地下水で醸した "イモリ谷 生原酒"、中野酒造の酒だ。
ブランデーのような香りと、さらさらとした飲みやすい喉ごしが両立している。
"とり天" も大分で古くから愛されている郷土料理のひとつ。
下味をしっかりつけた鶏肉を天ぷらにして、ポン酢ベースのタレをつけて美味しい。
ところで最後の一杯は、敬意を表して麦焼酎ロックでね。都町で酔い宵なのだ。 

 
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東海道紀行6 箱根宿~三島宿~沼津宿

2018-12-09 | 東海道紀行

09:10「箱根宿」 00:00:00
 "東海道を歩く旅" 第6日目は、本陣はふや跡、箱根ホテルからスタートする。
気温2℃、芦ノ湖の空気は凛としている。今日は箱根峠を下って三島そして沼津をめざす。

Navi14-4 芦川入口バス停(右折)  旧道を800mでR1に戻る

箱根宿開設当時、狼退治に投入した二匹の犬を祀った駒形神社がひっそりと在る。
箱根関所を挟んだ宿並みはこの辺りまで続いていたと云う。

箱根で最も古い万治元年(1658年)建立の庚申塔、峠道入口の芦川石仏群だ。

向坂、赤石坂、釜石坂と石畳が続き、挟石坂が箱根峠に向かう最後の坂になる。

 

Navi14-5 箱根くらかけゴルフ場入口(左折)  旧道を260mでR1に戻る

09:45「箱根峠」 00:35:00
 ゴルフ場へと向かうアスファルトが東海道、150mほど急勾配を上ると箱根峠のピーク。
ここが相模と伊豆の国境になる。振り返ると眼下に広がる芦ノ湖。
広重の箱根宿図はここから富士を含めて広角に描いている。

100mほど下ると五差路になった箱根峠交差点。ツーリングのバイクの群れが颯爽と往く。

Navi14-6 芦ノ湖カントリークラブ入口(右折)  旧道を400m

Navi14-7 茨ケ平(斜め左)  旧道を350mでR1に戻る

箱根峠から三島まで延々と続く坂を総じて「西坂」と云う。
茨ケ平から入る甲石坂は箱根竹に覆われている。キセルの管に用いられた竹だ。 

Navi14-8 接待茶屋跡(斜め右)  旧道を1.3kmでR1に戻る

10:25「接待茶屋一里塚」 01:15:00
 国道1号を450mほど下ると接待茶屋跡の案内板から旧道に入る。
接待茶屋(人馬施行小屋)とは旅人や馬子たちの避難場所、旅人に粥、馬に煮麦が提供された。
そう云えば、中山道和田峠の江戸方にも同様の小屋が復元されていた。
日本橋から二十六番目の接待茶屋一里塚もこの辺りだ。 

甲石は、小田原攻めに向かう秀吉が、この岩の上に兜を置き一服したと伝わる。
元々は甲石坂にあったものが移設されている。

石荒坂、大枯木坂を下る。
石畳といっても平石ではない。川原の丸石を跳んで歩くが如く、きつい山下りなのだ。

Navi14-9 国道1号三島市標識(左折)  旧道を650mでR1に戻る

 

Navi14-10 国道1号108kmポスト(斜め右)  旧道を450mでR1に戻る

11:10「山中城跡」 02:00:00
 街道筋に石垣のない出城が史跡公園となっている。
迎え撃つ北条方が築いた山中城は、秀吉軍の総攻撃により半日で落城した。 

 

Navi14-11 山中城口交差点(直進)  旧道を600mでR1に戻る

山中城口交差点から入る石畳の旧道は工事中、やむなく国道1号線を迂回する。
茶畑を背景に富士の高嶺、山を下るにつれて裾野が見えてくる。

Navi14-12 三島スカイウォーク駐車場(左折)  市道を1.1km

11:55「笹原一里塚」 02:45:00
 上長坂は篠竹を敷いた道だったと云う。立場があって田楽や餅を商ったそうだ。
日本橋から二十七番目の笹原一里塚は南塚を残すが、すっかり見落としてしまった。
国道1号線を横切った下長坂を通称「こわめし坂」と云う。
あまりの急坂に、背負った米が汗と熱でこわめしになったの謂れに因る。
アスファルト道路だが確かにきつい。原付では上れないのではないだろうか。

Navi14-13 天神社(直進)  旧東海道を1.2km

旧東海道(旧国道1号線)を下っていく。三島市街と鈍く光る駿河湾が見えている。

Navi14-14 坂公民館入口(直進)  市道を160m

Navi14-15 坂幼稚園(斜め右)  題目坂を下る

Navi14-16 市の山新田交差点(右折)  旧東海道を1.7km

Navi14-16-1 箱根旧街道道標(斜め右)  臼転坂250m

 

臼が転がるほどの坂で臼転坂、緩やかな石畳の道が250mほど残っている。

Navi14-17 箱根路の碑(直進)

13:00「錦田一里塚」 03:50:00
 国道1号線に戻って伊豆縦貫自動車道をオーバーパスすると錦田一里塚が在る。
日本橋から二十八番目となる一里塚、榎を生やした両塚が残っている。

Navi15 五本松交差点(斜め左) → <市道> → 東海バス車庫 600m

Navi16 東海バス車庫(直進) → <県道22号> → 三島広小路 1.7km

晒し場があった大場川を新町橋で渡ると東見附跡、ここから三島宿に入って往く。

広重は三島宿図を朝靄の三嶋神社鳥居を描いている。
鰻が名物の門前は、朝靄ならぬ香ばしい匂いがたちこめていた。 

大山祇命と積羽八重事代主神の二神を御祭神とする三嶋大社は伊豆國一宮。
伊豆に流された源頼朝が深く崇敬し、源氏再興の百日祈願をしたところでもある。
 

13:55~15:00「三島宿」 04:45:00
 三島宿の中心は本町交差点辺り。山田園茶舗には樋口本陣の案内板がある。
向かい側(北側)には世古本陣があった。宿場の規模は本陣2、脇本陣3、旅籠74軒だ。

