旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

青函トンネルとほたて炙り丼と五稜郭と 海峡線・江差線を完乗!

2015-08-29 | 呑み鉄放浪記

海峡線は中小国で津軽線と分岐するのだけれど、この駅に停まる列車はない。
っということで特急スーパー白鳥には手前の蟹田から乗車することになる。
各駅停車が走らないこの区間、“青春18きっぷ” で特急に乗れるルールになっている。

実は海峡線乗車前に龍飛の青函トンネル記念館を訪れた。
トンネル工事の作業員の移動や物資の輸送に使われた「竜飛斜行線」に乗車すると、
10分弱で海面下140mの奈落の底に案内してくれる。

実際の作業坑には採掘に使われた機械・機器が展示され当時の雰囲気を再現している。

竜飛海底駅へと続く坑道は、現在も保線作業や万一の際の避難経路として使われている。

特急スーパー白鳥11号は50分かけて津軽海峡を渡り木古内に滑り込む。津軽線を完乗だ。
この区間を走る寝台特急北斗星は、明日22日で惜しまれつつ営業運転が終了する。
代わりに北海道新幹線の夜間の訓練運転が始まるとニュースをTVが報じていた。

 乗り換え時間を利用して、売り出し中の "ほたて炙り丼" を食べてきた。
創作ルールは木古内の地場産品のホタテ、長いも、ふっくりんこ、ひじき、を使うこと。
香ばしく炙ったプリプリのホタテ、風味ある餡、トマトの酸味をアクセントに美味い。

木古内駅からの函館行きはまたしても単行気動車、差し込み型の行先表示版が懐かしい。
ここから五稜郭までが江差線、残念ながら木古内~江差間は今春廃止となってしまった。

五稜郭までのお供に開けた "みそぎの舞" が美味い。木古内産米ほのか224を醸している。
6,000本しか造れないので町内の酒屋で限定販売されている地酒は爽やかな辛口だ。

辛口の酒を楽しみながら眺めるのは、まるで島のように見える函館山。
五稜郭に向かうにつれ、徐々に車窓に占める存在感を大きくしていくのが楽しい。

下校の高校生を乗せて乗客を増やし、ほぼ満員の単行気動車は五稜郭駅に到着する。
あとひと区間はここで合流する函館本線となる。江差線の旅はここまでだ。

来春の北海道新幹線開業に伴い、江差線は「道南いさりび鉄道」に移管される。

旅の終わりに五稜郭を訪ねる。
江戸時代末期に幕府により建造された稜堡式城郭、改めて眺めるとなかなか美しい。

海峡線 中小国~木古内 87.8km 完乗
江差線 木古内~五稜郭 37.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
あの日にかえりたい / 松任谷由実 1975


龍飛埼と田酒と生姜味噌おでんと 津軽線を完乗!

2015-08-22 | 呑み鉄放浪記

生温かい風に乗って警笛が聞こえる。やがて頼りなく細い線路がカタカタと反響を始める。
やがて白地に真紅の帯を引いたキハが、夏草を薙ぎ倒して目の前を通り過ぎる。黒い煙と匂いが漂っている。

 昨夜は旨い肴を探して "生姜味噌おでん" に行きく。県の観光HPによると青森駅周辺の屋台(闇市)に由来し、
厳冬期に連絡船の船客を暖めようと、ある屋台の女将さんが味噌に生姜をすりおろしたのが始まりだという。

訪ねたアットホームな「なら屋」のカウンターで生姜味噌おでんを肴に飲む。
地元西田酒造の "田酒特別純米"、辛口でスッキリした酒が冷えた竹筒になみなみと注がれて嬉しい。

 

 青森06:20発、327M蟹田行きに乗車する。、津軽線は途中の蟹田までは電車が走っている。
乗客はひと握りの鉄道ファン、それと同数くらいの徹夜で飲んだのであろう地元の猛者達が眠たそうだ。
列車は田園風景の中、時折陸奥湾を望みながら北上する。左手に来春開通する新幹線の高架線が並走している。

