旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

信州・立科町の地域交流イベント 中山道ウォーキングinたてしな

2012-10-27 | にいがた単身赴任始末記

 先日息子と歩いた中山道(塩名田宿~芦田宿)、ちょうど「第5回中山道ウォーキィングinたてしな」が開催されていた。
100名の参加者は60~70代のアクティブシニアが多そうだが、小学生を伴ったファミリーや華やかな20代の女性グループもいる。
装いも本格的なノルディックウォーキングスタイルの方もいれば、散歩にお出掛けのような軽装の方もいて、実に幅広い層から関心を得ているようだ。
イベントは立科町や教育委員会がサポートしているが、主催は「たてしなの中山道を歩く」実行委員会。民間の有志から起こったそうだ。
そのせいか町の方のホスピタリティーが素晴らしい、受け入れ側もこのイベントをお祭として楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。

茂田井にさしかかった私たちは、公民館の前で和装の女性に声を掛けてもらった。
抹茶とお菓子を振舞ってくれるとのこと。公民館には裏千家の教室の看板、駐車場には茶席が設けられている。
2時間ほど後にやってくるウォーキングの参加者に提供するのだそうだ。
グリーンのウインドブレーカーを着たボランティアが設営の準備をする中、近所のお祖母ちゃんがお茶のみに来たりしている。
日本橋から歩いて来ていることを褒められた息子は、はにかみながらも満更でもない。

芦田に到着すると役場前にお休み処が設営されていた。
甘酒のサービスをしてくれる子どもたちが恥ずかしがりながらもシャッターに応じてくれた。
コーヒーサービスや信州りんごの試食のブースもあり、叔父さん叔母さんから「飲んできなさい」「食べてきなさい」の声が掛かる。
近くのコミュニティーセンターでは、きのこ汁をご馳走になった。きのこに白菜・豚肉の入った味噌仕立てはとても旨い一汁だ。
奨められるままにセンターの中でカレーもいただいた。ボランティアスタッフ向けの賄だろうか、観光客も地元の人もOKのようだ。

ガイドに案内された10名くらいずつのグループが芦田宿に到着しはじめた。
それぞれ公開している旧本陣土屋家に吸い込まれたり、サービスコーナーに人だかりを作って笑い声に溢れる。盛況だ。
バスの時間が迫っていたのと、にわかにスタッフが忙しくなったので、肝心なことがインタビューできずに終わった。
訊ねたかったのは「サービスしたり展示されている地場産品をどこで求められるのか」つまり地元にどうお金が落ちるかだ。
でも、訪れた人々にも、もてなす人々にも、笑顔と元気を与えるイベントであることは間違いなさそうだ。


中山道紀行17 塩名田宿~八幡宿~望月宿~芦田宿

2012-10-20 | 中山道紀行

「塩名田宿」 08:10
 気温6度は快晴にもかかわらず千曲川の上だけを深い霧に包んでいる。

塩名田宿は千曲川の渡しで栄えた宿場。
川面に舟を並べて桁とし板を渡して橋としていたそうで、舟つなぎ石が残っている。

霧の中津橋、数100mほど下流の新幹線の橋梁から、疾走する車両の音が聞こえてくる。

対岸にの少々きつい勾配で河岸段丘を上ると、ほどなく霧を抜け快晴の秋空が広がる。
右手後方には稲刈りの終わった風景の中、浅間山が雄大な姿を見せている。

「八幡宿」 09:05
 河岸段丘を上りきると御馬寄一里塚、残念ながら道路脇に案内の杭があるのみだ。

千曲川に流れ込む支流へと下っていくと右手に八幡神社。ここからが八幡宿となる。
八幡宿には昔の面影は殆どないが、本陣を継ぐ御宅が屋敷の端に門を残している。

八幡を出ると中山道は一旦R142と合流する。目の前の低い山の連なりを越えると望月宿。
R142は新望月トンネルで抜けるが、旧道は百沢集落から右手に分れて山を上っていく。
ほどなく右手に祝言道祖神、サルビアに囲まれて一層可愛らしい。

瓜生坂一里塚を過ぎると山道のピーク、念仏百万遍塔がある。

町道を外れ瓜生坂を下る。結構きつい。坂を下り切ると石仏群を見ることができる。

「望月宿」 10:10
 鹿曲川を渡ると望月宿、宿場情緒溢れる町。まず目に入るのは旅籠山城屋。

向かいの井出野屋旅館は大正時代の建物だが雰囲気充分。
「犬神家の一族」や木村拓哉の「君を忘れない」の撮影が行われたそうだ。

さらに進むと重文真山家が大和屋の看板を揚げ、並びに鷹野家脇本陣が軒を連ねる。

情緒溢れる望月宿だがその経営は厳しかったようだ。
天保年間には旅籠9軒にまで減り、その窮状を訴えたと歴史民俗資料館の展示にある。

西の外れに鎮座する大伴神社で望月宿を後にする。

「茂田井間の宿」 11:30
 緩やかに丘を越えて茂田井間の宿、正式な宿場ではなく休息所の機能を果たした。
神明社から茂田井の集落に入ると、水路を巡らした町並が江戸の風情を感じさせる。

茂田井には二軒の酒蔵がある。「御園竹」の武重本家酒造は有形文化財。
若山牧水は大正年間にこの地で酒を愛飲し歌を詠んだそうだ。
もう一軒「かたりべ」の大澤酒造、立派な杉玉は茶色に枯れて新酒の熟成を伝えている。