 

三島広小路駅付近が西見附、江戸時代には火除けの土手が築かれていた。
いかにも旧い広小路食堂で街道めし、70代?くらいのお婆ちゃんが切り盛りする。
枝豆とサッポロ黒ラベルで "タンメン" が運ばれるまで結構待った。その分美味しさが増す。

Navi17 三島広小路(直進) → <県道145号> → 東下石田交差点 3.3km

15:25「伏見一里塚」 05:10:00
 三島宿を発って1kmほど、千貫桶(境川)は伊豆と駿河の国境となる。
更に0.5km先、日本橋から二十九番目の伏見一里塚、北側玉井寺の塚は原形をとどめる。 
南側宝池寺の塚は復元したものだ。

 

Navi18 東下石田交差点(左折) → <県道380号> → 大手町交差点 2.2km

Navi18-2 西友沼津店先(斜め左)  市道を750mで380号線に戻る

16:05「沼津日枝一里塚」 05:50:00
 日本橋から三十里目の沼津日枝一里塚、実は伏見一里塚から3.2kmしか離れていない。
これは沼津宿内に一里塚を築くのを避けたことによる。

 

Navi18-3 川廓通り道標(斜め左)  市道を270m

Navi19 大手町交差点(左折) → <県道159号> → 通横町交差点

16:20「沼津宿」 06:05:00
 川廓通りで沼津城(三枚橋城)の東から南へ舐める様に歩いて宿場の中心へ出る。
広重の描いた沼津宿図は、三枚橋を遠景とした鹿野川の黄昏の情景。
城下町らしく3度鉤状に角を巡って清水本陣跡、広重の絵図のとおり黄昏の宿着だ。 

Navi20 通横町交差点(右折) → <県道160号> → 浅間町交差点 0.5km

Navi20-2 肉の子安前(左折) 270m

沼津宿の規模は本陣3、脇本陣1、旅籠55軒、火災と戦災で旧い遺構は残っていない。
本陣3軒並んだ本町通り、シャッター商店街の様相を呈して閑散としていた。
東海道を歩く第6日目は、箱根峠からの西坂を、石畳の旧道と国道1号線で下りてきた。
箱根宿から伊豆國の三島宿、さらに駿河國の沼津宿まで、6時間05分の行程となった。
次回からは駿河湾に沿って西進する。富士山はどんな表情を見せてくれるだろう。

箱根宿~三島宿~沼津宿 20.6km


隣りどおし あなたとわたし 左沢線を完乗!

2018-12-07 | 呑み鉄放浪記

 北山形駅の6番線に爽やかなスカイブルーを纏った2両編成が入線してきた。
"さくらんぼ" や "洋梨" が沿線の名産で「フルーツライン」を愛称するローカル線を往く。 

 

左沢(あてらざわ)線の起点は北山形なのだが、ホーム上のキロポストは2km。なぜ?
昭和2年、奥羽本線にも北山形駅が開設された際に、分岐点が山形から移ったのだろう。 

羽前金沢、羽前長崎、羽前高松、なんだか日本中を旅している気にさせる駅名が続く。
その一つ羽前長崎を出ると最上川橋梁を渡る。
明治期の貴重な全錬鉄製ワーレントラス橋は、土木学会から遺産登録された貴重なものだ。 

 沿線の中心駅、寒河江に到着する。ここまでの区間運行の列車も多い。
ホームの駅名表示板はさくらんぼ。大塚愛の楽曲の様に隣りどおしふたつ並んでいる。 

 

小雪ちらつく中、寒河江の町をぶらり。天保七年(1836年)創業、"澤正宗" の古澤酒造へ。
大正初期の蔵を酒造資料館として公開している。精米機・六尺桶・槽(ふね)など興味深い。
奥さんから自慢の酒を試飲させていただき、"大吟醸 紅花屋重兵衛" を求める。
山田錦で醸した華やかで香り高い辛口の酒だ。 

 

 創業100年の老舗食堂「皿谷食堂」、蕎麦屋だけど中華そばが人気メニューだ。 
牛骨とかつおぶしで取ったスープが懐かしい、昔ながらの中華そばが食べられる。
牛もも肉のチャーシューが丼を覆いつくした "ちゃ~牛めん" が美味しい。温まるね。 

 さて、寒河江を発った2両編成の気動車はひたすら田園風景の中を往く。
柴崎駅を過ぎると、最上川の河岸段丘に穿ったトンネルを2つ潜って、左沢に終着する。 

 米沢藩の舟陣屋・米蔵・塩蔵が置かれ、廓が軒を連ね、左沢は最上川水運で栄えた町。
米をはじめ米沢から運ばれた荷が、艜船(ひらたぶね)で酒田まで運ばれ北前船に積まれた。
反対に、酒田からは京の雅な文化や物資が運ばれ、舟運文化が華開いたと云う。  

山車やお雛様など京文化の伝播は、駅に隣接した交流ステーションで観ることができる。
左沢線は長井線(現山形鉄道)終点の荒砥を結ぶ延伸計画があったと云うが実現せず、
鉄路の終点は、結局水運の終点と同じくして今日に至っている。

北山形~左沢 24.3km 完乗 

さくらんぼ / 大塚愛