327Mはおよそ40分で蟹田に到着する。この先の津軽線は非電化単線の典型的なローカル区間となるのだ。
乗り継ぐ329D三厩行きはたった1両、津軽線は予想に反して、終点近くの僅かな区間を除いて殆ど山間を走る。

こんな田園と里山の風景の中を眺めながら、等間隔で頬を撫でる扇風機の心地よい風に吹かれている。
ディーゼルカーの唸り声と、ガタゴトとレールの継ぎ目を鳴らす音を聞いていると、当然に眠くなってくる。

単行のディーゼルカーは、30kmほどの距離を40分かけて三厩駅に終着する。
折角なので龍飛埼へ。列車に連絡する外ヶ浜町営バスがボクを最果ての地まで連れて行ってくれる。

龍飛埼灯バス停前には「津軽海峡冬景色」の歌碑、台座のボタンを押すと石川さゆりが大音響で歌い出す。
格安バスツアーで訪れた奥様たちが一緒になって歌いだす。折角の名曲なのに。早くこの場を離れよう。

有名な階段国道を下ると龍飛漁港とその集落だ。この時期、津軽海峡マグロの一本釣り漁船が操業している。
もちろん大間漁協の漁船も漂っている、龍飛で獲れても大間に揚がれば “大間のマグロ” なのだ。

急な階段を上っていくと龍飛埼灯台に至る。海の先には渡島半島が見える。絶景だね。
沖合にはコンテナ船が行き交い、ここが国際海峡だと実感させる。近くには20~30隻のマグロ一本釣り漁船。
最果ての風に吹かれながら、いつの間にか石川さゆりを口ずさんでいることに気がつくのだ。

津軽線 青森~三厩 55.8km 完乗

津軽海峡冬景色 / 石川さゆり 1977


休日はローカル線で 中尊寺金色堂とあさ開とじゃじゃ麺と 行くぜ東北!

2015-08-19 | 日記・エッセイ・コラム

 「みちのくひとり旅」は、仙台から2日目のスタート。6番手のランナー、06:00発の一ノ関行きに乗車する。
仙台牛系の駅弁を肴に朝から一杯と思っていたけれど、さすがに5時台に売店は開いていなかった。
代わりにサンドイッチをつまんで日本三景松島湾の風景を眺める。海岸を離れるとどこまでも田園風景が広がる。

少々ウトウトしている間に終着の一ノ関が近づく、すでに県境を越えて岩手県に入っている。
いつの間にか車内は高校生で満員、東北の夏休みは短い。生徒たちが改札口を抜けると閑散とする一ノ関駅だ。
少しづつ寂しくなる風景に東北を実感。20分の待合せで更に北へ、7番手のランナーは紫のラインの盛岡行きだ。

平泉で途中下車する。駅前のレンタサイクルを利用すると、鉄道旅行でも気軽に平泉を訪ねることができる。
慈覚大師開山の「毛通寺」は基衡・秀衡の時代が最盛期であったという。浄土庭園が美しい。

「中尊寺」も慈覚大師によって開かれ、初代清衡によって大規模な堂塔造営がされた。
拝観開始時間に合わせて訪れたので、金色堂をゆっくりと見学することがでる。傍らには芭蕉翁が立っている。

盛岡までは90km90分の旅、東北新幹線の延伸開業で盛岡以北は並行在来線として第三セクターに移管された。

車中で "盛岡じゃじゃ麺" 発祥の店を知る。知ったからには興味がそそられる。
少々予定を変更して路線バスにで岩手県庁前の「白龍(ぱいろん)」を訪ねる。折しも正午過ぎで30分の待ちだ。

これが "盛岡じゃじゃ麺" だ。濃厚な肉味噌に、生姜、きゅうり、ネギがトッピングされている。
お好みで酢、ラー油、ニンニクを加えて、モチモチの太麺に絡ませて食べる。美味い。

まずは麺全体に肉味噌が絡むように混ぜないといけない。慣れないとこれが結構大変なのだ。
麺をほぼ食べ終えたら、溶き卵、肉味噌とネギ、スープを入れて "チータンタン" を味わう。これが美味しい。