「芦田宿」 12:20
 芦田川を渡りコスモスが揺れる緩やかな登坂を左にカーブしながら進むと芦田宿。

宿場のほぼ中央に旧本陣土屋家住宅が公開されている。
寛政年間に建て替えられた旧本陣は建坪160坪余、京風な造りの上段の間が立派だ。

向側には脇本陣が2軒ならび、その先には味噌・醤油の酢屋茂が旧い家並を残す。
さらに先の金丸土屋旅館は旅籠そのままに泊まれる旅館として人気らしい。
塩名田宿から千曲川を渡り、八幡宿、望月宿を経て芦田宿までは11.3km。
日本晴れの一日、浅間山や蓼科山を望んで歩く約4時間の行程となった。


北国街道紀行4 上田宿~坂木宿~戸倉宿

2012-10-13 | 北国街道紀行

「上田宿」
 北国街道を歩く第4日目、さすがに10月半ば、信州の朝はやや肌寒さを感じる。
08:00上田城跡公園をスタートする。城の北側を西進する北国街道は、城下の外れで
松本街道と追分となる。別所温泉を経るので、道標は「北向観音道」と標されている。
その後直ぐに枡形に折れて外堀の役割を果たす矢出沢川を渡る。
明治時代の富豪丸山家の邸宅は、買い取った上田城の石垣を積み直した上に建っている。
道は更に枡形に折れるが、今度は「せん加うし道」と善光寺に導く道標が北国街道を示す。

 北国街道を西進してR18上田バイパスを潜る手前に一里塚公園がある。
ここの道標に「右北國往還、左さくばみち」とある。左は農道ですよとはウイットに富む。
更に長野新幹線の高架を潜って山裾に達すると塩尻。その名の通り塩流通のターミナルだ。

高田から上ってきた日本海の塩と、利根川を遡り倉賀野から下ってきた太平洋の塩が出会う地だ。
塩の商いで潤った集落は、石垣積みの立派な家が並んでいる。

 しなの鉄道西上田駅で妙高市北国街道研究会の一行と合流する。
今日は同会の第5回北国街道散策会「街道の難所を辿る」のツアーで、地元坂城町の
坂木宿ふれあいガイドの会の田原氏が同行し解説がなされる。

 西上田をでると早速その難所が眼前に現れる。
千曲川両岸の段丘が迫り狭窄部をつくる地形、北国街道が通る右岸を塞ぐ「岩鼻の嶮」だ。
岩鼻の崖下を千曲川が洗うため、川が大水になると街道は通行不能となった。
崖の中間には通称 “六寸街道” という幅20cmに満たない迂回道が設けられたそうだが
現在は廃道となっ
ている。

岩鼻の嶮を越えると「鼠宿」。ここは松代藩の私宿で本陣・口留番所・物産会所が置かれた。
丁度岩鼻が上田領と松代領の境界にあたり、口留番所における穀物・酒・漆などに対する
取締は関所なみに厳しかった。宿場の上田寄りには会地速雄(おうぢはやお)神社があり、
万葉集防人の歌の句碑と去来の句碑がある。大岩に囲まれた本殿は見応えがある。

「坂木宿」
  岩鼻を抜けた街道は千曲川の流れとともに北に向きを変え、3km程で「坂木宿」に入る。
北国街道は南西に開けた扇状地を、まるで城下町のように5回直角に曲がって行く。
それ故、南から入って南に抜ける、曲がるたび勾配の上り下りが逆転する構造になっている。

明治期の養蚕、昭和期の精密機械で比較的豊かな坂城町は、街道時代の旧い物は
殆ど立て替えられてしまったとガイドの会の蒲原顧問は残念がる。
昭和30年代までは街道の中央に用水が流れる情緒ある町並みだったそうだ。
それでも今はふるさと歴史館になっている旧本陣表門など幾つかの町家が残っている。

 

 宿場を出る最後の直角には嘉永6年(1853年)に建立された善光寺常夜燈が残っている。
坂木宿を出ると難所「横吹八丁」岩鼻同様に左右の段丘がせり出した狭窄地形になる。
この狭窄部を吹き抜ける横なぐりの風に悩まされたことから横吹。
八丁とは河岸を歩けない分、急峻な山腹を開削した道の延長、八町=870mから付いた。
年中強風が吹きつける街道随一の難所は、前田公といえども輿を降りて歩いたと云う。
加賀藩は参勤交代行列が岩鼻・横吹八丁の難所を越えるとその旨国許に飛脚を飛ばした。

横吹を巻いて抜けると視界が開け、数キロ先の対岸に戸倉上山田温泉が見渡せる。
戸倉は2キロ離れて上下二村に分村したため、月の二十一日までを下戸倉が、
以降を上戸倉が問屋業務を務める合宿となった。
上戸倉はR18から外れ旧道の静かな佇まいの中、本陣小出家が本陣門や松の老木を残す。

「戸倉宿」
 やがて北国街道はそのままR18に上書きされて、下戸倉は旧いものは残っていない

寛政元年建立の水上布奈山神社、境内にある稲荷社の灯籠は宿の飯盛女が奉納したもの。
一対の片方には飯盛女52名の名が、今一方には雇い主14名の名が刻まれている。

本陣跡を過ぎると戸倉駅入口に唯一とも言うべき茅葺の旧家がある。
築250余年のこの建物は清酒「雲山」の坂井名醸、通称下の酒屋と言われる。
現在は直営ショップ・蕎麦処・資料館として旅行者を迎えている。
第4日目は「上田宿」から「坂木宿」を経て「戸倉宿」まで18.3km、7時間の行程となった。