8番手ランナーはIGRいわて銀河鉄道の八戸行き、青いラインの2両編成は相互に乗り入れる青い森鉄道の車両だ。

駅ビルで仕込んだ地元盛岡の "あさ開" は、やや辛のスッキリした南部流伝承作り大吟醸だ。
山河の風景を楽しみながら、ちびりちびりと八戸まで2時間弱の旅。県境の目時駅からは青い森鉄道となる。

八戸での待ち時間は30分。呑むには足りない中途半端な時間なのだけれど、コンコースに並ぶ幟が興味を引く。

結局 "八戸せんべい汁" を一杯いただく。鶏・醤油味と魚・塩味(この店はサバ)の2種類がある。
野菜やキノコ、糸コンニャクなどを煮込んで、長ネギを散らして食べるのが八戸地方の郷土料理だそうだ。
なかなかいける味。これ、飲んだ後の〆にピッタリだね。

アンカー青森行きは、いよいよ2両編成のワンマンカーとなってしまった。
閑散としていた車内も、浅虫温泉を過ぎてからは下校の高校生を乗せて、18:00、ほぼ満員で青森駅に終着する。
線路はホーム途中で車止めされているけれど、そのままたどると埠頭へと伸びていくのがわかる。
その先には青函連絡船「八甲田丸」が係留保存されていて、今でも乗客と貨車を待っているかの様だ。

今はもうだれも / アリス 1975


休日はローカル線で 円盤餃子と大七生酛と伊達政宗と 行くぜ東北!

2015-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

 上野東京ラインが開通して東北本線の旅は起点の東京駅からスタートできる。っで1本目の快速ラビットに乗車。
中学生ともなると、親父と旅するより仲間とプール?息子にフラれて文字通りの「みちのくひとり旅」なのだ。

快速ラビットは、宇都宮までの110kmを90分で快走する。続く2番手ランナーの黒磯行は2分の待ち合わせだ。

県境まで数駅を残すけどJRの運用は黒磯が関東と東北の結節点、3番手の郡山行は見慣れない仙台支社の車両だ。

「みちのく」の入口は白河だ。奈良時代には関が置かれ、大和と蝦夷との国境の役割を担っていた。
近代において白河小峰城は、戊辰戦争における「白河口の戦い」の舞台となった。

白河駅は三角屋根の木造平屋建て、ステンドグラス、縦長の窓、赤い瓦屋根に白い壁、端正な洋館建築だ。
駅舎には象徴的に「行くぜ東北!」のポスターを掲出している、木村文乃が弾んでいるね。

郡山から乗車した4番手が福島に到着したら、東口の「餃子の照井」に直行する。名物 "円盤餃子" を堪能する。

まるで揚餃子かと思うほどカリカリに焼き上がった円盤のきつね色がキレイだ。冷たい生ビールといただこう。

餃子の匂いを引きずって5番手ランナーの仙台行き、出発前、運転士も車掌もこの暑さにお疲れの様子だ。

駅ビルで仕込んだ二本松は大七酒造の "純米生酛"、主張の強い豊かで厚みのある味わいが仙台までの道連れだ。

槻木で阿武隈急行線、岩沼で常磐線、名取で仙台空港鉄道を合流して本数を増やと、すれ違いは頻繁になり、
車窓も田園風景から一転マンション群が並ぶ都会の風景へと変わっていく。

にぎわう仙台駅から、観光スポットを巡るレトロなバス「るーぷる仙台」で青葉城址へ。
伊達政宗騎馬像は逆光につき後ろ姿で失礼する。政宗公が見つめる先は今や100万都市となった杜の都仙台。
本丸跡の石垣は3.11で崩れたものを3年がかりで旧に復した。研究者や工事関係者のご苦労に頭がさがる。

ところで東北本線には岩切から利府を結ぶ盲腸線がある。利府支線はかつて松島に繋がる本線の一部であったが、
塩釜を経由する新線が完成するとその役目を終え廃止の憂き目に合う。そして現在の区間のみが残ったそうだ。
今では新幹線総合車両センターをはじめとした通勤や通学の足として役割を果たしている。

夕暮れの仙台駅は、家路を急ぐ通勤通学客、首都圏へ戻る出張族や観光客でとても混雑している。
折しも明日は仙台育英VS東海大相模の決勝戦、夜行で甲子園に向かう応援バス受付の列が混雑に輪をかける。
さぁ早くホテルにチェクインして夜の街を探索しようじゃないか。めざすは文化横丁なのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
時の過ぎゆくままに / 沢田研二 1975


ベガルタと文化横丁と浦霞と 仙台市交通局・南北線を完乗!

2015-08-12 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

仙台市営地下鉄の起点は泉中央は、仙台の副都心で大きなバスターミナルだ。
J1ベガルタ仙台のホームスタジアムの最寄駅には、オフィシャルショップも入っている。
富沢行の電車に乗る、先頭車両に「がんばれ!ベガルタ仙台」のゴールドが映える。

南北線は泉中央から富沢まで17駅、ちょうど真ん中が広瀬通駅。
これから国分町?煌びやかな女性たちに続いて地上に出ると、文化横丁までは5分ほど。

地元では「ブンヨコ」の愛称で通じる文化横丁、かつての映画館の名前に因むそうだ。
横丁から更に狭いL字の路地を入ると、ようやくめざす『源氏』の縄暖簾に辿り着く。
が20席ほどのカウンターは埋まっていて、30分ほど一人店外で待つことになる。

よく磨かれた一枚板のコの字カウンターに、ひと連なりの長椅子、淡い照明。
カウンターの中は割烹着姿の女将が一人で切り盛りしている。雰囲気は抜群だ。
お作法はどれも1,000円のお酒やビールを注文。一杯ごとに違ったお通しが提供される。
お酒は一人4杯まで。まずはヱビス樽生を呷る、お通しは "ぬか漬け" と "枝豆" だ。

2杯目から冷酒をいただく、お気に入りの塩釜の "浦霞・特別純米" がラインナップにある。
2杯目のお通しは "冷奴"、3杯目のお通しは "お造り" がでてきた。
淡い照明の素敵な雰囲気の中、小一時間じっくりとお酒を愉しませてもらった。

 広瀬通駅にもどって再び富沢行に乗車。仙台、長町はJR線との連絡駅になっている。
長町南を過ぎると、線路は地上に出て高架線となって富沢に終着する。
暗くて見えないけど閑静な住宅街の雰囲気。少し南へ歩くと名取川が流れているはずだ。

仙台市交通局・南北線 泉中央~富沢 14.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
青葉城恋唄 / さとう宗幸 1978


立川あたりの大衆酒場にて 多摩都市モノレールを完乗!

2015-08-08 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

多摩都市モノレールは立川を軸に、南は多摩センター、北は玉川上水で他線に連絡する。
多摩センター~立川間は多摩丘陵の大きな起伏を上下する。まるでジェットコースターのようだ。

多摩センターから、帝京、中央、明星など、キャンパスを繋いで多摩川を渡ると立川の街だ。

立川駅南口の路地裏にフラッと立ち寄りたくなる、大衆酒場を思わせる居酒屋がある。
路地裏のそんな店にひとりで入るのは、とってもアウェーな感じなのだ。

ウインズ立川ビルの裏、大衆居酒屋「横田酒場」のコの字カウンターに常連さんに混じって座る。
冷奴と自慢の串揚げ盛り合わせを肴に生ビールを2杯、〆て2,000円の美味しい晩酌だ。

多摩都市モノレールに戻って終点の上北台をめざす。立川~上北台間はほぼ平坦だ。
立川飛行場跡の広大な敷地に大きな工場やショッピングセンター、マンション群が並ぶ。
中央本線を挟んで南と北でまるで違った風景を走って、モノレールは上北台に終着する。
途切れたレールの先、低い丘陵を越えると、満々と水を湛えた多摩湖が見えるはずだ。

多摩都市モノレール 多摩センター~上北台 16.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
天使のくちびる / 桜田淳子 1975


フニクリフニクラと湯葉丼と強羅の湯と 箱根登山鉄道を完乗!

2015-08-05 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 この仕事をしている一人として、今温泉へ行くなら箱根を訪れない訳にはいかない。
で初めての箱根登山鉄道、快適な新型車両より、やはりこんな旧型車両が趣がある。
Webを見るとモハ2型といって、戦後間もない1950年に登場した車両だそうだ。
もちろん非冷房車で窓を全開にして箱根を登っていく。

コンコースには巨大な「小田原提灯が」下がっている。
箱根登山鉄道の起点は小田原、でも箱根湯本までは小田急電鉄の車両が走っている。
ちゃんと登山電車の朱色を基調に塗られてね。箱根湯本までは4駅15分ほどの旅だ。

強羅方面に向かう誰もが箱根湯本で乗り換えとなる。
ロマンスカーをはじめ小田原から乗り入れてきた小田急電鉄の車両が到着すると
乗客の半分は出口へ、半分はホーム反対側に停車している登山電車に吸い込まれる。

箱根湯本の「直吉」を訪ねて、箱根名物 "湯葉丼" を食す。
特製美味出し汁で温めた湯葉を卵でとじて、熱熱をご飯にのせて食べる。美味い。
湯葉丼の出来上がりを待つ間の生ビール、これがまたたまらない。

フニクリフニクラ、登山電車は早川谷を東海道を並行して登っていく。
幾つかのトンネルを潜り、幾つもの沢を渡り、半径30mの急カーブをうねる。
3度のスイッチバックを数えて、小田原と強羅の標高差527mを詰めていく。

その勾配は最急で80‰、我が故郷に向かっていた信越本線の碓氷峠区間をはるかに凌ぐ。
登山電車は35分を要して山小屋風の強羅駅に終着する。

駅近くの「季の湯 雪月花」を訪れる。
檜の露天風呂と和のやすらぎを設えた部屋、季趣溢れる源泉かけ流しの大浴場が嬉しい。 
陽の高いうちから浸かる季趣溢れる露天風呂が気持ち良い。
このあと呷る生ビールと、懐石を肴に楽しむ冷えた地酒を思いながら。

箱根登山鉄道 小田原~強羅 15.0km 完乗

<40年前に街で流れたPOPS>
Have You Never Been Mellow / Olivia Newton John 1975


城とおでんとロマンスカーと 小田急・小田原線を完乗!

2015-08-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 小田急電鉄の特急ロマンスカーは新鋭車両も走っているけれど、やはり伝統的なLSE車が魅力的だ。
新宿~箱根湯本間を90分で疾走している特急はこね号、私、実は今回が初ロマンスカーなのです。

「小田原おでん」を食べにやってきた。特産の梅を使ったつけだれ「梅みそ」をつけていただくのが小田原流。
老舗のかまぼこ各社が味を競う小田原、おでんで盛り上げるアイディアには頷ける。
お酒は丹沢の "松みどり" をいただく。常温で飲むのがお奨めだそうだ。

小田原へは新宿からロマンスカーで向かう。
はこね19号を待つ間、ホームのロマンスカー・カフェで "ジンジャー・ハイボール" を一杯。
真昼間だけれど、今日も暑いし、テーマも「呑み鉄」だから良しとしよう。

 ところで途中の新百合ヶ丘からは、多摩センター方面へ向かう多摩線が分岐している。
都の多摩ニュータウン計画に呼応して1974年に開通した小田急では最も新しい路線だ。

高架とトンネルの線路は、永山・多摩センターと京王・相模原線と併走して唐木田に終着。
唐木田のホームから先、線路はそのまま車両基地へと吸い込まれていく。
丘の上には女子大の附属中学校・高校がある。なるほど駅にセーラー服姿が多い訳だ。

小田原線は多摩川橋梁まで複々線、ロマンスカーは次々と各駅停車を追い越し快走する。
厚木を過ぎるとトンネルを潜ったり谷間を抜けたり、JRの地方幹線を走っているようだ。

はこね19号は、70分を要して小田原駅に到着する。特急は箱根登山鉄道に乗り入れ箱根湯本まで旅を続ける。
小田原駅では馬上の北条早雲公が睨みを利かせる先には小田原城天守閣が夏の陽を受けて白く輝いている。

小田急電鉄・小田原線 新宿~小田原 82.5km
小田急電鉄・多摩線 新百合ヶ丘~唐木田 10.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ロマンス / 岩崎宏美 1975